『シーヴは欲張りだからな……気持ち強めに、魔力を込める感じでいってみるか』
これが、おそらく余計だった。
粗悪かつ小さすぎる原石が、魔力の飽和(キャパオーバー)を起こし、崩壊し始めたのだ。
ところで、魔道具は故障することがある。
核となる宝石が割れたり大きな傷がついたりしたら、中に封じ込まれた精霊の分体も破損してしまうのだ。
それでただ、機能を喪失するだけなら、まだいい。
だが―時と場合によっては―
暴走―
異変に気づいたアイリーンの顔から、サッと血の気が引く。
アイリーンにとっても、未知の領域だった。今まで魔道具づくりで失敗したことはあるが、所詮ケルスティンは影の精霊。物理的な干渉力に乏しく、暴走したところで実害は皆無だったのだ。
だが―それが風の精霊となると。
ビキッ、パシッと音を立てて。
原石に、致(・)命(・)的(・)な(・)亀(・)裂(・)が(・)走(・)っ(・)た(・)。
圧縮された風の魔力が、解き放たれる―
いかん、爆発する!
ケイは咄嗟にアイリーンを抱きかかえ、床に伏せた。
次の瞬間、
爆(・)ぜ(・)た(・)。
グワッ、ドゴオオォォンと轟音が響き渡り、ケイたちは吹き飛ばされた。
急激な気圧の変化、空気の膨張。室内でそれが起きたらどうなるか。
単純だ。
家中の窓ガラスが、耐えきれずに砕け散った。
バキバシャァァァアンと甲高い音を立てて、ガラスが四方八方に飛び散る。
さらに、アイリーンが仕掛けた防犯魔道具が作動。
ブワッサァ! と家中の窓から影の手が飛び出す。
そして日光を浴びてスンッ……と消えた。
……………………
折り重なるようにして床に転がったまま、茫然とするケイとアイリーン。『なんだ今のは!?』『すごい音がしたぞ!』と近隣の住民が騒ぐ声が、遠くに響いている。
台所のフライパンが今さらのように戸棚から転がり落ちて、タイルにぶつかりカーンガラガラと耳障りな音を立てた。
まるで永遠のような沈黙―
……なあ、ケイ……オレは……
やがて、アイリーンが口を開いた。
……オレは……悪い夢を……見てるんだよな……?
光の消えた目で、呻くようにして。
……なあ……ケイ……そうだと……言ってくれ……
よろよろと起き上がったアイリーンは、床に散乱するガラス片を目にした。
それらは、陽の光を浴びてキラキラときらめいて―
―うーん
白目を剥いて卒倒するアイリーン。
なんでこうなるんだよォォォッッ!
うずくまったまま慟哭するケイ。
そよっ、と申し訳程度に、風が吹いた。
リア充爆発しろとの声が多かったので……。
そして前回は、たくさんの感想および にゃーん をいただき、ありがとうございました! Twitterで呟いたら想像以上の反響がありまして、とっても楽しかったです! 面白い! の一言は作者の生きる力となり、 にゃーん は癒やしの原動力となります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます! にゃーん。
85. 開発
前回のあらすじ
ケイ&アイリーン じゃあ魔道具作ってみよっか♪ (イチャイチャ
魔道具(不良品) ―キィェェエエエァァァッッ!!! (カッ!
