義勇隊に集まったのは、マンデルのように武闘大会で入賞した者や、弓や弩の扱いに秀でる退役軍人、高名な狩人、森歩き、流れの魔術師などで、出自は様々だがそれなりの人物が多かった。

一部、名声や実績のためだけに参加した者たちもいたが、彼らは実力がない代わりに相応の身分(といっても田舎の名士とか豪農の子とか)の出で、こちらもまともに話が通じる手合だ。

総じて、付き合いやすい者たちばかりだった。夕飯に彩りを添えてくれるケイに絡んでくるような無作法者ももちろんおらず、良好な関係を構築しつつあると言えるだろう。

ちなみに、ほぼ強制参加だったのはケイとマンデル、その他武闘大会入賞者くらいで、あとは志願者が主だった。

それで、

シチューをかき込んだ大柄な傭兵が、目を輝かせながら尋ねてくる。

あんたは、森大蜥蜴を2頭も狩ったんだろう? 吟遊詩人の歌は飽きるくらい聞いたけどさぁ、実際のところどうだったんだ? 教えてくれよ!

野性味あふれる笑顔が素敵な彼は、その名をフーベルトという。もともと東の辺境の傭兵で、竜人(ドラゴニア)から商隊を守るため剣を振るっていたらしいが、わざわざサティナまでやってきてから義勇隊に参加したらしい。

目的は金。そしてひとかけらの名声。蜥蜴人とやり合うのにはもう飽き飽きだよ、とはフーベルトの談だ。

これからまた東へ行くのにサティナまで来るのは無駄足ではなかったのか、と尋ねると、 実はサティナに妹夫婦がいてな、ついでに会いに来たんだ! 新しくガキが生まれててさぁ、可愛いんだなぁこれが! とニカッと笑っていた。

森大蜥蜴か……そうだな……

問われて、ケイはマンデルと顔を見合わせた。

ヴァーク村を守るため、 深部(アビス) の化け物と演じた死闘はまだ記憶に新しい。

マンデル、せっかくだから頼めないか? 俺は説明がヘタだからさ……

……おれだって口下手なんだが

マンデル? マンデルというと、あの大物狩りにも同行したという”十人長”のマンデルですかな?

少しぽっちゃりとした青年が口を挟んでくる。彼はとある田舎の名士の次男坊で、名前はクリステンというらしい。

丸顔で、くりくりとした瞳が印象的。いかにも人が良さそうだ。少し気弱なきらいがあるものの、健脚らしく、行軍には問題なくついてこれる程度の体力はある。彼の体型は自堕落によるものではなく、単に裕福さを示すもののようだ。

今回、義勇軍に参加したのは、意中の女性に告白するためらしい。無事に帰ったらプロポーズするつもりなのだとか……

ああ、そのマンデルであってるよ。彼には随分と助けられたもんだ

ケイはしたり顔で頷く。そのまま さあ皆に語ってあげてくれ! とマンデルに促すが、 その手に乗るか とばかりにジロッとした目で返される。

しばし、英語力の問題で語りたくないケイと、口下手だから遠慮したいマンデルで押し付け合ったが、皆に急かされたこともあってマンデルが折れた。

そう、だな。……あれは秋も終わりに近づいた頃。おれが、いつものように森から戻ると、突然、ケイが村を訪ねてきた。そして、告げられたんだ。『ヴァーク村から救援要請が届いた。手を貸してほしい』と―

ぽつぽつと、マンデルは語りだす。

確かにマンデルは、彼自身が言う通り、舌が回るタイプではなかった。しかしその実直な語り口には、当事者ゆえの真に迫った凄みがあり、かえって聞き手たちの心を捉えて離さなかった。皆、大仰な吟遊詩人たちの歌はもう聞き飽きていたということもある。

―そしてとうとう、やつが姿を現した。……途轍もなくデカい、化け物だった。そこの馬車くらいは優に超える背丈で、おれたちは皆、そいつを見上げながら覚悟を決めた。ここでやらねばならないと。……だが、武器を構えたそのとき、再び大地が揺れた。そして背後からもう一頭、同じくらいデカい化け物が出てきたんだ―

ごくり……と誰かが生唾を飲み込む。

当事者どころか主役なのに、ケイもハラハラして聞いていたところ、不意に髪の毛を引っ張られた。

イテッ、イテテッ、なんだ? ……サスケェ!

振り返ると、サスケが少し不機嫌そうに尻尾を振っている。

あ、すまん。サスケも腹減ったよな

道草と、さっきちょっと分け与えたウサギのローストくらいでは食べ足りないか。コーンウェル商会の馬車から糧秣を受け取らなければならない。

悪い、ちょっと席を外すぞ

と、ケイは中座したが、皆マンデルの話に聞き入っていたので特に残念がることもなく、そのまま抜け出すことができた。

(なんだ、口下手とかいって、語り部にもなれそうじゃないか……)

熱のこもった口調で、森大蜥蜴との死闘を語るマンデルを尻目に、軍隊の後方を目指す。

―討伐軍のあとには、長い車列ができていた。

大量の人員の胃袋を満たす補給部隊に加え、商会の馬車も出張ってきているのだ。兵士相手に商売をする者、士官を相手に高級嗜好品をさばく者、流れの医者もいれば大道芸人や吟遊詩人、はたまた娼婦たちのテントなんてものまで。

その並外れた視力で即座にコーンウェル商会の旗を見つけたケイは、サスケを伴って馬車を訪れた。

よぉ、ケイ! どうだった、義勇隊ってのは?

親しげに出迎えてくれたのは、眉毛が濃い、よく日に焼けたヒゲモジャの傭兵―ダグマルだった。コーンウェル商会の専属傭兵で、サティナ-ウルヴァーン間の隊商護衛でも一緒に仕事をしたことがある。ケイの”大熊殺し”の目撃者の一人だ。

やあ。義勇隊は、気のいい奴らばかりだったよ。しかしなんというか、歩みがのんびりしてるな。それに土埃のひどいこと……普通の隊商護衛が懐かしいよ

はははっ、違いない!

同感なのか、苦笑いするダグマル。ホランドと幼馴染な関係で、何かとケイとも縁のある男だが、この度は自ら商隊に志願したらしい。

『―いやぁ俺も歳だからよ。ボチボチ腰を落ち着けようと思うんだが、最後に箔をつけたくってなぁ』

最後の護衛任務が飛竜討伐軍への同道なら、これに勝る名誉はないというわけだ。戻ったら、サティナ本部の用心棒的なポストに就くらしい。

『それにせっかくケイの”大熊殺し”は見てたのに、“森大蜥蜴”の方は見損ねちまったからな。今回、“飛竜”は見逃さないぜ!』

―と、そんな思惑もあるとかないとか。

ほーれ、サスケ。たんとお食べ

ぶるふふ

サスケは、秣(まぐさ)に野菜にとたっぷり与えられて大満足の様子だ。

どうだ、ケイ。あんまり出せないけどよ、ついでに一杯やってくか?

サスケを待つ間、ひょっこりと馬車に引っ込んだダグマルが、再び顔を出して小声で言ってきた。その手には、金属製の水筒(スキットル)。

いや! ……うーん

非常に心惹かれるものがあったが、ここはぐっと堪える。

ありがたいけど、禁酒中なんだ

……ああ、嬢ちゃんと一緒にやってるんだっけ

嬢ちゃん、とは、言うまでもなくアイリーンのこと。ほぼ妊娠が確定している彼女は、ここしばらく断腸の思いで酒を断っている。ケイもその苦しみを分かち合う覚悟だった。……血涙を流すアイリーンの前で酒を楽しめるほど、無神経ではない。

でも、別にいいじゃねえか、従軍中くらい

いや、まあ、そうなんだが、今も独り待ってるアイリーンを想うとな……

溜息をつきながら、日が暮れゆく空を見上げるケイ。

―いかん。出立一日目にして、もう帰りたくなってきた。いや、最初から帰りたいのは確かだが。

……それに、俺だけ呑んで戻って、隊の皆に気取(けど)られてみろ。総スカン食らうぞ

何せ勘の鋭い傭兵から、鼻が利く森歩きまで勢揃いだ。

はははっ、そりゃあ確かに肩身が狭いな。これはしばらく、お預けにしとこうか。んで、狩りが終わったら祝杯をあげようや

それくらいはいいんだろう? とお茶目にウィンクするダグマル。

もちろん

ケイも笑顔で答えた。

サスケが満足したところで、ダグマルに礼を言い部隊に戻る。

歩いていると、道の端々で、夕食を終えた兵士たちが寝床の用意を始めていた。

(野宿かー……)

久々の地べただなぁ、と情けない顔をするケイ。街暮らしで本当にすっかり、贅沢な身体になってしまった。

今更テントに寝袋なんかで、ちゃんと眠れるんだろうか……吹き荒む木枯らしが、わびしい気持ちに拍車をかける。

しかも、独り寝だ。人肌が恋しい。より正確に言えば、アイリーンが。

一応、アイリーン謹製の影の魔道具を持ってきているケイは、夕暮れ以降に魔力を消費すればアイリーンと通信できる。

が、距離が開くごとに負担が増えていっておいそれとは使えないことと、軍に目をつけられたらヤバそうなことが相まって、一人になれるタイミングを見計らった上で数日に一回程度、ケイ側から連絡を取るように決めていた。

(今日はまだ、やめておくか……)

野営がどんな感じになるかという様子見と―あと、初日の夜さえ我慢できなかったら、多分、毎日連絡を取ってしまいそうだという恐れから。

(早く帰りたい……早々に飛竜が突っ込んできて勝手に墜落死しないかな)

などと愚にもつかないことを考えながらセンチメンタルな溜息をつくケイに、サスケが呆れたように、ブルヒヒと鼻を鳴らした。

104. 指名

おひさしブリリアント(光り輝く)

寒空の下、目が覚めた。

もぞもぞと簡易テントを抜け出したケイは、空を見上げて溜息をつく。

体中、バッキバキだった……皮のマントを敷いて寝たが、地面の寝心地は最悪。布を敷き詰めていた自宅のベッドとは比べるまでもない。そして毛布だけでは寒くて、なかなか寝付けなかった。

その上、起きたら曇天。

灰色の空が見えた瞬間、思ったのは おうちかえりたい 。

それでも軍隊は動き出す。個人の意志など関係ないとばかりに……

朝食が支給された。堅焼きのビスケット。薄いワイン。干しぶどう。

以上。

贅沢は言わないから、温かいものが食べたい

贅沢な話だ。……夕食はともかく、朝食は難しいぞ

もっしゃもっしゃとビスケットを頬張りながら、無慈悲に告げるマンデル。その横では、サスケが寝転がったままもっしゃもっしゃと草を食んでいた。彼は、どうやら問題ないらしい。 ふふん、鍛え方がちがうんだよ と言わんばかりの顔だった。

公国は水源が豊富で、北の大地ほど極寒でもない。水不足で行き倒れしかけた北の大地での旅に比べれば、この行軍なんて天国みたいなもんだ―とケイは自分に言い聞かせた。

それにしても、隊商護衛をやっていたときは、なんで色々と平気だったのだろう。自分でも不思議に思ったが、冷静に考えれば、割と温かい季節だったので問題なかったのだ。テントでも別に寒くはなかったし、朝食が温かくなくても関係なかったし。

周囲を見れば、皆、黙々と朝食を詰め込んでいる。

ここでこれ以上、不平不満をこぼしても、空気が悪くなるだけだ。贅沢を言っちゃいけない……ケイも大人しく諦めることにした。

まあ、

ビスケットを口に放り込んで、ケイは独り言のように言った。

せめて夕食は、肉でも食べたいところだな

期待しているぞ、ケイ

任せろ。獲物がいる限りは獲ってくるよ

それを耳にした皆も笑みを浮かべている。空気が少しだけ軽くなった気がした。

†††

食材を獲ってくるという大義名分を得たことで、ノロすぎる行軍から堂々と離れられるようになったのは良いことだ。

草原に出れば土煙からも解放されるし、歩く速度を制限されてストレスが溜まることもない。サスケも自由に走り回れて楽しそうだ……まるで街で暮らしていたときのように、思いついてぶらりと狩りに出てきた気分になる。

背後の街道にはずらずらと行列が続いていて、この場にいるのがケイとサスケだけという点に目を瞑れば。

アイリーンはどうしてるかな……

新たに仕留めたウサギの血抜きをしながら、寒空を見上げる。今頃、彼女もつまらなさそうな顔をして、テーブルに頬杖をついて空を見上げているのではないか―

―ケイは知る由もないが、このときアイリーンは、ふて寝していた。

それにしても、ひとたび曇ってしまうと星が見えず、ケイお得意の天気予報も使えなくなるのは困りものだ。昨日まで観測した分には、しばらく晴れと曇りが続きそうだったが……

少しでも雨が降れば、草原はかなり―しっとりした状態になる。このあたりの土は特に柔らかく、まるでスポンジみたいだ。たっぷりと水気を吸えばずぶずぶと脚が沈み込んで、サスケ単体ならともかく、ケイを乗せた状態で駆け回るのは、かなり難しくなるだろう。

土埃が立たなくなるのは利点だろうけどな……

デメリットの方が多そうだ。

……そう思うだろ?

話しかける相手がいないので、仕方なくサスケに同意を求めてみる。

耳をピコピコさせながら、 何が? と言わんばかりに振り向くサスケ。彼は賢いし、何かと色々通じてる気分にはなるが、話し相手にはならないのだ。

ケイは苦笑して、サスケの耳の後ろを掻いてやった。

サスケは嬉しそうに目を細めていた。

寒風から身を守るように革のマントを羽織り直しながら、深呼吸してみる。

冷たい空気が肺に流れ込んで、酸素を取り込んだ熱い血潮が、全身を駆け巡っているのを実感する。

ああ―自分は確かに、この世界に存在して、生きている。

(忘れていたな、この感覚を)

ゲーム DEMONDAL の中では、天気を心配したことなんてなかった。せいぜい雨が降ったら視認性が悪くなるとか、特定のモンスターが見つかりにくくなるとか、その程度で、 寒くて風邪を引くかもしれない なんて懸念は皆無だった。

そもそも、『寒さ』が存在しなかった。どれほどリアルに近い感覚を標榜していても、プレイヤーに苦痛を与えかねない感覚はオミットされていたのだ。だから雪山でも、火山の火口でも、ゲーム内はいつも穏やかで、暑くもなく寒くもなく―それが当たり前だった。

まるで病院の無菌室みたいに。

今の自分とゲームの自分。どっちが快適か? と問われれば後者だ。

だが戻りたいか? と問われれば、否。

今の方がいいに決まっている。明日の天気とか寒さとかを、リアルに悩める贅沢。そのありがたみを―自分は今一度、噛みしめるべきだな、とケイは自戒した。

贅沢になってしまったと嘆くことができる。それ自体が、すでに贅沢なのだ。

よし、気持ちを切り替えていこう

こうして独りで物思いに耽っていると、転移した直後のことを思い出す。あのときの自分に比べれば、今の自分はかなり―明るくなっていると思う。前向きで、人生を楽しむことを知り始めていると思う。

常に上り調子の人生なんてない。そうだろう? 今は不満があったり苦しかったりするかもしれないが、これを乗り越えたら幸せな家庭が待っている。

せいぜい、飛竜狩りをそつなく終えて、辺境の都市ガロンでお土産を買い込んで、サティナまで凱旋しようじゃないか。そして、そのときには、ちょっとお腹が大きくなっているであろうアイリーンに、ただいまのキスをする。

その日を夢見て頑張ろう。

もうちょっと狩るか

まず目の前のことからコツコツと。血抜きしたウサギを鞍にくくりつけたケイは、少しでも夕食を賑やかなものにするべく、再びサスケにまたがった。

―それから狩りを終えて義勇隊に戻ると、隊長の正規軍人フェルテンが待ち構えていた。

おお、ようやく戻ったか

ケイの姿を認め、あからさまにホッとした様子のフェルテン。

何か用事が?

聞いて驚け。なぜか参謀本部からお前に呼び出しがあった

その言葉に、ケイはマンデルや義勇隊の面々と顔を見合わせた。

俺……何かやっちゃいました?

知らん

恐る恐る尋ねるケイに、にべもなく答えるフェルテン。

まあ、呼び出しというか、面会というか。アレだ、お前は公国一の狩人だからな。俺たち有象無象とは違って、お偉いさんも何ぞ話を聞きたがっているのかもしれん

皮肉げに口をへの字に曲げて、フェルテンは鼻を鳴らした。

とにかく、これが召喚状だ。昼飯休憩時に出頭しろとのことだ

ケイの手に書類を押し付けたフェルテンは、 確かに渡したぞー とひらひら手を振りながら去っていった。

……どうしよう?

そりゃあ、ケイ。……出頭するしかない

マンデルが、羽飾りのついた帽子を目深にかぶり直しながら、肩をすくめて言う。

お偉いさん相手とか、俺、何を話せばいいのかわかんないんだが

安心しろ、ケイ。……おれもわからない

マンデル……

呼び出しを受けたのはケイだぞ。……おれではない

つっと目を逸らすマンデル。ケイは助けを求めて周囲を見回したが、皆、白々しく 今日は冷えるなー 骨身にしみる寒さですねー などと雑談していて、こちらを見向きもしない。

…………

孤立無援であることを悟ったケイは、手の中の召喚状に視線を落とし、手負いの獣ような唸り声を上げるしかなかった。

†††

そのまま昼休憩になってしまったので、手早くビスケットと干し肉だけを詰め込み、ケイは参謀本部がある天幕へ赴いた。

長く伸びた軍隊の中間あたりには貴族や軍の高官が多く、馬車や色とりどりの天幕が展開されている。行軍中だというのに、メイド付きでティーセットを広げてお茶を楽しむお偉いさんの姿まで散見された。

まるで別世界だ―自分がここにいることの違和感がすごい。

そして、召喚状を持ってきたはいいが、具体的にどの天幕に顔を出せばいいのかがわからない。

あの、悪いんだが

通りすがりの、比較的人が良さそうな軍人に声をかける。

なんだ

呼び出しを受けたんだが―

召喚状を見せると、その軍人はケイと書面を二度見して、狐につままれたような顔をした。

お前が? これを? ……すごいお偉いさんに用があるんだな

俺には用がないんだが

ああ……なるほど。まあ、そういうこともあるか

何やら察したらしい軍人は、同情の色を浮かべる。

案内してやろう。くれぐれも失礼のないようにしろよ―他ならぬお前自身のためにな

『召喚状で呼ばれてきた。俺の名はケイイチ=ノガワだ』……こんな感じか?

その場で仰々しく一礼しながら言ってみせると、軍人は、食料庫ですっかりカビに覆われたチーズでも見つけてしまったような、何とも言えない表情を浮かべた。

もうちょっと、こう、言い方があるだろ。……『本日はお招きに預かり光栄至極、狩人の○○、参上仕りました』くらいは言え

ケイは英語の細かいニュアンスがよくわからなかったが、少なくとも自分の脳みそでひねり出した直訳より、よっぽど気の利いた言い方であることはわかった。

『本日はお招きに預かり光栄至極、狩人のケイイチ=ノガワ、参上仕りました』

よし、それでいい。……多分な

助かったよ、ありがとう。見ての通り異邦人でな、言葉の違いに苦労してるんだ

なぁに、まだよく喋れてる方さ。ほれ、ここがお前の目的地だ

数ある中でも、指折りに良質な布地の天幕を顎で示して、軍人が言った。

あっ! そうだ、お前に礼儀作法を教えたのが俺だってことは言うなよ。万が一、失礼があった場合は責任を取り切れんからな……

軍人が真面目くさった口調で釘を刺してくる。

俺は田舎者だからな

ケイも空とぼけた調子で応じた。

誰(・)に(・)作法を教わったかなんて、もうすっかり忘れてしまったよ。俺のマナーの先生は、恩知らずな生徒だと怒るかもしれないな

安心しろ。きっとお(・)前(・)の(・)先(・)生(・)は、そんなことで腹を立てるほど狭量な奴じゃないさ……多分な

ケイと軍人は顔を見合わせて、ニヤッと笑ってから別れた。

さて。

天幕だ。

入り口には物々しく、槍を携えた警備兵の姿まである。どうにも気が重い……

警備兵に召喚状を渡すと、 拝見します と受け取ったひとりが、天幕の中に引っ込んだ。

ケイチ=ノガワが出頭したようです

よし

ガシャンガシャンと金属鎧の音が近づいてきた。

来たか

ヌッ、と天幕の薄暗闇から、ガタイのいいフル装備の騎士が姿を現した。目的地はまだ遠い行軍のさなかだというのに、この重装備……薔薇の花や蔓、駆ける馬などの装飾が施されたかなり高級な鎧であり、身分の高さを窺わせる。

入れ、ケイチ=ノガワ

クイと手招きする騎士。バイザーを下ろしているせいでその顔は見えない。しかしこのつっけんどんな、堅苦しい声……どこかで聞いたことがあるような……

こちらに御座(おわ)すは、飛竜討伐軍の総指揮官アウレリウス公子―

―まさか公子その人がいるのか!? と目を剥きそうになるケイだったが、

―の、後見人たる公国宰相ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー閣下だ

なんだ公子じゃないのか……

(いや、公国宰相!?)

