が。
それで……自分たちはあくまで馬車の護衛で、“森大蜥蜴”狩りには参加しなくてもいい、ってことっスよね?
強面をわずかに緊張させて、オルランドが念押ししてきた。
ああ。無理強いはしないよ、手助けしてくれるならそりゃ助かるが……
今回、オルランドたちの役目は、荷馬車を護衛して物資をつつがなくヴァーク村へ届けること。また、討伐成功の暁には、“森大蜥蜴”の素材を持ち帰ることだ。
対人をメインとする彼らに怪物狩りの経験などあるはずもなく、またケイが彼らに指揮権を持っているわけでもないので、彼らは彼らの裁量で動くことになっていた。
ケイとしても、土壇場でビビって逃げそうな者に背中を任せるつもりはない。それなら最初からアテにしない方がマシだ。だからこそ、信頼できる仲間を求めて、タアフ村までマンデルの協力を仰ぎにいったわけだが―
ところでホランドの旦那、気が早い話かもしれないが―
と、荷馬車を点検していたアイリーンが、ホランドに話しかける。
このサイズだと、“森大蜥蜴”の素材は載せきれないかもしれないぜ?
コンコン、と荷馬車を叩きながらアイリーン。取らぬ狸の皮算用もいいとこだが、すでに討伐後の心配をしているようだ。だがこれにはケイも同感で、商会が用意した馬車は質こそいいものの、サイズはかなり控えめであるように思われた。
ああ。ウルヴァーン支部と”伝書鴉(ホーミングクロウ)“でやりとりがあってね。協議の結果、素材の大部分はウルヴァーン側に運ぶことになったんだよ。サティナはちょっと遠いから
ホランドの答えに、ケイたちも納得する。ヴァーク村からウルヴァーンまでは馬車で一日足らずだ、素材を運ぶならたしかに向こうの方が好都合だろう。
……それと、ウルヴァーン支部からの知らせによると、昨日の段階ではまだヴァーク村は無事だったらしい
通りを行き交う人々に聞かれないよう、声をひそめてホランドが告げる。
なるほど……それは重畳だが
これから間に合うか、だな
アイリーンが腕組みして、ため息をついた。
……そろそろ出発するかい?
ああ。あまり余裕はなさそうだ
ケイ、アイリーン、マンデルの三人は、うなずきあった。軽くサンドイッチで昼食を摂り、トイレを済ませ、必要物資をチェックしてから一同はサティナを発った。
お気をつけて!
ご武運を!
精霊様の御加護があらんことを!
荷馬車の護衛、オルランドたちの声援を背に、ケイたちは進む。
足の速い三騎で先行するのだ。
“竜鱗通し”を片手に、身軽さ重視で革鎧のみを身に着けたケイ。
サーベルを背負い、動きやすい黒装束に身を包むアイリーン。
四肢に革製のプロテクターをつけ、腰に剣を佩いた旅装のマンデル。
よし、行くぞ!
ダガガッ、ダガガッと硬質な蹄の音を響かせ。
一行はヴァーク村を目指し、街道を北上し始めた。
91. 疾駆
前回のあらすじ
ケイ 体力回復薬を飲ませるか……
サスケ まっず! なんでこんなことするの
スズカ 不味すぎてキレそう
城郭都市サティナから公都ウルヴァーンまで、リレイル地方を南北に結ぶ大動脈。
―サン=アンジュ街道。
整備された石畳の道を、荒々しく駆ける騎馬の姿があった。
その数、三騎。
先頭は、スズカに跨るアイリーン。
続いて商会から借り受けた馬を駆るマンデル。
そして殿(しんがり)を務めるのが、ケイとお馴染みサスケだ。
アイリーン! スズカの調子はどうだ!?
最後尾から、ケイは声を張り上げる。
大丈夫だ! でも汗かいてるから、ぼちぼち水飲んだ方がいいかもな!
金色のポニーテールを揺らしながら、アイリーンが叫び返した。彼女を乗せたスズカは、黒色の毛並みがてらてらと光って見えるほど汗にまみれている。
現在、スズカが一行のペースメーカーだ。
サティナで多少休息を取ったとはいえ、スズカの疲労は完全には抜けていない。体重が極端に軽いアイリーンを乗せているので負担は少ないだろうが、それでも疲労具合を見つつ、走る速度を調節しているのだ。
スズカからすると、バテないギリギリのラインでずっと走らされるので、堪ったものではないかもしれない。だがもともと草原の民と共に暮らしていた馬だ。この程度で音を上げるほどヤワな育ちではないだろう。
マンデルの方は、変わりないか?
ああ。……いい馬だ、こっちは問題ない
マンデルが振り返って、生真面目な顔で答える。
コーンウェル商会から借り受けた馬は、灰色の毛並みの大人しいメスだった。ホランド曰く、最高速はそれほどでもないが、体力があり忍耐強い性格だという。今回のような強行軍にはぴったりだ。
ぶるるっ!
そしてケイを乗せるサスケはといえば―絶好調だった。クソマズ体力回復薬が効いたのか、それとも元から大して疲れていなかったのか、ほぼ完全に回復していた。体力・速力ともに普通の馬とは隔絶している、バウザーホースの真骨頂。
ケイが都度、手綱を引いて制御しなければ、徐々に加速して前方のマンデルを抜き去りかねないほどだ。戦いの機運を感じ取り、逸っているのだろうか。はたまた獰猛な魔物としての本能が表に出てきたのか。あるいは、新たに加入した商会のメス馬にいいところを見せようとしているだけか―
“竜鱗通し”を片手に周囲を警戒しつつ、思わず苦笑いしてしまうケイであった。
町が見えてきた!
と、先頭のアイリーンが知らせる。
少し休憩にしよう!
日の傾き具合を確認して、ケイは答えた。
できるなら今日中にサティナ-ウルヴァーンの中間にある、湖畔の町ユーリアまで行きたいところだ。到着時にベストな体調(コンディション)を望むなら、野宿は極力避けて、きちんとしたベッドで体を休めなければならない。現在のペースなら日が沈む前にユーリアに着くだろうが、休憩に時間を割きすぎるとギリギリ間に合わなくなる。
一口に『強行軍』と言っても、細かい調節がなかなか難しいことを、ケイはここに来て改めて感じていた。
†††
小さな宿場町にて。
水差し(ピッチャー)に直接口をつけて、グビグビと冷たい水をあおったアイリーンが ……ぷはぁ! 生き返るぜ と声を上げる。
井戸から汲み上げた冷たい水が、乗馬に火照った体に心地よい。自分の足で走るよりマシだが、ただ馬上で揺られているだけでも、人体はそれなりに消耗するのだ。
サスケ、よく走ってくれた。休憩後も頼んだぞ
馬具を外して楽にしてやり、白く泡立った汗の跡を拭き取ってあげながら、ケイはサスケに礼を言った。 まかせて! と言わんばかりに目を瞬いたサスケは、そのまま ヘイ、彼女! いい走りだったね! と、隣で水を飲む商会の灰毛馬へ絡みに行く。
灰毛馬は困惑気味―というか、ちょっと引き気味だ。そのさらに隣では、スズカが フン! と不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
ケイも飲むか?
おう
アイリーンから水差しを受け取り、グビッと水分補給するケイ。
その横で、井戸脇のベンチに腰掛けたマンデルが、伸脚するような動きで足を伸ばしていた。少しばかり険しい表情で、太腿をさすっている。
マンデル、どうかしたのか?
いや……
心配するケイに、マンデルは渋面を作った。
これだけの距離を駆けるのは初めてなんだ。……股が痛くなってきた
顔を見合わせたケイとアイリーンは、 あー…… と事情を察する。
乗馬とは、特殊技能だ。
馬への指示の出し方はもちろん、馬上で揺られ続けるため特殊な筋肉を使う。衝撃を受ける腰や太腿、尻なんかも、慣れがなければ痛みで悲鳴を上げ始める。
ケイとアイリーンは、ゲーム時代から乗馬に親しんでいた上、『完成された肉体(アバター)』を引き継いでいるのでその手の苦しみとは無縁だ。だが、こうして実際に苦しんでいる人間を前にすると、ずる(チート)しているような感覚に襲われてしまう。
……かなり痛むのか?
ま(・)だ(・)、それほどではない。……だがこのペースで進むとどうなるかわからん
マンデルは意地を張るでもなく、正直に申告した。
少し、不安だ。……今は平気だが、開拓村に着く頃には足腰立たなくなっていました―では笑えないからな。絶対に無理はできない
強がることなく話しているのは、そういうわけだ。
忘れてはならない。ヴァーク村へたどり着くことが目的ではなく、そこで”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“と戦える状態にあることが重要なのだ。
せっかく騎馬で移動できるというのに、足手まといになるようでは本末転倒だ、とマンデルが嘆息する。
馬まで用意してもらったのに、この体たらく。……自分で自分が情けない
……仕方ない、こればかりは慣れの問題だ
マンデルを責める気にはとてもなれず、ケイも慰めの言葉をかける。ゲーム由来の肉体で苦労していない自分が言うと、どこか薄っぺらく感じられた。
最悪の場合、おれを置いて先に行くことも視野に入れてほしい……
痛恨の極みの表情で、絞り出すように言うマンデル。確かに、ここでマンデルに合わせてペースを落としては、ここまで急いできた意味がない。
そっか……じゃあ、これ使ってみてくれよ
何やら腰のポシェットをゴソゴソと探ったアイリーンが、金属製の小さなケースを取り出した。
これは?
軟膏だ。―『アビスの先駆け』を使った傷薬
声を潜めて、囁くようにアイリーン。
これもまた、レシピを覚えていたアイリーンが試行錯誤して調合した品だ。体力回復薬とは違い、傷を癒やす治療薬になっている。もちろんその効能は、高等魔法薬(ハイポーション)とは比べるべくもないささやかなものだが……塗れば効果を発揮するので、少なくともゲロマズフレーバーは味わわずに済む。
太腿に塗れば、かなり痛みが引くはずだ。痛み止めじゃなくて治療薬だから、乗馬の揺れにも適応できるかも
アイリーンに押し付けられるようにして軟膏を受け取ったマンデルは、おっかなびっくりといった様子でケースを撫でた。
これは貴重なものでは? ……戦いに取っておくべきだろう
いや、正直あまり意味がない
首を振って否定したのはケイだ。
“森大蜥蜴”相手に戦うなら、その程度の傷薬が活躍できる場面がないのさ。無傷で生き残るか、即死するかの二択だ
淡々と、『事実』として語るケイに、マンデルがごくりと唾を飲み込んだ。
そうか。……わかった、使わせてもらおう
頷いたマンデルがその場でいそいそとズボンを脱ぎ始めたので、アイリーンが慌ててそっぽを向く。困ったような顔で ワイルドだぜ…… と口を動かすアイリーンを見て、ケイは思わず笑ってしまった。
……しかし、マンデルはどうして馬に乗れるんだ?
太腿に軟膏を塗り込む姿を見ていて、ケイはふと疑問に思う。
マンデルは、狩人だ。それも森のそばの田舎村の住人だ。主に森の中で活動する彼は、本来馬に乗る必要があまりない。そんな彼がなぜ、そしていかに乗馬の技術を身に着けたのか、不思議だった。
ああ……
入念に局部にも塗っていたマンデルは、その手を止めて、遠い目をする。質問しておいて何だが、ズボンは早く穿いてほしい。
昔、習ったんだ。……草原の民からな
マンデルの答えは意外なものだった。 草原の民から? とオウム返しにするケイとアイリーン。公国の平原の民と、草原の民は仲が悪かったのでは―
昔は、普通に交流があったんだよ。……10年前の”戦役”、草原の民の反乱が起きるまでは……
その口調は、懐かしむような、寂しがるような。
タアフの、おれくらいの歳のヤツはみんなそうだ。……昔、村に物々交換にやってくる部族がいた。気さくで、優しい連中だったよ。村にやってくるたび、当時ガキだったおれたちに、手取り足取り乗馬を教えてくれたんだ……
じっと自分の手を―弓を引き慣れ、あざになった指先を―見つめながら、ぽつぽつと呟くようにマンデルは言った。
だが、“戦役”で争うことになった。……仲が良かった部族とも刃を交えた。彼らは今、草原の奥地に引きこもっていて、滅多に姿を現さない。村との交流も完全に途絶えてしまった……
ため息交じりに語り、マンデルは再び軟膏を塗り始めた。
そう、だったのか……
転移当初、草原の民と誤認されかけていたケイに、マンデルは公平な態度で接してくれた。そしてケイが草原の民ではないことを見抜き、様々な助言もくれた。
マンデル自身は、“戦役”で徴兵され、平兵士から十人長に昇格するほど活躍していたらしい。その胸中がどれだけ複雑だったことか―
ふむ。……なるほど、この軟膏はよく効くな……!
ぺちぺち、と太腿を叩いたマンデルが、感心したように言う。
ありがとう。……かなり楽になった。このままのペースでも大丈夫そうだ
礼を言いながら、軟膏のケースをアイリーンに返すマンデル。散々局部に軟膏を塗り込んだ手で、そのまま。
あ……いいよ、そのケースは持っておいてくれ、まだ使うだろ?
む、そうか。……わかった、じゃあそろそろ行こう。おれのせいで休みすぎた
マンデルが立ち上がり、荷物袋に軟膏を仕舞ってから、ひょいと灰毛馬に跨る。
もう痛がる様子はなかった。軟膏の効き目は確からしい。
そうだな。行こうぜ
ちょっと待ってくれ、サスケに馬具を付け直す
手早く準備を整え、ケイたちは再び出発した。
それから、以前のペースで進んでも、マンデルは 少し痛む 程度で平気なようだった。むしろスズカの疲労具合の方が心配だったほどだ。
休むことなく駆け続け、日が暮れる前には、シュナペイア湖に面するユーリアの町に到着した。
相変わらず、清らかな湖とは対照的に、猥雑な雰囲気で満ちた町だ。行商人やその護衛、彼らを相手にする物売りや芸人、娼婦などで賑わっている。前回、ここを訪れたときは領主の館に呼び出され、アイリーンが 夫に黙って愛人にならないか? などと誘われたりしたものだ。ケイの面前で。
ありゃ傑作だったなぁケイ
ああ。二度と御免だが
もちろん領主の館などスルー。呼ばれてもいないし、呼ばれる予定もない。実に素晴らしいことだ。
少しでも疲れを癒やすため、高級な宿に泊まる。マンデルは遠慮しようとしたが、有無を言わさず宿代はケイたちが出した。風呂で汗を流し、ゲロマズ体力回復薬を服用し、口直しするようにたらふく食ってから、その日は早々に就寝。
その甲斐あってか、翌日は疲れもなく、ベストコンディションで出発できた。マンデルも寝る前に軟膏を塗ったようで、股が痛むことなく強行軍を続ける。
そして。
見えた!
街道の果て―丸太の防壁で囲まれた開拓村が見えてくる。
見たところ、壁が壊された様子もない。周囲には人影もあった。
おぉーい!
ケイたちが手を振ると、住民もこちらに気づいたようで、手を振り返してくる。
サティナを発ってから、およそ一日半。
ヴァーク村は―まだ無事だったのだ。
いつも感想ありがとうございます! 実は昨日、短編を投稿しました。
神 お主のチート能力は『いらすとや召喚』じゃ
サクッと読めるコメディなので、オススメです! なんと挿絵もついてます!
92. 状況
前回のあらすじ
マンデル(下半身露出のすがた) この軟膏の半分は。……優しさでできている
ケイ&アイリーン アビス軟膏~♪
そしてケイたち一行は、ヴァーク村に到着した。
ヴァーク村の男たちから、ケイは熱烈な歓迎を受けた。
英雄が来たぞ!
“大熊殺し”だーッ!
公国一の狩人ーッ!
“疲れ知らず(タイアレス)“ーッ!
公国一の木こりーッ!
何か変な二つ名も混じっていたが。
ケイ!! 来てくれたのか!!
村長のエリドアが、ホッとした顔で飛び出てきた。チャームポイントのハの字の眉は相変わらずだが、前回会ったときに比べ、かなりやつれている。
エリドア! 無事だったか
ああ、何とか。テオは立派に仕事をやり遂げたんだな。想像以上に早い到着だよ、ありがとう
テオ―コーンウェル商会に遣いとしてやってきた少年のことだ。
テオは今、商会で世話になってるはずだ。俺たちも全力で駆けて来たが、間に合わないんじゃないかと気が気でなかったよ……
村の中で下馬しながら、ケイは周囲を見回す。
ヴァーク村―ぐるりと丸太の壁で囲まれた開拓村。この防壁は、人間や普通の獣を防ぐには充分だろうが、“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“相手では紙細工ほども役には立たない。襲われればひとたまりもないだろう。女子供は避難させた、と聞いていた通り、村内には男たちしか残っていなかった。
だが。
それでも村は、賑(・)わ(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。
興味深いことに、村の出入口の付近、門の周辺にはテントや天幕が張られており、よそ者連たちが大勢そこで過ごしているのだ。野心に燃える駆け出しと思しき行商人、いかにもガラの悪い食い詰めた傭兵、身一つで乗り込んできた素人、森に溶け込みやすい格好をした狩人や野伏、などなど。
“森大蜥蜴”の脅威が迫る中、てっきり村の男たちしかいないと思っていたケイは、まだこの場に留まる命知らずがいたことに驚いた。
意外と人がいるんだな
率直な感想を漏らすと、エリドアはなんとも言えない顔で頷く。
ああ。頼もしい奴らさ。いつでも逃げ出せるよう、準備に余念がない
皮肉げな言葉だが、責めるような色はなかった。
まあ、両者とも気持ちはわかる。
この壁に囲まれた村には、出入口の門が一つしかない。村内で過ごしているところを襲われれば、みなが門に押し寄せて大パニックになるだろう。少なくない数が逃げ遅れるはず―村人たちは各々の家があるので仕方なく村内で過ごしているが、よそ者がそれに付き合う義理はない。村の外で過ごすのは当たり前の選択だ。
村人側としても、その気持ちはわかるが、いざというときは見捨てると宣言されているようなものなので、複雑な心境だろう。
……正直、ケイも好き好んで壁の内側にいたいとは思わない。いざというときに動きが制限されるのは困る。
彼らはなぜここに?
サスケの汗を拭いてやりながら、ケイは尋ねた。
『森の恵み』を求めてるのさ
というと?
深部(アビス) の動物が迷い出てきたり、普段は生えないような珍しい薬草が群生したりしてるんだ、今のあの森は
壁の向こうに広がる森を見やるようにして、エリドアは言った。
アイツら、この状況下で森に入ってんのか?
アイリーンが驚愕の顔でよそ者たちを見る。何人かの荒くれ者たちが、アイリーンの美貌を目にして囃し立てるような声を上げた。
……命知らずだな
マンデルがぼそりと呟く。ケイも全く同感だった。討伐に来ておいて何だが、森の中で”森大蜥蜴”とやり合うのは御免だ。ケイの足では絶対逃げ切れない。
当然、森に入り込む探索者―そのほとんどが素人の食い詰め者―が、怪物に出くわして生きて帰れるとは思えなかった。
それだけ、カネになるんだ……噂が噂を呼んで、むしろ”森大蜥蜴”が出る前より、人の出入りが増えたぐらいだ
エリドアが苦笑する。『アビスの先駆け』とまでは言わないが、高値で取引される薬草やキノコ、美しい毛皮の珍獣、そんな存在が森には溢れているらしい。“森大蜥蜴”の出現直後は逃げ出す者が多かったが、その隙に珍しい獣を生け捕りにして大儲けした剛の者が現れ、結局それを羨んだ多くの探索者たちが戻ってきたそうだ。
今では、一攫千金を夢見て森に入る命知らずたちと、それらの”商品”を高値で買い取る行商人で、村は大賑わいなのだという。
ただし、経済活動のほとんどが村外で行われる上、村内の施設も休業状態であり、村にはあまり利益が還元されていないとか何とか。
話を聞いたケイは、 随分と悠長に構えているんだな という感想を抱いた。と同時に、それほどまでに森の生態系が変わっているということは―あまり良い傾向とは言えない、と危惧した。
……この近辺には、まだ”森大蜥蜴”が姿を現してないのか?