―魔道具暴走事故から、数週間が経った。
全ての窓ガラスが木っ端微塵に吹っ飛ばされ、一時は無残な姿を晒していたケイたちの家だが、コーンウェル商会が再び窓ガラスを仕入れてきたため、元の状態に復元されつつあった。
二階の一部の窓は雨戸と羊皮紙でカバーしているが、すでに、一階の窓には全てガラスが嵌められている。
大損こいたコーンウェル商会が、なぜこうも手厚くしてくれるのか。
答えは単純。
ケイとアイリーンが、新たに金のなる木を見つけたからだ。
話は、事故直後に遡る―
†††
ケイ用のチェストは、外な
はい
ガラス片を片付けたあとのリビング。肩を落として正座するケイは、アイリーンの前で小さくなっていた。
魔道具の暴走を重く見たアイリーンは、今後ケイの作る魔道具類は全て、家の外に保管することを決定した。
具体的には、二階のテラス。小さなチェストなり何なりをそこに置く。これなら万が一暴走しても被害が抑えられるだろう。少なくとも、家が中から無茶苦茶にされるよりはマシなはずだ。
ただ、侵入しやすい―と言っても”NINJA”アイリーン基準―テラスに貴重品を置いておくのは、防犯上の不安もある。
だから新しいチェストには、実害のある罠を仕掛けておきたい。食らったら五体満足じゃ済まされないようなヤベーヤツを、な……
物騒な話になってきた……
大真面目に、かつ淡々と語るアイリーン。ケイは少し腰が引けている。
窓ガラスが全部ダメになっても、アイリーンはケイにキツく当たり散らすような真似はしなかったが、ムッスリとしていて機嫌が悪い。その感情が全て、チェストを狙うであろう仮想敵に向けられていた。
しかしケイたちには、実用性のある機械式トラップの作成能力はない。やはり魔術式の方が色々とやりやすいわけだが、アイリーンの影の魔術には物理的干渉力がなく、ケイの風の魔術は―
―やめとこうぜ。チェストの中身が撒き散らされる未来が見える
そうだな……
ケイは一切反論しなかった。
罠、と言っても、衝撃で中身が傷つくようなら本末転倒だし。毒針とかならいいか……? うーん、影の魔術(エフェクト)だけじゃなくて、本当に呪いとかかけられたらいいんだけどなー。……あ
そこで、アイリーンはパシッと膝を打った。
思い出した。せっかくだしヴァシリーの旦那に相談してみようぜ
ヴァシリー=ソロコフ。
公国と北の大地の境にある緩衝都市ディランニレン。そこに居を構えるガブリロフ商会所属の魔術師だ。
告死鳥(プラーグ)と契約し、黒羽の鳥を使い魔として操る術に長ける彼は、同時に呪いと退魔の専門家(プロフェッショナル)でもある。ヴァシリーならば、盗人に呪いをかけるような魔道具を作れるかもしれない。
ディランニレンはサティナからはるか遠くに位置するが、アイリーンの影の魔術を使えば連絡は可能だ。 サティナに無事到着した という事後報告も含めて、コンタクトを取ってみることにした。
日暮れ後の寝室。
ランプの光に照らされた壁面に、影の文字が踊る。
『―というわけでヴァシリーさん、呪いの魔道具とか売ってない?』
『うーん、その類は販売してないんだ。すまないね』
影絵を介しての文字会話(チャット)だ。主にアイリーンが雪原語(ルスキ)でやりとりしているが、翻訳魔術でケルスティンが同時通訳してくれるおかげで、ケイにもわかりやすい。
ケイはベッドに寝転んで、見物と決め込む。ガラス亡き今、ベッドの横の窓は雨戸で閉ざされていた。隙間から吹き込む夜風がやたら冷たく感じる……。
『呪物は危険だし、恨みを買いやすい。私自身にも身の危険があるからね、売らないようにしてるのさ』
『そういうことなら、無理は言えないわね』
『ただ、代わりと言っちゃなんだが、魔除けの護符なら取り揃えているよ。君たちになら安くしておくけど、どうだね』
『へぇ……興味があるわ、詳しく聞かせて』
魔除けの護符(タリスマン)。書いて字のごとく、悪意ある魔術的な干渉を跳ね除ける魔道具だ。
タリスマンには大きく分けて二種、『バリア型』と『永続型』が存在する。
バリア型は一定の魔術ダメージを無効化し、チャージされた魔力を使い果たしたら壊れてしまう使い捨て。
永続型は、魔力は消費せずに、持ち主の魔術耐性そのものを強化するお守りだ。
基本的に永続型の方が高価で貴重、とされている。ケイたちがゲーム世界から持ち込んだ魔除けの護符(タリスマン)は高性能の永続型であり、もともとの身体(アバター)のポテンシャルもあわされば、大抵の呪いは無効化(レジスト)できる―はずだった。
しかし、北の大地の戦闘では、耐性を貫通して弱体化の呪い(デバフ)をかけられてしまい、大いに苦労する羽目になった。この経験を踏まえ、使い捨てではあるが確実に一定の呪いを無効化できる、バリア型タリスマンも手に入れたいと思っていたのだ。
そして話を聞くに、ヴァシリー作のタリスマンはバリア型らしい。お値段も魔道具としてはお手頃な友情価格を提示されたので、ぜひ購入しようという話になったが、やはりお互いの距離が問題になった。
『届けてもらうのは無理かしら』
『さすがにちょっと遠すぎる。ディランニレンからウルヴァーンまでなら、まだ何とかなるが……サティナまでは使い魔の体力が持たない。伝書鴉(ホーミングクロウ)を休ませる施設や餌の補給は必須だ』
『うーん……ウルヴァーンまでは来れるの? それならコーンウェル商会の支部に話をつけておくけど。支部で商品と代金の受け渡しをしてもらうの、それなら支部で伝書鴉を休ませることもできるし』
『……悪くない手だが、お恥ずかしながら、私は公国語が話せない。雪原語(ルスキ)のできる人がいてくれると助かるんだが……』
『そうねー、そういう人もいるとは思うんだけど……詳しく聞いてみないとわからないわね……』
そのとき、会話を傍観していたケイに電流走る。
―それだッ!