やっぱり大物じゃないか!! と目を剥くケイ。

くれぐれも失礼のないように。いいか。くれぐれも失礼のないように……!

ズイと顔を寄せて、念押しする騎士。ケイとて決して無礼を働きたいわけではないが、それにしてもそんな人物が自分に何の用だというのか。

あと、兜の下から響いてくる、真面目が服を着ているようなこの声……やはり聞き覚えがあるような……

モヤモヤした気持ちを抱えつつも、目線を下げて天幕に入ったケイは、中で椅子に腰掛けて待ち受けるお偉いさん―宰相閣下の靴を視界の端っこに収めて、その場に跪いた。

本日はお招きに預かり光栄至極、狩人のケイイチ=ノガワ、参上仕りました―

めっちゃ手の込んだ絨毯敷いてるなー、などと考えながら、棒読み気味に名乗る。

……面を上げよ

厳かな声が響き、ケイは素直に顔を上げた。

そして今度こそ、目の玉が飛び出そうなくらい驚く羽目になった。

眼前に腰掛ける、公国の宰相閣下とやら。丸顔に団子鼻、どこか愛嬌のある目元。顔に見覚えがあるとかないとか、そういう次元ではなかった。

初めて出会ったのは公都の図書館で、銀色のキノコヘアーだった。

次に出会ったときは、つややかでサラサラな茶色のロングヘアーだった。

だが今回は。

もう最初から。

ツルッとした頭を、丸出しにされておられる。

『ヴァルグレン=クレムラート』―その人物は、そう名乗っていたはずだった。

公都図書館が誇る”大百科事典(エンサイクロペディア)“の著名な編集者の一人であり、希少な癒やしの力を持つ”白光の妖精”と契約する魔術師であり、夜中に開閉できないはずの公都の第1城壁の門を出入りできる『お偉いさん』であり―

いやでも、まさか、公国宰相とは―

公国宰相、ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー伯である

威厳に満ちた表情で、ヴァルグレン―いや、ヴァルターは告げる。

ケイチ=ノガワ。此度の参上、大儀であった

そしてその威厳を崩すことなく、パチンとウィンクした。

あまりにも久々なので念のため補足しますと、 幕間. Urvan 35. 助言 62. 星見 に出てきた人です。

今回は装いも新たに登場でした。

105. 宰相

前回のあらすじ

(`・ω・) ……。

(`ゝω・)

↑公国宰相ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー伯

くれぐれも、失礼のないように……!

今一度、押し殺した声が背後から響いてきて、ケイはハッと我に返った。

まじまじとヴァルグレン―もとい、宰相ヴァルターの顔を凝視していたところ、慌てて視線を逸らす。

―そしてこの声、思い出したぞ。

背後に控えている、重装備の騎士。ヴァルグレン氏のお付きの、堅物な騎士っぽいやつだ。騎士っぽいというか実際に騎士のようだが、確かカジトールだかカモミールだか、そんな名前だったはず。

直答を許す。我が盟友ヴァルグレンより、そなたの話は聞いておる

厳かな声で、ヴァルターは告げる。

我が盟友。つまり 別人だから、そこんとこよろしくね というわけだ。この場においてヴァルターは公国の重鎮。いかに図書館や天体観測などで親しくさせてもらっていたケイでも、馴れ馴れしく振る舞うことは許されない―

ははーっ!

どう答えていいかわからなかったので、さらに一礼するケイ。

聞けば、そなたの妻は身重だそうだな。大事な時期に家をあけるのは辛かろう

そこまで知られている、という事実に、ケイはおののいた。これがヴァルグレン氏なら、 よくご存知で! とびっくりするくらいで済んだろうが、宰相にまで近況を把握されているとなると、酷く落ち着かない気分になる。

(第一『辛い』も何も、お上(あんたら)の都合で家をあける羽目になったんだが)

そう思いながら、チラッとヴァルターの顔色を窺うと、相変わらず厳(いかめ)しい顔だったが、その瞳にはちょっとだけ申し訳無さそうな色もあった。

……はっ。赤子のため、大好きな酒を断って苦しんでいるようです

相槌を打つだけでは芸がないので、少しだけ言及しておく。ヴァルターが、真面目な表情はそのままに、 んフッ と小さく笑った。

オホン

背後でわざとらしく、騎士が咳払い。(やれやれ、おちおち世間話もできんな)とばかりに、口をすぼめるヴァルター。

……さて、此度そなたに来てもらったのは、他でもない。狩猟に関してだ

どうやら本題に入るらしい。椅子に座り直すヴァルター。

(狩猟? やはり何かまずかったか……?)

隊から離れて、積極的に夕飯の献立を豊かにしに行っていることだ。一応、時間内に戻ってくる分には、そして成果を上げる分には、許可されているはずだが。

というより、なぜ一般狩人に過ぎない自分の動向が、こんな上層部にまで把握されているのか……。

そなたほどの狩人であれば知っておるやもしれぬが、このあたりから辺境ガロンにかけての地域は、猛禽類が非常に多い

突然始まる鳥類の話に、ケイは面食らった。

だが―内容については理解できる。あくまでゲームとしての DEMONDAL での話だが、このあたりのエリアは大型猛禽類の宝庫として知られており、ケイのような弓使いのプレイヤーには人気の狩猟スポットでもあった。

『こちら』に転移して以来、専ら食用のウサギや鳥を狩るばかりで、猛禽類はスルーしていたケイだが、ゲーム内では全鳥類の羽根をコンプリートすべく、目を皿のようにして猛禽類を探し、超レアなアルビノなんかを見つけた日にはテンション爆上がりしていたものだ。

そして、公都ウルヴァーンと我らが飛竜討伐軍の間では、伝書鴉(ホーミングクロウ)によって定期的に連絡が取られている……

少々もったいぶった口調で、ヴァルターは続ける。

話がちょっと見えてきた。

無論、複数の伝書鴉を運用することで、不測の事態には備えてはあるが……此度の栄えある飛竜狩りで、まかり間違って公子殿下のお心を煩わせることは許されぬ。故に我ら臣下は、ありとあらゆる可能性を想定し、万全を期さねばならないのだ

そこで、そなただ―と身を乗り出すヴァルター。

この飛竜討伐軍において、そなたを”Archducal Huntsman”に任命する

アークデューカルハンツマン……!?

オウム返しにするケイ。

意味がわからない。

ヴァルターの言動が意味不明、というわけではなく、単純に、単語の意味がわからない……!!

おおいに焦るケイをよそに、背後の騎士がつかつかと歩み寄ってきて、何やら書類じみたものを差し出してきた。

羊皮紙に長々と文言が書き込まれており、大きめの身分証のようにも見える。文末には、おそらくヴァルターのものと思しき署名。

辞令だ。身分証も兼ねているので、紛失しないように

つっけんどんな口調で、ケイの手に書類を押し付けてくる重装騎士。

現時点をもって、そなたは原隊を離れ、飛竜討伐軍の行動範囲内において、そなたの裁量で行動する権限を得た。そなたの任務は、付近一帯の伝書鴉の障害となりうるものを排除し、通信の安全性をより高めることである

ここで、おどけたようにヴァルターが口の端に笑みを浮かべる。

そなたほどの狩人であれば、猛禽と伝書鴉を見間違えることもあるまい?

……はっ! それだけはありえません

ケイにとっては、赤と青を区別するくらい簡単だ。

よろしい。……無論、そなたが全力を尽くしたところで、軍そのものが移動しつつある都合上、全ての障害の排除は難しかろう。万が一、不測の事態が発生したとしても、ただちにそなたの責を問うことはない。いずれにせよ、たとえ微々たる影響しか及ぼさぬとしても、我らは万難を排す覚悟で臨まねばならないのだ

要約すれば、伝書鴉が途中で襲われたら面倒だから、ここら一帯の猛禽類を事前に狩っておいてね。でも流石に狩り尽くすのは難しいだろうし、万が一不測の事態が起きても、全部が全部きみの責任にはならないから安心してね。ということだろう。

また、狩りの成果を提出すれば、そなたの献身に報いるだけの追加報酬は出そう。詳しくはその者に聞くように

重装騎士を示しながら。

追加報酬! 思っても見なかった話だ。公国宰相が直々に持ちかけてきた案件で、はした金ということはあるまい。

……はっ! ありがたき幸せ!

現金なもので、(ボーナスタイムだ!)と喜びながら一礼するケイ。

どちらかといえば、こちらがメインかもしれない、という気がした。アイリーンが妊娠中なのに呼び出してしまったことに対する埋め合わせなのだろう。

うむ。武闘大会での活躍は聞いておる。そなたほどの狩人がおれば我らも心強い、期待しておるぞ。……そして、我が盟友ヴァルグレンより、よろしく、と

付け足された言葉は、優しく響いた。

さがってよい

ははっ……!

ケイはもう一度ヴァルターの顔を見てから、深々と頭を下げ、その場を辞した。

薄暗い天幕から日なたに出ると、まるで別世界から帰ってきたような気分だ。

報酬についてだが

一緒に出てきた件の重装騎士が、付近の大きな天幕と、その横の大きな竜の旗を掲げた馬車を指差す。

あちらの参謀本部に狩りの成果を持っていけば、都度、相応の銀貨が支払われる

おお……!

破格。破格の報酬といっていい。

ケイの能力なら、金貨を稼ぐのだって夢じゃない。

その他、細々とした注意点や、成果を提出しに来るのに向いている手すきな時間帯などを教えてもらう。

何から何まで、大変ありがとう。ええと―

この騎士の名前。

(カモミールなら、流石に特徴的すぎて覚えているはずだ。であれば―)

消去法的に考えたケイは、

ありがとう、カジトール卿

愛想よく笑顔で言う。

私の名はカジミールだ

カシャッ、とバイザーを跳ね上げた騎士―カジミールは、ケイの記憶にある通りの、堅物が服を着ているような不機嫌な仏頂面で応じた。

あっ、それは、失礼を……ええと、それではごきげんよう

ケイは逃げるようにして、その場をあとにした。

(何はともあれ、自由の身になったことだし……)

懐に、大事にしまい込んだ書類。

(単語の意味もよくわからないし、ここはバイリンガルを頼るか)

彼(・)の様子も気になっていたので、ちょうどいい。

この飛竜討伐軍に、サティナの軍団の一員と同行している、もう一人の顔見知り。

“流浪の魔術師”こと同郷の日系人・コウに会いに行くべく、ケイはサティナの旗印を探し始めた。

106. 同郷

前回のあらすじ

(`・ω・) そなたを”Archducal Huntsman”に任命する!

(;゜Д゜) 何ですかそれは!?

ウルヴァーン本隊のあとには港湾都市キテネの軍団が続いており、サティナの軍団はどうやら殿(しんがり)のようだった。

港湾都市キテネは、文字通り沿岸部に位置する。ここまで遠路はるばる歩き通しのキテネの軍団は、曇天のもと、砂埃にまみれていることもあって、お疲れムードを漂わせていた。

休憩時なので、今は殊更だらけているのもあるかもしれないが、こんな調子で辺境のガロンまで大丈夫なのか、他人事ながら心配になる。

それに対し、サティナの兵士たちは、まだ出立したばかりで元気そうだ。仲間に囲まれて踊るお調子者や、何やらレスリングじみた運動に興ずる者たちまで。

おっ、“地竜殺し”だ!

よーう、調子はどうだい!

今(・)回(・)も頼りにしてるぞー!

サティナの面々には広く顔を知られているケイは、行く先々で気さくに声をかけられた。

おかげさまで元気さ。領主様お抱えの”流浪の魔術師”殿に用があるんだが、どこにいるか知らないか?

快く応じながら、コウを探す。

聞けば、お抱え魔術師たちは皆、専用の馬車を割り当てられているらしく、そちらを目指すことにした。青い旗を掲げた馬車の群れ。訪ねて回ることしばし―

『やあ、ケイくん。数日ぶりだね』

お目当ての馬車が見つかった。いかにも魔術師らしいローブを身にまとう、どこかくたびれた雰囲気を漂わせる日系人。

“流浪の魔術師”こと、コウタロウ=ヨネガワだ。

『どうも、こんにちは』

会釈しながら、母国語のありがたみが身にしみる。先ほど未知の単語で焦りまくっただけに、なおさらだ。

『義勇隊(そっち)はどんな感じ? あ、上がってよ、狭いけど』

こじんまりとした馬車の扉を開いて、手招きするコウ。

『お邪魔します』

特に気負うことなく乗り込んだケイだったが―

こんにちは

思わぬ先客の姿に、固まってしまった。……狭い馬車には、コウの他、もう一人顔見知りの女性がいたからだ。

こ、こんにちは。ヒルダさん

挙動不審になりながらも、どうにか挨拶を返す。

黒を基調に、メイド服をベースにしたような旅装の、上品な女性。それはコウが身を寄せる、サティナの領主邸宅で度々世話になっていた、使用人のヒルダだった。

VIP待遇の魔術師に使用人がついているのは、何もおかしいことではない。だが女性が? しかも狭い車内で二人きり? もしかして自分はお邪魔虫だったのでは、しまった出直すべきか―

そんな思考がグルグルと巡るケイをよそに、コウとヒルダはごく自然体で、 悪いけどお茶をお願いできるかな、ヒルダさん かしこまりました、コウ様 と言葉をかわしている。

では、用意して参ります

ケイと入れ替わりに、馬車を出ていくヒルダ。

ふぅ、と溜息をついて座席に背を預けるコウと、何をどう言ったものか迷うケイ。

『えーと……リア充爆発しろ?』

『既婚者がそれ言う?』

二人は顔を見合わせて、困ったように笑いあった。

『びっくりしました。まさか……“丘田(おかだ)さん”がここにいるなんて』

頭に手をやりながら、馬車の外を見やってケイは言う。

丘田というのはコウが発案したヒルダのあだ名だ。丘は英語でHill、そこに田を足して丘田(ヒルダ)。日本語で会話しても固有名詞はそのままなので、本人に聞かれてもバレないように言い換えている。

『僕もねえ、まさか彼女がついてくるとは思ってなかったよ』

コウも戸惑いがちに答えた。

『大丈夫なんですか? こんな行軍についてくるなんて、何というか、その……』

『妙齢の美人メイド、おっさん魔術師、狭い馬車で二人きり。何も起こらないはずがなく……ってな感じかい?』

おどけたようにお手上げのポーズを取ってみせるコウだったが、がっくりと肩を落として溜息をつく。

『実際ねえ。領主様が彼女を寄越してきたのは、そ(・)う(・)い(・)う(・)意(・)図(・)があってのことだと思うよ。自分で言うのもなんだけどさ、僕ってほら、最前線に配置される可能性が高いから……』

『うわー、やっぱそうなんですか……』

コウは氷の魔術師であり、“飛竜(ワイバーン)“のブレス―火炎放射への数少ない対抗策でもある。攻城兵器や前線指揮官を守るため、攻撃部隊の中心に据えられるのは、まず間違いない。

言うまでもなく危険な役割だ。訓練を受けている戦士でもなし、いつ臆病風に吹かれて逃げ出してもおかしくない。そして、いわゆる由緒正しき家々出身の魔術師とは違い、流れ者であるコウには社会的に縛るものがない。

―なら、縛っちゃえ。

つまり、そういうことだろう。ヒルダは上級使用人で、本人は授爵こそしていないものの男爵家出身だったはず。

飛竜討伐軍に派遣され、しかも流れ者の異邦の男性に仕えさせられている時点で、けっこう酷い扱いだが―そんじょそこらの一般人ではない。お手つきにしてもいいから頑張ってね、という領主側の無言の圧力を感じた。

『まあ……正直なところ、彼女がいてくれて助かってるのは事実だ』

コウは極めて渋い顔で認める。

『何せ、こんな馬車に缶詰じゃロクな娯楽がなくってね……』

『……えっ、まさか……』

『……ああいや違う違う、そういう意味じゃない!』

やはり自分はお邪魔虫だったのでは―とビビるケイに、一拍置いて、語弊を招く言い方であったこと気づいてコウが慌てて手を振った。

『そうじゃなくて! 話し相手とか、遊技盤(チェス)の相手とか、そういうことだよ!』

バッ、と折りたたみテーブルの上の、遊びかけの盤面を指差すコウ。どうやら一局指している途中だったらしい。

『彼女とは健全な関係だから! まだ手は出してないから!』

『ま(・)だ(・)……?』

『あっ、いや、その……』

コウは深く溜息をついて、座席に沈み込んだ。

『……ケイくん、こんな密室でさ。向こうがその気だったら、男ができる抵抗なんてたかが知れてるよ……』

『まあ、もちろん、気持ちはわかりますが……あっ、自分は、決して非難してるわけじゃないんで、悪しからず。むしろ仕方ないっつーか』

『そう言ってもらえると助かる。既婚者という点も心強いね』

『いやー言うて自分は恋愛結婚ですんで……相手も国籍こそ違えど同郷ですし』

『ン……まあそうなんだけどさ……』

頬杖をついたコウは、おもむろに盤面の女王(クイーン)の駒をつまみ、コツンと魔術師(ビショップ)を小突いた。

どうやら磁石が仕込んであるらしく、グラッと揺れるものの、倒れまではしない。まあ、移動中に馬車が揺れることを鑑みれば、これぐらい強度がなければ遊べたものではないだろうが。

『単純な色仕掛けなら、どうにか耐えられるんだけどね。四六時中一緒で同情を引くような言動を取られると、僕はそういうのに弱いんだ……時間の問題だよ……』

『アレな聞き方になりますけど、寝るときも一緒なんです?』

『拒否したら彼女だけ外で野宿』

ケイのあけすけな質問に、肩を竦めてみせるコウ。

ああ、……とケイは唇を引き結んだ。コウはそういうのに弱いタイプだ―

『……正直なところ、事実関係は抜きにしても、床を共にしちゃった時点で丘田さんの嫁入り先は限定されるでしょうし……責任を取った方が楽になれるのでは』

ケイの容赦ない意見に、コウは両手で顔を覆った。

『そうだよね……そうなるよねぇ……』

そのとき、神妙な顔をしながらも、ケイは思う。ケイとアイリーンもことあるごとにアレコレ言われたものだが、確かに、他人のこういう話題は楽しい……! コウには気の毒だが。

影の魔道具でアイリーンと通信するとき、話のネタができた。

『ちなみに、肝心の丘田さんはどんな感じで……?』

『……言い渡されたお役目とはいえ、実は、前々からお慕いしていました……みたいなことを囁きかけてくる。でもさ、こんな外人のおっさんに、良家の娘さんが恋するなんて、そんな恋愛小説でもあるまいし……僕に少しでも気に入られようと、心にもないこと言ってるんだろうなぁ、と考えたら気の毒で気の毒で』

『あ~……』

いずれにせよ、その台詞は遺憾なく効力を発揮しているわけだ……。コウの陥落はそう遠くないな、とケイは思った。コウを狙っているであろう、もうひとりの同郷、豹耳娘(イリス)には気の毒だが。

お待たせしました、お茶をお持ちしました

と、金属製のポットとカップを手に、ヒルダが戻ってきた。

ありがとう、ヒルダさん。いつもすまないね

コウが座り直しながら、何事もなかったように穏やかな笑みを浮かべる。ヒルダも自然に微笑み返し、お茶の用意をしながら、コウの隣に楚々と腰掛けた。

いえいえ。ケイさんも、どうぞ

ありがとうございます

お茶を受け取りながら、(なんかもう長年連れ添った夫婦みたいな距離感だな)とケイは呑気なことを思った。

『こんな外人のおっさんに』とコウは卑下していたが、……まあヒルダが恋(・)し(・)て(・)いるかは別にしても、傍から見る分には、案外まんざらでもないんじゃないか、という気がした。

コウは言うまでもなく、この世界ではトップクラスの魔術師だ。しかも希少な氷の精霊との契約者。冷蔵庫は作る先から飛ぶように売れていくし、その他、高度な魔道具だって何でもござれ。出自なんて関係なく、才覚だけで新たに家を興せるレベルの男だ。

しかも、こう見えてかなりの杖術の使い手でもあるので、ゲーム由来の肉体はほどよく鍛えられている。ゲーム内では熟練プレイヤーから初心者まで容赦なく殴り殺す無法者だったが、現実では思いやりのある紳士で、女性にも優しい。

翻ってヒルダ。女性にしては背が高く、割とがっしりめの体格をしている。顔立ちは凛々しいタイプの美人、それでいてその所作は柔らかく上品だ。聞けば、海原語(エスパニャ)と高原語(フランセ)を話せ、雪原語(ルスキ)さえも学んでいるとか。意志の強そうなキリッとした瞳は、彼女の豊かな教養と知性を覗わせた。

そんな、男爵家出身の才媛なのに、飛竜狩りに派遣されたり、異邦人に仕えさせられたりと、扱いが雑なのが気になるところだが―それだけ領主側がコウを重視しているというポーズなのか、それともヒルダの実家での立場がそんなに良くないのか。

いずれにせよ、ヒルダの立場から見ると、コウはかなりの優良物件だと思う。

ふと、対局中のチェス盤に視線を落とすと、―ケイは決して優れたチェスプレイヤーではないが―かなり白熱した戦局であるように思われた。というか、おそらくヒルダ側が押している。

コウに忖度することなく、いい勝負をしても大丈夫、そんなことでヘソを曲げられることはない、とヒルダが安心して指せる程度には、信頼関係があるわけだ。

(―割とお似合いなのでは……?)