何より気になるのは”森大蜥蜴”の動向だ。流石に近くにヤツが『出た』となれば、探索者はともかく、商人たちが真っ先に逃げ出すはず。
いや……それが、はっきりとは言えないんだ。ヤツの行動範囲が、少しずつ広くなってるのは間違いないんだ……
エリドアは何とも困ったような顔。
……詳しい事情を説明しよう。こっちに来てくれ
村に入るときも思ったが、門の周辺は混沌していた。
まるでバザールのようだ。色とりどりの天幕、熱心に探索者たちと交渉する商人、飲食物を売る簡易屋台、酒瓶片手に英気を養うごろつきたち―
おーい、キリアンはいるか
エリドアが声をかけると、探索者たちが顔を見合わせた。
キリアン、見たか?
さあな、おれは見てねぇ
ってかキリアンって誰だ?
そんなこと言い出したらよォ、まずお前が誰だよ!
違いねぇな! ガハハ! 知らねえ顔ばっかりだぜ
それよりエリドア、その別嬪さんを紹介してくれよ!
誰かが叫び、 そうだそうだ! と野太い声が重なる。
やいのやいの。ケイの傍らのアイリーンに、口笛を吹く者、見惚れる者、下品な野次を飛ばす者―いくらこの場が賑わっているといっても、女っ気はゼロだ。流石にこんな危険な開拓村にまで出向いてくる商売女はいなかったのだろう。お陰で女に飢えた男たちが、砂糖菓子に吸い寄せられるアリのようにわらわらと―
あー。ダメだ、オレがいちゃ話にならねぇなコレ
ぼりぼりと頭をかいたアイリーンが、小さくため息をつく。
オレぁ一旦村に戻るぜ、ケイ。話は聞いといてくれ
わかった
こりゃ仕方ない、とばかりに頷くケイ。
おうおう、そんなこと言わずに、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないかよぉ~、お嬢ちゃん
などと言いながら、酒焼けした赤ら顔の男が絡んでこようとしたが―アイリーンが、トンッと地を蹴る。
へ?
赤ら顔の男からすると、アイリーンが消えたように見えただろう。
軽々と宙を舞うアイリーン。真正面から男の頭を飛び越えたのだ。
そのまま、群がる男たちを避けるようにして、トンットンッと飛び跳ねていき、三メートルはあろうかという丸太の壁に取り付いて、そのまま向こう側へと消えた。門があるのに、わざわざ壁を越えてみせたのだ。
…………
ごろつきたちが、呆気に取られている。
エリドア……何者(なにもん)だありゃぁ……
強力な助っ人だよ
苦笑交じりに答えるエリドア。
と、ごろつきたちの間をすり抜けるようにして、一人の男が前に出てきた。
……アッシを呼んでると聞きやしたが
ぴったりとした皮の服に身を包んだ男だ。三十代後半といったところか。ツルツルに剃り上げたスキンヘッドで、頭部には爪で引っかかれたような傷があり、前歯が何本か欠けている。少し間抜けな顔立ちにも見えるが、その立ち居振る舞いには隙がなく、特に足運びにただならぬものを感じさせた。腰の後ろには山刀を差し、小型のクロスボウを背負っている。
おお、キリアン。この人に、森の様子を話してやってくれないか
エリドアがケイを示す。
どうやら、このスキンヘッド男はキリアンというらしい。察するに、今もなお森に踏み込む命知らずの一人といったところか。
こちらの旦那は?
以前話した、“大熊殺し”のケイさ
ほう!
じろじろとケイを見ていたキリアンは、感心したような声を上げる。
それはまた。アッシは流れ者のキリアンと申しやす
ケイだ。狩人をやっている
よろしく、と目礼する二人。
森の様子、とのことで。何を話しやしょう?
できれば”森大蜥蜴”の動向を知りたいんだが……
ケイはあまり期待せずに尋ねる。
ふぅむ。いくらで?
目を細めて、キリアンが笑う。
命がけで拾ってきた情報でやすからね
タダでやるわけにはいかない、と。
もっともなことだ、とケイは納得した。しかしどれほど払ったものか。
……こういうとき、いくらぐらいが相場なんだ?
いや。……おれに聞かれても困る……
突然ケイに聞かれ、困惑するマンデル。
こんな情報の売買は経験がないからな……
そうか……
……。ただ、山狩りの類で、軍が地元の猟師や狩人を案内人に雇うときは、一日あたり小銀貨2~3枚が相場だと聞いたことがある。……それより安いということはないだろう
悩むケイに、マンデルもどうにか記憶をたどり、そんなアドバイスをくれた。
じゃあ、これくらいでいいか
財布代わりの革袋から、銀貨を数枚取ってキリアンに手渡すケイ。小銀貨ではなく銀貨にしたのは、これより細かい硬貨を持っていなかったからだ。命がけの情報なのは間違いないので、多めに払ってもいいだろうという考えもある。
ほほう。これはこれは……
キリアンは手の内の感触だけで金額を察し、サッと懐に銀貨を隠した。
お話ししやしょう。ただ場所を変えたいところでやすね
そのリクエストに応じ、一行は近くの天幕の中へと移る。
さて。アッシも、“森大蜥蜴”には直接お目にかかったわけじゃないんでやすが
キリアンは石ころを拾い、地面に大雑把な地図を描き始めた。
曰く、キリアンはいつもヴァーク村から三十分ほどの距離を探索しているそうだ。目的は薬草の採取と、狩猟。真っ黒で艷やかな毛皮の狐や、緑色の鹿のような動物など、 深部(アビス) から迷い出てきたと思しき、珍しい獲物が目白押しだという。
で、“森大蜥蜴”は、どうやらこのあたり
キリアンは、自分の行動圏の外にザッと線を引く。
村から歩いて四十分あたりのところを、うろついているようでやして。足跡やら、これ見よがしに派手に倒された木やら、“森大蜥蜴”の通ったあとが目立ってやした。だからアッシも不意に出くわさないよう、ここらで引き返すようにしてるんでやすが
……なるほど
探索者の二人が喰われたのは、 深部(アビス) の領域付近だったはずだ。そのときに比べ、少し行動圏が広がっているように見える。
このあたりの地形は?
キリアンが引いた線を示して、ケイは尋ねた。以前、ケイもこの村から 深部(アビス) まで歩いていったので、道中の起伏は薄っすらと覚えている。なので、心当たりがあった。“森大蜥蜴”がさまよっている理由にも。
ここは……少しばかり、『谷』みたいに地形が凹んでるところでやすね
……わかった、ありがとうキリアン。ところでこの話は、皆にもしてるのか?
ケイの問いに、キリアンは首を振った。
正直、あまり。アッシに金まで払って聞こうってヤツぁそういやせん。みんな勝手にやってやすから。酒を奢られて少し話したことはありやすが、これほど詳しくは、まだ……せいぜいエリドアの旦那に話したくらいのもので
エリドアは数少ない『客』なのだとか。
ふむ。キリアンぐらい森に詳しいヤツは、他にいるか?
アッシが見たところ、アッシほど森歩きに慣れてるヤツも少ないかと
普通、確かな技術を持つ森の専門家なら、こんな場所に出稼ぎに来たりしない。森の恐ろしさを知っていれば、 深部 の化け物がいるかもしれないような場所に近づこうとは思わないからだ。
必然的に今、森に入っているのは、楽観的な素人ばかりだった。
ふーむ。エリドア、一つ質問なんだが、森に入ったきり帰ってこない探索者はどれほどいる?
えっ?
突然、水を向けられたエリドアが困惑の声を返す。
いや、……俺は把握できていない。なにせこの数だ。出入りも激しい
エリドアが外を示す。賑やかな探索者たちのテント村を。
こうしてケイたちが話している間にも、何組かの探索者たちが帰還し、それと入れ違うようにして森に入っていく者たちもいる。取引を終えて去っていく行商人もいれば、新しく村にやってくる商人もいる。今日、噂を聞きつけてやってきたごろつきが何人になるのか、把握している者は一人もいない。冒険者ギルドのような監督する組織があるわけでもなく、皆が好き勝手にやっているのだ。
ましてや誰が森に入り、誰が帰ってきたか、など―
なるほどな……
おおよそ、事態が把握できたケイは、顎を撫でながら唸った。
……何か、まずいのか? ケイ
エリドアは不安げに。
まずい、というか……。なあエリドア、俺は『“森大蜥蜴”が出た』って知らせを受けたときは、正直もう間に合わないかもしれない、って思ったんだ
……えっ?
いつ襲われてもおかしくはなかった。こんな魔力が薄い土地で、“森大蜥蜴”が体を維持するには、そこそこ魔力を持つ生物を食べなきゃいけない。その筆頭が人間だ
野生動物に比べると、人間は魔力を豊富に持つ。特に中年以降の個体ともなれば、下手な 深部(アビス) の獣より魔力は高い。
だが、それでもヴァーク村は無事だ。
人の味を覚えた怪物が、いつ匂いをたどって襲いにきてもおかしくなかったというのに。
命知らずの『冒険者』たちに感謝した方がいいな。彼らの犠牲でこの村は保ってるようなもんだ
おそらく―日に何組かが喰われている。
キリアンの言っていた『谷』の周辺が、狩場(キルゾーン)なのだ。
俺の予測では、その『谷』に”森大蜥蜴”は巣を作ったんだろう。あいつらは山や谷の斜面を掘って、ヨダレで壁を固めて巣穴にするんだ。派手に倒された木は、通った跡じゃなく、縄張りの主張。そして”森大蜥蜴”の得意技は―待ち伏せだ。巣穴の近くに身を潜めて、通りがかった獲物を確実に仕留めてるんだろう
この森は、人の手が入っていない原生林だ。草木が鬱蒼と生い茂り、視界も悪い。体長十メートルを超える化け物でも、じっと身じろぎしなければ姿を紛れさせられる茂みや地形の起伏は、いくらでもある。
また、先入観。獰猛な”森大蜥蜴”は、地響きを立てて獲物を追いかけ回す―そんな風に勘違いしている者も多いだろう。実際は気配を殺して身を潜め、ギリギリまで獲物が近づいたところで、初めてその俊敏さを発揮するのだ。
キリアンは、“森大蜥蜴”の『通った跡』を警戒し、近づきすらしなかった。だからおそらく、“森大蜥蜴”の確殺圏に入らずに済んだのだろう。
だが、これが素人だったら? ただのごろつきだったら? この期に及んで、怪物はもっと森の奥地にいると勘違いしている愚か者だったら―?
その末路は、言うまでもない。
今はまだ、巣の近くに『餌』が豊富にあるからいいが
問題は、この話が知れ渡った場合。
もしも探索者たちが森に入らなくなったら―餌が不足する
そうすれば”森大蜥蜴”は、どうするか。
匂いをたどって、まっすぐ来るぞ。この村に
ケイに告げられ、エリドアの顔が引きつった。
―“森大蜥蜴”に仲間たちが喰われた、という探索者が戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。
93. 準備
前回のあらすじ
森大蜥蜴 この森当たりだわwww めっちゃ餌あるやんwww
―最初は誰も、そいつのことなんて気にも留めなかった。
森からフラフラと一人で彷徨い出てきた探索者。見るからにみすぼらしい格好で、ろくな装備もない。
大方、一攫千金を夢見てやってきた食い詰め者が、ロクな成果も上げられずに帰ってきただけ―
誰もがそう思った。
そいつが、探索者たちのキャンプにたどり着くなり、わんわんと子供のように泣き出すまでは。
お、おい、どうしたんだよ
見かねた他の探索者が声をかける。
近寄ってみれば、酷い匂いだった。その探索者の下半身は汚物まみれだった。よほど恐ろしい目にあったのか、失禁してもそれを気にする余裕もなく、必死で逃げてきたらしい。
……死んじまった。死んじまったんだよぅ
この世の終わりを見てきたような顔で、そいつは言った。
でけえトカゲに、みんな喰われちまった
†††
―で、こうなったと
翌日、すっかり人気のなくなったキャンプを眺めて、ケイは呟いた。
“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“が近場に出た、という噂はあっという間に広まった。まず、怖気づいた探索者が去り、そこそこ稼いでいて未練のない者がそれに続き、彼らの商品を買い取っていた商人たちも引き上げた。
残ったのは、それでも『森の恵み』を諦めきれない強欲者か、危機感に乏しい命知らずか、それ以外の理由で残った奇人・変人か。
さて、自分はどれだろう、などとケイは思う。
むしろまだ何人か残ってることに驚きだぜ
サーベルの鞘でトントンと肩を叩きながら、アイリーンが言った。
―へへっ。アッシのような物好きもおりやすからね
天幕の陰から声。傷だらけの禿頭をぺたりと撫でながら、キリアンがひょっこりと顔を出した。
あんた、残ってたのか
意外だった。
キリアンは、慎重に慎重を重ねた結果、“森大蜥蜴”の狩場(キルゾーン)に踏み込むことなく生き延びた、腕利きの探索者だ。リスク管理に優れているからこそ、真っ先に姿を消しているだろう、とケイは思っていたのだが。
歩く災害とも謳われる”森大蜥蜴”―その姿、一度は拝んでみたいと思っておりやして。アッシも、森歩きなぞを生業としている者でやすからねえ
昨日、“森大蜥蜴”の生態を事細かに解説され、自分も危ういところだったと知らされたときは青い顔をしていたのに、剛毅なことだ。
それに……旦那は、“森大蜥蜴(あれ)“を狩るつもりなのでしょう? アッシもお供させていただきたく
……ただの酔狂かもしれんぞ?
そりゃあ、他の連中なら鼻で笑うところですがね。旦那は話が別でさぁ
キリアンはニヤリと笑う。“大熊殺し”ならではの説得力といったところか。
それは光栄だな。実際、人手は欲しいと思ってたんだ
流石にケイも、アイリーンとマンデルだけを仲間に”森大蜥蜴”を狩り切れるとは思っていない。基本的には森から出てくる”森大蜥蜴”を迎撃する形を取るつもりだが、簡単な落とし穴―“森大蜥蜴”が蹴躓く程度の深さでいい―などを準備するために、人手を集めなければならなかった。
村の男たちには、もちろん手伝ってもらう予定だ。しかし、探索者―特にキリアンのような腕も度胸もある人材は、いくらでも欲しい。
声をかけたら、もう少し集まると思うか?
報酬次第かと思いやすね
身も蓋もない答えに、 そりゃそうだ とケイは苦笑する。
キリアンだったら何が欲しい?
アッシはもちろん、金子(きんす)をいただけるならそれに越したことはありやせんが。手持ちが少ないならば、討伐成功の暁に獲物の素材を分け前に―という手もアリだと思いやす
なるほど
確かに、こういった大物狩りでは成功報酬が一般的かもしれない。大物狩りそのものが一般的かどうかはさておき。
ただしケイの場合は、そこそこ懐に余裕がある。
仕留めた”森大蜥蜴”は、コーンウェル商会に売り払う手はずになってるんだ。俺の一存じゃ素材の扱いは決められない
ほほう
だが幸い、金はある。できればキリアンのような、クソ度胸のヤツを雇いたいんだが……心当たりはないか?
わかりやした。何人か、声をかけてみやしょう
頷いたキリアンは、そう言ってまた天幕の陰に姿を消した。
よし、落とし穴でも掘るか
人材探しはキリアンに任せ、ケイは村の外で作業に取り掛かった。
念のため”竜鱗通し”と”氷の矢”を携え、手近にサスケも控えさせているが、ケイは少なくとも明日の朝まで”森大蜥蜴”は動かない、と見ている。
昨日犠牲になった探索者は最低でも四名。“森大蜥蜴”も腹が膨れて、そこそこ満足しているはずだ。ここしばらく、狩場では獲物に不自由していなかったので、今日も巣穴周辺で待ち構えていることだろう。
そして”森大蜥蜴”は昼行性なので、日が暮れて気温が下がってしまえば、明日の昼前までは動けない―
(―と、説明したんだがな……)
自らもシャベルを振るいながら、ケイは辺りを見回して肩を竦めた。
周囲には、村長のエリドアをはじめとした村の男たちの姿もある。みな、農具を手に作業に従事しているが、いつ森から怪物が飛び出してくるか気が気でないようだ。背水の陣を敷く軍隊の兵士でも、もうちょっとマシな顔をしているだろう。
(まあ、気持ちはわかるが)
かく言うケイも、絶対に100%安全だと思っているわけではない。アイリーンにはすぐそばで森を見張ってもらっているし、短弓を手に控えているマンデルにも”氷の矢”を数本渡してある。
当のケイたちが気を緩めていないのだから、村人たちが気楽に構えていられるはずがないのだ。
ケイ、ちょっといいか
と、鋤を担いだエリドアが、眉をハの字にした困り顔で話しかけてくる。
どうした?
そこそこ掘ったところに、デカい石が出てきた。どうしたものか
エリドアに連れて行かれると、確かに、どデカい石―というより岩―が地面に埋まっていた。
……うーむ、これを動かすのは確かに骨だな。ツルハシかデカいハンマーがあれば砕けそうだが
ツルハシはないな。ハンマーも木槌しか……
そうか、なら仕方ない……そのまま動かすか
できれば道具を使って楽をしたかったのだが。
ケイは一抱えもあるような巨石を、 どっせい! と無理やり持ち上げて、豪快に放り捨てた。
よし、これでいいだろう
……相変わらずの怪力だな
ぱんぱん、と手の土埃を払うケイに、エリドアが呆れている。周囲の村人たちも、 何を食ったらあんな筋肉つくんだ にしてもこの石デカすぎだろ デカすぎて税金取られそうだな などと話している。
しかし、エリドアたちも頑張ったんだな……
切り株だらけの景色を見回しながら、ケイは感慨深げに言う。
以前来たときよりも、ヴァーク村の周囲はずっと拓けていた。“大熊(グランドゥルス)“襲撃時は、村から目と鼻の先の距離にあった森が、今は50メートルほども離れている。 深部(アビス) の領域変動、その影響を少しでも抑えるために、森そのものを削る―村人たちの涙ぐましい努力の賜物だった。
お陰で、戦いやすい
サスケが駆け回るスペースがあるし、射線も通る。足場の悪さが玉に瑕だが、森の中と違って”弓騎兵”として立ち回れる。もしも村が以前のように森と近いままだったら、村への被害を度外視して、街道の辺りまで”森大蜥蜴”をおびき出す必要があったかもしれない。
しかし……ケイ、こんな落とし穴が、本当に”森大蜥蜴”に効くのか?
穴を掘り進めながら、エリドアが問う。
“森大蜥蜴”は10メートル近い化け物なんだろう? こんな、子供でも這い出せるような穴、それこそ子供だましにしか思えないんだが……
いや、意外と有効なんだコレが
土を掻き出しながらケイは答える。
“森大蜥蜴”、図体の割に脚が短くてな。力が強いお陰で、それでも素早く動き回れるんだが、だからこそ、猛スピードで走ってきて脚が引っかかると―
かなりバランスを崩す。腹を地面に擦ってしまい、突進の勢いは大幅に減じる。
で、そこを狙うというわけだ。“大熊(グランドゥルス)“と違ってバカだから、何度でも引っかかるしな
ふぅむ……なるほど
エリドアも納得したようだ。他の村人たちもやる気が出てきたらしく、穴を掘る手に力がこもっている。
おおい、旦那
と、村の方からキリアンがやってきた。背後には探索者たちを引き連れている。
キリアン! ……なんか、多くないか
引き連れている―ぞろぞろと、まるで遠足のように。
話を耳に挟んで、人足として雇ってくれという連中がいやして
親指で背後を指し示しながら、キリアンが肩をすくめる。
―ザッと顔ぶれを見てみると、色々と酷い。
どうやら大半は、 とりあえず少しでも金を稼ぎたい という者たちのようだ。みすぼらしく覇気もない。 “森大蜥蜴”に挑んでやろう という気概に満ちた者は、数えるほどもいなかった。
ええと……じゃあ、人足志望の奴らは、ここにいる村長のエリドアの指示を聞いてくれ
ケイがそう言うと、探索者たちがぞろぞろとエリドアの方に行く。 道具が足りないぞケイ! という悲鳴を聞き流しつつ、キリアンを見やる。
……で、彼らが?
へえ。アッシが声をかけた連中でさ
残ったのは、たった二人だ。
まず、ゴリラのような筋肉隆々の男。装甲をうろこ状に重ねたスケイルアーマーを装備しており、短めの槍を四本も背負っているのが印象的だ。探索者というよりは、傭兵といった趣を呈している。先ほどからぎらぎらした目でケイを睨みつけてくるのだが、理由に心当たりはない。
次に、浅黒い肌のイケメン。場違いに思えるほどの美丈夫で、革鎧を身につけていなければ吟遊詩人か何かかと勘違いしてしまいそうだ。腰にはショートソードを差し、草原の民の複合弓を握っている。身のこなしはなかなか様になっており、武具も使い込まれた風で、ただのイケメンではなさそうだった。
おい、あんた……ケイか
と、ゴリラのような男が、クワッと歌舞伎役者のような表情でケイに迫る。
あ、ああ、そうだが
警戒心高めで引き気味のケイ。
ゴリラ男はサッと手を差し出す。何事だ、と身構えるケイに、
あ……握手……してくれねえか
……は?