おわッ!? どうしたんだよケイ? ビビるじゃん
アイリーン、俺は気づいたぞ! 『翻訳』だ!
ケイはびしりと、壁面に揺れるケルスティンの影文字を指差す。
この翻訳魔術! 投影機(プロジェクター)と組み合わせて公国語と雪原語の同時翻訳機にしたら、そこそこ需要があるんじゃないか?
……あ
アイリーンも、目を見開いた。
†††
それから、話はスピーディーに進んだ。
まずヴァシリーが諸手を挙げて賛成した。『それ私が欲しい!』とのこと。
ガブリロフ商会だけでは飽き足らず、公国の商会にもコネを作りたいらしい。おそらく今回の一件で、コーンウェル商会と誼を結ぶ腹づもりだろう。
しかし、ガブリロフ商会の専属じゃないのか?
実はケイもアイリーンも、コーンウェル商会とは専属契約を結んでおり、コーンウェル商会を介さない魔道具の売買が禁じられている(個人間の譲渡を除く)。その代わり、契約が遵守される限り、家やら窓ガラスやら魔道具の材料やらを気前よく都合してもらえるというわけだ。
ヴァシリーも似たような契約を結んでいるのでは、と思ったケイが尋ねると、
『たしかに私は、ガブリロフ商会の専属といっていい立場だ。商会の援助を受けて作った物品は(・)、全て商会を通じて売買する義務がある。が、私の個人の研究開発に関しては、私の裁量ということになっていてね』
そして仮に、別の組織が私個人の研究開発を支援するというならば、それはガブリロフ商会の関知するところではない―とヴァシリーは語った。要は、契約に抜け穴を作っておいたというわけだ。魔道具の『売買』全般をコーンウェル商会に紐付けされているケイたちとしては、 やられたなぁ その手があったか という想いだ。
まあ、コーンウェル商会には充分よくしてもらっているので、出し抜くような真似をするつもりは毛頭ない。 個人間の譲渡ならOK と配慮(・・)もしてもらっているし、現状で不満はなかった。
『ヴァシリーさん、翻訳機って売れるかしら?』
『多少高くても売れるだろうさ。何人か欲しがりそうな奴を知っている』
―なんなら私が口利きしようか? などと提案するヴァシリー。文字越しでも伝わってくる商魂たくましさに、ケイとアイリーンは思わず顔を見合わせて苦笑するのだった。
そしてヴァシリーに太鼓判を押されたアイリーンは、通信終了後、早速魔道具の作成に取り掛かった。いくつか水晶を駄目にしてから、『通訳』という高度な動作を可能とする魔道具には、それに見合う『入れ物』が必要と判断。普段は滅多に使わない良質な宝石、ケルスティンが好むラブラドライトの大粒を用いて試作品を完成させた。水晶を捧げて魔力を補充することで、半永久的に稼働する優れものだ。
翌日、コーンウェル商会に持っていくと、これがまた、高く評価された。
馬賊が制圧され、滞っていた物流が正常化されつつある北の大地は、反動のように商業活動が活発になっているらしい。特に公国産の医薬品や食料品がよく売れるそうで、コーンウェル商会もその流れに切り込もうとしているようだ。
ただ、大手の商会同士で商談をするにあたって、信用できる通訳がなかなか見つからないとのこと。雪原語(ルスキ)に精通した公国人は珍しく、見つかる通訳は片言の公国語を操る雪原の民がほとんど。当然、雪原の民は北の大地側の人間なので、交渉も公国側が不利になる可能性がある。
その点、アイリーンの翻訳機は、『精霊は嘘をつけない』という都合上、信頼性が高い。日没後でなければ使えないという欠点を補って余りあるメリットだ。コーンウェル商会が有用性を実証すれば、その他の商会もこぞって求めるようになるだろう。あるいは政治の場でも用いられるようになるかもしれない。いずれにせよ素晴らしい価値を秘めていることは間違いなかった。
さらに、アイリーンがヴァシリー―ディランニレンに住む告死鳥(プラーグ)の魔術師の件を切り出すと、これもまた概ね歓迎され、翻訳機の試作品を贈ることも了承された。近日中に、翻訳機が初運用されることになるだろう―ウルヴァーンのコーンウェル商会支部にて、ヴァシリーと支部員のやりとりで。