行儀よくお茶を口にしながら、そんなことを考えるケイ。

『ところで、僕に用事でもあったのかい? 少し焦ってるようにも見えたけど。長々と喋っておいてなんだけどさ』

改めて日本語で、そして話題もさっぱりと切り替えて、コウが話しかけてきた。

いくら言葉を聞き取られる心配がないとはいえ、本人を前に、センシティブな会話ができるほど豪胆ではない。ケイも、コウも……。

『ああ、それなんですが……実は先ほど、宰相閣下に呼び出されまして』

『誰に呼び出されたって?』

『宰相閣下です』

『さいしょうかっか……?』

コウが首を傾げている。日本語が流暢なので忘れがちだが、彼は英国育ちで英語がメインなので、日常的に使わない日本語は通じないことがある。

『Chancellorです。Chancellor His Excellency』

『えっ、あっ、さいしょうってその宰相か!』

コウはびっくりしているし、その隣でかしこまっていたヒルダも、突然の理解可能な思わぬ単語に驚いている。

『ほえーなんでまた?』

『それがなんか……新しい役目を俺に与えるとかで……Archducal Huntsman? とかいうのに任命されたんですが、意味がよくわからなくて』

コウに書類を差し出しながら、ケイ。

ざっと目を通したコウは、 あー と声を上げた。

『確かにそういうことが書いてある。Archducal Huntsmanは、日本語で言うなら……そうだな……、なんて言えばいいか』

あっという間に読み終わって、自然に隣のヒルダにも紙面を見せながら、考え込むコウ。ヒルダも書類を一瞥して、 わあ、おめでとうございますケイさん などと言ってきた。

『Archdukeが、この国の王様、つまり大公って意味なんだ。Archducalは『大公の』という形容詞で、キングに対してのロイヤルみたいな単語なんだけど』

ここが公国じゃなくて王国だったら、ロイヤルハンツマンだったというわけだ。

『ああ、なんとなくわかりました。王様お抱えの狩人的な』

『そうそう。なんかなー、これを言い表すのに、何かいい感じの日本語があった気がするんだけど。王に近いエスコートみたいな単語で……ちか……ごえい……ああそうだ、近衛だ! 近衛狩人ってとこかな』

『このえかりうど』

強そう。

ヒルダさん、この役職について何か知ってる?

英語に切り替えて、コウが尋ねる。

はい。確か、公王陛下直轄の森や狩猟場において、管理維持を任される役人だったと記憶しています。特例的に、この飛竜討伐軍において、それと同等の権限を与える旨が記されていますね

ははぁ、なるほど……それで、権限とはどんなものが?

申し訳ありません、具体的な法規までは。ただ、聞きかじった話ですが、公王陛下主催の狩猟会で、警備のため近衛狩人が100人ほどの兵士を率いたことがあるそうで、裁量は軍の百人長と同等ではないかと。狩猟に関することに限る、と条件はつくでしょうが

しかし、なんだってケイくんが任命されたんだい?

それがですね……

ケイが伝書鴉の安全確保のため、障害となるものを片っ端から狩るよう要請されたことを説明すると、ふたりとも なるほど と感心していた。

『つまり、軍団長とか高位の貴族とかに絡まれない限り、通信の保全をタテに干渉を突っぱねられるだけの権限を付与しつつ、それでいて軍への指揮権は持たないという絶妙な采配だねこれは』

『ははぁ、そんな意図が……つまり、勝手に狩りしてていいよ、というお墨付き以外の何物でもないってことですかね』

『身も蓋もない言い方をするなら、そうだね』

コウに太鼓判を押されて、ケイはようやく安心したように座席に身を預けた。

『良かった。これでホッとしましたよ、自分が何になったのかわかんなくて……』

『言葉がわからなかったらそうだろうね。僕だって急に宰相に呼び出されて、お前を近衛狩人に任命する! とか言われたらビビるもん』

おどけたコウの言葉に苦笑しつつ、お茶を一口。今更のように、旅の道中でありながら、香り高い高級なお茶であることに気づいた。

味わう余裕もありませんでした。おいしいです

それはよかったです

ヒルダもくすくすと笑っている。

さて、それじゃあ、自分はそろそろ失礼します。せっかく任命されたんで、役目を果たさないと。コウさん、改めてありがとうございました

いやいや、お役に立ててよかったよ。あんまり根を詰めないようにね……といっても、きみは狩り好きだから、むしろ楽しめるかな?

はは、実は猛禽を一羽狩るごとにボーナスがつくんですよ

ケイがニヤリと笑って指で輪っかを作って見せると、コウもヒルダもからからと笑っていた。

そりゃあいい。じゃあ、頑張っておいで

はい。ヒルダさんも、美味しいお茶をありがとうございました

いえいえ。精霊様の御加護がありますように

そんなわけで、ケイは馬車をあとにした。

チラッと振り返れば、中でコウとヒルダが何事か話しているのが見える。

ケイが去ったというのに、ヒルダは隣りに座ったまま。

『……お似合いだと思うんだよなぁ』

ふふっと笑いながら小さく呟いて、ケイはコキコキと首を鳴らしながら、元いた義勇隊に戻ることにする。

ひとまず、マンデルをはじめ仲間たちに事の顛末を伝えてから、『近衛狩人』としての任務を果たしにいくことにしよう。

……銀貨のボーナスも、欲しいことだし。

107. 一狩

寒空の下、ウサギが一羽―

草原の只中で、耳をピクピクさせながら草をはんでいる。

周囲を警戒しているつもりなのだろう。だがそのウサギは、自らがどれほど危機的状況にあるかを、まるで理解していなかった。

ウサギから、三十歩ほどの距離。

サスケにまたがるケイの姿があった。

ウサギも、ケイの存在は認知していた。 だけどこれくらいの距離があれば大丈夫だろう、人間は鈍いし とでも思っているようだった。その手の”竜鱗通し”が何なのかを、ウサギは理解できない。そこにつがえられた矢の意味も。

ケイがウサギを捕捉してから、かれこれ数分が経っていた。もしもケイがその気であれば、ウサギは既に四、五百回は死んでいただろう。比喩表現や誇張ではなく統計的な事実として。

だが、ウサギは今も生きながらえている。

なぜか? それはケイがちらちらと空を見上げていたからだ。

何かの様子を―タイミングを計るように―

フッ、とウサギに影がさした。

音もなく、まるで流星のように、猛禽が舞い降りてきたのだ。

それは鷲(ワシ)だった。翼は広げれば優に二メートルを超えるであろう大物。胴体は茶と灰色のまだら模様で、頭の部分だけが初雪のように白い。頭部には冠状の羽毛を生やしており、まさに空の王者といった風格を漂わせていた。

ぎらりと、大振りな爪を光らせて―呑気に草をはんでいたウサギを狙う。果たして獲物は、弾かれたように逃げ出した。『脱兎のごとく』と言葉になるだけあって、それはもう見事な逃げっぷりを披露する。

だが、その全力の疾走も、天空から襲い来る捕食者の羽ばたきには、わずかに及ばない―鋭い爪がウサギの背を抉る―

と、思われた瞬間。

カァン! と唐竹を割るような快音。

鷲の爪は届かなかった。ドチュンッと水気のある音を立てて、必殺の一矢がその身を貫いたからだ。空の王者は一転、獲物と化し、それでいて地に堕ちるより先に空中で散った。

あわやというところで、九死に一生を得たウサギ。

―が、鷲を貫いた程度で”竜鱗通し”の矢が止まるはずもなく。

そのまま直線上にいたウサギにも襲いかかった。

―キュィッ!

断末魔の叫びじみた悲鳴とともに、矢を受けたウサギがひっくり返る。

よしっ

当然のように、一石二鳥ならぬ一矢二羽をキメたケイは、ご満悦でサスケから飛び降りた。心なしか弾む足取りで、成果をチェック。

鷲は首の付け根あたりを貫かれ、即死だった。それでいて肉体の損傷は最小限に抑えられており、さぞかし立派な剥製になるだろう。

そして、ウサギも虫の息。サクッととどめを刺して血抜きを始める。

うーむ、もういなさそうだな

空を見上げて、 こんなもんか と頷くケイ。近寄ってきたサスケの鞍に、立派な鷲をくくりつける。

一日の稼ぎとしては充分だろ。今日はこれくらいにしておくか

続いてウサギもくくりつけ、サスケの手綱を引いて歩き出す。

―くるりと向きを変えたサスケの反対側の鞍には、びっしりと、鷹や鷲といった猛禽類が吊り下げられていた。

……あ、もうちょっとお土産も狩っとくか

思い出したように、今しがたウサギの仕留めたばかりの、血塗られた矢をつがえて草原に視線を走らせるケイ。

―いた

引き絞って、リリース。

カヒュンッと軽やかな音とともに矢が飛んでいく。

そしてまたその先から、 キュイッ! と短い断末魔の叫び。

~~♪

口笛を吹きながら回収に向かうケイ。どことなく呆れたような顔を見せるサスケ、鞍で揺れる無数の獲物たち。『この世界』に来てから、おそらく最大効率で、ケイはその才能を遺憾なく発揮していた。

革のマントをはためかせる寒風だけが、戦々恐々としているようでもあった―

†††

時を遡ることしばし。

コウと別れたケイは、一旦、義勇隊の皆に事の顛末を伝えることにした。

おお、ケイ。……生きて帰ったか

明るい顔で戻ってきたケイに、マンデルはホッとした様子を見せる。

ああ。どうにか無礼討ちされずに済んだよ

それは何より。……それで、いったい何の用事だったんだ?

それがだな―

かいつまんで説明する。参上したらまさかの宰相閣下だったこと。伝書鴉の通信の保全のため狩りを依頼されたこと。そして近衛狩人なるものに任命されたことなど。

ほっほう、近衛狩人ですか!

横で話を聞いていた、ぽっちゃり系の田舎名士の次男坊・クリステンが感嘆の声を上げた。

知ってるのか?

ええ、書物で読んだことがあります! 出自に関わらず大変優れた狩人のみが任命される、大変名誉な役職だとか……!

ほほー

大物狩りとして既に名誉をほしいままにしているケイは、現時点でさらなる名誉は求めていなかったが、それでも尊敬の眼差しで見られるのは気分が良かった。

近衛狩人という、なんか強そうな字面も気に入っている。それでいて大仰な名前の割に、大した責任が付随していない点もポイントが高い。

そういうわけで、俺は義勇隊を離れることになった

ケイが告げると、マンデルも含めて皆がシュンと悲しげな顔をする。

そうか。……それは残念だ

寂しくなるな……晩飯が

彩りが……

現金な奴らだ、と思わず苦笑する。

安心してくれ。何か食えそうなモノを仕留められたら、お裾分けに来るからさ

ケイの言葉に、パッと表情を明るくする面々。

よっ、旦那! 太っ腹!

さっすが公国一の狩人!

近衛狩人、ばんざーい!

やんややんや。やっぱり現金な奴らだ、とケイも笑みが溢れた。

それに、どうせ―

夜になったら戻ってくるし―と言いかけて、言葉を飲み込んだ。もしかしたら、コーンウェル商会の馬車で厄介になるかもしれないと思ったからだ。

昨晩、野宿をしてみて気づいたが、アイリーンと影の魔道具で通信しづらい。一般部隊の野宿には、明かりがほとんどないからだ。反対に馬車の近くでは獣避けや防犯のため何かしら火が焚いてあるので、影の魔術を使いやすい。

さらに、臨時収入でキャンプ用品を増強しても、コーンウェル商会なら馬車に載せてもらえそうなのはデカかった。

そういうわけで、たぶん、夜はコーンウェル商会の馬車に身を寄せることになる。皆には悪いが……。

ともあれ、そういうわけさ。隊長殿(フェルテン)にも伝えておいてもらえるか? 問題がありそうなら、俺が書類を見せて直接対応するからさ

わかったー、頑張れよー、などと皆の声援を背に。

ケイは意気揚々と”任務”に取り掛かるのであった―

†††

―夕方、参謀本部に猛禽類を提出しに行ったら、担当者が目を丸くしていた。

……こんなに!? 今日一日で仕留めたのか? 嘘だろ……

木箱に板を敷いただけの簡易机の上に、どっさりと山積みの猛禽類。周囲の軍人がぞろぞろと集まってくる。

これは見事な鷲だな……

見ろよこの尾羽根、いい矢になるぞ

あ~~~これ生きてればなぁ、飼いたかった……!

感心する者、はしゃぐ者、恨めしげに見てくる者―反応は様々だった。非難がましい視線には肩身が狭い思いをしつつ、報酬の銀貨を受け取る。

革袋にぎっしり、ずっしり。これは飛竜狩りの”行き”だけで金貨数枚は稼げるな、とケイは確信した。

少なくとも、狩り尽くさない限りは。逆に帰り道にはあまり期待できないかもしれない。街道沿いの森にはまだ生き残りがいるだろうが、それにしても大幅に数を減らしてしまうだろうから。

貴様……弓の腕前は大したものだが、全滅させたらタダじゃおかんからな……!

鷹好きと思しき軍人が、若干血走った目でケイの肩を掴み、唸るようにして言う。 宰相閣下のご命令なので と抗弁しても、理屈が通じそうにない目つきだった。

いや、これでも若い個体や雌は避けたんだ

闇雲に狩ったわけじゃない、と主張するケイに、鷹好き軍人が固まる。

なん……だと……

振り返ってよくよく見れば、鷹好きゆえに気づいてしまった。机の上に並ぶのは、ほとんどが雄であるという事実に……

再来年には数は回復するから……たぶん

さら……ええ……?

鷹好きが呆然とした隙に、本部を脱出。

ケイは晴れて自由の身となった。

銀貨の袋は、ぴっちりと革紐で口が縛ってあり、ポケットにそのまま放り込んでもチャラチャラと音を立てない。

あからさまに大金を持ち歩くと、懐が寂しい兵士が気の迷いに駆られかねないので非常に助かる。このあたりも、きちんと考えられているんだろう。

さて……ちょっと行商人たちでも覗いてみるかな

義勇隊の皆のためにウサギは確保済みだが、せっかく臨時収入もあることだし、何かお裾分けがあってもいいだろう。

ついでに、コーンウェル商会の馬車に、近くでキャンプを張っていいか打診もしておこうか。ケイなら二つ返事で了承をもらえるはずだ。晩飯は義勇隊の皆と摂ってもいいし、商会にも肉を持っていって、ご相伴に預かってもいい……

~~♪

サスケの手綱を引きながら、ケイは自然と、鼻歌交じりに歩いていた。地球で流行っていたポップミュージック―

(―そして日が沈んだら、)

曇り空の合間から覗く、夕焼けを見上げてケイは微笑んだ。

(アイリーンに連絡を取ってみよう)