……武闘大会……見ていた。あんたのファンなんだ……
ゴリラ男はうつむきがちにそう言った。
94. 助人
前回のあらすじ
あ……あんたの……ファンなんだ…… (もじもじ)
あんたのファンなんだ……
ケイの人生において、そうそう言われたことない台詞だった。
あ……ああ、……それはどうも
我に返ったケイは、手を差し出し、ギュッと握手した。
なんか力いっぱいに握って握力を確かめてくる、などということもなく、ゴリラ男は ははッ…… と照れたように笑って、ただ嬉しそうにしている。
……旦那。こいつは『ゴーダン』っていう名前なんですが、見かけによらず純朴なヤツでして
妙な空気の中、キリアンがフォローを入れた。
旦那の大ファンで、キャンプの古参なのに、昨日からモジモジするばかりで全く話しかけもできやせんで。見かねて連れて来たわけでさぁ
……そのためだけにか?
ああ、もちろん、槍投げの名手でもありやす。おいゴーダン、ボサッとしてねえで旦那に見せてやんな
お、おう
モジモジしていたゴーダンが、気を取り直して、背中の槍を一本抜き取る。さらに右手には、投槍器(アトラトル)と呼ばれる補助具を持っていた。
投槍器(アトラトル)とは、槍の石突を引っ掛けるための窪みがある棒状の道具だ。腕の力を無駄なく推進力に変換して槍を打ち出すことにより、射程と威力を飛躍的に上昇させられる。
槍の石突を窪みにセットし、ゴーダンが振りかぶった。
ふッ!
ビュゴッ、と弓矢とは全く異なる重量感のある音とともに、槍が投射される。
緩やかに放物線を描いた槍は、その実、恐るべき速さで風を切り、遠方の木の幹にドガッと突き立った。着弾点には樹皮が剥げた楕円形の模様があり、適当に投げたのではなく、狙って命中させたのは明らかだった。
ほう! すごいな
大した威力、そして正確性だ。ケイの”大ファン”で、あれほど照れていたにも関わらず、即座に命中させてみせる度胸もポイントが高い。
旦那、いかがでしょう
雇おう。彼が協力してくれるなら心強い
おっ、よかったじゃねえかゴーダン、即決してくだすったぞ
ははッ……そっか……
嬉しそうに笑ったゴーダンは、照れてそれ以上は言葉にならなかったのか、浮かれた足取りで木に刺さった槍を取りに行く。
それで、次はこっちでやすが―
俺の番か!
続いて、キリアンがもうひとりの方を見ると、浅黒肌のイケメンが待ってましたとばかりに口を開く。
俺の名前はロドルフォ! 流れの用心棒だ! 栄えある”大熊殺し”のケイ殿に出会えるとは恐悦至極! ってとこかな!?
芝居がかった仕草で一礼するロドルフォ。とても威勢がいい。ゴーダンの影響か、ロドルフォもナチュラルに握手を求めてきた。
そしてあんたほどじゃないが、弓が得意だ!
言うが早いか、右手で矢筒から数本まとめて矢を抜いたロドルフォは、複合弓を構えて速射を披露する。
シュカカッ、と耳に心地よい音を立てて、木の幹に矢が3本突き立った。
なかなかの早業だ。しかし……
……4本、放ってなかったか?
一矢、どこかへすっ飛んでいったようだが。
うむ! これでもマシになった方なんだがな! 百発百中とはいかないから、数で補うことにした!
なるほど
数撃ちゃ当たる理論。連射の速さそのものはケイにも迫る技量だ。ロドルフォなりの修練の成果なのだろう、と理解した。
ただ、連射用に調整した結果か、複合弓の”引き”が少し甘いのが気になる。弓の威力を十全に引き出せていない―
(―いかんな、同業者(ゆみつかい)となると見る目が厳しくなりそうだ)
ケイはそんな自分に気づいて苦笑した。
(……まあ、いくら狙いが甘いといっても、“森大蜥蜴”のバカでかい図体を外すことはないだろう。1、2本は魔法の矢を預けても大丈夫か?)
うーむ、と考え込む。
今のところ、“氷の矢”はマンデルに5本ほど預けてあり、残りの15本はケイが持っている。“森大蜥蜴”の巨体を効率的に冷却するには、できるだけ多方向から複数の矢を打ち込む必要があるのだが、肝心の射手がいなかった。
その点、ロドルフォは悪くない。射手としては。度胸もありそうだし……
……。ダメか?!
ケイの沈黙をどう受け取ったか、ロドルフォがこてんと首を傾げる。
ああいや、すまない、少し考え込んでいた。……もしよければ、使っている弓を触らせてもらえないか
え? ああ、構わないが。見せるほどのものではないぞ!
ロドルフォがヒョイッと弓を渡してくる。他人に触らせることを全く気にしていないようだ。ケイは”竜鱗通し”を他人に扱わせる際、それなりに緊張するのだが。
(草原の民からの流用品、あくまで換えのきく道具ってことか)
複合弓をグイッと引いて、張りの強さを確かめたケイは、 まあこんなもんか と納得する。ロドルフォの引き具合から考えると、速射時の威力は本来の8割といったところか。
威力が不安か?
ケイの懸念を、ロドルフォは汲み取ったようだ。
―なら、ここを狙ったらどうだ!
とんとん、と指先で自分の目の下をつつき、ロドルフォは笑う。
柔らかく、脆い眼球を狙うつもりらしい。
……それは、おれも考えていた
と、いつの間にか近くに来ていたマンデルが話に加わってくる。
ケイ。……実際のところ、目は弱点になりうるのか? 以前、“森大蜥蜴”は熱を探知する器官を持っていて、視覚に頼らず獲物の位置を特定できる、と言っていたが、目を潰しても意味はあるのだろうか
マンデルの質問に、ロドルフォが え? なにそれ、そんなの知らない とばかりにスンッと真顔になった。
もちろん、意味はある。目をやられて平気な生き物はいないさ、痛みで怯むだろうしな。ただし命中すればの話だ
ケイは手で、十センチほどの円を作ってみせた。
“森大蜥蜴”の目の玉はだいたいこれくらいの大きさだ。図体の割に目はそんなにデカくない。そして、ヤツはこうやって
ケイはシャドーボクシングをするように、ぐいんぐいんと首を振ってみせた。
頭を振りながら移動するから、命中させるのも至難の業でな
……ケイでも難しいのか?
ああ。走ってる最中は、とてもじゃないが狙って当てられん。人間と違って次にどう動くか読めないんだ。だから少しでも動きを鈍らせられるように、落とし穴を準備しているわけさ
なるほど、そういうことか
マンデルはふんふんと頷いて、表情を曇らせた。
このサイズか。……おれの腕では、止まっていても必中とはいかないな
自分も、手で十センチ大の円を作ってみながら、思案顔のマンデル。
なぁに、数撃ちゃ当たる!!
ロドルフォはなぜか胸を張っているが、それは自分に言い聞かせているようでもあった。
それで、ケイ殿! 俺は使い物になるかな!?
ああ、雇おう
なんだかんだで、この威勢の良さは気に入った。ケイ基準だと見劣りがするだけで、弓の腕前も及第点だ。“森大蜥蜴”を相手に目を狙ってやろうという気概も悪くない。
ありがたい! 全力を尽くさせてもらおう!
白い歯をキラッとさせて笑いながら、再び大仰に一礼するロドルフォ。
……まあ目潰しに関しては、当たったら儲けもの、くらいに思うといいさ。それに眼球から脳までの距離が遠くて、横合いから深く突き刺さらない限り、致命傷にはならないんだ
もちろんケイとしても積極的に狙うつもりだが、以前の”大熊”のように即死させるのは難しいだろう。魔法の矢が目にぶっ刺されば話は別かもしれないが―
旦那、それに関してはアッシに考えがあるんでさ
と、ここでキリアンが腰のポーチから黒い小さな壺を取り出す。クッションに包まれ、厳重に封がしてあるが……何やら物騒な気配だ。
……それは?
アッシ特製の毒でさぁ。猛毒のキノコ、毒ガエルと毒虫の汁、それに薬草と香辛料を混ぜてありやす
思った以上に物騒な代物だった。キリアンの森の知識の結晶。
肉を溶かす毒なんで、危なっかしくて普通の狩りには使えやせんが。“森大蜥蜴”が相手なら、と思いやして。流石に、これっぽっちの毒じゃデカブツは殺しきれんでしょうが、動きはかなり鈍くなると思いやすぜ
毒か……
魔法の矢は用意していたが、その発想は抜け落ちていた。
……旦那、毒はお嫌いで?
渋い顔をするケイに、キリアンが顔を曇らせる。こういった『道具』は人によって主義主張信条があり、トラブルの種になりかねないのだ。
いや、あまりいい思い出がないだけだ。使えるものは使うべきだと思う
ひょいと肩を竦めるケイ。
アッシは矢弾(ボルト)にこれを塗り込むつもりでやすが、こっちの坊(ぼん)にも使わせてやろうかと
おいおい、坊(ぼん)はよしてくれよ!
ロドルフォが苦笑している。だが、彼の速射と毒矢はなかなか相性がいいかもしれない。
旦那は、お使いになりやすか?
いや、俺はやめておこう。毒はそっちで使ってくれ
毒なんざ使わなくとも、旦那の強弓は威力充分でやすからね
ケイの”竜鱗通し”を見やり、眩しげに目を細めるキリアン。
そういえば、その強弓! “大熊”さえ一矢で射殺したと名高いが、ぜひその威力を見せてはもらえないか!?
ロドルフォが鼻息も荒く頼み込んでくる。
…………
その背後では、槍を回収して戻ってきたゴーダンが、目を輝かせていた。
あー……すまないな、本気で使うと矢がダメになってしまうんだ。今は一本でも温存しておきたい
期待に応えられず申し訳なく思いつつも、ケイは断る。“竜鱗通し”は全力で矢を放てば細木を折るほどの威力だが、代償として矢も砕けてしまう。“森大蜥蜴”を射殺すには、矢が何本あっても足りないほどだ。デモンストレーションのために無駄にするわけにはいかない。
そうか。それは確かに、そうだな!
…………
納得するロドルフォ、しゅんとするゴーダン。
代わりと言っちゃなんだが、引いてみるか?
おっ!! いいのか!?
……!!
喜ぶロドルフォ、元気を取り戻すゴーダン。
ケイは苦笑しながら、“竜鱗通し”を貸してやった。まあ、この二人なら変な扱いはしないだろう。
思ったより軽いな! ……って、なんて張りだコレは!?
……指が千切れそうだ
やはり、みな同じような反応をするもんだな。……かくいうおれもそうだった
やんややんやと騒ぐ二人に、マンデルが腕組みしたままうんうんと頷いていた。
ちなみに、キリアンも興味がありそうな顔をしていたが、年甲斐もなくはしゃぐのが恥ずかしかったのか、触らなかった。
ところでロドルフォ。渡しておきたいものがある
“竜鱗通し”体験会が落ち着いたところで、ケイは話を切り出す。
おお、なんだ?
魔法の矢だ
!? そんなものがあるのか!
ああ。友人の魔術師に作ってもらった。氷の精霊の力で、刺さった部分を凍りつかせる力がある
“森大蜥蜴”が寒さに弱く、体温を下げれば劇的に動きが鈍くなる、という旨の説明をしたケイは、腰の矢筒から”氷の矢”を抜き取ってみせた。鏃の留め具にブルートパーズがはめ込まれている、特殊な矢だ。
これが……!
魔法の矢……!
初めてお目にかかりやした
興味津々なロドルフォ、ゴーダン、キリアンの三人組。
ロドルフォ、お前にはコイツを持っていてもらいたい
いいのか!? 俺が!?
ああ。だがその前に使い方を教えよう
ケイは”氷の矢”を矢筒に戻し、代わりに普通の矢を抜いた。
これは普通の矢だが、とりあえず魔法の矢だと思ってくれ。魔法の矢は、放つ前に合言葉(キーワード)を唱える必要がある
ぐっ、と矢をつがえて引いてみせる。
この状態だ。放つ直前に、 オービーヌ と唱えろ。そうすることによって、矢に封じられた精霊の力が目覚める。そして矢が刺されば、氷の魔力が解き放たれるんだ
なるほど
ただし、一度精霊の力を目覚めさせると、もう矢筒には戻せない。絶対に命中させる必要がある。そして合言葉を唱えずに放つと、普通の矢と変わらない。絶対に合言葉を唱えるのを忘れるな。いいか。絶対にだ
な、なるほど……
ロドルフォはケイの気迫に圧されて引き気味だ。
とりあえず、2本渡しておく。 ロドルフォ、お前にこの2本を譲る
あ、ああ……わかった
その2本が自分のものであることを宣言してくれ
え? …… この魔法の矢は、俺のものだ
よし。それで所有権がお前に移った。お前がその矢をつがえて、合言葉を唱えると魔法の矢として機能する
ほほー……!
しげしげと鏃に埋め込まれた青い宝石を眺めていたロドルフォだったが、やがて大事そうに腰の矢筒にしまった。
合言葉は覚えてるな?
オービーヌ だな?
そうだ。これから俺が、『合言葉!』と叫んだら即座に オービーヌ と言い返せよ。いざというときに忘れてちゃ話にならんからな
覚えているような気がしていても、“森大蜥蜴”を前にして緊張したら合言葉が出てこないかもしれない。来襲までどれほど時間があるかは謎だが、できる限り訓練しておこうというわけだ。
ちなみに、マンデルにも同じことをやっている。
はっはっは、任せてくれ。女の名前を覚えるのは得意なんだ!
ちなみに、 オービーヌ は氷の精霊の名前だ
そ、それは畏れ多いな……!
ロドルフォはぎょっとして仰け反った。
旦那。その魔法の矢、アッシには使えないもんですかい?
キリアンの得物はクロスボウだからな……
クロスボウは太く短い矢弾(ボルト)を射出する。弓で放つ矢とは形が全く違うのだ。無理やりセットすれば発射はできるだろうが、まっすぐ飛ばないだろう。キリアンもプロなので ああ、確かに とすぐに理解し、諦める。
……ケイ、……その……
と、ここでゴーダンがもじもじと。
……魔法の槍とかは、ないか……
羨ましかったらしい。
……。すまない、流石に持ってないな……
そうか…………
……ま、まあ、なんだゴーダン。お前さんにもアッシの毒を分けてやるよ、魔法の槍たぁいかないが、毒の槍にしようぜ
お、おう……
キリアンが慰めなのか何なのかよくわからない言葉をかけたが、ゴーダンは依然として残念そうな顔をしていた。
なんとなく不憫に思ったケイは、
……お前の槍に、風の精霊への祈りを込めておこう。狙いを違わず突き刺さるように
…………!
ゴーダンがパッと明るい表情になった。
†††
ケイが祈りを捧げると、シーヴが気を利かせて(ケイの魔力を消費し)風を吹かせてくれたので、ゴーダンは大喜びだった。
めちゃくちゃはしゃいでいた。
また、アイリーンとマンデル以外の面々も、『風の精霊が顕現した』ことに驚きつつも、好意的に受け止めていた。ケイは自らが魔術師であることを特に喧伝していなかったからだ。
もっとも、皆の士気が上がるのは良いことなので、ケイも無粋な解説などはせず口をつぐんでおいたが。
それから森を警戒しつつ土木作業を進め、多数の落とし穴を掘った。子供がすっぽりと埋まる程度の深さの穴に、木の枝で軽くフタをしただけの稚拙極まる罠だが、“森大蜥蜴”の頭脳ではおそらく見破れまい。賢い”大熊”だったら引っかからなかっただろう。
日が暮れてからは、村で英気を養う。アイリーンが”警報(アラーム)“の魔術で万が一の備えをしたが、“森大蜥蜴”は昼行性なので夜には襲撃がないはず、ということでゆっくりと体を休める。
そして翌朝―
ケイは借り受けた民家の寝室で、ガヤガヤと騒がしい外の気配に目を覚ます。
まさか、出たのか……!?
朝飯食う暇もねえなケイ!
アイリーンともども、最低限の装備を身に着けて家を飛び出す。
しかし外に出てみれば、“森大蜥蜴”の来襲ではないようだった。
見れば村の入口のキャンプに、一台の荷馬車が停まっている。
あれはコーンウェル商会の……!
御者台には、数日前に知り合った護衛・オルランドの姿があった。
想像以上に早い到着だな!
ピウッと口笛を吹くアイリーン。
囮の山羊も積んでるはずだ。これは助かる―
ケイも満足げに頷いたが、
ケイさーん!!!
荷台に見覚えのある顔があって、目が点になった。
やった!! どうやら間に合ったようですね!! 世紀の大物狩りに!!
竪琴を片手に大感動している吟遊詩人。
―これで僕も伝説の目撃者になれるッッ!
なぜかコーンウェル商会の馬車に、ホアキンが同乗してきていた。
サスケ ケイにファンだって
スズカ あなたのファンはいるのかしらね
サスケ そりゃいるよ。…………いるよね?
95. 伝説
前回のあらすじ
サスケ イカれたメンバーを紹介するぜ!
スキンヘッドであり断じてハゲじゃない! 森歩きの達人キリアン!
ケイの大ファン、シャイ系ゴリラ投槍マン! ゴーダンんん!!
やたらイケメン! 爽やか用心棒のロドルフォぉぉぉ!
あとなんか商会の馬車にひっついてきた吟遊詩人
以上だ!!
ホアキン なんか僕の扱い雑すぎません?
ホアキン! なんでこんなところに―って聞くまでもないか
伝説の目撃者とやらになるためだろう。
ケイさん! 本当に間に合ってよかったです!
荷馬車から飛び降りて駆け寄ってきたホアキンは、聖地へ巡礼に訪れた信者のような、感動した面持ちで村を見つめた。
素晴らしい……ここが伝説の舞台になるわけですね……! おお―
ホアキン、悪いが話はあとだ
そのまま一曲吟じかねないテンションのホアキンを、ケイは押し止める。
今日ぐらいからぼちぼちヤバいんだ、“森大蜥蜴”が出てくるかもしれん。仕上げに色々と準備することがあるから、話は作業しながら聞かせてくれ
わ、わかりました
流石に邪魔する気はないらしく、ホアキンは素直に頷いた。
荷馬車の護衛・オルランドと話し、商会からの物資を受け取る。
健康な山羊が五頭、医薬品や食料、そしてショベルやツルハシといった道具類。
人手はあっても道具が不足していた現状、少しでも土木作業を進めておきたいケイたちにとって、物資の到着は福音だった。
エリドア! 道具の分配と落とし穴は任せるぞ!
わかった!
新品のショベルを片手に、緊張気味のエリドアが頷く。
他の者は、作業でわからんところがあったら村長のエリドアに聞け!
了解ー!
村人や人足たちが各々の持ち場に散っていく。みな、日が昇って気温が上がると”森大蜥蜴”襲来の可能性が高まるとのことで、早めに作業を終わらせてしまおうと必死だった。
襲来の可能性があるのにそれでも逃げ出さないのは、森のすぐ近くに哀れな山羊たちが繋がれていて、 あいつらが先に喰われるから大丈夫だ という安心感があるからだろう。
メェ~~~
雲行きが怪しいことを察しているのか、不安げに鳴く山羊たちを尻目に、ケイは落とし穴に目印の小さな旗を立てていた。
おい、サスケ。よく見ておけ
サスケの手綱を引いて、旗を見せておく。 なにこれ? とばかりにしげしげと覗き込むサスケ。
これは落とし穴だ
ぶるるっ
……その、彼(サスケ)は言葉がわかるんですか?
黙って作業を見守っていたホアキンだが、思わずといった様子で尋ねてくる。
いや、流石に全部わからないと思うが、コイツは賢いからな
ぶるるっ!
サスケ、この木の枝の部分をちょっと踏んでみろ
くいくい、とケイは再び手綱を引き、地面の落とし穴のフタを指し示す。サスケが前脚を伸ばし、ズボッ! と勢いよく踏み込んで転びそうになった。
ぶるふぉォ!
おっとと! ちょっとって言っただろ!