ちなみに家のテラスにケイ専用のチェストを据え付ける提案も、二つ返事で了承された。日が暮れる前に職人が派遣され、チェストが速やかに設置される。テラスの床に金具で固定されているので、チェストごと盗まれる心配はない。
問題はそこに仕掛けるトラップだが―これは思わぬ方向で解決した。
『ああ、それなら僕が何か作ろうか?』
コウだ。
引越し祝いに『冷蔵庫』の魔道具を贈ると連絡があり、ケイたちが屋敷を訪ねた日のこと。ケイがミスって家の窓ガラスを全部粉砕した―ことのあらましを聞いて爆笑したコウは、チェストの罠について協力を申し出た。
『鍵が使われず、チェストが破壊されたら作動する感じでいいかな? ちゃちゃっと作ってくるよ』
屋敷の私室に引っ込んだコウは、すぐに水色の宝石(ブルートパーズ)を手に戻ってきた。大きめの一つが冷蔵庫の核となるパーツ、小さめの一つが罠になるパーツだ。
『ウチの氷の精霊(オービーヌ)は、魔道具にブルートパーズしか受け付けなくてね……これを錠前に貼り付けて、チェストの内側に軽く塩水を塗ってくれ。非正規の手段でチェストを開ける奴がいたら、そいつは凍傷を心配する羽目になるだろうさ』
かくして、無理やりこじ開けると冷気が噴き出し、氷漬けにされるチェストが爆誕した。物理に干渉するタイプの魔術なので、『妖精』の昏倒・眠りの魔術に比べ、魔除けの護符(タリスマン)を持っていても抵抗(レジスト)されづらい。これなら安心して魔道具を保管できるというものだ。
ところで、その後のケイだが。
失敗にもめげず、魔道具の研究開発に勤しんでいた。もちろん屋外で。
魔力を込めるさじ加減がなかなか掴めず、何度か爆発の憂き目を見たものの、その甲斐あってか、ほどなくして矢避けの護符の作成に成功した。
一定範囲に飛来した矢や投射物のうち、持ち主に命中するものを選別し、風で軌道を逸らすという便利な品だ。さすがに”竜鱗通し”の全力射撃は防げないが、普通の弓や小型のクロスボウ相手なら充分な防御力を発揮する。ただし、ほぼ使い捨てで、連続して効果を発動し内部の魔力を使い果たすと、宝石(エメラルド)そのものが消滅してしまう。
使い捨てとしたのは、安全に、かつ急速に魔力を補充(チャージ)する手段が確立できなかったからだ。一応、壊れる前に使用を取りやめて、風通しのいい場所に放置しておけば、周囲の微弱な魔力を吸収し自然回復する。が、最大までチャージするのに要する時間は数ヶ月だ。
魔術師が直接宝石(エメラルド)に魔力をチャージする、という手もあるが―その際、何が起きてもケイは責任を取らない。風の精霊は気まぐれに過ぎるのだ……
この矢避けの護符作成の報に、コーンウェル商会の上層部は沸いた。
件の魔道具暴走事故についても、窓ガラスの損失がエグ過ぎたとはいえ、『そんな事態を引き起こすほどの潜在能力(ポテンシャル)を秘めている』という点でケイは評価されていたのだ。 大損だったけど長い目で見て投資してやろう。大損だったけど と、商会上層部は年単位で成長を見守る構えだった。
ところが、想像以上の早さで実用レベルの魔道具を仕上げてきた。ホランドを含む商会のメンバー立ち会いのもと、効果も実証済み。これで喜ばないはずがない。
……と、いうわけで、ケイくんに依頼だ
ある日、ホランドが家を訪ねてきた。
懐から取り出すビロードの袋。中から姿を現したのは―ケイがゲーム内でさえお目にかかったことがないような、見事な大粒のエメラルド。
それも、一つではない。
なんと五つだ。
屋敷の一軒や二軒は建てられそうな至宝が、複数。その時点で、ケイは腹の奥底がキュッと引き絞られるような緊張感に襲われた。
―さ(・)る(・)御(・)方(・)からのオーダーでね。以前の試作品と、同等の性能を持つ矢避けの護符をお求めらしい
……五つも?
最悪、一つは駄目にしてもいいとのことだ。その代わり最高のコンディションのものを四つ納品せよ、と
…………
これほどの至宝を、一つは無駄にしていい……?