おそらくこの世界で初になるだろう、遠距離リアルタイム通信での恋人たちのひとときだ。

~~~♪

自然と足取りも軽やかになる。

その浮かれっぷりたるや、きつく口を縛ってあるはずの銀貨の袋さえ、チャリッと涼やかな音を立てるほどだった。

108. 交信

前回のあらすじ

鷹・鷲・兎

従軍商人の馬車を巡り、色々と買い物をしたケイはご機嫌だった。

(やはり買い物はストレス解消になるな……!)

商品はどれも割高であり、今日の報酬はほぼほぼ使い切ってしまったが、全く後悔していない。

こんな行軍で、銀貨を後生大事に貯め込んでいても仕方がないのだ。紙幣と違って重いし、嵩張るし、行軍で疲れ果てた兵士たちに妙な気を起こさせるかも知れない。

第一、どうせ明日になればまた手に入る。

なら使っちゃえ、そして行軍ライフをより豊かに便利にするのだ……とケイは開き直ることにした。

まず買い求めたのは、クッションや毛布の類だ。

いくらサスケを連れているとはいえ、旅にあまり嵩張るものは持ってこられなかったので、ケイの寝具や野営具は最低限に抑えられていた。

が、実際に野宿してみた思ったが、けっこう寒い。

諸々の道具を揃えるのに、色々アドバイスしてくれたアイリーンがロシア人であることを失念していた。 ロシア人は寒さに強いんじゃねえ、寒さに負けないようガッツリ着込んでるんだ! と日頃から豪語していたアイリーンだが、ケイからすれば、やっぱりそこらの日本人より寒さに強い。

秋口にケイが長袖を着始めても、アイリーンはしばらく半袖のままだったし……。ほぼ100%ゲーム由来の筋肉質ボディで、体脂肪率が低いケイは、そもそも寒さに弱かった。

持ってきた毛布や皮のマントだけでは足りない。地面の最悪な寝心地も何とかするため、邪魔になるのを承知で、予備の毛布をしっかりと買い込んだ。

これらを全てサスケに載せたら負担になってしまうので、あとで残りの銀貨を引っさげて、コーンウェル商会の馬車と交渉するつもりだ。クッションみたいな軽いものなら、多分載せてくれるだろう。

次に、食料。

特に嗜好品の類だ。昨日は義勇隊の皆と侘しい食事を共にしたが、従軍商人の中には濃い目の味付けの料理をご奉仕価格(ボッタクリ)で提供している者もいた。

香辛料をたっぷりと使ったソーセージの香ばしい匂いに、ケイは抗うことができなかった。

立ったままかぶりついた、串焼きソーセージのこれまた美味いこと!

おっ、見事な食いっぷりだねえ。もう一本いくかい?

頼もう

毎度!!

と、店主に勧められるがまま、ぺろりと何本も食べてしまった。

(こりゃ、匂いを落としてからじゃないと義勇隊には近寄れないな……)

鼻のいい森歩きや狩人たちが多数いるのだ。自分だけ濃厚なスパイス臭を漂わせていたら、一発でバレてひんしゅくを買ってしまう!

いや、ケイに表立っては文句を言ってこないだろうが、絶対裏で羨ましがられる。……少しでも誤魔化せるように、ケイは義勇隊の皆への差し入れとして、香辛料の類も買い足すことにした。これで彼らの食事も少しは彩りが出るだろう。

そうして、デザートの新鮮な果物―みかんとオレンジの合いの子のような柑橘類―も平らげて、今日狩ったウサギ肉を、義勇隊へお裾分けしにいった。

また侘しい食事に逆戻りかと恐れていた義勇隊の面々は、ケイが約束通りウサギとともに姿を現したことで安心したようだ。

おれたちも、自力で確保しようとしたんだが

マンデルが、いち狩人として忸怩たる思いを滲ませていた。

……残念ながら、ケイほどには狩れなくてな

マンデルがかろうじて2羽仕留めただけで、他の狩人たちは1羽か、矢を無駄にしたかのどちらかのようだった。

近づいたら逃げられるし……

逃げられない距離からだと必中ってわけにもいかないし

そもそも見つけられねえよ……

と、狩人の面々は口惜しげにしている。普段、彼らは畑を荒らすイノシシや鹿なんかを相手にしていて、草原のウサギのように、すばしこくて小柄な獲物にはあまり慣れていないとのことだった。

ケイは、弓の腕もさることながら、抜群の視力で、かつサスケに乗って視点を高くして狩りに挑んでいるので、徒歩で慣れない獲物を狩ろうとしていた彼らと比べるのはあまりフェアとは言えなかった。

ともあれ、ケイが供給したウサギ肉と、お裾分けの香辛料に皆は大喜びだ。

ちゃっかりケイも夕食のスープのご相伴に預かってから、 また明日 と別れを告げて、今度はコーンウェル商会の馬車へ向かった。

交渉するまでもなく諸々に二つ返事でOKをもらい、馬車の直ぐ側のスペースを借りてテントを設営することになったのだった―

―よし

すっかり日も暮れて、夜番の兵士や護衛の戦士以外は、早々に眠りにつこうとしている。

ケイもまた、テントの中、新たに購入した毛皮やクッションでパワーアップした寝床にいそいそと潜り込んだ。

かなりいい感じだ。今夜はよく眠れるだろう。

泥棒避けの篝火の明かりが外で揺れている。夜番を担当する兵士や護衛の戦士たちの、かすかな話し声だけが響いていた。

テントの中はほぼ真っ暗闇だが、ケイの視力なら、入り口の隙間からかすかに差し込む光だけでも充分だった。

胸元から、アイリーン謹製・お守り型の通信用魔道具”小鳥(プティツァ)“を取り出す。

目覚めろ小鳥(プティツァ)

ケイがキーワードを囁くと、ズズッと手元の影が蠢き、かすかに魔力が抜き取られていく感覚があった。

これはサティナの自宅の魔道具”黒い雄鶏(チョンリピトゥフ)“と対になっており、今頃は”警報機”を応用した機構で、着信を知らせる呼び鈴が鳴っているだろう。

待つこと数十秒。手元で再び影が蠢き、ズズ……と文字を形作った。

『元気?』

アイリーンからの通信。彼女の手癖が再現された筆致に、思わず笑みがこぼれた。

元気だよ

外の夜番たちに気取られないよう、最小限の声量で答える。

『……良かった』

数秒後、返事があった。

そっちこそ、元気か?

『……ケイの目がなくなって、酒を堪えるのが大変』

アイリーンが断酒に苦しんでいるのは、このところいつものことなので―つまり元気というわけだ。

俺も、アイリーンと一緒に断酒続けてるから、頑張ろう

『……(大きな溜息)』

この通信機は出発前にテスト済みだったが、実際に使ってみると、字幕機能みたいで妙に可笑しかった。

そっちは、何か変わったことは?

『……特にない。飛竜討伐軍が何日で帰ってくるか、賭けが流行ってるくらい』

アイリーンは賭けた?

『……毎日明日に賭け続ける羽目になる。やめておく』

……一日でも早く会いたいのは、お互い様だ。

こうしてリアルタイムに連絡が取れるだけでも、この世界ではありえないほど恵まれているが。

……それがいいな

『……そっちは何か、ニュースは?』

ああ、そうだ。ビッグニュースがある

こっちには話題が山盛りだ。ケイは寝転がったまま、ぐいと通信機に向けて身を乗り出した。まるで目の前にアイリーンがいるかのように。

なんと近衛狩人に任命されたぞ

『……Что(シュト)?』

ロシア語での表示。英語で言うなら What? だ。

思わず母国語で はァ? と漏らしてしまったであろうアイリーンの困惑顔が目に浮かぶようで、ケイは周りに気取られぬよう、笑い声を噛み殺すのに必死だった。

それから、ぽつぽつと説明した。

ヴァルグレン氏が実は宰相だったこと。いきなり呼び出しを食らったこと。通信保全を建前にボーナスタイムに突入したこと。それからコウとヒルダについても。

アイリーンも、『……マジかよ!』『……やったじゃねえか!』『……おう、コウの旦那がそんなことに!?』『……イリスが泣くなぁ!』などと大盛り上がりで。

お互い、相手の言葉は文字で表示されているので、ちょっとした通信のラグを挟みつつ、久々の(二日ぶりだが、二人にとってはもっともっと長く感じられた)会話であることを鑑みても、話題は尽きる様子を見せなかった。

ケイはいつの間にか、傍らにアイリーンが寝転がっていて、戯れに至近距離で手紙のやり取りでもしているような、そんな錯覚に陥りつつあった。

きっとアイリーンも、ふたりの部屋のベッドに寝転んで、ランプに揺れる影文字を眺めながら、似たような気持ちを抱いているに違いない―

このまま夜が更けるどころか、朝まで語り尽くせそうな気分だったが。

残念ながら、1回あたりごくわずかとはいえ、自前の魔力を消費する魔道具なので徐々に限界が近づきつつあった。

肉体的な疲労に、魔力の消耗まで加わって、まぶたがどんどん重くなってくる。

『……眠いんだろ? 今日はこれくらいにしとこうぜ』

ケイの状態を察したのか、アイリーンが気遣いを見せた。

あるいは、気を利かした影の精霊(ケルスティン)が、『(眠たそうな目)』とでも表示したのかもしれない。

ホントは、もっと話したいけど……そうしようか

目をこすりながら、ケイは言った。

…………

名残惜しげに、手の中の魔道具に視線を落とす。木の板に水晶や宝石が組み込んである作りで、どことなく地球のスマホを彷彿とさせるデザインだった。

画面なんてないけれど―アイリーンと見つめ合っているような気がした。

ヤ ティビャー リュブリュー、アイリーン

ちょっとだけはっきりした声で、ケイは告げた。

アイリーンと一緒に暮らすうちに、ちょっとずつロシア語もかじり始めたケイが、一番言い慣れている言葉だ。

『……けい、すき。あいしてる』

アイリーンの返信が日本語で、ひらがなで表示されていたのは―つまりそういうことだ。彼女もまた、ケイに暇を見ては日本語を教わっていたから。

愛おしくてたまらなくて、思わずケイが チュッ と唇で音を立てると、ほぼ同時に『(キスの音)』と表示された。

笑い声を堪えるのに苦労した。

……おやすみ、アイリーン。明日もまた、連絡するよ

『……楽しみにしてる。おやすみ、ケイ。いい夢を』

名残惜しいが、そこで通信を切り上げた。

大事に胸元に魔道具をしまい込んだケイは、仰向けに寝転がり直す。

……ふふ

テントの中、独り、ガラでもなく幸せそうな微笑みを浮かべたケイは、毛布にくるまって、ほどなく寝息を立て始めるのだった。

109. 機嫌

改良したフカフカの寝床で、ケイは爽やかな朝を迎えた。

……正確には、ちょっと寝過ごした。寝心地の良さに加えて、昨日は夜ふかしまでしていたからだ。

おーい、ケイ。起きろー

……んが

コーンウェル商会の馬車の護衛、ダグマルが起こしに来るまでいびきをかいていたくらいだ。

初冬にもかかわらず、テントの外が明るい。つまり朝日はかなり昇っているということだ。

このまま寝てたら置いていかれるぜ?

うおっ、まずい!

テントを片付けたり身支度したりで、何気に準備に時間がかかるのだ。ケイは慌てて飛び起きた。

よく眠れたみたいじゃないか。それにしても、こいつはまたずいぶん色々と買い込んだもんだな

テントの中の、クッションや毛布を覗き見て、ひげモジャのダグマルはクックックと忍び笑いを漏らす。

まあな、せっかくの臨時収入だったから。起こしてくれてありがとう

なぁに。まあ今すぐ出発ってわけでもねえし、ぼちぼち朝飯だからよ。ケイの分も取っといてやるから、慌てず安心して支度しな!

ガハハと笑いながら、ダグマルは去っていった。夜番の明け方担当は朝食係も兼ねていたらしく、焚き火には鍋がかけられていて、粥(ポリッジ)的なものがぐつぐつと湯気を立てていた。

おお、ありがたい!

待望の温かな朝ごはんだ。ケイは手早く、革鎧を身に着けてテントや毛布を片付け始めた。

―粥はお世辞にも美味とは言い難かったが、初冬の冷える朝には、温かいものを口にできるだけで涙が出るほどありがたかった。

義勇隊の皆には悪いが、これだけでも商隊側に来た甲斐があるというもの……

お礼といっちゃなんだけど、昼頃には兎を獲ってくるよ

余分な荷物の運送代としていくらか支払ってはいるものの、毎度タダ飯にありついていては世間体が悪かろうと、ケイはそう申し出た。

おっ、そいつぁいいねえ! せっかくなら、食料には余裕があるし、しばらく馬車に吊るして熟成させようぜ。すぐに食うより美味えぞー

ケイの弓の腕をよく理解しているダグマルとコーンウェル商会の関係者は、兎肉が確定したことで大喜びしていた。

やはり馬車があると大違いだな、とケイはしみじみする。肉は熟成させた方がより美味い。それは常識だが、徒歩で余計な荷物を極力減らしたい義勇隊では、熟成させるひと手間なんてかけてられないのだ……しかも、わびしい食事に耐えながら、皆が皆、肉を我慢できるかと問われると……。

(しかし、義勇隊にも兎を持っていかないといけないしな)

そして本部に上納する猛禽類も狩らなきゃいけない。

うーむ、今日は忙しくなるな!

言葉とは裏腹に、ケイはルンルン気分だった。昨日、一昨日のケイとは同一人物と思えない。

クッションのおかげで快適に眠れたし、アイリーン成分も補給できたし、さらには温かな飯まで!こりゃ周囲にも貢献せねばバチが当たる、とばかりに。

ハイヨー!

“竜鱗通し”を握りしめて、颯爽とサスケに跨った。 えっ、普段そんなかけ声なくない? とびっくりした様子のサスケに二度見で振り返られながら、ケイは草原へと繰り出すのであった。

†††

サティナ周辺からウルヴァーンにかけては、ゲーム内だとリレイル地方と呼ばれていた。

草原や丘陵など、緑豊かな風景が広がる地域だ。

ただ、鉱山都市ガロンのある東部の辺境へ―つまり海側から陸側へどんどん進んでいくごとに、地形が起伏を増していく。

あと数日も進めば、草原はまばらになっていって、今ほどは兎の肉にありつけなくなるだろう。その代わり、森の動物を狩れるかもしれないが―草原ほど見晴らしはよくないので、狩りに専念でもしない限りは、やはり運が絡む。

公国は豊かだな

街道の周りを駆け巡り、獲物を探しながら、ケイは呟いた。その視線の先には、街道沿いに流れる河川がある。

北の大地では、ルート選択を失敗して、水不足で行き倒れそうになったものだ。

それに対し公国は、そこら中に水源がある。おかげで大軍でも水の調達には困っていないようだ。

サスケに澄んだ川の水を飲ませる。……すぐ近くを軍隊が通っているというのに、驚くほどの水質の良さ。

それもそのはず、みだりに水を汚すと精霊が怒り狂って何が起こるかわからないので、公国は水源の管理にかなり神経を尖らせているのだ。

なので、飛竜討伐軍においても、休憩のたびに工兵が穴を掘り、割としっかりしたトイレや食器の洗い場などが敷設されている。従軍魔術師だか錬金術師だかが、薬品などで汚物処理しているところも見かけた。

(あれは、ゲーム内にはなかったなぁ)

ポーション作成をはじめとした”錬金術”は存在したが、汚物処理の薬品なんてものは実装されていなかった。いくら現実に限りなく近いVRMMOを標榜していても、流石にそういった要素は。

だがこの世界にはあ(・)る(・)のだろう。

サティナやウルヴァーンといった大都市には必ず下水施設があって、街から離れた処理場では、犯罪奴隷なんかが浄化作業に従事していると聞く。具体的にどうやって処理しているのかはわからないが、おそらく、あの手の薬品のノウハウが蓄積されているのだろう……

そんなことを考えながら、兎や猛禽を仕留めていく。

昼前には、兎が十数羽、猛禽数羽がサスケの鞍にぶら下がっていた。

ケイにしては、割と控えめな成果だった。……兎はともかく、猛禽類は単純に見つからなかったのだ。

ひょっとすると昨日殺しすぎたせいで、付近一帯の猛禽類が恐れて逃げ出したのかもしれない―

(いや、まさかな)

言葉が喋れるわけでもあるまいし、と苦笑するケイ。兎も思ったより少ないが、代わりに、木立に狐や野生の猫といった生物を見かけた。

この辺りは小型の捕食者が多いので、競合する猛禽類が少ないのだろう。

(今日は、昨日ほどは稼げなさそうだな)

しかしケイは、あまり気にしていなかった。寝床など、この行軍中にずっと使うであろうものには初期投資を終えたし、買い食いで散財するにも限度がある。

―せめて、酒でも呑んでいたら話は別だったのだろうが、よりによって断酒中。

いやー、アイリーンはキツいだろうなぁ……

馬上で、曇り時々晴れなそれを見上げながら、ケイは嘆息した。

大して酒好きでもない自分が、これだけ飲みたい気分になるのだ。大の酒好きで、毎日晩酌するのを楽しみにしていたアイリーンが、どれだけ我慢に我慢を重ねていることか―

アイリーン、頑張れー!

周囲にサスケ以外誰もいないので、ケイは空に向かって叫んだ。

……いくら風の乙女(シーヴ)の加護があろうとも、サティナにまで声は届かないだろうが。 まったく何やってるの と言わんばかりに、クスクスクス、というかすかな笑い声が聞こえた気がした。

兎を持ってきたぞー

昼時の休憩時に、ケイは義勇隊を訪ねた。

よっ! 待ってました!

でかした!!

近衛狩人ばんざーい!

やんややんやと出迎える皆に混じって、しかし、何やらムスッとした顔の男。

おお、隊長殿

ご機嫌斜めな人物にわざわざ話しかけたくはなかったが、あまりにこちらをガン見してくるので、ケイは仕方なく声をかけた。

……狩りの成果は上々のようだな。流石は英雄殿、いや近衛狩人様だ

ふん、と鼻を鳴らしながら皮肉げに言うのは、他でもない。

顔は悪くないが、どこか不貞腐れたような雰囲気のせいで小物臭く見える男こと、義勇隊の隊長フェルテンだった。

110. 立身

前回のあらすじ

ケイ よーし、今日もお仕事頑張るぞ!

ケイ あ、そうだ、義勇隊の皆にお裾分けしにいこう

隊長 ……ふん、狩りの成果は上々のようだな! (プンスコ

ケイ(なんかめっちゃ機嫌悪いぞコイツ……)

兎を手土産に、昼時の義勇隊を訪ねると、何やら苛々した様子の隊長・フェルテンに出迎えられた。

聞けば、特別任務だとか

落ち着きなく足先で地面を叩きながら、皮肉げな口調でフェルテンは言った。

一応、こいつらから話は聞いたが、正式な書類があれば見せてもらいたい

もちろん構わないが

早速、辞令兼身分証が役に立つときが来たようだ。……ただ、仮にも義勇隊の責任者なら、フェルテンにも通達がいってそうなものだが。

ケイが胸元から書類を取り出して見せると、文面をチラッと一瞥したのち、最後の署名―公国宰相ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー伯名義―を確認して、フェルテンは鼻の横の筋肉を痙攣させた。

……相わかった! 流石に英雄は違うな、一足飛びにお役人様と来た!

半ば憤慨しながら、書類を突き返してくるフェルテン。

いや、役人というか、あくまで飛竜討伐の間だけなんだが……

なんでこんなキレてんだ、と困惑気味に答えるケイだったが、 ああそうかい! とフェルテンはますます不機嫌が加速したようだ。

結局、 今後の活躍をお祈り申し上げる! 的なことを慇懃無礼に言い放ち(早口だったのでケイにはよく聞き取れなかった)、荒々しい足取りでフェルテンは去っていった。

……なんだアレ

顔を合わせたと思ったら、原因不明の不機嫌を撒き散らして、ただ消えた。ワケがわからないのでケイが周りに尋ねると、彼らもまた微妙な顔をしていた。

ケイと同じく、理解に苦しみ首をかしげる者から、フェルテンを小馬鹿にしたように笑う者、憐れむような顔をする者まで、それぞれ。

単純に、ケイ殿が気に食わないのでしょう

田舎名士のぽっちゃり次男坊・クリステンがしたり顔で答えた。

む。何か失礼だっただろうか

いえ、ケイ殿が直接というわけではなく、雲上人から目をかけられた上に出世していくのを羨んでいるのかと。自分の記憶が正しければ、近衛狩人は軍の百人長に匹敵する役職だったはずです

クリステンは記憶を反芻するように、こめかみに指を当てながら言う。

そして、我らが義勇隊をよく見てみてください。何人くらいです?

ケイは隊の面々を見回した。

……100人には届かない。数えたわけではないが、だいたい80人かそこらだ。

この義勇隊の長は、つまり今のケイと同格以下なのさ

従軍経験者のマンデルが、肩を竦めながら言う。