なんじゃこりゃぁと目を剥くサスケ、慌てて体を支えるケイ、 賢い……? と疑惑の目を向けるホアキン。
まあ、これでお前もわかっただろう。これが落とし穴だ。この旗と木の枝っぽいフタが目印だからな、踏まないよう気をつけろよ
ケイがそう言うと、キョロキョロと周囲を見回したサスケは、 え、これぜんぶ落とし穴なの……? こわ……近寄らんどこ…… とばかりに落ち着きなく足踏みし、ケイに寄り添ってきた。
これでよし
戦闘中は”森大蜥蜴”に集中することになるので、ケイがいちいちサスケに指示を出す暇がない。サスケには自発的に落とし穴を避けてもらう必要があるのだ。今の一幕で落とし穴のヤバさは体感できただろうし、サスケも迂闊に踏み込まないはず。
警戒に戻るかな
とりあえず作業らしい作業は終わった。ケイがやるべきことは、いつ”森大蜥蜴”が出てきてもいいように警戒するだけだ。
穴掘りに従事する村人たちに囲まれながら、自分は何もしないのは少し居心地が悪いが、昨日と違って今日は無駄に体力を消耗するわけにはいかなかった。もっとも、周囲の人間は誰もそんなことを気にしていなかったが……
急げー!
さっさと終わらせるぞー!
とっとと持ち場の作業を終わらせて退避することしか頭にないようだ。
しかしケイさん、こんな落とし穴が”森大蜥蜴”に通用するものなんですか?
ああ、これはな―
休憩タイムに移ったと判断したのか、ホアキンが話しかけてくる。ケイは昨日したように、この罠の有効性を説明した。
はは~~~なるほど、参考になりますねえ!
感心して頷いたホアキンは、目をぱちぱちと瞬かせながら、空を見上げて何やら呟いていた。ケイが話した内容を復唱して完璧に記憶しようとしているらしい。吟遊詩人は見聞きした物語を咀嚼し、アレンジして歌い上げる。当然、記憶力も良くなければ務まらないのだろう。
ホアキンも物好きだな、今回は流石に危険だぞ
それでも見たかったんですよ、だって”森大蜥蜴”ですよ? しかも”大熊殺し”がその討伐に赴いた―これで血が騒がなかったら吟遊詩人失格ですよ
その割には、他に吟遊詩人の姿はないようだが?
わざわざ現場まで出向くのはホアキンくらいのものではないか。
いや、僕はたまたま、コーンウェル商会で今回の一件を小耳に挟んだんですよ。幸運でした……ケイさんたちは既に旅立ったとのことで、同業者に教える暇もなくそのまま追いかけてきたわけです
ひょいと肩を竦めるホアキン。
どうやらロクに準備も整えず、街道をひたすら北に走ってきたらしい。その道中でオルランド率いる商会の馬車に追いつき、頼み込んで同乗させてもらったそうだ。
よく追いついたな……
この男、武芸の心得はないが、身一つで各地を渡り歩いているだけあってかなりの健脚だ。騎馬よりは遥かに低速とはいえ、先行した馬車に追いつくとはどれほどの速さで駆けたのか。
まあでも、今頃はサティナの街でも話が広まってるでしょうし。吟遊詩人たちがこぞってヴァーク村を目指してきているかもしれませんよ?
―ドドドドドと土煙を巻き上げながら、竪琴を手にした吟遊詩人たちが大挙して押し寄せる光景を想像し、思わずケイは笑ってしまった。
彼らが間に合えばいいんだがな
おや。見世物になるのはあまりお好きじゃないかと思ってましたが
ケイの一言に、ホアキンが意外そうな顔をする。
彼らが間に合うということは、まだしばらく”森大蜥蜴”が出てこないってことだからな。俺だって戦いたくてたまらないわけじゃないんだ
これだけ迎撃準備を整えておいてなんだが、何かの間違いで”森大蜥蜴”が 深部(アビス) に引き返すなら、それはそれでアリだと思っているほどだ。
まあ、おそらく今回の個体は、 深部 の境界線の変動により本来の縄張りを失って移動を余儀なくされたのだろうから、引き返す目算は低かったが……。
なるほど、そういうものですか……“森大蜥蜴”を狩るためではなく、あくまで村を守るために義によって立ち上がった、と。そういうわけですね……
うんうんと頷くホアキン。着々とストーリーが練り上げられているようだ。
噂によると、魔法の矢も用意されているとか
ああ。“流浪の魔術師”殿にお願いしたよ
流石の人脈ですね……! まさか”呪われし姫君”に加え、“流浪の魔術師”とまでお知り合いだったとは思いませんでしたが。こうしてみると最近この辺りで流行っている歌、全てケイさんたちが関わってますね?
言われてみれば、確かにそうだな……
サティナの正義の魔女。大熊殺し。流浪の魔術師と呪われし姫君の物語。
まさに英雄の星の下に生まれた、と……そんなケイさんと巡り会えたのが、僕の人生の最高の幸運かもしれません……
ポロロン……と竪琴を鳴らしながら、ホアキンは感じ入っている。必死に穴を掘る村人たちが なんでコイツこんなに暢気なんだ…… と別種族を見るような目を向けていた。ケイやアイリーンでさえある程度緊張しているというのに、肝が据わりすぎている……
ところで今回、ケイさんとアイリーンさんの御二方で戦うつもりなのですか? 荷馬車の護衛の方たちは―
ホアキンは村の方をチラッと見やった。
―あくまで”荷馬車の護衛”で、参加されないそうですけど
護衛のオルランドたちは、今も任務に忠実に、村の入り口の探索者キャンプで荷馬車を”護衛”している。“森大蜥蜴”が出現すれば、荷馬車を守るために速やかに退避するだろう。元からそういう契約なのでケイとしては特に言うこともない。
いや、流石にアイリーンと俺だけじゃあな。何人か協力者もいるぞ
ケイは、各所で武器を手に警戒する四人を示した。
あの羽飾りのついた帽子をかぶっているのが、マンデル。タアフ村から来た狩人だ。あっちのクロスボウ使いはキリアン。かなり腕利きで森歩きを生業にしているらしい。んで、あの大男がゴーダン。投槍の名手だ。そしてあの美丈夫はロドルフォ、流れの用心棒だ。四人とも、“森大蜥蜴”狩りで戦闘要員として雇った
タアフ村……マンデル……ひょっとすると”十人長”のマンデルですか? 確か武闘大会の射的部門でも活躍されてましたよね
詳しいな。そのマンデルだ
ほほう!! 皆さん、お話を伺っても?
本人がいいと言うなら、もちろん構わないぞ
それではちょっと聞いてきます!
マントを翻して、ホアキンがダッと駆け出した。とりあえず一番手近なゴーダンに話を聞きに行ったようだ。
初めまして! あの、僕、吟遊詩人のホアキンっていうんですが―!
あ、ああ……
よろしければ、今回の大物狩りへの意気込みなど―!
そ、それは……その……
なぜ参加されようと思ったんですか!? 危険極まりない大物狩りに!
やはりケイの存在が大きい俺がケイを初めて知ったのは酒場で”大熊殺し”の噂を小耳に挟んだときだ最初は半信半疑だったがウルヴァーンで開催された武闘大会の射的部門を観戦していた俺は―
最初はしどろもどろだったが、突然早口で語り始めるゴーダン。ケイがいかに武勇に優れているか、賞賛の言葉が風に流れて聞こえてきて、ケイはひどくこっ恥ずかしい気持ちになった。
なるほど……! ケイさんの義勇に感化されたと……!
ホアキンは逐一相槌を打ちながら耳を傾け、 英雄への憧れ、実にいい……! などと呟きながらぱちぱち目を瞬いて空を見上げていた。
ゴーダンから話を聞き終えたホアキンは、マンデルやキリアンにも積極的に話しかけていく。キリアンはどうやらホアキンが苦手だったらしく、それを察したホアキンが早めに話を切り上げていた。逆に、マンデルとはケイの話題で盛り上がったようだ。
最後にロドルフォ。
初めまして! ホアキンです― ¿Eres del mar?
Sí! ¿Tú también?
ニカッ! と白い歯を輝かせて笑うロドルフォ。
どうやら二人とも”海原の民(エスパニャ)“の末裔のようだ。
Hola soy Rodolfo!
¡Oh, mucho mejor! Entonces, me gustaría saber por qué decidiste participar en esta cacería―
De hecho, me voy a casar con una mujer pronto … por eso necesito un poco de dinero…
何やら話が弾んでいる。ケイもスペイン語は少しかじっているのだが、流石にネイティブの速さというべきか、何を言っているかはさっぱりだった。ただ、ホアキンがこの狩りに参加した理由諸々を尋ねていることだけは、なんとなくわかった。
(登場人物たちのバックストーリー掘り下げに余念がないな……)
これまで色々と付き合いのあったホアキンだが、ケイは彼の本質を完全には理解できていなかったようだ。
骨の髄まで吟遊詩人。まさか、ここまで徹底していたとは―
―ん
アイリーンがぴくりと森を見やった。
―静かだ。
いつの間にか。
鳥たちのさえずりも、何も聞こえない。
全てが息を潜めている。
まるで、何か、とてつもなく巨大な脅威を。
やり過ごそうとしているかのように―
メェ~~~!
メ~~~~ェ!
メェ~~~~!
繋がれた山羊たちが、狂ったように騒ぎ出した。首に巻かれたロープを引き千切る勢いで、必死に逃げ出そうとしている。つんざくような悲惨な鳴き声に、止まっていた時が再び動き出す。
退避!
ケイが短く叫ぶと、固まっていた村人や人足たちが、一目散に逃げ出した。
合言葉!
! オービーヌ !
オービーヌ ッ!
マンデルとロドルフォが叫び返す。
ホアキン、お前も戻れ!
ケイに命じられ、ホアキンが弾かれたように走り出す。チラチラと背後を振り返りながら。こんなときまで、“森大蜥蜴”の登場を見逃すまいとするかのように。
だが、もはや吟遊詩人に居場所はない。
舞台に立つ役者は―
ケイたちだ。
ズンッ、と森の奥で何かが動いた。
木々が、茂みが、ざわめく。
―ぬるり、と。
木々の隙間を縫うように、青緑の巨体が姿を現した。
でけえ……
呆れたようなゴーダンの呟き。
グルルル……と遠雷のような音が響く。
それは地を這う竜の唸り声だった。
チロチロ、と細長い舌を出し入れしながら、“森大蜥蜴”が睨めつける。
いや、ただ餌の場所を確認しただけだ。
とりあえず手近なお(・)や(・)つ(・)にかじりつく。
メェ~~~~!
最期まで悲惨に、そして呆気なく。
パキッ、ポキッと捕食されていく。
ケイはその隙に、サスケに飛び乗った。
“竜鱗通し”を構える。“氷の矢”を引き抜く。
来るぞッ! 予定通りありったけ矢をブチ込め!
そして弦を引き絞り―
ズズンッ、と再び森が揺れた。
―は?
誰かの、呆気に取られたような声。
眼前の”森大蜥蜴”の背後に―揺らめく影。
ぬるり、と。
木々の隙間を縫うようにして、《《もうひとつ》》巨体が這い出してきた。
隣り合った二頭の竜は、お互いの頭を擦り付けるようにして。
ゴロゴロゴロ……と遠雷のような唸り声。
―愛情表現の一種。
ケイの知識が、場違いなまでに冷静に、それが何かを告げてくる。
つがい……?
冗談だろ……というアイリーンのつぶやきが、やけに大きく響いた。
そして存分に、仲睦まじさを見せつけた二頭の竜は。
グルルル……
だらだらと口の端から涎を垂れ流し。
―ルルロロロロォァァァ―!!
ケイたちに狙いを定め、咆哮する。
―ここに、伝説の狩りが幕を開けた。
96. 死線
―無理だ。
地響きを立てて迫る二頭の巨竜に、ゴーダンはすくみ上がった。
常人が心折れるには、充分すぎる光景だった。
グルロロロロォォ―ォ!!
雷鳴のごとき咆哮に打ちのめされ、身体が強張って動かない。
はるか格上の捕食者を前に本能が告げる。
―なりふり構わず逃げ出せ、と。
う、ぁ……
息が詰まる。腰が引ける。後ずさる。
Aubine !
だがそこで、凛とした声が響いた。
思わず振り返る。
ケイだ。
馬上で朱(あか)い複合弓を構え、ぎりぎりと弦を引き絞っている。“氷の矢”に込められた精霊の力が目覚め、青い光が溢れ出していた。
―解き放つ。
カァン! と唐竹を割るような快音。かつて武闘大会で、ゴーダンを魅了したあの音が高らかに響き渡った。
青き燐光を散らす、一条の流星と化した魔法の矢―それは吸い込まれるように”森大蜥蜴”の鼻先へと突き立った。
グルロロロロォ―ッ!?
予期せぬ痛みにたじろぐ”森大蜥蜴”。矢を中心に、青緑の皮膚にパキパキと霜が降りていく。凍傷の激痛もさることながら、冷気がピット器官を麻痺させる。これで熱探知の能力も使い物にならない。
Aubine !
すかさず二の矢をつがえるケイ。狙うはもう一頭の”森大蜥蜴”。最初の個体より小柄だ、おそらくこちらが雌か。
快音再び。
青き流星が空を穿つ。
雌竜の前脚に氷の矢が突き立ち、凍傷で動きを鈍らせた。
効くぞ! 魔法の矢は!
ケイが叫ぶ。
たったの二射で巨大な怪物の突進を止めた、稀代の英雄が。
臆するな! 確かに手間は増えたが―
少し強張った顔で、それでもニヤリと笑ってみせる。
―その分、名誉も報酬も二倍だ! 狩るぞッ!!
つがえる魔法の矢。
Aubine ッ!
まるで流星群のように、青く煌めく矢の雨が降り注ぐ。
グルロロロロロロォ―ッ!!
顔が、脚が、穿たれ凍てつく痛みに、“森大蜥蜴”たちがじりじりと後退る。
……行けるぞ!
うおおおおッ!
マンデルとロドルフォも”氷の矢”をつがえ、 オービーヌ! と合言葉(キーワード)を叫び、次々に放った。
青い光を灯した矢が”森大蜥蜴”の横腹に突き刺さり、凍りつかせていく。
さらにキリアンもクロスボウを構え、毒の矢弾(ボルト)を打ち込んでいた。
(そうか……俺も……)
ゴーダンは、気づく。
己もまた、英雄譚の一員であることに。
(このまま……何もせずに……)
―終われるものか。
背中に担いだ槍を引き抜く。
震える手で投槍器(アトラトル)を構える。
おお―
臆するな。
おおおおッ!!
狙え、そして穿て。
おおおおおおお―ッッ!
雄叫びを上げたゴーダンは、投槍器(アトラトル)を握る手に力を込める。
踏み込む。
全身をバネにして、持てる力を注ぎ込む。
ぶぉん、と投槍器(アトラトル)が唸りを上げた。
美しい放物線を描いた投槍は、無防備な”森大蜥蜴”の横腹に食らいつく。
そしてキリアン特製の毒をたっぷりと塗り込んだ穂先は、青緑の皮膚に深々と突き刺さるのだった。
†††
グルロロロロロロォ―ッ!?
横腹に槍がぶっ刺さり、絶叫する”森大蜥蜴”。大柄な体格から、おそらくこちらが雄の個体だろう。
いいぞ、ゴーダン!
横合いから痛撃をお見舞いしたゴーダンに、ケイは快哉を叫ぶ。
“氷の矢”の大盤振る舞いで”森大蜥蜴”たちがたじろぎ、突進を止められたのは幸いだった。お陰で戦線が―そう呼べるかは、人数が少なすぎて疑問だが―かろうじて維持されている。ここでゴーダンたちに逃げられたら、勝ち目がさらに薄くなるところだった。
(―しかし、まずいな)
その実、状況は芳しくなかった。
『矢継ぎ早』とはまさにこのこと。“森大蜥蜴”の目を狙って次々に矢を放ちながらも、ケイは冷めた思考で戦局を俯瞰している。
まず、想定よりも多く”氷の矢”を浪(・)費(・)してしまった。ケイは正面から、“森大蜥蜴”の顔面や脚部に命中させたが、あれは本来、アイリーンが注意を引いている間に横合いから胴体に打ち込むべきものだった。
そうすることでより効率的に体温を下げ、機動力を奪う狙いがあったのだ。
翻って顔面は効果が薄い。“森大蜥蜴”の頭蓋骨は分厚く、皮膚の下にもウロコ状の『骨状組織の鎧』があるため非常に堅牢で、ほとんどダメージが通らないのだ。それこそ目や、額に一箇所だけ存在する光感細胞が密集した部分―通称『第三の目』―を狙わない限りは。
そして今こそ、未知の痛みで”森大蜥蜴”たちも怯んでくれているが、まもなくそれは狂気的な怒りで塗り潰され、多少の痛みは歯牙にかけなくなるだろう。ゲーム時代から身にしみている”森大蜥蜴”の習性、一度(ひとたび)怒りに火が付けば、文字通り死ぬまで止まらない。
そう、ケイたちは”森大蜥蜴”を『圧(お)して』いるように見えるが、実際は、ただ”森大蜥蜴”が こんな痛み知らない! とビビっているだけなのだ。生命に関わるような打撃は与えられていない。それこそゴーダンが腹にぶっ刺した槍くらいのものか。
あの大型トラックのような巨体が『暴走』すれば―いったい、何人が犠牲になることか。
ちら、と果敢に攻撃を続けるゴーダンたちを見やる。
マンデルとロドルフォは”氷の矢”を使い果たし、今は普通の矢で顔に集中砲火を浴びせている。キリアンはクロスボウでの狙撃。同じく目を狙っているようだ。だが、上下左右に動き回る頭部で、さらに小さな目を射抜くのは容易ではなく、よしんば目の付近に命中しても、強靭な皮膚と頭蓋骨で弾かれる矢がほとんどだった。
ゴーダンはキリアンから毒壺の一つを借り受け、追加で穂先に塗布しているようだ。毒でてらてらと輝く槍を構え、慎重に投げるタイミングを見計らっている。矢と違って槍は残りの本数が少ない。
皆、必死だ。
犠牲は、抑えなければ。
―そのために最善を尽くす。
アイリーン!
矢を放ちながら、ケイはその名を呼んだ。
―小さい方の気を引いてくれ! デカいのは俺が引き受ける!
オーライ! 任せろ!
威勢よく答え、アイリーンが地を蹴った。
右手にサーベルを。左手に鞘を。それぞれ握って風のように駆ける。
オラッ、こっちだクソトカゲ!
そして、左手の鞘には大きなスカーフがくくりつけられていた。雌竜の前で派手に飛び跳ねながら、鞘を振り回すアイリーン。その姿はさながら闘牛士、ひらひらとたなびくスカーフが、否が応でも注意を引きつける。
ほれほれ! どうしたどうした!
それだけでは飽き足らず、無謀にも眼前で立ち止まりさらに挑発するアイリーン。右手のサーベルを日差しにかざし、太陽光を反射させる。
目の辺りにチカチカと、眩い光―
グロロロ……と喉を鳴らした雌竜が突如、グワッと大口を開けて喰らいついた。
なっ……
思わず、マンデルたちの攻撃の手も止まる。これまでのゆったりとした動きからは想像もつかないほど、俊敏な、目にも留まらぬ一撃。
よっ、と
しかし、アイリーンはそれを上回る機敏さで回避。どころか、ビシュッ、と右手のサーベルを閃かせ、チロチロと空気の匂いを嗅ぐ舌先を斬り飛ばした。
どちゃっ、と地に落ちたピンク色の舌が、蛇のようにのたうち回る。
グルロロォォォ―ッ!!
鋭い痛みに仰け反る雌竜。その目に、明らかに、狂気の光が宿った。頭から尻尾の先にまで、力がみなぎる。巨体が何倍にも膨れ上がるかのような錯覚。
―ロロロロガアアァァァァァッッ!!
咆哮。絶叫。空気がびりびりと震える。
そして猛進。土を蹴散らしながら、狂える竜がアイリーンに肉薄する。
―ッ!
ここに来て余裕はなく、アイリーンが全力で走り出す。追いつかれれば轢殺必至、命がけの鬼ごっこが始まった。
グロロ……
暴走し始めた雌竜につられ、雄竜もまた頭を巡らせる。
が、その右目の真下に、ズビシッと矢が突き立った。
おおっと、お前の相手は俺だ!
ケイは手綱を引く。サスケが後ろ足で立ち、いななきを上げた。
お互いカップル同士、仲良くやろうじゃないか! なあ!
デカいとはいえ所詮トカゲの脳みそ、ケイの言葉など理解できないだろう。
ただし―それが挑発であることだけは、伝わったに違いない。
グルロロロロ……
ケイを、そしてサスケを睨み、口の端から涎を垂れ流して、雄竜が唸る。すかさず目を狙ってケイが矢を放つも、即座に首を傾けた雄竜は側頭部で弾(・)い(・)た(・)。
ああ―こいつも確かに 深部(アビス) の怪物だ、と。
思わず舌打ちするケイ。ただでさえ上下左右に動いて狙いづらいのに、回避までされては―
―ロロログァアアアァァァァッッ!
そしてこちらもとうとう、怒りに火がついた。全身の筋肉を隆起させた雄竜が、狂ったように吼えたけりながら、猛烈な勢いで突進してくる。
サスケ!
ケイの叫びに応え、サスケが駆け始めた。振り向きざまに矢を放つ。ほとんど牽制にしかならないが、今は注意を引きつけることが重要だ。
雄竜のはるか後方では、アイリーンが円を描くようにして立ち回りながら、雌竜の攻撃を躱し続けているのが見える。噛みつきだけでなく、尻尾の薙ぎ払いや爪の一撃まで、当たれば即死の攻撃を紙一重で避けている。
ケイは、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
だが―今―この状況で―こんな感情をどうしろというのだ。
せめて援護を。ケイは、残数が心許なくなってきた”氷の矢”を、ためらいなく引き抜く。
揺れる馬上、それでも風を読み、慎重に狙いをつけ、
Aubine !
一条の青き閃光が、雄竜を飛び越えて空を切り裂いた。アイリーンを追う雌竜の横腹、前脚の付け根部分に見事着弾する。
アイリーンがちらりとこちらを見た。 ナイス とその口が動く。痛みからではなく、筋肉の収縮が阻害され、動きの鈍った雌竜を前に小休止。アイリーンはぜえぜえと肩で息をしていた。化け物を相手に鬼ごっこ。彼女の体力も無限ではない。
―一刻も早く、こちらを仕留める。
そらそら、どうしたァ!
続けざまに雄竜の顔面に矢の雨を見舞う。ぶおんぶおんと頭を振る雄竜、頭蓋骨と皮膚に阻まれ弾かれる矢。
雄竜に追いすがるようにして、マンデルたちが後方から矢を射掛けているが、効果抜群とは言えなさそうだ。ただでさえ強靭な皮膚を持つのに、遠ざかっているようでは相対的に矢の威力も減衰してしまう。
どうするか。一瞬、考えを巡らせたケイは、
―マンデル!
緩やかに、弧を描くようにサスケを走らせながら、“竜鱗通し”を構える。
お前にこれを譲る ! 受け取れ!
軽く弦を引き、カヒュカヒュッと続けざまに矢を放った。
突然、射掛けられたマンデルがギョッとして立ち止まる。その足元にトストスッと突き立つ矢。ハッとして引き抜けば、鏃部分に青い宝石が輝く。
“氷の矢”だ。
確かに受け取った! ……これはおれの矢だ!
マンデルは即座に意図を汲んだ。宣言するなり、“氷の矢”をつがえる。
オービーヌ !
ケイを追って側面を見せる”森大蜥蜴”へ、二連射。精確な射撃で見事、“氷の矢”を命中させる。その隣で、自分には何もなかったことにロドルフォが一瞬悔しげな表情を見せたが、気を取り直して援護射撃を続けた。
グロロロロォォ―ッッ!
胴体を二箇所、さらに凍てつかされ雄竜が咆哮する。本来ならば冷気で動きが鈍るところ、むしろ怒りを燃やしてさらに突進の勢いを増す雄竜。
だが、今はそれでもいい。
激しく揺れる馬上で、ケイは獰猛に笑う。
今やオリンピックの馬術競技のように、サスケは複雑な動きで蛇行している。
―周囲が『旗』だらけだからだ。
狙い通り、このエリアに誘い込むことができた。
果たして、怒り狂う”森大蜥蜴”は、不自然な木の枝や旗に一切頓着することなく、そのまま最高速で突っ込んでくる。
―グロロガァッ!?
太い前脚で落とし穴を踏み抜き、素っ頓狂な声を上げる雄竜。
四脚ゆえに転びはしないが、顔からつんのめるようにして地面に腹を擦り、盛大に土砂を撒き散らして速度を失う。
―今だ! サスケ!
サスケの腹を蹴り、全力で駆けさせる。慌てる雄竜が体勢を立て直す前に、側面へ回り込む。矢筒から引き抜いたのは、かつて”大熊”を一撃で絶命させた必殺の一矢、青い矢羽の『長矢』―
ケイの肩の筋肉が盛り上がる。“竜鱗通し”の弦を、耳元まで引き絞る。
一点、“森大蜥蜴”の胸元を睨んだ。肺と心臓と大動脈、重要な器官が全て一直線に並ぶ、その箇所を―
―喰らえ
カァンッ! と一際大きく響き渡る快音。
銀色の閃光が、雄竜の胸に突き刺さる。深く、深く―
が、突然、バキャッという音とともに矢が砕け散った。雄竜の胸部の肉が波(・)打(・)っ(・)た(・)ようにも見える。
―肋骨か!
分厚い皮膚と筋肉の下、肋骨にぶち当たったらしい。心臓は撃ち抜けなかったが、音からして骨はへし折れたはず。破片が肺に刺されば、いかに”森大蜥蜴”といえどもただでは済まされない。
……援護を!
さらに、マンデルたちも追撃する。ロドルフォが連射し、キリアンが狙撃し、ゴーダンが毒を塗りたくった投槍を見舞う。
Siv !
ケイも自前の魔法の矢を取り出した。エメラルドがはめ込まれた”爆裂矢”―爆発の威力はそれなりで名前負けもいいとこだが、体内に食い込んだ鏃が破裂すれば相応の出血を強いられる。
それを、連続して打ち込む。
風をまとった矢が胴体に潜り込み、バンッバァンッ! と炸裂する。大きく開いた傷口から血肉が飛び散り、雄竜が絶叫した。
いいぞ! 畳みかけろ!
続いて、サスケの鞍にくくりつけた大型の矢筒から、筒状に穴が空いた太矢を取り出す。木工職人のモンタンが趣味で開発した、対大型獣用の出血矢だ。
コヒュンッ! と独特の音を立てて飛んだ出血矢が、青緑の肌を食い破って突き刺さる。矢尻の穴から、まるで蛇口のように、どぽっどぽっと鮮血が溢れ出した。“森大蜥蜴”の図体に比べればささやかな量、しかし確実に命を削り取る出血―
うおおおおお―ッッ!
ゴーダンが再び槍を投じる。三本目だ。首付近に突き立ち、肉を溶かす毒が筋肉を痙攣させる。
グルロロロアァァァ……ッ
流石に堪えたか、これまでより情けない声で鳴く雄竜。先ほどマンデルに打ち込まれた”氷の矢”もボディーブローのように効いてきたらしく、動きにキレがない。
このまま仕留められる―
ケイたちはさらに攻勢を強める。
が。
―ッッ!!
その瞬間、筆舌に尽くしがたい爆音が耳朶を打った。
くらっ、と目眩に襲われて、少ししてから、その正体に気づく。
咆哮だ。
見れば、アイリーンが引きつけていたはずの雌竜が、凄まじい勢いでこちらに向かってきている。伴侶が危機に陥っていることに気づき、血相を変えて駆けつけようとしているのだ。
(アイリーンはどうした……!?)
ケイもまた、愛する彼女の姿がないことに、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚に襲われる。しかしよくよく見れば、雌竜を背後から必死で追いかけるアイリーンの姿があった。
無事だ。アイリーンは無事だ。
しかし安心している暇はない。一度、“森大蜥蜴”の注意が別のものに強く向いてしまえば、アイリーンはその敵意(ヘイト)を奪い返す手段を持たない。
―逃げろッ!
ケイは叫んだ。このままではマンデルたちが背後から襲われる。雌竜の接近に気づいた彼らも、泡を食って距離を取ろうとしているが、間に合わない。自分が前に出て引きつけるしかない。だが雄竜はどうする。深手は負わせたが、まだ絶命するほどではない―
グロロロ……ルロロロォァアアアアアッッ!
ケイたちの動揺を感じ取ったか。あるいは、相方の声に勇気づけられたか。
雄竜もまた、戦意を取り戻す。満身創痍の身体に、再び怒りと狂気を宿す。
グロガアァァァアアアアア―ッッ!
その巨体を振り回し、尻尾を薙ぎ払った。
地表がめくれ上がり、土砂が撒き散らされる。
土や砂だけならいいが、地中の石ころも凄まじい勢いで弾き飛ばされていた。マンデルたちの叫びがかすかに聞こえ、ケイの視界にもズッと黒い影が差す。
まず―ッ
土に紛れて、木の切り株が飛んできていた。
咄嗟に矢を放つ。ビシィッ、と命中した矢が衝撃のあまり砕け、切り株の軌道も僅かに逸れる。風の唸りを耳元に感じながら、間一髪のところで回避した。
マンデル―ッ! 無事か―ッ!?
ぱらぱらと降り注ぐ土砂を振り払い、サスケを駆けさせながらケイは叫ぶ。
なんとか……!
返事があった。土煙が晴れてみればごっそりと辺り一帯が掘り返されている。苦労して掘った落とし穴も、丸ごとえぐられるか土で埋め戻されるかのどちらかで、最早何の役にも立たない。
ロロロロ……という唸り声が響いた。
ぞわっ、と背筋に悪寒が走る。
サスケ!
ぐいっ、と手綱を引く。サスケがまるでカモシカのように跳ねる。
ガチンッ、という死神の鎌の音が背後から聞こえた。あるいは地獄の門が閉じる音か。生臭い息を感じるほどの至近、いつの間にか距離を詰めていた雄竜が噛みつこうとしていたのだ。
ロロロ……ッッ!
真っ黒な目、視線と視線がぶつかり合う。
馬鹿め
惜しかったな、という称賛と、よくぞここまで近づいたな、という歓喜が混じり合い、ケイはそんな言葉を吐いた。
Dodge this(避けてみろ)
この距離。流石に外さない。
目にも留まらぬ一撃は”森大蜥蜴”の専売特許ではない。素早く”竜鱗通し”を構えたケイは、快音、いとも容易く左目を射抜いた。
グルガアアアアァァ―ッ!
激痛と視覚の喪失に、絶叫した雄竜が闇雲に暴れ回る。これだけ矢を射てようやく抜いたか、という疲労感。折角なら”氷の矢”をブチ込んでやればよかった、と今さらのように思ったが、時既に遅し。
いい加減、くたばれ……ッッ!
首元や胴体に、長矢をブチ込む。ここまで連続して”竜鱗通し”を使ったのは馬賊と戦って以来だ、腕の筋肉が引きつったような感覚がある。早くケリをつけなければ、そろそろ雌竜もこちらに来るはず。
―は?
そう思って、チラッと視線を向けたケイは、唖然とすることになった。
伴侶の危機に怒り狂い、猛進する雌竜。
その進行方向に、立ちはだかる者がいたからだ。
右手に携える投槍器(アトラトル)―
何をやっている、ゴーダン!?
臨戦態勢で投槍を構えているのは、ゴーダンだった。
風の精霊よッ! ご照覧あれッ!
地響きを立てて迫る巨竜を前に、ゴーダンは叫ぶ。
俺の槍は―!
投槍器(アトラトル)を握る手に力を込める。
狙いを違わず―!
全身をバネにして、持てる力を全て注ぎ込む。
突き刺さるんだぁ―ッッ!
投じた。
真正面から、唸りを上げて槍は飛ぶ。
激しく首を振り、突き進む竜めがけて。
それは芸術的なまでに美しい放物線を描き―
“森大蜥蜴”の額。
『第三の目』と呼ばれる、最も脆い部分を貫いた。
―ルロロロロァァァァァァッッ!
ビクンッ、と体を震わせ雌竜が絶叫した。
わずかにたたらを踏み、速度が減じる。
そして突進の方向も少しだけ逸れた。
ゴーダンッ!
だからケイが間に合った。
自らがもたらした一撃に茫然自失していたゴーダンを、襲歩(ギャロップ)の勢いもそのままに、馬上から蹴り飛ばす。
グがっ
悲鳴にもならない声を上げ、吹っ飛ばされて地面を転がるゴーダン。その目と鼻の先を雌竜の巨体が過ぎ去っていく。まるで列車が通過したかのような風圧、あのまま突進を食らっていればゴーダンは挽き肉になっていただろう。
すまん、許せ!
しかし騎馬の突撃の勢いで蹴り飛ばされれば、無傷では済まされない。衝撃と痛みでゴーダンは悶え苦しんでいる。ケイも、ゴーダンがせめてもう少し小柄なら、馬上に引き上げるなり引きずって走るなり、もっとやりようもあったのだが。
流石に大柄すぎて、このような手段を取るしかなかった。
立てるか!?
ど、どうにか……
村の方に逃げろ! もう槍は使い切っただろ!
まさしく奇跡的な一撃だったが、あれが最後の槍のはずだ。
わ、わかった……
よろよろと立ち上がったゴーダンが、頼りない足取りで村の方へ逃げていく。
ゴーダン! 見事な一撃だった! あとは俺に任せろ!!
その背中に声をかけると、チラッと振り返ったゴーダンは、この上なく誇らしげな顔をしていた。
微笑み返してから、ケイは改めて、二頭の巨竜に向き直る。
ちょうど、頭を振って額の槍を振り落とそうとする雌竜に、満身創痍の雄竜が寄り添うところだった。
舌を伸ばし、額に突き刺さった槍をどうにか抜き取る雄竜。
毒の痛みが酷いのか、雄竜に頭を擦り付けながらぶるぶると体を震わせる雌竜。
二頭の、憎悪のこもった視線が、ケイに突き刺さった。
ぶるるっ、とサスケが鼻を鳴らす。
ケイも、背中にじっとりと嫌な汗が滲んでいた。
それほどまでに、凄まじいプレッシャーを感じる。
もはやケイとサスケ以外、眼中にないといった雰囲気だ。
槍はゴーダンの仕業なんだがな……
そう呟くも、通じるはずもなく。
横目で見れば、ゴーダンは無事に村の方へと逃げおおせたようだ。ゴーダンが目をつけられるよりかは、まだ自分に敵意(ヘイト)が向いている方がいい。ずっとマシだ。
さて……ケリをつけようか
腰から長矢を引き抜く。
つがえる。引き絞る。放つ。
何千、何万回と繰り返した動作。
カァンッ! という高らかな快音が均衡を打ち破り、再び、死力を尽くす闘いが始まった。
†††
みんな! 無事か!
汗だくになったアイリーンは、マンデルたちの元へ駆けつけた。
尻尾の薙ぎ払いにやられ、全員、土まみれのひどい格好だ。
無事だ、……おれは、どうにか
俺もだ! しかし、クソッ、ほとんど何もできていない!
言葉少なにマンデル、歯噛みするロドルフォ。
アッシは、情けねえ話、ですが、ちと骨をやっちまいまして……
キリアンが胸を押さえながら、苦しげに呻く。どうやら薙ぎ払いで飛ばされた石塊か何かが直撃してしまったらしい。
しかし……これ以上、おれたちは何をすればいいんだ
マンデルは無力感に苛まれているようだった。
その視線の先では、サスケを駆るケイが二頭の竜に追いかけ回されている。ケイは”氷の矢”や長矢で脚部に集中砲火を浴びせ、“森大蜥蜴”たちの機動力を削り取りながら、挟み撃ちにされないよう巧みに立ち回っているようだ。
雄の方は、たぶん時間の問題だ。そのうち力尽きると思う。問題は雌の方だな、額に槍がぶっ刺さったのはかなりキ(・)く(・)だろうが、致命傷にはほど遠い
アイリーンは、ケイの危機にジリジリとした焦燥感を覚えながらも、冷静に言葉を紡ぐ。
で、だ。オレに考えがある
すぐに援護に向かわず、こちらに戻ってきたのは、そのためだ。
キリアンの旦那、例の毒はまだあるか?
へ? そりゃ、ありやすが……
痛みで顔をしかめながら、キリアンが腰のポーチから小さな壺を取り出す。厳重に布でくるんでいたお陰か、衝撃で割れずに済んだようだ。
よし。ありったけくれ
これが目当てだった。率直に求める。
あの雌トカゲをブッ殺す
アイリーンの目は、完全に据わっていた。
97. 果敢
アイリーンは、しゃらりとサーベルを抜き放つ。
そしてキリアンから受け取った毒壺を傾け、どろどろとした黒い毒を全て鞘の中に流し込んだ。
コイツを、
ぱちん、とサーベルを鞘に戻し、しゃかしゃかと振り回すアイリーン。毒液を刃によく馴染ませる。
―アイツの目ン玉にブチ込んでやる
アイリーンの得物はサーベルと投げナイフだ。こんなちっぽけな武器で”森大蜥蜴”に致命傷を与えるには、それこそ眼球のような弱点を狙うしかない。無論、暴れる”森大蜥蜴”に接近戦を挑むなど、無謀以外の何物でもないが―
目を狙う、か……俺もやる、やってやるぜ
唸るようにしてロドルフォも言う。
ちらっと横目で見やるのは、村の方だ。自分たちが必死で戦っているというのに、物陰からこちらを覗き見る野次馬の姿がちらほらあった。なまじケイたちが善戦していたために、好奇心が恐怖を上回ってしまったらしい。
それは固唾を呑んで見守る村人たちであったり、探索者たちであったり、伝説を見逃すまいと目を血走らせたホアキンであったり。正直、村の未来がかかっている住民たちは仕方ないとしても、物見遊山な探索者たちの目は煩わしく感じられた。
―なぜ煩わしく感じられるのか?
決まっている。大して何もできていないからだ。
衆目にさらされる無力な自分が、我慢ならないのだ。
このまま引き下がれるかってんだ……!
ロドルフォは歯噛みする。自他ともに認める自信家で(・)あ(・)っ(・)た(・)ロドルフォは今、その自尊心を著しく傷つけられていた。
本当に何もできていない。
栄誉を求め意気揚々と参加した”森大蜥蜴”討伐だが、蓋を開けてみればペチペチと遠巻きに矢を射掛けただけ。魔法の矢はケイからの貰い物、自らの矢は”森大蜥蜴”の強靭な皮膚に歯が立たず弾き返された。
無力感に苛まれているのはマンデルも同じだが、彼はまだ、ケイに頼られている。ケイから魔法の矢のキラーパスを受けて、それでも慌てることなく命中させしっかりと仕事をこなしている。
だがロドルフォには何もなかった―弓の腕前が信用ならないからだ。ケイはロドルフォを頼らなかった。弓の命中率の低さは自覚しているものの、それでも、やはり屈辱ではあった。
加えて、ゴーダンの蛮勇だ。突進する”森大蜥蜴”の前に立ちふさがり、見事、額の弱点に槍でぶち抜いた―まるで英雄譚の一節ではないか。
それにひきかえ、自分は……。
この大物狩りの舞台で、主役を張ろうなどとは思っていない。だがせめて名のある脇役にはなりたい。そのためには、多少の無茶もしよう。ここで退いては男がすたるというものだ。
ロドルフォはまだ、己の可能性を信じていた。
それに命を賭す価値があるとも。
……おれもやろう
と、重々しく、マンデルも頷いた。
それは一種の義務感から出た言葉だった。ケイを助けねば―タアフ村まで助力を請いに来た、彼の期待に応えねばという思い。マンデルはロドルフォほど楽天的ではなく、死の香りを感じ取っていた。家で帰りを待つ娘たちの顔が脳裏をよぎる。
それでも。
それでもなお、ケイの力にならねば―と。
そんな気持ちに駆られていた。
助かるぜ
ニヤッとアイリーンは笑みを浮かべる。しかし、二頭の”森大蜥蜴”を翻弄しながらも、疲労の色が濃いケイとサスケを見やり、すぐに顔を引き締めた。
アッシも、お力になれりゃよかったんですが……
胸のあたりを押さえながら、苦しげに呻くキリアン。“森大蜥蜴”の尻尾の薙ぎ払いで石か何かが飛んできたようで、重傷ではないが思うようには動けないらしい。
せいぜい、クロスボウで射掛けることぐらいしか
無理はしなくていいさ、オレたちのために祈っといてくれ。……じゃあ二人とも、覚悟はいいか? 行くぞ!