あー……

流石のケイも、おぼろげながら事情を察した。

当初から、己の待遇に不満がありそうだったフェルテンのことだ。ただでさえ英雄扱いでチヤホヤされていたケイが、一気に同格以上の役職をホイッと与えられるのを見て、苛立ちが抑えられなくなってしまったのかもしれない。

そういうことなのか?

イマイチ実感が湧かずに、ボリボリと頭をかくケイ。その様子に、マンデルをはじめ周囲の面々も気が抜けたように苦笑していた。

ケイはピンと来ないかもしれないが。……百人長とは大したものだぞ

マンデルいわく、平民がなれるのは十人長がせいぜいだという。

十人長でさえ、任命されるのは従士や騎士の一族だったりするんだ。ちなみにウチの、タアフ村の村長ベネットも元々は従士だぞ

へえ! かの御仁も戦働きしていたのか

あの老人もかつてはそんな時代があったらしい。

しかし、その割に、息子のダニー氏はあまり……運動的には見えなかったが?

たぷんたぷんな体型の、どちらかと言えば商人のような男を思い浮かべながらケイは問う。

ああ。……彼は戦役の際も、カネを払って兵役を免除されたくらいだからな。武力より経済力でウチの村に貢献しているよ

マンデルは極めて平静な顔で、つっとケイから目を逸らしながら訥々と語った。

そいや、オレの村の村長も元従士で、十人長だったって話だな

ウチもだ。三年くらい十人長やってたって、耳が腐るほど聞かされたよ

他の連中も口々にそう言っている。少なくとも一般庶民のレベルでは、十人長とは想像よりも重みがある役職のようだ。

そして百人長ともなれば、ほぼ確実にお貴族様の血筋さ。……場合によっては騎士の子さえ『部下』になるんだから、それも当然だが

なるほど

そうしてみると、近衛狩人がどれほど例外的な存在かがよくわかった。軍への指揮権がないからこそ許されているのだろう。やはり従軍経験者の話はためになる……

翻って我らが隊長殿も、おそらくは貴族の次男坊か三男坊でしょう

クリステンがマンデルの言葉を引き継いだ。

軍で汗を流すこと数年。飛竜討伐軍に志願し、どうにか出世しようと息巻いてみれば―割り当てられたのは義勇隊の隊長! その上、部下に吟遊詩人に歌われるような英雄がいて、二日と経たずに自分と同格以上に出世……

クリステンの芝居がかった語りに、ケイは渋い顔をし、他の面々はくすくすと笑っていた。当事者じゃなければ笑えていたかもしれない。

だが、そうは言っても、あくまで討伐軍の間だけだぞ?

それを言うならケイ殿。義勇隊の隊長だって同じですよ

指摘されて初めて気づいた。

しまったー!

フェルテンの不機嫌が加速した理由がわかり、思わず額を叩いて呻くケイ。謙遜のつもりだったが、この場合だと煽りに受け取られかねない―!

……うん、まあ。言ってしまったものは仕方がないな。俺もあまり調子に乗らないよう気をつけよう

腕組みして、うんうんと頷くケイ。

自分としては 自由に動けてラッキー くらいにしか思っていなかったが、一時的とはいえ、この肩書がかなりい(・)か(・)つ(・)い(・)ものであることをようやく理解した。

何かしらで絡まれたら、印籠よろしく身分証を出して切り抜ければいいや、と甘く考えていたが、そのせいで逆恨みや余計な妬み嫉みを買うかもしれないし、そもそもそんな目に遭わないよう立ち回るべきだろう。

堂々と我が物顔で陣地を歩き回っていたのも、きっとよろしくない。元々異邦人なこともあるし、もうちょっとこう、肩身が狭い感じで動いた方が良さそうだ……

……なんというか

……あんたらしいな

何やら一人で納得し、反省するケイに、義勇隊の面々は呆れたように笑っている。

ケイ殿はそのままでもいいですよ。我ら庶民の希望の星ですからね!

そうそう。威張り散らすお偉いさんより、よっぽどいいや!

飯も持ってきてくれるしな!

お調子者の誰かの一言に、全員が噴き出して笑う。

まあ、まあ。よくわかったよ。みんなありがとう

隊長はアレだったが、この隊の皆は気のいい奴らばかりだ。

見方を変えればあの隊長も、ケイが無自覚に調子に乗りつつあったことをわかりやすく教えてくれたとも言える。

そういう意味では、最小限の被害で済んで良かったかもしれない。

(やはり人間、無駄に目立たないよう気をつけないとな……)

……などと、周囲が聞けば噴飯ものなことを考えながら、ケイはこれからもっと慎ましやかに立ち回ろう、などと思いを新たにするのであった。

†††

そんな反省も踏まえて、夕方。

猛禽類をそこそこ仕留めたケイは、獲物をこそこそと隠しながら参謀本部へ向かっていた。

昨日よりもさらに遅めの時間帯をチョイスしたことにより、夕餉の準備で周囲が慌ただしい。薄暗さも相まって、目立ちにくいという寸法だ。

……と、ケイ本人は考えている。

マントで猛禽類の束を必死に隠そうとしながらぎこちなく歩く、朱色の強弓を背負った馬連れの狩人が目立つかどうかは、また別問題だ。

しかし本部が近づいてきたところで、何やら、ざわっと異様な空気が流れた。

(目立ったか?)

と少し慌てたが、どうやら自分ではなかったらしい。

……見れば、向こうから、小姓の少年たちを引き連れた、赤い衣をまとった人影が歩いてくるではないか。

(げっ、公子!!)

ケイの視力は、一発でそれが誰かを見抜いた。

まさかこんなところで鉢合わせようとは……

いや、名目上、飛竜討伐軍は彼が率いる軍勢であり、いくら警備の問題があるとはいえ、四六時中引きこもっているわけにもいかないだろうから、我が物顔で歩き回っていても誰も文句は言わないのだが。

ケイは慌てて物陰に引っ込もうとしたが、周りの兵士や軍人たちが先んじでひざまずきつつあり、しかもサスケの存在があったので機敏に動けなかった。

というか、ここでサスケを引っ張ってテントの陰に隠れたりしたら、あからさま過ぎる。

仕方がないので、その場でひざまずいてやり過ごすことにした―

―む

問題があるとすれば、いち平民にすぎぬケイではあるが、武道大会で表彰されたために、公子と面識があることだった。

公国一の狩人、ケイチであるか。大儀である

……まさか直接、話しかけられることになろうとは。

111. 公子

前回のあらすじ

ケイ これからは目立たないようにするぞ! (`・ω・´)

公子 公国一の狩人、ケイチであるか。大儀である

ケイ 目立たない……ように…… (´・ω…:.;::..

公子ディートリヒ=アウレリウス=ウルヴァーン=アクランド。

16歳という若さで、公王の座に就こうと―あるいは、就かせられようと―している少年だ。その重責のためか、歳の割に顔つきは厳しい。現公王にして祖父・クラウゼ公ゆずりの鷲鼻(わしばな)、きりりとつり上げられた細眉、鳶色の瞳にライトブラウンの髪。よく言えば高貴な、悪く言えばツンとした高慢な雰囲気を漂わせているが、それはむしろ、この少年が雲上人であることを自他共に認めさせるような、超然とした風格を与えているようにも思えた。

そう、雲上人。

普通はわざわざ、自ら一般人に声をかけてくるようなことはない。

だが―ケイにとっては不幸なことに、今のケイは厳密には一般人ではなかった。

なんといっても”近衛(Archducal)狩人( Huntsman)“だ。

果てしなく末端に近いとはいえ、名目上、公王直参の家臣。次期公王(Archduke)たる公子ディートリヒが、一言くらい声かけしてもおかしくはない。

これがまだ平時ならスルーしていたかもしれないが、今は陣中であり、ここにいる全員は何かしらの理由で、公子のために命を賭けて馳せ参じている。

ケイのような平民出身者もちゃんと気にかけてますよ、というアピールは、ディートリヒからすれば、いくらしても損にはならないのだ。それがケイにとって有り難いかどうかは別問題だが。

ちなみに、ケイのような身分の者は、公子から個人として認識されている時点で、一般には相当に名誉なことだ。それだけで周囲から妬まれてもおかしくないのだが、幸か不幸か、それはケイの与り知らぬこと―

(―どうすりゃいいんだ!?)

そんなことより、ケイは跪いた状態でとにかく焦っていた。

公子からわざわざ声をかけられたにもかかわらず、だんまりがヤバいことくらいは流石にわかる。

何か。

何か答えなければ。

先日、礼儀作法の教師、もとい親切な軍人に教わった表現を思い浮かべつつ―

ははっ! お声をいただき恐悦至―

そなたは近衛狩人として―

言葉がかぶった。

よりによって公子と。

…………

沈黙。

その場に、異様な緊張感が満ちる―

(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―ッッ!!)

やっちまった。

ケイは全身がカッと熱くなり、嫌な汗が吹き出るのを感じた。

ぎりっぎり、ケイの方が先に口を開いていたので、公子の言葉を遮るという最悪の事態は避けられたが。

それにしても気まずいことこの上ない。下手に表現なんてこねくり回そうとせず、 ははーっ! とだけ答えておけばよかったとケイは心底後悔した。

(そもそも直答は許されてたのか!? わからん!!)

何にもわからない……!

口の中がカラカラに乾いていた。咄嗟に謝ろうかと思ったが、 Excuse me は日本語では すいません と訳されていても 許してください という命令形であり、それを公子に使っていいのかわからない。

かといって ごめんなさい(I’m sorry) も何か違う気がする。いや、多分というか絶対ダメだ。それとも I beg your pardon(お詫び申し上げます) だろうか? 切実に、今この瞬間に、コウの助けが欲しい……!!

―おそらくコウがこの場にいたら、ケイの肩を叩いて、首を振りながらこのように言っただろう。

『ケイくん、平民が自分のやらかしに対して、王侯貴族にあれこれ言って、少しでも失敗を軽減しようとするのがそもそも間違いなんだよ。頭を垂れて、向こうの出方を待ちつつ、慈悲が与えられることを祈るしかないんだ……』

つまり、色々考えて黙り込んでいる現状が正解だった。

ふふ……っ

と、かすかに笑い声。

公子のお付きの者―小姓のひとりが、くすくすと笑っている。決して馬鹿にするような雰囲気はなく、ただ可笑しくて仕方がないといった様子で。

それを皮切りに、他の小姓の少年たちも忍び笑いを漏らし始めた。ケイの錯覚、あるいは希望的観測かもしれないが、その場の空気が弛緩したように思える―

そう肩肘張らなくともよい

苦笑交じりに、再び公子が口を開いた。

式典ではないのだ。……ここには口うるさい儀典長もおらんしな

冗談めかして公子が言うと、小姓たちの笑い声がさらに大きくなった。

狩りの成果は上々のようだな。これからも励むがよい

そうして、赤い衣を翻し、公子は颯爽と歩み去っていった。

はは……っ!

ケイはさらに頭を下げつつ、そう絞り出すのがやっとだった。

(た、助かった……)

たっぷりと時間を置いてから、面を上げる。公子の背中と、それに付き従う小姓の少年たち。

どこのどなたかは存じ上げないが―笑い飛ばして空気を変えてくれた小姓の少年には感謝しかない。

平伏していた周囲の者たちもそれぞれに作業を再開し、辺りはガヤガヤと夕飯時の活気を取り戻しつつあった。

(酷い目に遭ったな……)

半ば自業自得だが胸の内で呟き、公子の背中を見送りながら歩き出そうとしたケイだったが―

おっと

前方不注意だったため、目の前の小間使い風の男にぶつかりそうになった。

が。

ぬ(・)る(・)り(・)とした動きでケイをかわし、何事もなかったかのように歩いていく男。公子が去っていった方へ―

なんだか、アイリーンを思い出すような、なめらかな足さばきだった。

ケイがそう感じたということは、つまり、達人級の動きだったということだ。

(あれ……只者じゃないな)

不審者か? まさか公子を狙っている? とケイの心がにわかに物騒な方向へ傾き始めたが、その視点で周囲を見回すと、公子をゆるく取り囲むような形で、その手の『人員』がところどころに配置されていることに気づいた。

(ああ……SP的な感じか)

そりゃそういうのもいるよな、と今さらのように気づく。鎧を着込んだ騎士が表の護衛だとすれば、暗殺などを未然に防ぐ裏の護衛も存在するはず。

雲上人は大変だな、などと思いつつ、その場を去ろうとしたところで。

ケイの視界から外れるように、不自然な動きをする者がいた。

―ん

一般人なら見過ごしていただろう。

だがケイはゲーム内で、そういう動きをして死角に潜り込もうとしてきたヤツを、何百と弓でブチ抜いてきたのだ。

辺りが薄暗くなろうと、人混みに紛れようと、そんな『怪しい』挙動をケイの目が見過ごすはずもなく。

あっ、おい……

テントの陰に隠れてコソコソと移動するその男に、ケイは声をかける。

しかし、ケイの声を認識していながら、男はむしろ足を早めた。

む、怪しいヤツ……!

行商人のような格好をしているが、帽子を目深にかぶって顔を隠しているし、そもそもなぜ声をかけられて逃げるのか。

ケイは早足でその男を追う。さらにサスケが まってー とケイを追う。

……ああっもう、なんで追いかけてくるんだよ!

しかしすぐに、追走劇は幕を下ろした。肝心の男がキレ気味に足を止めたからだ。

あっ、……お前!

夕闇が降りてこようと、ケイの瞳は正確に、その人物の顔を認識した。

あまりにも見覚えのある顔。

思い出すのは、北の大地―ガブリロフ商会の隊商護衛の日々。

公国の薬商人として隊商に参加していた、あの男―!

……えっと、確かランダール! なんでここに!?

辛うじて名前を思い出したケイに、苦虫を噛み潰したような顔をするランダール。

アイリーンの話によれば、馬賊の襲撃を受けた際、ランダールは一介の商人とは思えないような豪剣を披露して、一瞬で二人を斬り捨てたという。

今となっては、と(・)て(・)も(・)胡散臭い男だ。それが、なぜ飛竜討伐軍にいるのか。その腰に吊り下げられた無骨な長剣が、実に行商人の姿に馴染んでいる―

いやー奇遇だな。悪ィ、積もる話もあるけどよ

チラッと背後を―公子たちが歩いていく方向を振り返ったランダールは、サッと表情を切り替えて ヘヘッ と愛想笑いを浮かべた。

今ちょっと忙しいんだわ……あとでお前んトコ訪ねるからよ、ちょっと今は勘弁してくれや! な?

ええ……といっても、俺がどこにいるのか知ってるのか?

コーンウェル商会んとこだろ! 知ってるよ!

ヤケクソ気味に答えたランダールは、 またあとでな! と有無を言わせぬ口調で言い放ち、踵を返す。

するすると―泳ぐように、陣中の人混みに紛れて消えていく。

ああ……

取り残されたケイは、ある種、納得の声を上げた。

見る者が見れば……それは明らかに、一般人の足さばきではなかった。

(仕(・)事(・)中(・)だったか……)

アイリーンの推測通り、やっぱり只者じゃなかったんだなぁと思いつつ、邪魔して悪かったな……などと今更のように申し訳なさも抱く。

ぶるるっ

と、ケイの背中をサスケが鼻面で押した。振り返れば、 おなかすいてきました と言わんばかりの、純真な瞳が見返してくる。

そして背中をぐりぐりされたせいで、マントの下にはまだ猛禽類を山ほどぶら下げたままであることを思い出す。

……そうだな、飯にするか

参謀本部に、今日の成果を提出しに行かなければ。

公子やランダールと鉢合わせしたのは想定外もいいところだったが、それはそれとして、夕食にはありつきたいし、支払いもしてもらいたいし。

(今夜のアイリーンとの話題ができたな)

そんな呑気なことを考えながら、ケイもまた足早に、参謀本部へ出向くのだった。

112. 旧交

前回のあらすじ

ケイ 目立つのはどうにか最低限で済んだな……

日も暮れて、コーンウェル商会の皆と夕食をともにして。

馬車の近くにテントを張り、アイリーンに連絡しようかと思ったところで、ケイに来客があった。

よう、来たぜ

酒の壺を片手に掲げた、三十代前半の男。四角い顔が印象的だ―茶色の髪を短く刈り上げて角刈りにしているせいで、尚更そう見える。人好きのする笑顔に、夜番の篝火の明かりが濃い陰影を投じていた。黒っぽいくりくりとした瞳が、薄暗い中でもケイをしかと捉えている。

自称”公国の薬商人”こと、ランダールだ。

本当に来たのか……

ケイは驚きを隠さずに出迎えた。『あとでお前んトコ訪ねるからよ』とは言っていたが、こんなにすぐやってくるとは。

さっき言っただろ? 積もる話も色々あるし、まあ呑みながら話そうや

テントの外、切り株にどっかと腰を下ろしながら、ケイに木製のゴブレットを勧めてくるランダール。

お気持ちはありがたいが、今は断酒中なんだ

しかしケイが軽く手を挙げてそれを押し止めると、きょとんとした顔を見せる。

なんでまた?

妻が妊娠中で、酒を断っててな……その苦しみを分かち合うために、俺も飲まないことにしてるんだ

へえ! 結婚してたのか。それに赤ん坊とはめでたい……っていうかおい、まさか妻って、あの嬢ちゃんか?

ランダールは目を丸くして身を乗り出す。

どの嬢ちゃんかは知らんが、アイリーンだ

へえー! はっはは、そいつはめでたい。おめでとうおめでとう。まったく、ケイも隅に置けないな!

うりうり、と肘で小突いてくるランダールに、 よせやい と笑顔で応じながら、ケイは思った。

(俺が結婚してることも、アイリーンが妊娠してることも知らないのか……)

公国には何もかも把握されてるんじゃないか、と思っていたが。上司は宰相閣下ではないのだろうか? もしくは現場の人間には、そんな細かい情報までは共有されていないだけか。……ケイの重要度を考えれば別におかしくはない。

(……あるいは、知らないフリをしているだけか)

ケイの目には、ランダールが本当に驚いていたように見えたが、仮に裏稼業の人間ならば、ケイ程度を誤魔化すことなどお茶の子さいさいだろう。

ただでさえ外国語環境では、ケイは鈍(・)い(・)。母国語(にほんご)と違って、相手の言葉の裏に滲む、細かい機微を読み取れないからだ。

しかしここで知らないフリをすることに、どんな意味があるかはわからない。

(まあ、どっちでもいいか)

ランダールはどのみち、公子を守る側の人間なのだろうとケイは推測している。少なくとも公子を狙う曲者ではないだろう。ケイが気づくレベルの『不審人物』なら、早々に公子側の人員に処分されているはずだ。

こうしてホイホイとケイを訪ねてこられる時点で白、と考えていい。

仕事はもういいのか?

今は暇だからよ

さり気なく探りを入れたが、軽く返された。はてさて……

(いずれにせよ公国側の人員なら、“小鳥(プティツァ)“について知られるわけにはいかないな)

あの通信用魔道具は危険すぎる。早くアイリーンに連絡を取りたいし、ここは聞きたいことだけ聞いて、さっさとお引き取り願おう。

暇ならちょうどいいな、まあ呑んでくれよ。俺は人が呑んでるところを見るだけでも楽しくて好きなんだ

心にもないことを言いながら、 つまみもあるぞ などと、香辛料たっぷりのジャーキーを差し出すケイ。

え、そうか? じゃあ、まあ、仕方ねえなー、そこまで言われちゃなあー

ランダールは嬉々としてジャーキーを咥えながら、トクットクッ……と澄んだ蒸留酒をゴブレットに注ぎ始めた。

今宵、ケイにこうして話をしに来たのも、何らかの意図があるはず。酒で口を軽くして……という魂胆だったのだろうが、こんな機会がなければ、ランダールの立場では早々酒など飲めまい。

悪いなぁ、俺だけ

並々と蒸留酒を注いだゴブレットを掲げて、目を細めるランダール。お互い、予定調和という感じがする。酒でケイの口を軽くする、という建前で、ランダールも上等な酒を持ち出したのかもしれない。

まあ俺にはこれがあるからな、気にするなよ

なんだぁ、お前さんもしっかり呑むんじゃないか

これは仕方ないだろ

ケイが取り出したのは、うっすい葡萄酒の革袋だ。それをゴブレットに注ぐ。