アイリーンは、マンデルとロドルフォを連れて駆け出した。
死地へと、恐れを見せることもなく。
はぁ~……
その後ろ姿を見送って、キリアンは細く長く息を吐いた。
―もともとは、ただ”森大蜥蜴”をひと目見たい、それだけだった。
伝説の怪物の姿を拝んでみたい。そう思って討伐に参加した。
故郷を捨て、身寄りもなく、そこそこ歳を食っている。
特にやりたいこともないし、悲しむ人もいない。
ここが人生の終着点になってもいいか。
最期に一花咲かせてみよう。
そんな風に考えて。
だが、“森大蜥蜴”の薙ぎ払いが眼前をかすめたとき、心の底から思った。
『死にたくない』と。
自分で考えていたより、生に執着があることに気づいた。
気づいてしまった。
そこで心がぽっきりと折れた。
それでも、尻尾を巻いて今すぐに逃げ出さないのは、討伐組の中でおそらく一番の年長で、あまりにもみっともないからだ。キリアンをこの場に押し留めているのは、なけなしの意地だけだった。
だが、それもいつまでもつか……
勝ってくれ……
胸の痛みをこらえつつ、震える手でノロノロとクロスボウの弦を巻き上げながら、キリアンは呟く。
頼む……
早く終わってくれ。
それが誰のための祈りなのか―
もはやキリアン自身にもわからなかった。
†††
アイリーンは駆ける。
背後からは、ともに走るマンデルとロドルフォの荒い息遣い。たとえ自分一人でも突貫するつもりだったが、二人の存在が思いのほか心強い。
できれば無事に帰したいが―
(……なんとかするしかない)
不吉な思いを振り払い、暴れ回る二頭の巨竜を観察する。
大柄な個体、雄竜は満身創痍だ。爆裂矢や長矢を受け、胴体からの出血がおびただしい。顔面にも矢が突き立ち、左目は潰されている。おそらくもう長くはない―放っておいても明日には息絶えるだろう。
だが、今この瞬間、脅威たるには充分すぎる生命力。流石に動きは鈍っているようだが、執拗にサスケとケイを追い回しており、止まる気配はない。
もう一頭、小柄な雌竜は比較的軽傷だ。顔面はケイの集中砲火でハリネズミのようになっているものの、未だ致命傷は負っていない。先ほど、ゴーダンの投槍が脳天を直撃したのが一番の傷か。
雌竜は、ケイの射線から重傷の雄竜を庇うように立ち回っているようだ。ケイも魔法の矢や長矢はあらかた使い果たしたらしく、何本も矢を撃ち込んでいるが、雌竜は怯むどころか怒りでむしろ動きが速くなっているようにも見える。
どちらを狙うか。
重傷の雄竜か、まだピンピンしている雌竜か。
……やはり雌竜だろう、とアイリーンは結論づけた。
ここで弱っている雄竜にトドメを刺してしまい、雌竜討伐に本腰を入れるという手もあるが―
(ただでさえ荒ぶってんのに、相方が殺されたらどれだけ怒り狂うか)
それが恐ろしい。見境なく暴れ回り、トチ狂って村の方にでも突撃し始めたら今度こそ止めるすべがない。
ケイの―自分たちの身の安全を第一に考えるなら、それもアリではある。ケイもアイリーンも、その気になれば振り切れるのだ。一通り暴れて体力を使い果たしたところで、再び攻撃を仕掛けてもいい。
(―けど、それはお望みじゃないだろう?)
ケイは”森大蜥蜴”を狩りに来たのではない。
村を守りに来たのだ。
ならば。
雌竜を引きつける。ヤツの動きが止まったら、二人とも頼むぜ
……わかった
おうとも!
緊張気味のマンデル、向こう見ずなロドルフォ。走りながらいつでも放てるよう、それぞれ矢をつがえる。
アイリーンは、すぅぅっ、と息を吸い込んだ。
Ураааааааа(ウラァァァァァァァァ)!!
吠える。裂帛の気合で。
小柄なアイリーンが放ったとは思えない、びりびりと耳朶を震わせる咆哮。驚いて思わず速度を緩めるマンデルたちとは対照的に、さらに加速する。
雌竜は相変わらずケイを追うのに夢中で、アイリーンなど気にも留めない。圧倒的な体格差―いくらアイリーンが殺気を放とうとも、人間でいうなら、足元から仔猫が シャーッ! と威嚇してきているようなものだ。殺し合いの最中に道端の仔猫を気にする者がいるだろうか。
だが、その仔猫が、威嚇するだけでなく爪で引っ掻いてきたとしたら。
そしてその爪に猛毒が仕込まれていたとしたら―?
果たしてアイリーンは、“森大蜥蜴”の暴風圏に踏み込んだ。
巨大な四足が大地を踏み荒らし、大蛇のような尻尾が暴れ回る。常人なら接触しただけで致命傷、巻き込まれれば圧殺必至。死地。ビュゴゥッと空を引き千切る尻尾の薙ぎ払いを紙一重で躱し、肉薄する。
視界いっぱいに広がる青緑の体躯―最高の革防具素材として名高い”森大蜥蜴”の表皮。強靭な皮膚組織は大抵の武具を弾き返し、分厚い肉が衝撃を無効化する。
サーベルは量産品に過ぎない。“地竜”を屠るにはあまりにもお粗末な得物。
が、その使い手の技量は生半可ではなかった。
雌竜の後脚、サスケに飛びかかろうと、力が込められたその瞬間。張り詰めた関節部分、力学的に脆くなった部位を一瞬にして見切る。
サーベルが鞘走った。
黒光りする刃が弧を描く。
ビッ、と青緑の表皮に、赤い一文字(いちもんじ)が刻み込まれた。
グルルルルアァァ―ッッ!?
猛毒の激痛が神経を焼き、雌竜がビクンッと体を震わせて振り返る。
アイリーンは視線を感じた。雌竜ではない、その背後、ケイだ。アイリーンが仕掛けたのを見て、汗だくのサスケの首を励ますように叩き、雄竜に矢を射かけて注意を引きつけている。
ケイと雄竜、アイリーンと雌竜。
つかの間の分断、各個撃破の構図。
―うおおおお!
と、アイリーンの左右後方から、マンデルとロドルフォが雌竜の顔面めがけて続けざまに矢を放った。
喰らいやがれ―!
ロドルフォがここぞとばかりに怒涛の速射を見舞う。マンデルの狙い澄ました一撃も含め、眼球を射抜く軌道の矢もあったが、雌竜はブルンブルンと頭を振り全て弾き返してしまう。
だが、その間にアイリーンは次なる一手を打っていた。懐から取り出すは、革袋。中にはぎっしりと、水晶の塊と大粒のラブラドライト。
大盤振る舞いだ―
陽はまだ高く。
ゆえに影は濃く。
革袋を開け、ざららぁと中身をぶちまける。
Kerstin!
アイリーンの足元の影に、とぷん、とぷんと触媒が沈んでいく。
Kage, Matoi, Otsu.
素早く印を切り、叫ぶ。
Vi kovras(覆い隠せ)!
アイリーンの影がたわみ―爆発した。
影の触手が雌竜の頭部にまとわりつき、完全に覆い隠す。視界が暗闇で閉ざされた雌竜は、一瞬、何が起きたのか理解できずに動きを止めた。
だがそれも、長くは続かない。
手持ちの触媒全てと、少なくない魔力を捧げたにもかかわらず、さんさんと照りつける陽光に灼かれ影のヴェールはほどけるようにして消えていく。
グルァ―?
しかし雌竜が視界を取り戻したとき―そこにアイリーンの姿はなかった。
わかるはずもない。
自らの頭部に―
ぽつんと影が差していることなど。
―上等
跳躍の頂点。
サーベルをまっすぐ下に構えたアイリーンは、獰猛に笑う。
ゴーダンの槍がぶち抜いた雌竜の額、『第三の目』―
死ね!
舞い降りたアイリーンは、そこへ全体重をかけた一撃を叩き込む。
ガツンと頭蓋骨に刃が食い込む感触―
(浅いッ!!)
しかし、アイリーンは顔を歪める。狙い違わず、確かに傷口を抉ったが、それでも硬すぎる―貫通には至らない―
グルルオオァァ―ッ!?
再び頭頂部を襲った激痛に、雌竜が思わず仰け反る。振り落とされそうになりながらも、ぐりぐりと刃をねじ込むアイリーン。無尽蔵の生命力を持つ”森大蜥蜴”も脳を破壊されれば流石に倒れる、ここで仕留めるのだ、と―
が、限界は唐突に訪れた。
あっ
バキン、という鈍い音。
サーベルが根本から、へし折れた。
DEMONDAL から持ち込んだとはいえ量産品、しかも本来は『斬る』ための武器だ。全体重をかけた刺突だの、硬い骨を抉るだの、度重なる酷使に耐えられなかった―
身を支えるすべを失い、空中へ投げ出されるアイリーン。咄嗟に手を伸ばし、何か固いものを掴んだ。ケイが雌竜の顔面に撃ち込んだ矢―それを支えにして、かろうじてぶら下がる。
至近。
“森大蜥蜴”の横顔。
雌竜と目が合う。
アイリーンの姿を認めた瞳孔が、ギュンッと収縮する。
― オ マ エ カ ―
そう言わんばかりに。牙を剥き出しにして。
次の瞬間、稲妻のように首を巡らせ、半身を食い千切られる。
そんな確信。
考えるよりも先に身体が動いた。
左手に握ったサーベルの鞘。
それを鞘口から雌竜の目に突き入れた。
ゴガッ―
鞘の中の猛毒が逆流し、眼球が内側から焼かれる。これまでと比にならない激痛、雌竜は悲鳴さえ上げられずに痙攣した。
こいつァ効くぜ―
身体を支えていた矢から手を離し、アイリーンはひらりと宙に舞う。
ここでケリをつける。
―NINJA舐めんな!
目から突き出た鞘の尻に、回し蹴りを叩き込んだ。
ぐりゅん、と鞘が柔らかい組織を突き抜けていく。怖気が走るような感触だった。鞘の本体が、完全に、雌竜の頭部に埋没して見えなくなった。
―!!
形容しがたい断末魔の叫びを上げ、めちゃくちゃに暴れ回る雌竜。この一撃はおそらく脳まで届いた。さらに毒まで流し込まれたとなれば。
殺った、という確信があった。
だが喜ぶ暇もなく、アイリーンの視界が青緑色で埋め尽くされる。
ガツン、と衝撃があり、瞼の裏で星が散った。
がっ―!?
暴れる雌竜の頭部がアイリーンを直撃したのだ。牙が当たらなかったのが不幸中の幸いだが、そのまま吹っ飛ばされてしまう。
―なっ、に。が―
一瞬、気を失ったらしい。前後不覚。ひゅうひゅうと耳元で風が唸る。奇妙な浮遊感を覚えたアイリーンは、パッと目を見開いてから、愕然とした。
嘘だろ
天地が、逆転していた。―違う。ほぼ真上に吹っ飛ばされて、驚くような高度にいた。『身体軽量化』の紋章を刻んでいるアイリーンはとにかく体重が軽い。だから巨体の頭突きを受けて、こんな高さまで―
いや、今はそんなことはどうでもいい。
どうやって着地する。このままじゃ頭から落ちる。
受け身? 取れるか? 数秒の間に何とか―体勢を―
Siv !
落ちていくアイリーンを見上げながら、ケイは叫んだ。
Vi helpos ŝin !
皮のマントを外し、宙に放り投げる。風が渦を巻く。一同は、羽衣をまとった乙女の姿を幻視した。
― Vi estas tiel rapida, huh ? ―
あどけない、それでいて妖艶な囁きが聴こえたかと思うと、突風がケイのマントをさらっていく。ばたばたとはためいて飛んでいくマント―それは上空のアイリーンにまとわりつき、落下の軌道をわずかに逸らした。
ぬわーっ!
森の方へと落ちていったアイリーンは、そのまま木立に突っ込み、バキバキと枝を折る音を響かせながら姿を消した。多少怪我はするかもしれないが、地面に叩きつけられるよりはマシなはずだ―
ぐぅッ―
馬上で揺られながらケイはうめく。えげつないほど魔力を持っていかれたからだ。咄嗟の術の行使、触媒を取り出す暇も、きちんと呪文を唱える余裕もなかった。精霊(シーヴ)に全て丸投げ、この程度で済んだのはむしろ手心があったと考えるべきか。
グルルルオアアアァ―ッ!
それをよそに、満身創痍の雄竜が悲痛な叫びを上げて、痙攣する雌竜に駆け寄っていく。鼻先を雌竜の顔に押し当てて揺するも、反応はない。
相方が事切れたことを悟った雄竜は、ぴたりと動きを止める。
グロロロロ……と地響きのような唸り声。
振り返る雄竜。残された片目が爛々と光っている。
ゴガアアァァァ―ッ!!
咆哮し、土煙を巻き上げながら突進してくる。激情に駆られ、全身の傷から噴水のように血煙を噴き上げていた。
これが最後の突進だ。ケイは悟った。
残り少なくなった矢を放ちながら、サスケを走らせる。追跡してくる敵へ矢を浴びせかける引き撃ち戦法、弓騎兵の真骨頂。
(―速い!)
が、徐々に距離が詰められる。足場が悪い。直線勝負でも不整地ではサスケより”森大蜥蜴”に軍配が上がるようだった。この勢い―下手に方向転換すれば、足が緩んだところを飛びかかりや薙ぎ払いで狩られてしまう。
刺し違えてでも貴様は殺す、とそんな気迫が伝わってくる。
(今を凌げば、奴は力尽きるはず)
とにかく時間を稼がねば、そう考えながら矢筒に手を伸ばすケイ。
しかしその手が空を切った。
クソッ、矢が……!
とうとう尽きた。
腰の矢筒も、鞍に備え付けた矢筒も、いつの間にか空っぽになっていた。
竜の鱗さえ貫く弓を持っていても、矢がなければ弓使いは無力―
―うおおおお!!!
と、雄叫びが響いた。
村の方を見れば、逃げたはずのゴーダンが槍を構えていた。投槍ではなく、普通の短槍のようだが、無理やり投槍器(アトラトル)にセットしている。どこかで新しく調達してきたのか。
おおおおおおおおッ!
遠投。ビュゴォッと重い風切り音を響かせ、弧を描いた短槍が雄竜の足の付け根に突き刺さる。
わずかに―ほんのわずかに、突進の勢いが鈍った。
その隙に、ぐいと手綱を引く。
サスケが急激に方向転換し、雄竜を振り切る。追随しきれず木立に突っ込んだ雄竜は、それでも木々を薙ぎ倒しながら無理やり追いかけてきた。
喰らいやがれ―!
その横っ面にロドルフォが仕掛ける。無事な右目の周囲に、矢の雨が降り注ぐ。
ゴガァッ!
ケイとサスケしか眼中になかった雄竜も、流石に鬱陶しかったのかロドルフォを睨んで吠えかかった。が、その瞬間、開いた口にロドルフォが連射していた矢が一本、ひょいと入り込んでしまう。
ゴゲッ
そのまま喉に刺さったか、素っ頓狂な鳴き声を上げて目を白黒させる雄竜。思わずその足が止まる。
ケイは、雄竜を中心に弧を描くようにサスケを駆けさせながら、歯噛みする。絶好のチャンスだが、矢がないことには―
ケ―イ!
マンデルの声。
見れば、雌竜の身体によじ登ったマンデルが、弓を構えている。
つがえられているのは―血塗れの矢。
青い矢羽。ケイが雌竜に撃ち込んだ長矢の一本だった。ケイの矢が尽きたことを察したマンデルは、まだ使える矢を探していたらしい。
これを使え!!
曲射。マンデルの弓から放たれた長矢が、風に乗って飛ぶ。時間がやけにゆっくりと流れているように感じた。極限の集中状態。空中でわずかにしなる矢が、はためく矢羽が、その羽毛の一本一本までもが、はっきりと視えた。
手を伸ばす。
握り込む。
ビゥンッ、と伝わる振動。
ケイの手の中に、青い矢羽の、必殺の一矢があった。
“竜鱗通し”を構える。矢をつがえる。
―引き絞る。
駆けるサスケの揺れも、風の流れも、全てが計算され尽くしているように感じた。
世界が止まっているようだった―マンデルの声援も、ゴーダンの雄叫びも、サスケの息遣いも、あらゆる音を置き去りにしてケイは静寂の中にいた。
標的を睨む。頭を巡らせてこちらを見やる、満身創痍の”森大蜥蜴”を。
視線が交錯する。『奴』が次にどう動くか―
なぜか、手に取るようにわかった。
放つ。
カァンッ! と快音。
周囲の音が押し寄せるようにして、世界があるべき速度に戻った。矢が突き進む。ただならぬ気配を察して、本能的に避けようと頭を動かす雄竜。
その額に、吸い込まれるように、矢が着弾した。
カツーンと硬質な音が響き渡る。数少ない弱点―『第三の目』。矢は砕けずに、深く深く突き刺さった。
―
雄竜が仰け反る。ほとんど後ろ脚で立ち上がるようにして。
天を睨んだ右目の端から、涙のように赤い血が溢れ出した。
巨体が傾く。
地響きを上げて、倒れ伏す。
そしてそのまま、二度と再び、動くことはなかった。
98. 始末
前回のあらすじ
森大蜥蜴 グエーッ!
ズ、ズン、と地響きを立てて倒れ伏す”森大蜥蜴”。
―やったか!?
矢筒に手を伸ばした格好のまま、ロドルフォが叫んだ。
ケイは速やかに距離を取り、伏して動かぬ雄竜を睨む。
……死んだ、のか?
半信半疑。すぐさま駆け寄ってきたマンデルが、追加で何本か矢を手渡してきた。油断なく”竜鱗通し”を構え、いつでも矢を放てるよう待機する。
それでも、動かない。
どうやら仕留めたらしい―そんな実感が、じわじわと染み込んできた。
終わった……?
傍らのマンデルが茫然と呟く。
……ああ
ふぅ、と溜息をついて、ケイは”竜鱗通し”を下ろした。
俺たちの、勝ちだ……!
ケイの宣言に、マンデルが声もなく脱力して、その場に座り込んだ。
やった……やったのか! ―やったんだぁ!!
ロドルフォが喜色満面で跳び上がる。
その叫び声に、うおおおお―ッ! と村の方からも歓声が上がった。
固唾を飲んで見守っていた村の住民たちが互いに抱き合って喜んでいる。野次馬の探索者たちも大興奮で、一部の吟遊詩人(ホアキン)に至っては涙を流しながら天に感謝の祈りを捧げていた。
片膝をつき、苦しげに肩で息をしていたゴーダンは、そのまま力尽きたように大の字になって地べたに寝転がった。キリアンはどこか皮肉げな笑みを浮かべ、首を振りながら何事か呟いている。元気にはしゃいでいるのはロドルフォくらいのもので、他はケイも含め疲労困憊といった様子だ。
やったぞォ―!
うおおおおお!
英雄だああ!
ひとしきり喜んだ村人たちが、今度はズドドドと大挙して押し寄せてきた。ケイはサスケから飛び降りて彼らを迎え入れ―ることなく、木立へと急ぐ。
アイリーン!!
吹っ飛ばされたまま、姿を見せないアイリーンが心配でならなかったのだ。
アイリーン! どこだー! アイリーン!!!
……こっちだよ~
頭上から声。
振り仰げば、木の枝にアイリーンがブラーンと引っかかっていた。
アイリーン!! 大丈夫か!? 降りられないのか!?
いや、だいじょうぶ……でもちょっと痛くてさ
なんだって!? 怪我したのか!? アイリーン!!
そんなに叫ばなくても。よっ、と
勢いをつけて飛び降りたアイリーンは、しかし着地すると同時に イテテ と呻いて尻もちをついた。
アイリーン! 大丈夫かっっ!?
へへっ……体の節々が痛えや
苦笑いするアイリーン。ケイのマントに包まれていたおかげで、擦り傷などはないようだが、服の下は痣だらけだろう。
これを
ケイはすぐさま腰のポーチから高等魔法薬(ハイポーション)を取り出した。もう在庫がほとんどない貴重な薬だ―とろみのある青い液体の入った小瓶。受け取ったアイリーンは、少しためらってから、グイッと中身を煽った。
―ヴぉェッ、まっっっっず! ……うぇっ、まっず……。トイレの消臭剤を炭酸で割っても、もうちょいマシな味がするぜ……
気持ちはわかるぞ
うんうん、と頷くケイ。ついでに、アイリーンの髪の毛に芋けんぴのような木の枝がくっついていたので、取り払っておく。
あ~……けど、やっぱ効くなぁ~
痛みが引いてきたらしく、表情を緩めたアイリーンは、三分の一ほど飲んでから瓶を返してきた。
サンキュ。これくらいでいいや
いいのか?
だいぶ良くなった。致命傷でもなし、ここは節約しとこう
ひょいと立ち上がるアイリーンだが、 おっとと と早速フラついている。
……本当に大丈夫か?
咄嗟にその体を支えながら、ケイは心配げに尋ねた。ハイポーションが貴重なのは確かだが、それを惜しんで後遺症が残ったりするようでは本末転倒だ。気を遣わずに一気飲みしてほしかった―いや、今からでも口に突っ込むべきか?
……おい、待て、待て待て
瓶を片手ににじり寄るケイを、アイリーンは慌てて押し留めた。
だいじょーぶだって! まだちょっと痛えけど、死ぬほどじゃない。……別に強がって言ってるわけじゃないぞ? 優先順位の問題だ
そう言って、ケイが持つ小瓶を指で弾く。キン、と澄んだ音がした。
オレは今、確かに万全じゃないが、寝とけばそのうち治る。それに対しこれぐらいのポーションを残しておけば、理論上腸(はらわた)が飛び出るような怪我でも治せる。……少なくとも生命力(HP)的には、な。どれだけ安静にしても、飛び出た腸は戻らない。だから『今』ポーションは飲み干すべきじゃない、そうだろ?
すっ、と優しく、ケイの手を押し戻す。
……そうだな
瞑目したケイは、頷いて、ポーションをしまった。
本音を言えば―やはり飲んで欲しくはある。ケイの無茶に付き合った結果、負傷してしまったのだから。だが、アイリーンの言葉は尤もだったし、本人にそのつもりがない以上、いくら心苦しく思ってもそれはケイの独りよがりにすぎない。
もともと、アイリーンはリスクを全て承知で付いてきてくれたのだ―この期に及んであれこれ言い募るのは、野暮というもの。
……ありがとう
ケイにできるのは、心から感謝の念を伝えることだけだった。
おかげで、助かった
なぁに、お安い御用さ
なんでもないことのように軽く言ってのけて、ニカッと笑うアイリーン。傷だらけで、へとへとで、それでも笑顔が眩しくて―愛おしい。
ありがとう。本当に……
無事で良かった―
抱きしめる。こんな華奢な体で”森大蜥蜴”を屠ったとは、にわかには信じ難い。
いや~、今回は流石に疲れたぜ
無理もない、大活躍だったからな
こつん、とアイリーンがケイの胸板に額をぶつけてくる。
あの跳躍は見事だったよ
へへ、だろ? 人生でも屈指の大ジャンプさ
まさか、あれで仕留めてしまうとは思わなかった
そのあと吹っ飛ばされて死にかけたけどな
アイリーンがケイの腰に手を回し、ギュッと抱きしめ返してくる。
あの魔術はナイスアシストだったぜ、ケイ。おかげで頭から落ちずに済んだ
いやあ、実はもうちょっとで失敗(ファンブル)するところだったんだ。噛まずに呪文を唱えられてよかった
はははっ、そいつぁ助かったな
おどけてケイが答えると、アイリーンはからからと笑った。互いが互いに、幼子をあやすように、抱きしめあったままゆらゆらと体を揺らしている。体温と鼓動がじんわり伝わってきて、鉛のようだった疲労感が心地よいものに変わっていく。
するっ、とアイリーンがケイの腰に回していた手をほどいた。代わりに、ケイの頬を撫でる。慈しむように。ぬくもりを確かめるように。
……ん
そっと―。
…………
これほどまでに、互いの吐息を熱く感じたことはなかった。
……ふふ
顔が離れてから、アイリーンがぺろりと唇を舐める。怪我がなければ、ケイはその身体を、強く強く抱きしめていただろう。
……お~い
……どこだ~
と、木立の外から、皆の声。
おっと。ほら、英雄様をお呼びだぜ
パッと体を離したアイリーンが、肘で小突いてくる。
ああ……そうだな
微笑んだケイは、不意に、アイリーンを優しく抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
あっ、おい……
もうひとりの英雄様も連れて行かないとな。……万全じゃないんだ、せめてこれぐらいさせてくれ
ん……まあ、そういうことなら、くるしゅうないぞ
腕の中でふんぞり返るアイリーンは、相変わらず羽のように軽い。
うおおおお! ケイだーッ!!
“正義の魔女”も無事だーッ!
木立から姿を現したケイとアイリーンに、集まっていた村人たちが沸き立つ。ケイは笑顔で、アイリーンはぶんぶんと手を振って声援に応えた。
“大熊殺し”ーッ! ありがとおおおおう!!
馬っ鹿、もう”大熊殺し”じゃなくて”地竜殺し”だろ!
それもそうだな! じゃあ”正義の魔女”はどうすんだ?
そりゃお前―“地竜殺しの魔女”だよ!
うおおおお! “地竜殺し”ーッ!
“地竜殺しの正義の魔女”ーッ!
やんややんや。
もう何がなんだかわかんねえな
大興奮の男たちを前に、アイリーンが苦笑している。ヴァーク村の住民がこれほど喜んでいるのは、それこそ”大熊(グランドゥルス)“の一件以来か。
ケイーッ! お前はッ! お前という奴はーッ!
そのヴァーク村の村長、ハの字眉がチャームポイントのエリドアが、号泣しながら駆け寄ってくる。
お前という奴は……ッ! 本っ当に……大した奴だ……ッ! ありがとう……村を救ってくれて、ありがとう……ッッ!
ケイの肩をバシバシ叩きながら、泣きに泣いている。“大熊”襲来を乗り越え、村の発展を目指して頑張っていたら、今度は 深部(アビス) の境界線が迫ってきて、終いには”森大蜥蜴”が出現。村を預かる者として、そのプレッシャーは並々ならぬものがあったことだろう。
これで村は救われた。怪物は討ち取られ、村人に被害はなく、避難していた女子供たちも戻ってこられる。エリドアの男泣きも無理はなかった―たとえ、今回の一件が一時しのぎにすぎないとしても。
まあ、なんとか被害もなく済んでよかった。落とし穴が役に立ったぞ、手伝ってくれた皆もありがとう!
ケイがそう言うと、 うおおおお! と男たちが拳を天に突き上げて応える。奇声を発しながら飛び跳ねる者、その場で小躍りする者、精霊に感謝の祈りを捧げる者、喜びようもそれぞれだ。
おっかなびっくり”森大蜥蜴”の死骸に近づく者たちもおり、恐る恐るつついたり、青緑の皮を撫でたりする人々を、ケイは微笑ましげに見守っていた―
―ん!?
が、その中に不審な連中を見つけ、顔色を変える。みすぼらしい格好の、探索者の端くれと思しき男たちが、死骸のそばに屈み込んでコソコソと―
おい、お前ら! 何をやっている!
ケイが駆け寄ると、 げっ という顔をした探索者たちが一目散に逃げ出した。
あっ! アイツら皮剥ぎ取ってやがる!
アイリーンも気づいて、ケイの腕からぴょんと飛び降りる。
逃がすか!
幸い、マンデルが回収してくれた矢が何本かあった。カヒュンッ! と”竜鱗通し”にしては控えめな音を立て、逃走する探索者―いや、『コソ泥』たちの足元に矢が突き立つ。
止まれェ―ッ! 次は当てる!
ケイの怒号に震え上がったコソ泥たちが、両手を上げて立ち止まる。握っているのは青緑の皮の切れ端だった。
貴様ら……何のつもりだ……
のしのしと歩み寄り、唸るようにして問うたケイに、顔を見合わせたコソ泥たちは媚びるような笑みを浮かべ、
そ、その……記念品に、と思って……
―記念で他人の獲物の皮を剥ぐ奴がいるか馬鹿野郎!
反射的に、答えた奴にゲンコツを落としそうになったが、頭がかち割れたら事(こと)なのでケイは自重した。
……っふぅー。気持ちはわかるが、それを許すわけにはいかん
オレたちが命がけで倒したんだ、何もしてねえヤツが『記念品』をご所望とは少々虫が良すぎねえか? それにお前ら、見たところ穴掘りさえ手伝ってねーだろ
アイリーンの指摘に、ぐうの音も出ずに黙るコソ泥たち。
よくわかったな、コイツらが人足じゃないって
人足なら給料受け取ってから事に及ぶと思ってな
なるほど、それもそうだ
思わず感心してしまったケイだが、気を取り直して、再び憤怒の形相を作る。
それで……貴様ら
ハ、ハイ
せっかく犠牲もなく討伐できたんだ……今日という日を『無血』で終わらせたい。そうは思わないか
思います
というわけで、盗ったものを置いていったら勘弁してやろう。とっとと出せ
ケイがオラつくと、コソ泥たちは一も二もなく素材を差し出してきた。皮の切れ端―どうやら、戦いでついた傷をナイフでこじ開けるようにして、無理やり引っ剥がしてきたらしい。こんなしょーもない剥ぎ方をしてもほとんど使いみちがないだろうに、本当に記念品くらいにしかならないな、と遣る瀬無い気持ちになるケイ。
これで全部か?
全部です
……これで、全部、か?
一人、何となく怪しい奴がいたので圧をかける。
……あっ、忘れてました! こっちのポケットにも
その業突く張りは、素知らぬ顔でやり過ごそうとしていたが、ケイがそっと矢筒に手を伸ばしたところで音を上げた。
まったく、最初から素直に出せ
これでケイの気が変わって、 やっぱ全員ブチ殺しておくか…… とでもなったらどうするつもりだったのか。
いっ、いえ忘れてただけで……
あーもういい、解散!
ケイが言い放つと、コソ泥たちは脱兎の如く走り去っていった。 バカ野郎! 気が変わったらどうするつもりだったんだよ! とコソ泥たちが業突く張りをなじる声を聞き流しながら、アイリーンと顔を見合わせる。
……勝利の余韻もへったくれもあったもんじゃないなぁ、ケイ?
全くだ
苦笑するアイリーンに、ケイはうんざり顔で頷いた。
死骸のそばに戻ると、一部始終を見ていた村人たちが、それとなく探索者たちを見張っていてくれているようだ。
自然、ケイの周りに関係者が集まる。
厚かましい奴もいたもんだな
すっかり泣き顔から村長の顔に切り替わったエリドアが話しかけてきた。
ああ。油断も隙もない
盗人対策もしなきゃならんのか……
ぺし、と額を叩いて溜息をつくエリドア。
……今夜は、討伐祝も兼ねて皆で不寝番かな
『伝説の狩り』とはいっても、舞台裏はこんなもんか、と一同苦笑を隠せない。
まあ、なにはともあれ
パン、と手を叩いて、ケイはその場の面々に向き直る。
静かな面持ちのマンデルは、達成感と、危険な仕事を終えたという安堵を噛み締めているようだった。
汗まみれのゴーダンは、疲労の色が濃いながらも晴れ晴れとした顔をしている。
はしゃぎまわっていたロドルフォは、賢者タイムとでも言うべきか、反動が来たらしくどこか虚脱した様子。
負傷した胸を押さえて苦しげなキリアンは、一気に老け込んだようだ。ポーションは流石に分けられないが、あとで『アビスの先駆け』の軟膏を渡しておこう、とケイは思った。
―そして、そんな彼らから一歩下がったところで、ホアキンがツヤッツヤの満面の笑みで立っている。満足そうで何よりだ。
……みんな、ありがとう。おかげで犠牲もなく倒せた。俺ひとりでは、絶対に不可能だった―改めて本当にありがとう
ケイが一礼すると、皆、口々に いやいや こちらこそ と返してくる。
それで―報酬に関してだが、まさかの想定外が起きたからな
ちらっ、と二頭の死骸を見やるケイ。
『名誉も報酬も二倍』、この言葉を違えるつもりはない。コーンウェル商会との交渉次第ではあるが、皆、期待していてくれ!
ケイの宣言に、やはり現金なもので、笑顔にならない奴はいなかった。
ぶるるっ
が、そのときケイの後ろ髪がグイッと引っ張られる。
イテテっ何だ!? ―サスケェ!
振り返れば、ふんすふんすと鼻を鳴らす汗だくのサスケ。 ねえぼくは??? と言わんばかりの凄まじい圧を発している。
もちろん、お前も忘れてないよ。ありがとう
大活躍だったもんな!
ケイの騎兵戦術も、サスケ抜きでは成立しない。
縁の下の力持ちとはまさにこのことだ
偉いぞサスケ!
帰ったら美味いものいっぱい食べような
ブラシもかけてやるぞ~!
ケイとアイリーンにわしゃわしゃと撫でられて、口々に褒められて、不満げだったサスケもようやく機嫌を直した。
どこか締まらない様子のケイたちに、周囲の面々も笑い出す。
晩秋の澄んだ青空に笑い声が響き渡り、冬の訪れを予感させる冷たい風が、狩りのあとの血生臭い空気を吹き流していった。
ひとまず決着。次回、狩りの面々の後日譚とかやりたいと思います。
感想、ポイント評価、にゃーんなど、大変励みになっております。 更新遅いぞ! という方は、直接言われるとナイーブに傷つくので、 フシャーッ! と威嚇する程度に留めていただけると幸いです。がんばります。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
99. 後日
『公都』ウルヴァーン。
公国でも屈指の巨大都市。小高い岩山に築かれた領主の居城を中心に、貴族たちの館や邸宅が整然と建ち並び、さらにその外側には、壺から溢れ出したミルクのように雑然とした一般区の街並みが広がっている。
そんな市井の片隅―宿屋”HungedBug”亭。
一階は酒場も兼ねており、夕暮れ時は宿泊客や常連たちで大賑わいだ。
はぁーい、お待ち遠様、エール2つにソーセージとチーズの盛り合わせね
HungedBug亭の看板娘、『ジェイミー』は、今日も給仕に会計に掃除にと、忙しく働いていた。
よっ、待ってました
ジェイミーちゃんいつもカワイイねぇ
はいはい、ありがとね
常連セクハラ親父の手をパシッと払い除けながら、ぞんざいに答えるジェイミー。健康的な小麦色の肌、グラマラスな体型、その上かなりの美人なジェイミーは、良くも悪くも男にモテる。
はぁ~どっかにいい男いないかな……
が、寄ってくる男は大抵、砂糖菓子に群がるアリのごときロクでもない連中ばかりなので、本人は灰色の日々を過ごしていた。養父にして宿屋の主人、『デリック』が悪い虫に睨みを利かせているということもある。そのへんの若い男は、父の名前を出すと青い顔をして逃げてしまうのだ。過去に一体何をやらかしたのか―
いい男ならここにもいるぞぉ~~!
ジェイミーの独り言を聞きつけて、酔っ払った赤ら顔の親父が自己アピール。
はいはい、いい男いい男
溜息混じりにあしらい、食器を片付けるジェイミー。とりあえず酒臭い男にはもううんざりだった。
―そういや聞ききました? 例の話
―あれか? ヴァーク村の……
テーブルを拭いていると、酒場の隅、宿泊客たちの会話が聞こえてくる。
なんと、本当に”森大蜥蜴”が出たって話ですよ
聞いた聞いた。それも二頭も、だろう?
おれは三頭って聞いたぞ
群れに襲われたんじゃなかったか?
そいつぁ世も末だな!
ワッハッハと大笑いする男たち。
……で、実際のとこ、どうなんだ
“森大蜥蜴”が出たのは確かのようですが
ヴァーク村の連中も気の毒にな。真面目に開拓してたのに
深部(アビス) の領域が移動してきてたんだろ? 遅かれ早かれじゃないか
深部 の話題ともなると、自然、声を潜めて話し合う。不思議なもので、コソコソ話されると何が何でも聞きたくなってしまい、ジェイミーはテーブルの頑固な汚れを取るふりをして注意深く耳を傾けた。
二頭や三頭ってのは尾ひれがついたか
本当だったら、今頃もっと大騒ぎになってるさ
しかし、二頭まとめて討伐されたって小耳に挟みましたよ
それこそまさかだ、まだ軍は動いてないだろ?
でもコーンウェル商会が大規模な商隊を送り出してるんですよ、南の方に
若手の行商人の言葉を、皆が黙り込んで吟味した。
確かに、革職人ギルドも今日は忙しそうにしてたな……
旅人風の男があごひげを撫でながら唸る。
しかし……誰がどうやって討伐したんだ?
自分が聞いたところによると―どうも”大熊殺し”が動いたとか
“大熊殺し”! あの武闘大会の奴か
―えっ、ケイのこと?
思わず口を挟んでしまうジェイミーに、男たちは一瞬びっくりしたような顔をしたが、美人のウェイトレスが興味を示したとあって嫌な顔はしなかった。
そうそう、“公国一の狩人”のケイさ
嬢ちゃんも『ファン』なのかい?
からかうように尋ねられたので、ジェイミーは心外だとばかりに、
ファンも何も、顔見知りよ。“HungedBug(ウチ)“にしばらく泊まってたんだもの
そう答えると、男たちは へえ! と興味深げに身を乗り出した。
どんな奴だったんだ?
ものすごい大男らしいじゃないか
本当に大熊を一撃でぶっ倒すような弓使いなのか?
そうねぇ……
問われて、ジェイミーははたと気づく。なんだかんだで、ケイが弓を扱う姿を直接見たことがないことに。実はあれだけ話題の武闘大会でさえ、当日は宿屋で忙しく働いていて観戦どころではなかったのだ。
―わたしの人生って……
ど、どうしたんだ嬢ちゃん、急に死んだ魚みたいな目をして……
いや……いいの。そうね。ケイは確かに大柄だったわ。わたしより20cmくらい大きかったかしら? でも、『ものすごい大男』ってほどでもないわね、義父さんの知り合いでもっと大きい人見たことあるし
ジェイミーは女にしては背の高い方なので、それほどケイが『でかい』とは思わなかったこともある。
弓の威力はよく知らないんだけど、腕のいい弓使いなんだなぁ、とはいつも思ってたわ。フラッと出かけていったと思ったら、草原で兎を何羽も仕留めて戻ってきて、明日の飯にでも使ってくれ~なんて言ってくることもザラにあったし
ほほー。そんなに長いことココに泊まってたのか?
そうねー2ヶ月くらい?
長いな。その間、ずっと何してたんだ?
問われて思い浮かんだ光景は―
『おっ、アイリーン、このサラミ美味いぞ。ほれ』
『あーむ』
『うおッ直接食うやつがあるか!』
『んー! 香草が効いてんな。こっちのチーズも絶品だぞ』
『あ、あー……ちょ、ちょっと恥ずかしいなコレ』
『ケイが先にやってきたんだろー! ほら食え食え!』
『あ、あーん……』
所構わず―恋人と仲睦まじく―
クッ―っ!!
どっどうしたんだ急に嬢ちゃん、唇から血が出てるぞ……!?
い、いえ……いいの。そうね。武闘大会で優勝してから、ずっと図書館に通って調べ物してたみたい
図書館んぅ?
男たちは顔を見合わせた。
図書館っつーと……第一城壁の向こうにあるとかいう、アレ?
そそ
たしか入館料がすごく高かった気がするんですが……金貨とか……
あー、それくらいするって言ってたわねー
ひぇぇ、想像もつかねえ
狩人が図書館に何の用があるんだよ……
そんな金をかけて何を調べてたんだ?
なんか伝承とかを調べてるって言ってたわねー
伝承……? と再び顔を見合わせて、さらに困惑する男たち。
なんだってそんなものを……
そんな高い金を払ってまで……
っていうか、狩人なんだよな……?
ケイって、なんか違う大陸? から来たんだって。精霊様のいたずらか何かで迷い込んじゃったんだってさ。それで『故郷に帰る方法を探してる』って言ってた。結局見つからなかった、というか、『遠すぎて帰れないことがわかった』らしいけど―
おおい、ジェイミー!
と、厨房の方からダミ声が―養父デリックの声が聞こえてきた。
いつまでも喋ってないで、早く運んでくれ!