これはノーカンだ。酒ではない。アイリーンとの協定でも、そう定められている。度数がめちゃくちゃ低いので、『身体強化』の紋章で耐毒性も強化されているケイには、ほとんど水と変わらないのだ。それこそ樽いっぱいでも飲まない限りは。

そも、行軍中は、常に清潔な飲み水が手に入るとは限らない。衛生上の問題から、エールやワインで水分補給も余儀なくされる。

なのでこれは仕方ない。それにアイリーンの言う『酒』とはウォッカみたいな強めの蒸留酒のことだ。これはぶどうジュース。ぶどうジュースなのでノーカン。

久々の再会を祝して、乾杯

太っ腹な近衛狩人殿に乾杯!

こつん、とゴブレットをぶつけてグイッと。

かぁーッ生き返るなぁ~

ランダールはジャーキーをもしゃもしゃと味わい、そこに蒸留酒を流し込んで至福の顔を見せる。とても公国の裏の人員には見えないが……

このまま、ただ酒盛りをして終わりともいくまい。

ケイとしても、離脱したあとのガブリロフ商会の動向は気になるところ。

それで、あのあとはどうなったんだ?

先手を打って、本題に入ってみる。

大騒ぎだったよ。十中八九くたばると思われてたピョートルが蘇ったんだ

変わらぬ調子で答えるランダール。

あんときの、ゲーンリフの慌てっぷりは見せてやりたかったな。アイツがお前さんにキツく当たってたせいで逃げられたんだ、と突き上げるやつが多くてな……自分らの態度は棚に上げてさ

ちょっと意地の悪い顔で、くつくつと喉を鳴らして笑う。ケイも思わず苦笑した。異民族への風当たりが強くて、あの北の大地での隊商護衛は、お世辞にも快い思い出とは言えなかった。

そんな中でも、ケイには親身で接してくれたピョートルと、その仲間たちは一服の清涼剤だったが―

ピョートルは、どうしてた?

自分が快復してることが信じられないみたいだったぜ。目を覚まして、事の顛末を聞いて、もっとケイに礼を言いたかったと後悔していたな

そうか……

そのとき、ランダールはふと思い出したように、杯を傾ける手を止めた。

そういえば、俺もちゃんと礼を言ってなかったな。本当にありがとう、ケイ。お前さんがいなけりゃ、俺も今頃、異国の地で骨を晒していたところだ。本当に命の恩人だよ

どういたしまして。俺自身も助かりたい一心だったよ

馬賊との壮絶な騎射戦、その後の敵魔術師との魔術戦、さらに後味の悪い戦後処理やピョートルとの別れ―そういったものを生々しく思い出しそうになって、ケイは首を振って、ぶどうジュースを口に流し込んだ。

……ふぅ

…………

夜空を見上げて、溜息をつくケイの横顔を眺めながら、ランダールは思案するように盃を傾けている。

ピョートルも、もし俺がまたケイに出会うことがあれば、『心から感謝している』と伝えてくれ、って言ってたよ

そうか。……彼には随分と助けられたからな、恩返しができてよかったよ

……いやはや、デカい恩返しだ。アレに懲りて、ゲーンリフどもも、ちったぁ身内以外にも優しくなればいいんだがな

そうなるとは欠片も思ってなさそうな口調で、苦笑いするランダール。

―それにしても、あれはいったい、どういう魔(・)法(・)だったんだ?

そら来た。

……いや、なに。薬商人としては、俺も興味があってよ

その設定はまだ有効らしい。

どうもこうも、魔法だよ

ケイは何食わぬ顔で、懐に手を突っ込む。ひょい、とランダールに放ってみせたのは、缶入りの軟膏だ。

これは?

アビスの先駆け をすりつぶした軟膏

えっ?

手の中の缶をまじまじと見つめ、フタを開けてみて、青白いクリーム状の軟膏に目を丸くするランダール。じっくりと観察する目つきが、完全に、『そのスジの者』になっていた。

これで、あれだけの傷を……?

いや? もちろん違う。あのとき使ったのは魔法薬(ポーション)さ

……ポーション

単語を反芻しながら、ランダールはどのような表情をするべきか、迷っているようにも見えた。

ポーションを口移しで飲ませたんだよ。もっとも、あのときの戦闘と、ピョートルの治療で使い果たしてしまったけどな

その軟膏は余り物で作ったやつさ、と。

俺とアイリーンは、昔 深淵(アビス) に潜ったことがあってな。本当に運良く、材料が揃ってたんだ

そんなに貴重なものを、よく他人のために使ったな……

迷ったさ。でもピョートルは見捨てられなかったし、後悔はしてないよ

ケイは清々しい顔で言い切る。……とはいえ、ハイポーションの瓶は、本当に僅かながらまだ残してあるのだが。

漢だなあ。……しかし、今回みたいな飛竜狩りに連れ出されるくらいなら、余らせといた方が良かったんじゃないか?

声を潜めて、冗談めかして尋ねてくるが、まだケイに手持ちがあるのか言外に探ってきているようでもあった。

それを予測していたケイは、困ったような顔で肩をすくめて答える。

たとえ温存しておいても、飛竜相手には役に立つとは思えないな。アレは怪我一つなく生き延びるか、黒焦げにされるか、八つ裂きにされるかの、どれかだよ

それもそうだ。……ま、ケイみたいな強弓の使い手がいてくれるってだけでも、俺みたいな商(・)人(・)は心強いよ

どこか白々しく、ランダールは笑って言った。

……若手の腕利き薬商人が、支援してくれているのは俺としても心強いよ

ケイも白々しくそれに応じる。

ところで、商(・)売(・)は(・)順(・)調(・)なのか

まあ、ぼちぼちだな。俺も今は、さ(・)る(・)商(・)会(・)に(・)属(・)し(・)て(・)る(・)からよ、独りで切り盛りしなくて済むってのは、まあ気楽っちゃ気楽な話だ

ああ、独立じゃなくなったのか……北の大地じゃ商品の薬を配りまくってて散々だったみたいだが、ランダールが破産したんじゃないかって心配してたんだ

おうおう、聞いてくれよ。ホントに酷い目にあってよぉ……あのあとも何だかんだと理由をつけられて、ほとんど薬を取られちまってさ、目的地のベルヤンスクに着く頃にはもう香水しか―

その後も、あくまで一介の商人としての苦労話を、ランダールはあれこれと聞かせてきた。

ケイも興味深く聞いていたが、アイリーンに連絡したい気持ちがじわじわと高まってきたので、ランダールにぐいぐいと酒を飲ませて、空になったタイミングで 疲れたから休みたい という理由で、お開きにした。

ありがとうよ。美味い酒を独り占めにさせてもらって

なあに、久々に話せて楽しかったさ

強い蒸留酒を呑みきって、ランダールも流石に赤ら顔だった。少しばかりふらふらした足取りで、ケイに別れを告げる。

ふと。

月光の下、足を止めて、振り返ったランダールは。

そんなわけで、俺にも今は頼りになる仲間がいるからよ。ケイも何かあったら話してくれや、助けになれるかもしれねえ

お、おう……覚えておくよ、ありがとう

あんまり関わり合いになりたくはないなぁ、と思いながらもケイは笑顔で答えた。

まぁ、また何かあったら話に来るわ……それじゃあな

ひらひらと手を振りながら、ランダールは闇夜に消えていった―

(また何かあったら話に来るのか……)

ケイは微妙に渋い顔で、その背中を見送る。

暗闇に紛れたと判断したのか、先ほどの千鳥足はどこへやら、機敏な動きで足音もなく去っていく背中を―

月明かりに篝火の光まであれば、この程度の暗闇はケイの前では意味を成さないのだが、ランダールは知る由もないことだ。

(面倒なヤツに目をつけられてしまった)

強引に呼び止めたのはケイなので、自業自得といえば、それまでだ。

ボリボリと頭をかいたケイは、何はさておき愛しのアイリーンに連絡を取るため、そのままモゾモゾとテントに潜り込むのだった―

88. 助勢

前回のあらすじ

草原爆走 初村再訪 狩人再会 幸福家庭

言葉を飾らず、ケイは率直に説明した。

今日、とある開拓村から手紙が届いた―

“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“の出現。ヴァーク村の知己からの救援要請。ケイとアイリーンが討伐に向かうこと。こちらの装備、陣容、想定されるリスク。それらを鑑みた上で、マンデルの助けが欲しいこと。

―あっという間に語り終えてしまった。マンデルの娘が茶を淹れようとして、火にかけた鍋の水は、まだ湯気すら立てていない。

まあ、それもそうか、とケイは思った。

・助けを求められた

・怪物を殺しに行く

・力を貸してほしい

要はこれだけなのだ。思っていたより自分は言葉を飾っていたらしい、と気づいたケイは、思わず苦笑しそうになったが、この場面で笑うとあらぬ誤解を与えかねないので、真剣(シリアス)な表情の維持に努めた。

巫山戯(ふざけ)ているわけではない、決して。

だが、苦境に陥ると、人は時として笑いたくなる。不思議なことに。

…………

マンデルは、腕組みしたまま黙って考え込んでいた。

お父さん……

どうするの……?

背後から、娘たちがおずおずと声をかけてくる。動揺、困惑、そして恐れ。父親が危険極まりない冒(・)険(・)に連れ出されようとしている。心配するのも当然だ―娘たちがケイを見る目にも、怯えの色が浮かんでいた。

自分が平和な家庭を乱す疫病神に思えてきて、ケイは罪悪感に苛まれると同時に、断られたらスパッと諦めよう、と改めて決意した。

正直なところ

やがて、マンデルが口を開く。

力になりたいのは、やまやまだ。……しかしおれが、 深部(アビス) の怪物相手に、何かできるとは思わない

見てくれ、と手に取ったのは、使い込まれた短弓(ショートボウ)だ。

おれの相棒だ。……取り回しはいいが大した威力はない。普通の野獣、それこそ猪でも、当たりどころが悪ければ矢が刺さらないような代物(しろもの)だ

ことん、と机の上に置かれる短弓。優美な曲線を描くリムは艷やかな光沢を帯びており、日頃からマンデルが丁寧に、そして愛着をもって手入れしていることが窺い知れた。いい弓だ、とケイは思う。

しかしこのマンデルの口ぶり。 自分では力になれない ―つまりはオブラートに包んだ不承諾(おことわり)だと解釈したケイは、 そうか…… と諦めようとした。

だが

マンデルは言葉を続ける。

そんなこと、ケイは百も承知のはずだ。……おれの短弓では威力が不足していることくらい、わかっているだろう? そ(・)の(・)上(・)で(・)、頼んできた

ずい、とマンデルは身を乗り出す。

おれに、何をさせたいんだ? ……教えてくれ、ケイ

その目にあるのは―面白がるような光。

マンデルは、知っている。

自分は決して英雄の器ではないと。

だが、眼前の青年、ケイは違う。凶悪極まりないイグナーツ盗賊団の一味を単身で撃破し、 深部 の怪物・森の王者”大熊(グランドゥルス)“を一矢で仕留め、武闘大会の射的部門でも文句なしの優勝を果たした英雄だ。さらには風の精霊と契約しており、魔術にも造詣が深い。

そんな傑物が―自分に助太刀を頼みに来た。

それだけでも身に余る光栄だが、 なぜ という疑問が先立つ。今しがた語った 自分では力になれない という言葉は、悔しいが、偽らざる思いだ。地を駆ける竜、暴威の化身、 深部 の怪物―もはや天災とさえ呼ばれる”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を相手に、自分がいったい何をできるというのか?

―いや、もしかすると。

―『何か』が、できるのか?

―こんな自分にも?

マンデルは、胸の内に、めらっと小さな炎が灯るのを感じた。

ケイの人間性はよくわかっている。自分に声をかけてきたのは、決して囮や肉壁をさせるためではないはずだ。『狩人のマンデル』に、『何か』を求めているのだ。 深部 の怪物と、戦うために―

忘れてはならない。

このマンデルという男。

一見、冷静沈着で落ち着き払っているが。

武闘大会でケイと弓の腕前を競う程度には―

誉(ほま)れを求めている。

果たしてケイは、マンデルの期待に応えた。

……“森大蜥蜴”は恐るべき怪物だが、弱点がある

机の上で手を組み、ケイはおもむろに切り出した。

“森大蜥蜴”の成体は、小さくても10メートルを超える。村長の屋敷がそのまま這いずり回るようなものだ。それでいて動きは素早く、突進を食らえば人間なんてひとたまりもない。さらには鼻先に、生物の熱を感じ取る器官まで備えている。そのお陰で、たとえ暗がりの中でも、獲物の位置を正確に察知できるんだ

……弱点に聞こえないのだが?

裏を返せば、それを潰せばヤツは大幅に弱体化する

ケイは組んでいた手を解いて、とんとん、と指で机を叩いた。

本質的に、ヤツは『でかいトカゲ』だ。ゆえに寒さに弱い

“森大蜥蜴”は昼行性の変温動物だ。 深部(アビス) の怪物だけあって、多少の気温の変動ではビクともしないが、それでも体温を急激に下げられれば劇的に動きが鈍くなる。

そして俺は、サティナに氷の魔術師の友人がいる。彼に魔法の矢―対象を凍てつかせる”氷の矢”を、可能な限り注文しておいた

魔法の矢、と聞いて、マンデルが目を見開く。

今頃、アイリーンの依頼を受けたコウが、大急ぎで水色の宝石(ブルートパーズ)に魔力を込めているだろう。魔力が尽きるギリギリまで可能な限り作ってくれ、と無茶な注文を出したが、あのコウのことだ。十数本は確保してくれるはず、とケイは踏んでいる。

ヤツが姿を現したら、しこたま氷の矢を撃ち込んで体温を下げる。動きが鈍くなれば、弱点を射抜きやすい。ここで重要なのは、短時間でできるだけ多くの氷の矢を、体の各所に打ち込むことだ。しかし俺が一人で射るには限界がある―

ここまで語れば、わかるだろう。

多人数で、多方面からの射撃。必要なのは矢を命中させる確かな腕前と、化け物の前でもビビらないクソ度胸。そして俺が知る限り、それをできるのは―あんたしかいない、マンデル

―だから、手伝ってほしい。

ケイにまっすぐ見つめられ、マンデルの身体に力がみなぎった。目を見開き、知らず識らずのうちに拳を握りしめ、口元には獰猛な笑みが浮かぶ。

―俺でよければ

! ありがとう!

……と、言いたいところだが

ふにゃっと体から力を抜いて、マンデルが椅子の背に身を預ける。思わぬ肩透かしを食らったケイは、ズルッと滑り転けそうになった。

だ、だめなのか?

おれとしては俄然、加勢したい。……だがおれは、この村の狩人だ。おれの一存で村を留守にするわけにはいかない

許可が必要だ―とマンデルは言う。

誰の許可か?

言うまでもない。村長だ。

わかった。つまり了解が取れればいいわけだな?

そういうことだ。……早速、行くか

そそくさと席を立つ二人だったが、 待って! と悲鳴のような声。

いやだよ! やめてよ、お父さん!

声を上げたのは、マンデルの娘の一人―意外にも、そのうち年下の、気の弱そうな方だった。上の娘が ちょっと、ソフィア― と慌てて押し留めようとするも、それを振り払い涙目で叫ぶ。

ぜったい危ないよ! 行かないで!!

ソフィア。……案ずることはない、ケイは公国一の狩人だ。“大熊”と不意に遭遇しても、たったの一矢で仕留めた男だぞ? ましてや今回は、魔法の矢まで用意して狩りに赴くんだ。滅多なことは起きないよ

でも―

いや、娘さんの言う通りだ

マンデルの了解が得られたことでテンションが上がり、家族の説得をないがしろにするところだった。恥じ入ったケイは、身をかがめ、下の娘(ソフィア)と目線の高さをあわせてから改めて話し出す。

俺は万全を期すつもりだが、戦いに『絶対』はない。もしかしたら俺は死ぬかもしれない。だがそれでも、あなたたちのお父さんは無事に帰すことを誓おう

ケイは真摯に語りかけるも、娘たちは微妙な表情だ。そんな『誓い』に何の意味がある、とでも言わんばかりの態度。ケイも気持ちはよくわかる。必要なのは有耶無耶な言葉ではなく、具体案だ。

―マンデルのために、馬を一頭用意する。何が起きてもすぐに逃げられるように。マンデルの役目は、横合いから氷の矢を射掛けることだ。“森大蜥蜴”を引きつけるのは俺の相方が担当して、メインの攻撃は俺が受け持つ。『絶対に』とは言い切れないが、“森大蜥蜴”の敵意がマンデルに向くことは少ないと思う。仮に俺が殺られても、逃げる時間くらいは稼げるはずだ

たった一人の父親の命を預けろというのだ。

ならばケイが担保にできるのは、己の命くらいのものだろう。

もちろん死ぬつもりは微塵もないが―万が一への備えを怠るほど、不義理もしないつもりだ。

だから、頼む

ケイが頭を下げると―

ソフィアは、不承不承、といった感じに、それでも頷いた。

……ありがとう

もう一度頭を下げ、マンデルとともに足早に家を出る。村長と交渉するために。

残された二人の娘は、不安げに顔を見合わせ、ひしと抱き合った。

今さらのように沸いた鍋のお湯が、かまどでぐつぐつと揺れていた。

マンデル テンション上がってきた

ケイ テンション上がってきた

作者 テンション上がってきた

いつも感想コメントにゃーんありがとうございます!

お陰様で頑張れてます! ありがとう……ありがとう……

89. 交渉

前回のあらすじ

マンデル テンション上がってきた

娘たち お父さん! やめてぇ!

ケイ (説得中)

上の娘(マリア)(お父さん死ぬほど行きたそうな顔してる……)

下の娘(ソフィア)(こんなの頷くしかないじゃん……)

その日、ベネットは平和に過ごしていた。

本来は村長としてタアフ村を預かる身だが、この頃は長男のダニーが村長代理として業務を回してくれるようになり、半隠居状態にある。

ジェシカや~~~

お陰でこうして、のんきに最愛の孫娘と遊んでいられるのだ。屋敷のリビングで孫娘のジェシカを膝に抱えて、だらしなく相好を崩すベネット。

やぁ~~!

ベネットのあごひげがくすぐったいのか、ジェシカがイヤイヤするかのように身をよじる。しかし同時にキャッキャと笑っており、そこまでいやがっている様子もなかった。

さあジェシカや、ABCの歌を歌おうねえ

うたう~!

A B C D ~ E F G ~♪

え~び~し~でぃ~ い~えふ~じ~♪

公国に古くから伝わる『ABCの歌』を、紙に書きつけたアルファベットを指し示しながら歌う。

(なんと、ジェシカは天才じゃ―!)

孫娘の利発さにベネットは鼻高々だ。今年で四歳になる孫娘は、ABCの歌をあっという間に覚え、一人で歌えるようになったのだ。

しかも、最近では文字まで書けるようになってきた。

この間は棒を使って地面に I(アイ) の字を書いてみせた。素晴らしい才能だ。―満面の笑みで じぇー! と言っていたが、IとJは隣同士なので、ちょっと間違えてしまったのだろう。それは仕方がないことだ。

Now I know my ABCs ~♪ Next time won’t you sing with me ~♪

歌うジェシカのふわふわのくせっ毛を撫でながら、リズムにあわせてベネットも体を揺らす。

(本当に賢い子じゃのう……)

将来はどうしたものか、などと考える。

このまま村で暮らすのも、もちろんいい。タアフは近隣の村々に比べてもかなり裕福な方だ。しかしサティナの街に出る、という手もある。可愛い可愛いジェシカが遠くに行ってしまう―考えただけで泣きそうになるが、孫娘の幸せを願うならばそれもアリだ。村にとどまるよりも、文化的で豊かな生活を送れるかもしれない。

これだけの賢さ、街の商会で礼儀作法を身につければ上級使用人の道もあるやもしれぬ。そして幼いながらにはっきりとわかる目鼻立ちの良さ、ともすれば貴族様のお手つきに―いや、側室などという道も―

おじーちゃん! もっかいうたお!

ん? ああ、いいよ、歌おうねえ

え~び~し~でぃ~♪

ほほほぉ~ジェシカは本当にお歌が上手じゃのう~

目尻を下げて、デレデレと笑いながらベネット。きゃっきゃと屈託なくはしゃぐジェシカを見ていると、全てどうでもよくなってきた。ジェシカは幼い。教育も嫁入りもまだまだ先の話だ。今は全身全霊で可愛がってあげよう―

(―それに、そろそろジェシカだけに構ってあげられなくなるしのぅ)

ほんの少しだけ、申し訳なさで表情が曇る。

ジェシカは、ベネットの次男クローネンの子だ。