あっ、はーい。それじゃ
―このままくっちゃべっていたら確実に雷が落ちる。そう判断したジェイミーは速やかに離脱し、仕事に舞い戻った。
はぁ~いお待たせ、エールと蒸留酒と、兎肉のシチューね~
あくせく皿を運びながら、ふと思う。ケイは今頃どうしているのだろうと。
“森大蜥蜴”狩りに動いた―とのことだが、“大熊”を一撃で撃ち倒したというケイならば確かに、伝説の地竜でも狩れてしまうかもしれない。
(きっと、すごく儲かるんだろうなぁ……)
“大熊”の毛皮が売れて、ずいぶんと羽振りが良かった。きっと”森大蜥蜴”狩りでも巨万の富を得るのだろう。自分が迫ったときは満更でもなさそうだったし、デリックもケイ相手ならとやかく言わないだろう―あの恋人の女さえいなければ―
はぁ……
溜息をついた。『もしも』を思い描いても虚しいだけ。
いい男、いないかなぁ……
ジェイミーの呟きは、酒場の喧騒に紛れて消えていく―
†††
ヴァーク村。
“森大蜥蜴”の討伐・解体後、落ち着きを取り戻したかのように見えた開拓村だが、噂を聞きつけた旅人や吟遊詩人らが押し寄せ、逃げていた探索者たちもまた森に入るようになり、彼らを相手に商売する商人たちまで戻ってきた。
さらには、避難していた村の女子供が帰ってきたことも重なって、以前より遥かに混沌とした様相を呈している。村を取り囲むように色とりどりの天幕が張り巡らされ、もはや開拓村というよりは小さな町といった規模になりつつあった。
そんな村の片隅で、村長宅を間借りしている男がいた。
ホアキンだ。
吟遊詩人として誰よりも先に駆けつけたこの男は、伝説を見逃し絶望する同業者らを尻目に、今回の英雄譚をいかにして一曲にまとめるか―羽根ペンを片手に毎日唸っていた。すでに主役たるケイたちはサティナへと帰還しているのだが、伝説の熱気が冷めやらぬうちに、この伝説の地で、伝説の英雄譚を仕上げてしまうべきだと判断し、村に残ったのだ。
うぅーむ……
始まりのフレーズ、曲調、登場人物たちの活躍―それぞれ詰め込みたい要素が多すぎる。普通、こういった英雄譚は事実を『少しばかり』脚色するのが常だが、今回の一件に関してはその必要が一切なかった。自身が目撃した全てを観客にそのまま伝えたいくらいだ。
むむぅ……
参考がてら、かたわらのメモ用紙に目を落とす。討伐後の、登場人物たちへのインタビュー集だ。ぱらぱらとめくる。
***
―マンデルさん、どのような心境ですか
『ひとまず、一息ついた。……無事に終えられてホッとしている』
―ケイさんをここぞというところでアシストされていましたね
『活躍らしい活躍なんてものはなかったが、最善は尽くしたと思う』
―今、何かしたいことはありますか
『……家で帰りを待つ娘たちに早く会いたい』
―今回の狩りをまとめるならば
『おれの人生において、最も困難で、輝かしい一日だった』
―またケイさんから助太刀を頼まれたら、どうしますか
『…………最善は尽くすが、今回の一件で身の丈というものを思い知った。この村に平和が訪れることを祈る』
***
―キリアンさん、お疲れのようですね
『ああ……へへ、そうかもしれやせん。疲れやしたね』
―今、何かしたいことはありますか
『特には。ただゆっくり酒でも呑みたい』
―今後はどうなさるおつもりですか
『アッシは、故郷へ帰ろうかと。森歩きは引退……しやしょうかね。恥ずかしい話、ちょっと森に入るのが怖くなってしまいやして』
―故郷、ですか
『もう何年も……何十年も帰っていやせん。捨てたものと思ってやしたが―幸い、報酬はたっぷりいただきやしたし、静かに暮らそうと思いやす』
***
―ゴーダンさん、今どんなお気持ちですか?
『まだ……夢でも見ているみたいだ。生きていることが信じられない』
―あの投槍、見事でした。大活躍でしたね
『風の大精霊のお導きがあればこそ。自分の実力ではない』
―今回の狩りをまとめるならば
『ケイとともに戦えたことを、誇りに思う』
―もしまた助太刀を頼まれたら
『絶対に参加する』
***
―ロドルフォさん、やりましたね
『ああ、何とかな! 生きて帰ってこれて良かったさ!』
―今、どんな心境ですか
『概ね満足だな! 力及ばず歯痒い思いもしたが、最後に役に立ててよかった。自分のベストは尽くしたと思う!』
―これから、何かしたいことはありますか
『実は……女を一人、待たせていてな。近々結婚を申し込もうとしてたんだ。今回の大物狩りのおかげでいい土産話ができた。報酬で資金も用立てられたし、いいことづくめさ!』
―おめでとうございます
『ありがとう! ありがとう!!』
―それで、結婚されるのはどんな方なんです
『うむ! サンドラという名前でな、出会ったのは二年前で―』
***
うーん、ロドルフォに関係ないこと聞きすぎたな……
その後、ロドルフォの惚気話が延々と続くメモを傍らに置いて、ホアキンは溜息をつく。同じ海原の民(エスパニャ)のよしみで、ついつい話が弾んでしまった。
掘り下げといっても限度があるしなぁ……
考えすぎで頭から湯気が出そうだ。間借りしている部屋、小さなベッドに寝転がって頭を冷やそうとする。
もっといいものを作れるはずだ……後世まで歌い継がれるような名曲を……
そして完成した暁には、アイリーンに魔道具を注文し、曲と影絵の相乗効果で一世を風靡するのだ―
う~ん……
吟遊詩人はひとり思い悩む。
頭の熱は、当分下がりそうにない―
†††
一方その頃、ウルヴァーン北部のとある宿場街。
ランプの明かりが揺れる宿屋の一室で、静かに商談が進められていた。
本日はご足労いただきありがとうございます
『いやいや、こちらこそ』
一人は身なりの良い、緊張気味の中年男。そして対面、ローテーブルを挟んで―椅子の背に止まっているのは、一羽の鴉だ。
契約条件に関してですが、事前にお送りした書簡通り―
『ああ、訳は確認したよ。特に問題はなかったと思う』
それは何よりです。念の為、口頭でも確認させていただきたく
『お願いしよう』
男は公国語を、鴉は雪原語(ルスキ)を操っているが、コミュニケーションに不自由はない。テーブルに置かれた水晶のペンダントから影の手が伸び、壁に影絵の文字を描いてそれぞれの言語を翻訳しているからだ。
『いやはや、これは本当に便利だな!』
改めて感嘆の声を上げる鴉。その名を『ヴァシリー=ソロコフ』という。雪原の民の告死鳥(プラーグ)の魔術師だ。ちなみに本体ではなく、使い魔の一羽に憑依している。
同感です
しみじみとした顔で頷く身なりのいい男は、コーンウェル商会の商人。今日、ヴァシリーといくつかの契約を結ぶために、この宿場街に派遣されてきていた。ヴァシリーの住む緩衝都市ディランニレンと、ウルヴァーンの中間地点が選ばれた形だ。
おかげでこうして、良いご縁をいただけましたし
『全くだね』
朗らかに笑い合う二人。しかし、実はヴァシリーは、コーンウェル商会そのものは割とどうでもよく思っている。現在所属しているガブリロフ商会だけでも、研究費は充分に賄えているからだ。
コーンウェル商会の伝手で、北の大地には生息しない珍しい鳥が手に入るかもしれない―とは期待しているものの、それはあくまでおまけに過ぎない。ヴァシリーの目的は、コーンウェル商会にパイプを繋いでおくことで、アイリーンと定期的に連絡を取ることにあった。
(『全く、大した技術力だ……これほどの魔道具をいともたやすく完成させてしまうとはね』)
商人の言葉に相槌を打ちながら、翻訳の魔道具に視線を落とすヴァシリー。
(『まだ若いというのに……流石に嫉妬してしまいそうだ』)
以前、『茶会』で話し合ったときもそうだったが、アイリーンとその連れのケイが保持している魔術の知識は、かなり洗練されている。それを少しでも吸収したい―自らの研究にも取り込んでいきたい。同じ商会に所属して接点を設ければ、また魔術談義もできるかもしれない。そんな知的好奇心と、貪欲な探究心が、この度の契約につながった。
―というわけで、いかがでしょうか
『ああ、うん。私としては問題ない』
ありがとうございます。では―
『―しかし、ひとつ疑問があるんだが…… 契約者は、死傷の危険性がある狩猟やその他のイベントに、自発的には参加しないよう努力する 、この条文は本当に必要なのかね……?』
あ、ああ、それですか
ヴァシリーの指摘に、商人は苦笑い。
実はその……ヴァシリー殿もご存知の、我らが商会の専属魔術師たちがですね
『アイリーンとケイのことかい?』
そうです。その、御二方がですね、その~……実はつい先日、ウルヴァーン郊外の開拓村に”森大蜥蜴”が出現しまして。そちらの討伐に赴かれてしまったんです
『はぁ?』
一瞬、ヴァシリーは誤訳を疑ったが、この条文を見る限り―つまりは、そういうことなのだろう。
『それでこの条文か……いや、そんなことより、二人はどうなったんだね?』
ご無事です。どころか、“森大蜥蜴”を二頭も仕留めてしまわれて
『はぁ? 二頭……!?』
椅子の背に止まって目を丸くする鴉に、商人の男は、(鳥もこんなに表情豊かになるんだなぁ)などと可笑しく思った。
おかげで、我らが商会も素材を捌くのに大わらわですよ
『それは……凄まじいな。しかし、まさか、たった二人で討伐を?』
ケイの強弓、そして馬賊相手の死闘を知るヴァシリーは、あの二人ならばやりかねないと考えた。
いえ、流石に現地の住民や有志の方々と協力して、とのことですが
『それにしても大したものだな。いやはや……無茶するもんだ』
全く、同感です
これ以上なく、しみじみと頷く商人。
そういった事情で、こちらの条文が追加されたというわけです
『確かに、投資するだけして死なれたのでは商会側も堪るまいよ』
まあ私は心配はいらないから安心してくれ、とおどけて言うヴァシリーに、商人の男は朗らかに笑った。今後ウルヴァーン支店でヴァシリーを担当することになるわけだが、この魔術師とはうまくやっていけそうだ、と密かに胸を撫で下ろす。
というわけで、よろしければ契約書にサインを
『相分かった。……あ』
ぴょん、とテーブルに乗り移ったヴァシリーが、『しまった』という顔をする。遅れて商人も気づく。この鴉(からだ)でどうやってサインするのか、と。
『あ~……その、あれだ。インク壺を貸してくれたまえ、鉤爪で何とか』
あ、はい……こちらをどうぞ
『ありがとう。いやしかし、脚で文字を書くわけか。なかなか骨だぞコレは……』
ローテーブルの上で片足立ちし、四苦八苦するヴァシリー。書類がズレないように慌てて押さえる商人。
『ああっインクがこぼれた!』
ああっ契約書が!!
一人と一羽がぎこちなく奮闘する様は、傍から見れば噴飯ものだったが、幸いにして覗き見る者は誰もいなかった。
静かに始まった商談は、こうして、にぎやかに終わっていく。
次回 100. 平穏
サティナに帰還し、平穏な日々のありがたみを噛みしめるケイだったが―
100. 平穏
前回のあらすじ
ジェイミー どっかにいい男いないかなぁ
ホアキン なかなか歌がまとまらない……!
ヴァシリー 鳥の脚でサインするのは難しいという知見を得た
やっぱり家は落ち着くな……
自宅のリビングでどさりと荷物を下ろし、ケイはホッと一息ついた。
違いねえ。愛しの我が家!
その隣ではアイリーンが猫のように、 うーん と背伸びをしている。
(……そうか、俺も『落ち着く』ようになったか、この家で)
ケイはそんな感慨を抱く。見慣れた家具。古びた木の香り。思い出深い窓ガラス。しばらく暮らすうちに、この家にもすっかり愛着が湧いていたらしい。留守中も商会で雇った使用人たちは、きちんと手入れをしていてくれたようで、埃もなく綺麗に片付いている。
そう、ケイたちは、サティナへと帰還していた。
嵐のような日々だった。“森大蜥蜴”の討伐。素材の監視を兼ねた宴。コーンウェル商会の人員の到着、商人との交渉、解体、報酬の分配、etc, etc… 休めたのは討伐直後くらいのもので、それからは目の回るような忙しさだった。
どうにかやるべきことを済ませて、村人たちに惜しまれながらヴァーク村を発ったのが四日前。マンデルを除く、討伐のメンバーたちと別れたのもそのときだ。
『本当に……夢のようだった。ありがとう』
『これで胸を張って結婚を申し込める! さらばだ!』
ゴーダンとロドルフォは、それぞれの故郷に帰っていった。ゴーダンは東の辺境の村へ、ロドルフォは西の沿岸部へ。ケイがボーナスを弾んだこともあり、銀貨ではち切れそうな革袋と、『記念品』の色鮮やかな”森大蜥蜴”の皮の切れ端を携えて。
『今回のことは……家族に話しても、信じてもらえないかもしれないな』
そう言って笑うゴーダンはちょっとした豪農の次男坊らしく、家族に金を預けたら今度はサティナまで遊びに来るつもりとのこと。ちなみに、ケイを追う雄竜に投げつけた5本目の槍は、商会の護衛『オルランド』から借り受けたものだったそうだ。
『いやーもうこれ家宝にするっス! ありがてえ』
“森大蜥蜴”の血がついた短槍を回収して、オルランドは童心に帰ったように顔を輝かせていた。討伐には参加せず馬車の『護衛』に専念していたオルランドたちだが、そのあとの素材の監視や商会の人員の誘導などでは、よく働いてくれた。
『この鮮やかな青緑! サンドラのブルネットの髪によく似合うに違いない!』
ロドルフォは恋人に結婚を申し込むそうだ―“森大蜥蜴”の皮を髪飾りにして贈るのだとはしゃいでいた。実はケイは別れ際まで結婚の件を全く知らなかったのだが、もし事前に話を聞いていたら討伐のメンバーに選ばなかったかもしれないな、とは思った。
ちなみにキリアンだが、報酬を受け取ったあと、人知れず姿を消していた。討伐の日を境に、めっきりと老け込んでしまったように見えたキリアン―彼の助力がなければ、森の様子もわからず、ゴーダンとロドルフォも仲間にならず、アイリーンが毒で雌竜を仕留めることもできなかった。今回の狩りの成功も、彼に依るところが大きい。
何度も礼は言ったが、それでも別れの挨拶くらいはしたかった。なぜ何も言わずに去ってしまったのか―正直なところ、少し悲しく思う。ただ、ヴァーク村に残ったホアキンによれば、キリアンは”森大蜥蜴”との戦いで、心に傷を負ってしまったらしいとのこと。
忘れたかったのかもしれない。
忘れられたかったのかもしれない―
†††
荷物を置いたケイたちは、大通りを挟んで斜向いの商業区を訪れた。コーンウェル商会傘下の高級宿―いつもサスケとスズカを預かってもらっている宿だが、今日はマンデルがここで一泊する。ヴァーク村からサティナまで、四日間の旅の疲れを癒やしてから、タアフ村に凱旋しようというわけだ。
マンデル、いるかー?
レセプションで教えてもらった二階の部屋。ドアをノックすると いるぞー と間延びした声が返ってきた。
中に入ると、そこは広々とした上品な部屋。
ベッドだけではなく、頑丈そうな物入れのチェストに、小さな丸テーブルと椅子が何脚か。テーブルの下には小洒落た模様のカーペットも敷いてある。弓形に張り出した出窓―俗に言う『ボウウィンドウ』というやつだ―には、なんとガラスがはめられており、冷たい外気を遮断しつつも柔らかな日差しが差し込んでいた。窓際には花まで飾られている。
そして肝心のマンデルはというと、ゆったりとしたダブルベッドに寝転がり、存分にくつろいでいるようだった。
いやぁ、快適だな。……いいのか、こんなに上等な部屋に泊まっても
と言いつつ、全く遠慮する様子は見せないマンデル。言葉の割にふてぶてしい態度に、ケイは声を上げて笑った。
もちろんだとも。コーンウェル商会は太っ腹だからな
今回の宿代はコーンウェル商会持ちだ。先ほど本部で顔を合わせたホランドがマンデルのために手配してくれた。ケイとしても、存分に楽しんで元を取ってもらいたいと思う。
そいつはありがたい。せっかくだし、風呂にでも入ってみるかな。飲み物も好きに頼んでいいんだったか
好き放題にやっていいんだぜ、マンデルの旦那。そのうち『あの地竜殺しの英傑が一人、マンデルの泊まった部屋!』って名物になるだろうからな
壁に名前でも刻んだらどうだ、とからかうアイリーンに、マンデルは うへぇ と渋面になった。髭もじゃで表情が分かりづらいが、どうやら照れているらしい。
このあと、マンデルは風呂に入ってのんびりするとのことだったので、ケイたちは夕食の約束を取り付けてから、今度は木工職人モンタンの家を訪ねた。
ケイさん! よくぞご無事で!!
おねえちゃん!!
五体満足なケイに、ホッと胸を撫で下ろすモンタン。その横から勢いよくリリーが飛び出してきて、アイリーンに抱きついた。
お二人とも……うまくいったんですね?
さらに家の奥から、モンタンの妻キスカも顔を出す。
ああ、お陰様で。モンタンの矢も大活躍だったぞ
ケイたちが”森大蜥蜴”を撃破したのは一週間ほど前のこと。まだサティナにまでは詳細が伝わっていないらしい。立ち話も何だということで、中でお茶をいただく。
正直、もうヴァーク村はダメかもしれないと思ってたんだが、驚くべきことに到着するとまだ無事だった
どころか、探索者やら商人やらで大賑わいでさ―
キリアンという熟練の森歩きの話によると、実は―
っつーわけで、人を集めて落とし穴を掘ったり、迎撃準備を―
交互にことのあらましを語るケイとアイリーン。モンタンたちは目を輝かせて聞き入っていた。何せ、『伝説』の当事者たちから直に話を聞けるのだ。現代地球に比べ娯楽の少ない世界で、これ以上のエンターテイメントはなかった。
それでこれが、活躍してくれた矢たちだ
ケイは矢筒から矢を取り出した。“森大蜥蜴”の死骸から回収したものだ。モンタン特製の出血矢や宝石の消滅した魔法矢、最後に額を撃ち抜いた長矢などなど。黒ずんだ血の跡がこびりついており、見方によっては汚かったが、モンタンには最高の手土産になるだろうと思ったのだ。
おお……! これが……!!
モンタンは震える手で受け取り、惚れ惚れと眺める。自ら手掛けた矢が伝説の怪物を打ち倒した―職人として、その感慨はいかほどか。
で、こっちが”森大蜥蜴”の皮だ
今度はアイリーンが10cm四方の切れ端を差し出す。リリーとキスカが、色鮮やかな青緑色に目を見張った。
……触っていい?
もちろん
リリーはおっかなびっくりといった様子で皮を受け取り、恐る恐る、指先で表面をつついた。
……こんな色、はじめて見た
確かに、こちらの世界では珍しい色合いかもしれない。ケイが持ち込んだ革鎧も”森大蜥蜴”製ではあるが、硬化処理などをした関係で、これほど鮮やかな色は残っていない。
……ありがと
しばらくキスカとともに、しげしげと観察していたリリーだが、やがて満足したのか皮を返してきた。
ん? それはお土産だからリリーのだぞ
えっ!?
アイリーンが告げると、リリーとキスカが マジで!? と言わんばかりに皮を二度見する。目と口がまん丸くなった表情があまりにもそっくりで、 ああ、やっぱり親子だなぁ と納得しつつもアイリーンは笑ってしまった。
いいんですか?! こんな貴重なものを……
まあ、貴重といえば貴重なんだけど……
あまり使いみちがない。傷跡を避けて皮を剥ぐと、どうしてもこのような切れ端も出てきてしまった。もちろん、普通の動物の皮に比べると市場価値は非常に高いが、使うとしてもサイズ的にはせいぜい小物を作るぐらいだろうか。ケイたちは記念品として、こういった端材を商会からいくらか譲り受けていた。
もちろん、ケイは革鎧を新調し、アイリーンもちょっとした防具を別途作るつもりではあるが。
ほんとうにいいの、お姉ちゃん?
ああ。なにせ二頭も倒したからな
配って回る余裕は充分にある―ヴァーク村に到着した商会職員も、二頭の巨大な死骸を見て卒倒しそうになっていたほどだ。一応、使者を送って事前に伝えてはいたが、『番(つがい)を倒した』という情報だけは半信半疑だったらしい。しかし落ち着いてからは、いったいどれほどの儲けを生み出せるか、文字通り皮算用で大興奮していた。