次期村長こと長男ダニーには、長いこと子どもができなかったのだが、数ヶ月前、とうとうダニーの妻が妊娠したのだ。ダニーは優秀だがあまり人望がなく、そのせいで村内には次男クローネンを次期村長として望む声もある。跡継ぎの不在が攻撃材料の一つになっていたのは確かだ。

ダニーの妻シンシアも、石女(うまずめ)だの何だのと陰口を叩かれていたが、ベネットの知る限り、ダニー本人はシンシアを一言も責めなかった。あれはあれなりに妻を愛しておるのだろう、などと思う。

それはさておき、孫の話だ。

何事もなければ半年もしないうちに、ダニーとシンシアの子が生まれるだろう。そうなるとジェシカ一辺倒の生活も、どうしても終わらざるを得ない。

おじーちゃん! のどかわいた!

おお、じゃあお茶を淹れてあげようかねぇ

よっこらせ、と席を立つべネット。

―ベネットも長男だから、わかる。両親は自分を大切にしてくれたが、年の離れた弟が生まれたときはそっちにかかりきりで、自分がおざなりにされたように感じたものだ。実際、赤子は手がかかるので仕方がないのだが―できればジェシカには、あんな思いはさせたくない。

老骨には少々堪えるが、どちらも同じくらい可愛がらねば―! と決意を新たにする。

孫と言えば、サティナにもうひとりいるのだが、赤子の頃に一度顔を合わせたのみで、それ以来会えていない。向こうは自分のことなど覚えていないだろう、と思うと少し寂しくもある。サティナとタアフ、自分のような老人が気軽に行き来できる距離ではないが、本格的に隠居したら再び娘夫婦を訪ねるのもいいかもしれない―

―お義父様

と、背後から、か細い声がかけられる。

振り返れば、色白の美しい女が顔を覗かせていた。ダニーの妻シンシアだ。まだ妊娠四ヶ月で、ゆったりとした服を着ていることもあり、その腹は目立たない。

美人薄命―というわけではないが、これまで、シンシアは気を抜けばふっと消えてしまいそうな儚い雰囲気をまとっていた。だが、妊娠して以来、少しずつ生命力に満ちてきているように思える。やはり母は強し、ということか―

どうかしたかの?

お客様みたいです

シンシアの知らせに、ベネットは顔をしかめた。

ベネットはあまり、この手の来訪者が好きではない。シンシアが『お客様』と呼ぶからには身内ではなく、定期的に村を訪ねてくる行商人でもない。その『客』とやらは何かしら『用事』があってこの村にやってくる。そしてその『用事』は、往々にして厄介事だ。

客人かのぅ……ジェシカや、おじいちゃんは、ちょっとお客さんの相手をしてくるからね。おとなしくしてるんじゃぞ

ん~~……わかった

存外、聞き分けのいいジェシカは、こてんと首を傾げてから、頷いた。その様子がまた可愛らしく、ベネットはニコニコと笑う。

シンシア、のどかわいた~!

はいはい。じゃあ、お茶でも淹れましょうね

そんな二人の声を背後に、玄関へと向かうベネットは好々爺然とした、よそ行きの表情を貼り付ける。誰が来たんだ、などと思いながら外に出ると―

―やあ。久しいな、村長

待ち受けていたのは。

……ケイ殿

ベネットにとって、深い因縁がある異邦の青年だった。

†††

村長宅のリビングに、村の主だった面々が集っている。

村長のベネット。その次男、クローネン。狩人のマンデル。そしてケイだ。

いやはや、お久しぶりですなケイ殿……

席についたベネットが、ニコニコとにこやかに笑いながら言う。

そうだな……半年ほどにもなるか

長かったような、あっという間だったような。この村を訪れた転移直後のことを思い出し、ケイも感慨深く思う。

(イグナーツの報復がなくてよかった……)

イグナーツ盗賊団の構成員を二人、仕留めきれずに逃したこと。あのまま逃げ帰ったのか、それとも野垂れ死んだのか―定かではないが、タアフ村が無事だったことは確かだ。当時、タアフ村より自分たちの身の安全を取ったことに関して、罪悪感がないと言えば嘘になるが、後悔もしていない。

ただ、せめて罪滅ぼしとして、今回は村側に花を持たせられれば、とは思う。

ところで、ダニー殿は?

リビングの面々に、次期村長たる男の顔がないことに気づき、ケイは素朴な疑問を投げかける。ベネットがビクッとしたような気がした。

あ、ああ……倅は今、ちょうどサティナに買い出しに出ておりまして……

おお、そうだったのか

自分はサティナから来たというのに、入れ違いのようで少し可笑しくもある。

まあ、ダニーはアイリーンへのセクハラ疑惑もあり、会っても気まずいだけなのでこの場にいなくて良かったかもしれない。

……などとケイはのんきに考えていたが、ケイがダニーに言及した時点で、タアフ村の面々は充分に気まずそうであった。

最初、この村に訪れたときは、右も左もわからず苦労していたところ、助けていただいて感謝している。お陰様で、今はアイリーンも俺も元気でやっているよ。改めてありがとう

なんのなんの。お礼を申し上げなければならぬのは手前の方です、孫娘を救っていただいただけではなく、今でも大変お世話になっているようで……

ベネットが深々と頭を下げる。

―孫娘、と言われてすぐにはわからなかった。

しかし思い出す。ベネットの娘、キスカ。そしてキスカの子がリリー。

(そういや祖父と孫の関係なのか……)

ベネットとは転移直後の数日しか付き合いがなく、逆にリリーは誘拐事件に魔術の弟子にと深い関わりがあるので、ベネットとリリーが頭の中で結びついていなかった。ケイにとっては、ベネットの孫というより木工職人モンタンの娘、という印象が強いこともある。

リリーは……元気にしているよ。一時期は、落ち込んでいたが……

事件のトラウマか、はたまた麻薬への依存症か―精神的に不安定で、しきりに蜂蜜飴を求めていたリリーだが、近ごろは魔術の修行に打ち込んでいることもあり、かなり改善の傾向が見られている。

以前のように、明るく笑ってくれることも増えてきた。

最近、リリーは精霊語の勉強を始めたんだ。彼女はとても物覚えがいい。精霊と契約さえできれば、将来は立派な魔術師になるだろう。俺が保証する

現在、ケイとアイリーンが二人がかりであれこれ教えている。それになんといっても、将来的には”黒猫(チョンリーコット)“による魔力鍛錬も解禁する予定だ。魔術は才能よりも、知識と鍛錬が物を言う世界。その鍛錬の部分を安全かつ堅実にこなせるのだから、成長は確約されたようなものだ。

そうですか……あの子が、魔術師に……

ベネットは、あまり実感が湧かない、と言わんばかりの表情で頷いている。その隣のクローネンに至っては、別世界の話を聞くような顔でポケーッとしていた。

実のところ、ワシはリリーが赤子のころ、一度顔を合わせたのみでしてな。あの子が今どんな風に成長したのか、いまいちピンとこんのです

ああ……なるほど。そうそう気軽に行き来はできないしな

ケイのように騎馬をぶっ飛ばしても、数時間はかかる道のりだ。ベネットに騎乗の心得があるかはしらないが、村には農耕馬が一頭しかいなかったし、基本的に移動は徒歩になるだろう。

あの距離を歩くのは骨だな、と思い返しながら、ケイは頭をかく。

すまない、気が利かなかったな。キスカの手紙の一つでも配達できればよかったんだが、俺も急いで来たもので―

―お茶をお持ちしました

と、リビングの扉がノックされ、ポットと木製のコップを載せたトレイを手に、色白の麗人―シンシアが姿を現す。

おっと

腕組みをして黙っていたマンデルが、素早く席を立った。

身重(みおも)のご婦人のお手をわずらわせるのは、しのびない

そう言って、紳士的にシンシアからトレイを受け取るマンデル。

……

しかしシンシアは礼のひとつも言わず、サッと顔を背けてリビングを出ていってしまった。目すら合わせないとは、随分冷たい対応だ。あのシンシアという女性、かなり礼儀正しい人物であったと記憶しているが、あんな人だっただろうか……? と疑問に思うケイをよそに、マンデルは気にした風もなく、各人の前にコップを置き、茶を注いでいった。

ベネットとクローネンは、何とも複雑な顔をしている。同情と憐憫と気まずさが入り混じったような―

(なんだこの空気……)

困惑するケイをよそに、 さて とベネットが切り出した。

ケイ殿。いかなるご用向で我が村に?

本題の時間だ。

ああ。実は、狩人としてマンデルを借り受けたく思う

……マンデルを? 理由をお聞きしても?

“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を狩る

は?

ベネットが呆気に取られる。隣のクローネンも同じようにポカンとしており、その表情があまりにも似通っていて、可笑しかった。

実は今日、ウルヴァーン郊外の開拓村から手紙を受け取ってな―

順を追って説明する。ケイが冗談ではなく本気(マジ)で言っていることを察したベネットは、頭痛をこらえるように額を押さえ、クローネンは わからねぇ……おれにはなにも…… と思考放棄したかのようにホゲーッとしていた。

そう……ですか、そのためにマンデルを……

唸り声を上げたベネットは、深い皺の刻まれた顔を厳しく引き締める。

……ケイ殿。個人的に大恩ある身としては、非常に心苦しいのですが、マンデルは我が村にとって貴重な人材。斯様に危険な狩りに参加させることは、村長としては承諾いたしかねます

マンデルの娘さんたちにも同じことを言われた

ケイは動じることなく頷く。

しかし、俺とて、友人を徒(いたずら)に危険に晒したいわけではない。そこで安全策として、マンデルには専用の馬を一頭用意する。彼には騎乗の心得があるだろう? いざというときは迅速に退避できるはずだ

ケイはマンデルに視線をやりながら言う。 友人 と言われてマンデルは少し嬉しそうだった。

そも、絶対に、とは言い切れないが、マンデルには”森大蜥蜴”の敵意は向きづらいはずだ。“森大蜥蜴”の注意を引く囮役は、俺の相方がする。そして主に攻撃を担当するのは俺だ

相方、ですか?

アイリーンだ

…………

ベネットはクローネンと顔を見合わせた。アイリーン―サティナではリリーを救い出し、“正義の魔女”と名高い彼女だが、この村の面々からすると毒矢を食らって寝込んでいた印象が強い。

……森の中で”森大蜥蜴”並の速さで動き回れるのは、公国広しといえど、おそらく彼女くらいのものだぞ。それに影の魔術も使えるからな……

ベネットたちの懸念を感じ取ったケイは、言い含めるように注釈する。実際のところ”森大蜥蜴”は昼行性なので、影の魔術の出番はないだろうが……。

うぅむ……しかし……

いずれにせよ、マンデルの役目は、横合いから魔法の矢で動きを鈍らせることだ。“森大蜥蜴”とことを構える時点で、危険なのは確かだが、正面切ってやり合う俺よりは安全だ。万が一のことがあっても、彼が逃げる時間くらいは稼ぐことを刃に誓おう

腰の短剣を抜き、改めて宣誓する。

ぬぬぅ……。マンデル、近ごろの森の様子は?

ベネットはそれでも気が進まない様子だったが、マンデルに水を向ける。

森は静かなもんだ。……収穫も片付いたし、獣も荒らしには来ないだろう。おれの出番はそれほどない。罠の扱いなら『フィル坊』にも一通り仕込んであるしな

静かに答えるマンデル。フィル? と首をかしげるケイに気づいて、

フィルは、マリア―おれの上の娘の婚約者だ。我が家に婿入りして狩人を継ぐことになっている。弓扱いはまだまだだが、罠に関しては筋がいい

ほう、そういうことか

納得するケイをよそに、クローネンと何事かコソコソ話し合っていたベネットは、咳払いして話を戻す。

……ケイ殿。事情はわかりました。しかしマンデルは我が村の防衛をも担う人物でもあり、そう容易くお貸しするわけには参りません。近ごろはこの辺りも平和なものではありますが、それでもマンデルの不在は大きいですからの

公国の各所で暴れていたイグナーツ盗賊団も、とんと噂を聞かなくなった。ケイが大打撃を与えたお陰かもしれない―とは思ったものの、ベネットは口には出さずに堪える。話す前からケイに先回りされているような感覚だった。

ふむ。それは当然のことだな。マンデルほどの人物を借り受け、さらには村にリスクを負わせるとなると、無料(タダ)で、というわけにはいかないだろう。相応の対価は払わせていただきたい

……もちろん、相応の対価をいただけるならば……しかし、どれほど期間をご予定されているので?

それは、難しいな。相手次第だ

痛いところを突かれ、ケイも顔をしかめる。

仮に、ケイたちが駆けつけるころには時既に遅く、ヴァーク村が壊滅していたとしても、そのまま帰るわけにはいかない。おそらく”森大蜥蜴”は近辺に潜んでいるはずだ。他の村に被害が出る前に、引きずり出して叩く必要がある。

たらふく食った”森大蜥蜴”が満足し、そのまま 深部(アビス) に引き返す―そんな可能性もなくはないが、ケイの見立てでは低い。魔力の薄い地において、人間は野生動物に比べると『濃いめの』魔力を持つ生物だ。そして数も多い。味を覚えたからには『次』を求めるはず―

……最短でも2週間。長引けば……1ヶ月といったところか。討伐成功か否かにかかわらず、25日が過ぎればマンデルは離脱させる。移動の時間を鑑みても、1ヶ月とちょっとでタアフ村に帰還できる、というわけだ。これでどうか?

25日というのは、ゲーム内での経験を現実世界に拡張させ、ケイが適当に考えた日数だ。具体的な根拠があるわけではないが、それぐらい時間をかければいずれにせよ決着は着く、と踏んだ。

それならば……まあ……。マンデルは、それでも構わないのか?

もちろんだ

不承不承、といった様子でベネットが問いかけるが、マンデルは是非もないとばかりに即答。この男、ノリノリであった。

なら決まりだな。期間は二週間から一ヶ月。そして俺はそちらが満足するだけの相応の対価を払う、と

よしよし、と頷くケイ。まだ対価の中身すら交渉していないというのに。

それでよろしいか? ベネット村長

……わかりました。それで、対価についてですが―

いや、悪いがちょっと待ってくれ。マンデルの加勢が確定したからには、知らせを送りたい

ベネットを手で制し、ケイはおもむろに席を立つ。

知らせ? と首をかしげる面々をよそに、リビングの雨戸を開け放つ。

日が傾いてきたな……

空を見上げ、ううむ、と唸るケイ。できればサティナに日帰りしたかったが、秋の暮れ、日が短くなってきた。日が沈むとサティナの市壁の門は閉じられる。閉門は正確な時間が決まっているわけではなく、衛兵たちの判断で閉められるので(仮にまだ待っている人がいたとしても!)、今から全力で戻っても、ギリギリで間に合わない可能性が出てきた。

……マンデル。明日の明け方、村を出てサティナへ向かおう。馬は俺が連れてきたスズカを貸す。それでもいいか?

ああ。……しかし、ケイの馬か。おれに御しきれるかな?

大丈夫だ、スズカは大人しいからな

なにせ草原の民から殺して奪った上で懐いた馬だ、とケイは胸の内で呟く。サスケは、人懐っこく見えてケイたち以外は乗せないが(面識のあるリリーやエッダならイケるかもしれない)、スズカならマンデルでも問題ないだろう。

では……

空を見上げて、ケイは腰のポーチから澄んだ緑の宝石(エメラルド)を取り出す。

おお……!

思わず、ベネットは感嘆の声を上げた。ケイの指先できらめくそれは、大粒でかなり上質なもの。まさかあれが対価なのか―? と期待に胸を高鳴らせたベネットは、しかし次の瞬間、悲鳴を上げることになる。

Siv ! Arto, Kaze no Sasayaki.

ケイが呪文を唱えると同時、その見事なエメラルドに無数のヒビが入ったかと思うと、ざらあっと崩れ、虚空に溶けるように消えてしまったからだ。

ぞわ、と場が異様な気配を孕む。

窓から踊るように風が吹き込む。

そして一同は、羽衣をまとい艶やかに笑う少女の姿を幻視した。

『アイリーン、話はまとまった。明日の朝、8時頃にはマンデルと一緒にサティナへ戻る。マンデルのために馬を一頭用意してもらえるよう、ホランドに頼んでおいてくれ。頼んだ』

一息に言い切ったケイは、

Ekzercu(執行せよ).

くすくすくす、と少女の笑い声。

― Konsentite ―

びゅごう、と風が渦を巻いて去った。

―全てが幻だったかのように、穏やかな午後の空間が戻ってくる。

……ケイ、殿……?

いや、なに。サティナのアイリーンに声を送った

なんでもないことのように、笑って答えるケイ。

あれが……

ベネットは、未だ衝撃から立ち直れなかった。実は、この部屋の面々は、ケイの『声を届ける魔術』を体験したことがある。アイリーンが毒矢に倒れた際、毒の種類を突き止めたケイから、服用させるべき解毒剤をあの魔術を通して指示されたのだ。

だが、まさか―

(―あれほどの宝石を対価とするものだったとは!)

愕然。

ベネットは村長として、普通の村人より遥かに多くの経験・知識を持つが、流石に魔術は埒外だった。

知らなかった。あんな、村では一財産になるような宝石を、いとも容易く触媒として使い捨てるとは。

リリーが魔術の修行を受けている―その意味を、ベネットはまた違った側面からまざまざと見せつけられた気分だった。

そして何より、それを為したケイだ。なぜこうも平然としていられるのか? 惜しくはないのか? あんなに素晴らしい宝石を捧げてしまっても?

……む?

そんなベネットをよそに、ケイは何かに気づいた様子で、そそくさと窓から距離を取る。

―ケイが数歩、窓の日差しから離れると、途端に、部屋の空気が再びぞわりと異様な気配を孕んだ。

ケイの足元の影が、うごめく。

影法師のように壁へと伸びたそれは、ドレスをまとった貴婦人の輪郭を取る。

『―了解。氷の矢は20本。対価はとびきりの矢避けの護符』

影絵の文字を描いた貴婦人は、優雅に一礼して、ふわりと消えた。

解けるようにして、ケイの影が元に戻る。

まだ日が高いのによくやる……

窓の外を見ながら、ケイはニヤリと笑う。

アイリーンが契約する”黄昏の乙女”ケルスティン―影の魔術は、夕方から夜にかけては低燃費だが、日中は消費魔力が激増する特徴がある。

だが。“黒猫”の恩恵に与っているのは、ケイだけではない。

アイリーンもまた着々と成長しているというわけだ―日中に影絵のメッセージを送るくらいなら、どうということはない程度には。

(それにしても、氷の矢が20本、か)

依頼を受けたコウは、ケイたちのために奮発してくれるらしい。『対価はとびきりの矢避けの護符』―代わりに出来の良い風のお守りを寄越せ、ということか。

(この件が片付いたら、とびきり高性能なやつを作ってみるか。持ち主の魔力を消費するタイプでもコウなら平気だろう……)

ふふっ、と穏やかに笑うケイ。

そんな彼を―部屋の面々は、畏怖の念をもって見つめていた。

今しがたの影の精霊。『正義の魔女』―影を操るアイリーンの仕業であることは一目瞭然だ。ケイが声を送ったなら、アイリーンは影絵を返してきた―

サティナ。騎馬を全力で駆けさせても、数時間はかかる遠方の都市。そこにいるアイリーンとの、ほぼリアルタイムでの意思の疎通。

ネットに馴染みがあるケイとアイリーンからすれば、何でもないようなことだったが、この世界の住人にとっては頭をぶん殴られたようなカルチャーショックだった。

仮に伝書鴉(ホーミングクロウ)を飛ばしても、一時間や二時間はかかるだろう。その距離の通信が―まさに一瞬で―

魔術師とは皆、こ(・)う(・)い(・)う(・)も(・)の(・)なのか?

ベネットは目眩がしそうだった。隣でのんきに すげぇ…… とただびっくりしているだけのクローネンが羨ましい。

おっと、今の影の魔術に関しては、他言無用で頼む。一応、あれでも秘奥の類なんだ。他の者に軽々しく話したら呪われるから注意してくれ

影はどこからでも見ているからな、と言いつつ、人差し指を唇に当てて茶目っ気たっぷりにウィンクするケイ。全員が―マンデルさえも―ぎょっとしたように身を仰け反らせた。

も、もちろんです、決して、決してそのようなことは……

冷や汗をかきながらブンブンと首を振るベネット。 頼むよ とケイは苦笑しているが、魔術の秘奥? ならなぜそんなものを軽々しく見せつけてくれたのか。それに呪いだと? なぜ笑っていられる? 何が可笑しいのか? 理解できない―

さて、すまなかった。それで対価の話だったな

再び席について、ケイが話を戻す。

ベネットも気づいた。すっかり忘れていた、報酬の話がまだ済んでいなかったことを。

そ、そうですな……対価……

服の袖で額の汗を拭いながら、交渉に向け考えを巡らせようとするベネット。

ふむ。正直なところ、俺は、どれだけ払えばいいのかわからんのだ。助力を願うマンデルにこちらから値段をつけるのも、無粋な気がしてならないしな

マンデルに微笑みかけながら、ケイは机の上で手を組む。

―なので、そちらに決めていただきたい。何がどれだけ必要だ?

ごくごく自然体で、問うた。

……それは

ベネットは言葉に詰まる。

ケイは、今回、村側に花を持たせるつもりだ。それは以前、気持ちの上で村を見捨てた罪滅ぼしでもあり、マンデルの助力を重要視していることを示すためでもあった。

また、狩りが成功裏に終われば、“森大蜥蜴”の素材で莫大な収入も期待できる。

だからベネットに多少ふっかけられても、全く構わないと考えていたのだ。

―その、圧倒的な『持つ者』の余裕に、ベネットは気圧された。

今の俺の手持ちで渡せるものとなると……

懐に手を入れようとして、革鎧と鎖帷子の存在を思い出したケイは、 すまん、マンデル手伝ってくれ と声をかけ、いそいそと武装を解除し始めた。

まずは革鎧を脱ぎ、椅子に置く。ところどころに傷がついているが、歴戦の風格を漂わせる逸品。

以前、あの革鎧の手入れを頼まれた村の職人が、 “森大蜥蜴”の革らしい! と大興奮していたのを思い出す。当時のベネットは 確かに見事な革鎧だが、流石に話を盛っているのだろう と鼻で笑ったものだ―

艷(・)や(・)か(・)な(・)青(・)緑(・)色(・)の革鎧。

今となっては笑う気にもなれない。

っと、どこにしまったか……

これまた最上級品に近い鎖帷子を脱いで、胸ポケットをごそごそと探るケイ。

とりあえず邪魔な懐中時計を外に出しておく。鎖にぶら下がって無造作に揺れるそれを、ギョッとして凝視するベネット。

えーと、金と、触媒と、……これもアリか

懐から硬貨が詰まった革袋、宝石類を包んだ巾着を取り出し、机に置く。さらに腰のベルトのポーチから、いくつか護符を抜き取った。

こんなところだな。まずはコレを渡しておこう―アンカの婆様は元気か?

布にくるまれた護符を差し出し、唐突にケイが問う。

アンカ―村の呪い師の婆様のことだ。前回の訪問時、ケイとアイリーンが精霊語をレクチャーした結果、精霊に祈願し病魔を退ける簡単な呪術を扱えるようになり、豊作祈願に病気の治療にと大活躍している。

ええ、それはもう、近ごろはむしろ若返ったようで……

そうか。それはよかった、ならこれが使えるな

……それは、なんなんだ?

恐る恐る、といった様子でクローネンが尋ねる。これまで終始圧倒されて黙り込んでいたクローネンだが、好奇心が勝ったらしい。

使い捨ての”突風”の護符だ。呪文を唱えれば、大の男でも吹っ飛ばすような風を、ピンポイントで吹かせられる

―まさかの魔道具。それも攻撃用の。ヒュッと引きつったような呼気を漏らしビビるクローネン。

ああいや、それほど怖がる必要は……あるか。核になってる宝石部分は絶対に傷つけないでくれ。暴発して大変なことになる

だから布でくるんであるわけだが、というケイの説明にマンデルさえ顔をひきつらせる。

それは……その……それが対価ということですかの?

確かに価値は凄そうだが、こんなもん渡されても困る、とばかりにベネット。

いや、これは迷惑料みたいなもんだ。マンデルがいない分、村の戦力が落ちるだろう? 万が一ならず者が村を襲ったら使うといい。強そうなヤツを二、三人吹っ飛ばしてやれば、相手も腰が引けて戦いやすくなる。多少魔力を使うが、アンカの婆様なら問題ないはずだ。あとで挨拶かたがた、起動用の呪文も教えておくよ

タイミングは難しいが矢を逸らすのにも使えるぞ、騎馬の突撃だって工夫すれば止められるぞ、などと、自作魔道具の活用法を生き生きとした様子で語るケイ。

…………

迷惑料―迷惑料とは―そんな言葉がベネットの頭の中でぐるぐる回る。

で、対価の方だが、どっちがいい?

ずい、とベネットの前に、革袋と巾着袋を押し出すケイ。

ベネットは無言で、まず革袋を検めた。―中にぎっしりと、銀貨が詰まっていた。何枚あるか、数える気にもならない。村の収入の何年分だ? 計算しようとするが思考が上滑りするばかりで、頭がうまく働かない。

仕方ないので、巾着袋を調べる。―先ほどケイが使い捨てたような、良質なエメラルドの原石が、お互いが傷つかないように小分けしてごろごろと入っていた。

ちなみに、価値は宝石の方が高いかな

俺としてもそっちを取ってもらった方が助かるかもしれない、とケイ。

えぇ……?

なぜ高い方が助かるのか理解できず、妙な声を上げるクローネン。

確かに、……見事な宝石ではありますが、ワシらには換金の手段が限られておりますからの。倅(ダニー)ならサティナの街でさばけるかもしれませんが、宝石商の宛てとなると……それに、これほどの宝石は経験がありませんし、うまく交渉できるかどうか……それならば現金の方が―

コーンウェル商会を訪ねればいい

ケイはニヤリと笑う。

―アイリーンと俺はコーンウェル商会の専属魔術師でもある。俺からの紹介ともなれば無下には扱われない。どうだ?

コーンウェル商会……専属……

ベネットは今日何度目になるかわからない衝撃を受けた。

娘(キスカ)の手紙から、ケイたちがコーンウェル商会と交流があることは知っていた。だが専属契約まで結んでいることは知らなかったのだ。何分、ケイたちが本格的に魔術師として活動し始めたのはここ1~2ヶ月のことで、最後にキスカの手紙を受け取ったのが数ヶ月前だ。知りようがなかった。

そして、宝石について。

ケイからすれば、この宝石はコーンウェル商会から割引価格で購入したもので、ベネットがコーンウェル商会に売るのであれば、それらは再び魔道具の材料として手元に『戻ってくる』。どこの商会に使われるかわからない現金を渡すより、コーンウェル商会、ひいては自分たちに利益が還元される可能性が高いわけだ。

また、ベネットからすれば、ケイの口利きのもとコーンウェル商会で安全に取引ができる。コーンウェル商会に問い合わせれば医薬品でも嗜好品でも、常識的なものはほとんど揃うだろう。宝石を対価に大量の、かつ良質な物資を得られるのだ。何よりコーンウェル商会とつながりができる。その利益は計り知れない―

可愛い可愛い孫娘(ジェシカ)のことが頭をよぎる。麻痺していた脳がここにきて、バチバチとそろばんを弾き始めた。

……ケイ殿

ベネットは深々と頭を下げた。

こちらの宝石を、対価としていただけませぬか。それと、もしよろしければ一筆したためていただけると、非常に助かるのですが……

ああ、そうだな、何か証拠があった方がいいか。もちろんだとも

鷹揚に頷くケイ。

(なんとも、まぁ……)

合意の握手をしながら、ベネットはもう笑うしかなかった。

半年前―

そう、久々といっても、たった半年前だ。ケイがこの地を訪れたのは。

あのとき、この青年は右も左も分からない、怪しい身元不詳の異邦人だった。

だが、今の彼を見よ。まるで別人ではないか。圧倒的武力はそのままに、魔術の秘奥を使いこなし、財力も人脈も並外れている。武闘大会でケイと再会したマンデルが、村に戻ってからしきりにケイを褒め称えていたが、ようやくその心がわかった。

(交渉にもならん)

本来、こういう細々した交渉というのは、対等に近い立場でするものだ。

互いの『格』が隔絶していては、交渉の余地などない。弱い方が強い方におもねるだけ。そういう意味では、今回の『交渉』は大成功といってもいい―

(ノガワ=ケイチ、か)

あの夜の名乗りを思い出す。

草原の民の格好をして家名持ちか? などと思ったものだが。

(本当に、家名持ちだった、ということかの……)

これだけの財を持ちながら、自然体。

故郷では一角の人物だったのだろう―などと納得するベネット。

実際は、ゲーム時代の感覚を引きずっていることに加え、魔道具の売れ行きが好調で金銭感覚が狂っているだけなのだが。

何はともあれ、ケイはマンデルの同行がスムーズに決まり、ごきげんだ。

それが全てだった。

†††

リビングの隣の部屋。

壁にぴったりと身を寄せる、憂いを含んだ面持ちの女がひとり。

かすかに響く会話に、じっと耳を澄ませている。

話し合いは一段落したのか、今は和やかな笑い声が―

―シンシア?

と、足元からの舌足らずな声がして、ビクッと震えた。

見れば、ジェシカが、つぶらな瞳でこちらを見上げている。

……なにしてるの?

幼女の問いに、色白の女―シンシアは なんでもないわ と微笑む。

ジェシカ。おやつにしましょう

! わーい! おやつ!

ジェシカが喜んで部屋を出ていく。

何事もなかったかのように、シンシアもゆっくりと、そのあとを追った。

―かすかに膨らんだ腹を、心配げに撫でながら。

90. 出発

前回のあらすじ

(不穏)

翌朝。

うっすらと空が明らむ中、ケイとマンデルはタアフ村を発つ。

お父さ~ん! 気をつけてーッ!

無事に帰ってきてね~ッ!

マンデルの二人の娘はもちろん、ベネットやクローネンをはじめとした村人たちも見送りに出ている。シンシアはいなかったが、ケイの鷹並の視力は、村長屋敷の窓から心配そうにこちらを覗き見る彼女の姿を捉えていた。

―なぜ堂々と見送らないんだろう? マンデルと確執でもあるのか?

などと疑問に思いつつも、ポンッと軽くサスケの腹を蹴るケイ。

常歩(なみあし)から駈歩(かけあし)へ。サスケがゆるやかに加速していく。マンデルの駆るスズカも問題なくついてくる。

そうして二騎は、木立を抜け、草原へと駆け出した。

草原の緑と、朝焼けに燃える空の対比が美しい。思わず見惚れそうになるが、ぶわっと吹き寄せた風の冷たさにケイは身震いした。

秋でこれなら、冬になったら相当な寒さだろうな―と革のマントの襟を手繰り寄せながら、顔布を装着する。白地にひらひらと踊る赤い花の刺繍。これで顔面が冷えずに済む。

それ、相変わらず使ってるんだな

隣のマンデルが、刺繍に目を留めて声をかけてきた。

ああ。重宝してるよ

この顔布は、イグナーツ盗賊団との戦闘で破損してしまったものだ。それをシンシアが修繕し、花の刺繍までしてくれた。基本的には、戦闘時に表情を読まれにくくするために使うのだが、そこに可愛らしい花のモチーフをあしらうとは―独特なセンスを感じる。

しかし……あんまり付けない方がいいかな?

以前、マンデルに 草原の民と誤認されるから気をつけろ と言われたことを思い出し、顔布に手をかけるケイ。

いや。……どうせおれたちしかいない。大丈夫だろう

そうか

それと、昨日はありがとう。……娘二人も呼んでくれて

昨夜、あのあとケイは村長屋敷で歓待された。

マンデルが仕留め、熟成させていたとっておきの鹿肉が夕餉に振る舞われた。マンデル本人はもちろん、その娘二人も同席しての食事会だ。娘たちを招くことを提案したのはケイで、突然父親を連れ去ってしまうことへの詫びも兼ねていた。

食事の席で、ケイは武闘大会以降の旅路を語った。村に着くなり大物狩りの話になって、マンデルにもその後の経緯を伝えていなかったからだ。

ウルヴァーンで名誉市民権を取得するために奔走したこと。図書館での調査で『魔の森』の伝承を見つけたこと。緩衝都市ディランニレンを抜けて北の大地を放浪したこと。水不足に苦しみ、独力での北の大地横断を諦めてディランニレンへ引き返したこと。ガブリロフ商会の隊商に参加し、馬賊と激突したこと―

己の武勇伝に関しては、少し誇張した。自分はそれなりに武力があるから、無事に狩りを終わらせてマンデルを無事に帰す―という、娘たちに向けてのメッセージのつもりだったのだ。しかし当の本人たちは、慣れない村長屋敷での食事会に緊張して、それどころではなかったようだ。

招いたのは余計なお世話だったかもしれないな、と苦笑したケイは、昨夜の席を思い返す―

†††

『―それで、しこたま矢を食らってハリネズミみたいになってな。そのときの傷がこれだよ』

食後の葡萄酒を味わいながら、席の後ろに置いてある革鎧を示すケイ。

『ずいぶん多いな。……これ、全部が?』

『ああ』

『……よく生きてるな』

革鎧に近づいたマンデルが、補修された傷跡を指でなぞりながら言う。同席したクローネンが『化け物かよ』と呟いて、横合いからベネットに頭を叩かれていた。

『“高等魔法薬(ハイポーション)“のおかげさ』

ケイは何気なく答える。ハイポーションと聞いて、ランプの明かりの下、ベネットの目がギラッと光った。

『もっとも、この戦いで飲み干してしまったが』

当然、それに気づいた上で、しれっと付け加えるケイ。

タアフ村では以前、ハイポーションの存在を明かしている。村を去る際、特に口止めはしていなかったが、今のところ噂が広まる気配もないようだ。しかし、ケイたちがサティナへの定住を決めた以上、 あいつは奇跡の霊薬を持っている と近隣で噂されるのはまずい。

なので、もう『使い切った』ことにしてしまおう、というわけだ。

(まさかサティナに定住することになるとは、思ってもみなかったからな……)

転移直後ということもあり、脇が甘かった。アイリーンを助けるためだったので致し方ないことだったが。

ちなみにポーションは、少量だがまだ残っている。これ以上、使う機会に恵まれないことを祈るのみ……。

『まあ、後悔はしていない。全てを出し切らなければ、とてもじゃないがあの戦いを生き残ることはできなかった』

『ううむ……そうでしたか……』

なぜか口惜しげな表情のベネット。仮にハイポーションが潤沢にあったところで、譲る気はさらさらないので安心してほしい―

そうして、ポーションが原因のゴタゴタを避けるため隊商を離脱したこと、ついに魔の森へたどり着いたことなどを話す。霧の中に棲む、不気味でおぞましい化け物たち。それをどうにかやり過ごし、赤衣の賢者と邂逅し、『故郷』への帰還が難しいことを教えられ、公国へ戻ってきた―

『あとは、知っての通りだ。そんなわけで、アイリーンと俺は、サティナに移住することにしたのさ』

ケイが長い長い冒険譚を語り終える頃には、すっかり夜も更けていた。明日は早いのでそこで解散となり、ケイは以前アイリーンが寝かされていた村長屋敷の一室で、柔らかい上等なベッドの感触を楽しみつつ就寝した―

―しかし、マンデル

しばらく無言で駆けていたが、ふと気になることに思い当たり、ケイはマンデルを呼んだ。

ん、どうした

ソフィア嬢は、本当に大丈夫だったのか? さっきの見送りのとき、随分とやつれているようだったが……

マンデルを心配げに見送っていた娘二人―そのうち妹のソフィアは、目の下に濃いクマを作って、どこかげっそりとした様子だった。

心配のあまり、よく眠れなかったのだろうか……。

ああ、あれか

が、マンデルはクックックと喉を鳴らして、笑いを噛み殺す。

どうやら、昨日のケイの話のせいらしいぞ

……え?

“魔の森”の化け物の話が、よほど恐ろしかったらしい。そのせいでなかなか寝付けなかったそうだ

…………

思っていたのと大分違う理由に、思わずケイは閉口した。それを見てマンデルが愉快そうに、声を上げて笑い出す。

やっぱり、お招きしたのは余計なお世話だったかもしれない―と、ケイは渋い顔をするのであった。

†††

それから、ケイとマンデルがサティナに到着したのは、おおよそ二時間後のことだった。

マンデルを連れていたにもかかわらず、スズカの速度が落ちることもなく、行きよりもスムーズに帰ってこれた。昨日、思い切り走ったことで、二頭ともむしろ調子が上がってきたのかもしれない。

早朝ということもあり、市壁の門もそれほど混雑していなかった。ケイとマンデルはそれぞれ身分証を提示し、街の西門をくぐり抜けてから、まずアイリーンが待つ自宅へと向かう。

ケイ! 戻ったか!

石畳を打つ蹄の音を聞きつけて、家からアイリーンが飛び出てきた。

アイリーン!

突進してきた、羽根のように軽い体を抱きとめて、二人で踊るようにくるくると回ってからキスする。

ただいま

待ってたぜ

……お熱いことだな

やれやれ、とばかりに苦笑したマンデルが、ひょいと帽子を脱いで一礼した。

久しぶりだな、アイリーン。……変わりないようで何よりだ

マンデルの旦那こそ、久しぶり。元気にしてたか?

ああ。……特に今は、若返ったような気さえしている

よほど気合が入っているらしい、マンデルは覇気に満ち溢れていた。

今回は、ケイに付き合ってもらって悪いな。来てくれてありがとう

なに。……礼を言いたいのはこっちの方さ、英雄殿の狩りに同行できるんだ

挨拶もそこそこに、今後の打ち合わせに移る。

サスケとスズカは絶好調のようだが、タアフ-サティナ間を駆け抜けて流石に疲労の色が見られる。いつもの宿の厩に預けて、しばし休憩を取らせることにした。

その際、忘れずに、自作の体力回復薬を二頭ともに舐めさせておく。以前ヴァーク村の 深部(アビス) で採取した『アビスの先駆け』から、薬効成分を抽出したものだ。アイリーンがレシピを覚えていたため、しばらく前に器具を買い揃えて調合してみたのだ。

ゲーム内ではしばらくの間、スタミナを回復させる効果があった。再出発は昼前を予定しており、それまでには二頭ともかなり疲労が取れるはず。

―なお、ケイも舐めて見たが、エグい苦さで死ぬほど不味かった。 ハイポーションのゲロマズ成分はお前か!! と叫びたくなるほどに。

舐めさせられたサスケは ぼくがんばったのに、なんでこんなことするの と悲しげな顔を見せ、スズカは鼻息も荒く前脚で地面をかいて、すこぶる不機嫌になった。

体力は回復するかもしれないが、精神的な面ではしばし問題がありそうだ。使わない方がマシだったかもしれない―

モンタン! 矢はできたか?

ケイさん! ばっちりですよ!

次に、木工職人のモンタンの家を訪ねる。キスカに、ベネットから預かった手紙を渡しつつ、“氷の矢”を見せてもらう。

突貫作業でしたが、何とかなりました

モンタンの役割は、コウが魔力を込めた宝石を矢にしっかりとはめ込んで固定することだった。これは、鏃が特殊な構造をしており、もともとケイが”爆裂矢”を作るために注文していた矢だ。『鏃に宝石をはめ込む』という点では”氷の矢”も変わらないので、流用が可能だった。

用意された”氷の矢”は、20本。さらに、エメラルドをはめ込んだだけの”爆裂矢”の素体(ベース)も何本か。ケイが宣之言(スクリプト)と魔力を込めれば”爆裂矢”の一丁上がり、というわけだ。

一本一本、重心などを確かめたが、どれも申し分ない出来だった。

見事な仕上がりだ。ありがとう

“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“狩りと聞いて、気合が入ってしまいましたよ

一仕事終えた感を出しつつ、爽やかな笑みを浮かべるモンタン。

お兄ちゃん……がんばってね! 気をつけてね!

心配げなリリーに見送られつつ、ケイはその足でコーンウェル商会へ向かう。

ケイくん。待ってたよ

商会本部の前では、ホランドが既に必要な物資の準備を終えていた。

荷馬車が一台。健康な山羊が五頭。マンデル用の乗用馬が一頭。食料や医薬品、野営用品、etc, etc…

うっス。自分は護衛を担当する、オルランドっス

そして、荷馬車を護衛する戦士たちとも顔合わせした。オルランドという強面の男がリーダーの四人組で、それぞれ交代で馬車の御者も担当するらしい。ケイが見たところ、そ(・)こ(・)そ(・)こ(・)できる。オルランドは槍使いらしく、かなり手強そうな雰囲気を漂わせていた。他の三人も槍や斧を扱うようで、粒ぞろいな戦士たちだ。コーンウェル商会の護衛の中でも腕利きだろう。

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