旦那、これ絶対、領主クラスの依頼だろ
私は知らない……ナニモシラナイ……
アイリーンの問いかけに、なぜか片言になって壊れた人形のように首を振るホランド。彼は彼でいっぱいいっぱいのようだ。
無論、断るという選択肢があるはずもなく、ケイは謹んで依頼を受けた。
―性能は、試作品と同じくらいで。あれは驚くほど高性能だったから
ケイが初めて完成させたヤツのことだ。ケイにとって、というかゲーム内では標準的な性能だったのだが、こちらの世界基準では違ったようだ。聞くところによれば、矢避けの護符といえば、無差別に突風を吹き荒らすだけのお粗末なものが大半らしい。
ちなみに、完成品は納品されたあと、無作為に三つが選ばれてテストされる。それら全ての性能が要求を満たしていれば合格。残りの一つが晴れて『お買い上げ』されるって寸法らしいよ
テストのためだけに、これほどのお宝を三つも使い潰すのか……?
万が一があってはならないからね
四つのうち、無作為に選ばれた三つに問題がないならば、残る一つの性能も信用できるという寸法だ。大量生産の品から不良品を探し出すのとは違い、製作者の腕前と信用度を確かめるのが目的なので、こういった手法を取るらしい。
……だからケイくん、くれぐれも手は抜かないで、全てを最高の状態に仕上げてほしい。もちろん私は、きみが手を抜くような人物じゃないと知っている。それでも、全力で仕上げてほしいんだ。万が一、不(・)良(・)品(・)なんか掴ませた日には、とてもまずいことになってしまう……!!
いつになく必死なホランドに自分の置かれた状況を再認識し、ケイはまたぞろ緊張で腹痛を覚え始めるのであった……
†††
それから、ゲロを吐きそうになりながらも、ケイは何とか護符を完成させた。
幸いなことにエメラルドは一つも無駄にすることなく、最高のコンディションで五つの護符を納品した。性能は、試作品よりちょっと魔力に余裕をもたせたくらいで、堅実さを優先。冒険は一切しなかった。
しばらくアイリーンともども、落ち着かない日々を過ごしていた。ホランドが満面の笑みで訪れたときには、安堵のあまりしばらく立ち上がれなかったほどだ。
さる御方とやらも大満足だったとのことで、エメラルドを一つも無駄にしなかったことも含めて評価され、ケイは莫大な報酬を受け取った。窓ガラスの件も、なんとなくそれで許された気がした。別にアイリーンも商会関係者も、嘆きこそすれ怒ってはいなかったのだが……
そして重責からも解放され、のびのびと過ごす日々が始まった。ここに来て自由度が高まり、ケイも趣味に没頭し始めた。
あるときは、魔術の理論と応用を研究したり。
アイリーン、風の魔道具って下手したら爆発するじゃないか
……そうだな。まだ記憶に新しいぜ
うむ。それで思ったんだが、あの爆発を利用すれば銃が作れるんじゃないかと
この世界に銃は存在しない。
というより、地球でいう火薬(ガンパウダー)がない。火薬を調合しても、火の精霊の介入により爆発が発生せず、代わりに凄まじい高温でじっくりと燃焼するのだ。この性質により火薬は主に鍛冶や錬金術に利用されている。
ケイ……
銃、という単語を聞いて、書き物をしていたアイリーンは何とも言えない顔でペンを置いた。
なぜ……弓使いとしてのアイデンティティを自ら放り出すような真似を……
いや、それがな。必要な魔力諸々を計算してみたんだが、どうやら同じ魔力を用いるなら、風の爆発で弾丸を射出するより、矢を魔道具にして直接打ち込んだ方が強いらしい
ふふん、とケイはドヤった。
つまり竜鱗通しの方が銃より強い
良かったじゃねえか
またあるときは、木工職人のモンタンと特殊な矢の開発にチャレンジしたり。
と、いうわけで、敢えて不安定な魔道具を鏃に仕込むことで―
体内にめり込んでから暴風が解き放たれるというわけですか!
そうだ。あとこっちは、放つ前に起動することで空気抵抗を―
す、すごい! これなら矢の威力がさらに向上する!
そしてこれは、魔道具により笛の部分を制御する鏑矢で―
なんということだ! 今までにない複雑な音の組み合わせが可能に!
工房で興奮するケイとモンタンを、アイリーンとリリーとモンタンの妻キスカは呆れ顔で見ていた。
そしてあるときは、インスピレーションの赴くまま妙な魔道具を作ってみたり。
アイリーン、これとかどうだろう
……何、この……何だ、これ? タオル?
普通よりちょっと乾きやすいタオルを作ってみた。ぼちぼち冬だからな
エメラルド使ってまで作るものかよ! 送風機作ってまとめて乾かせよ!
あっ。たしかに……やってしまったな
別にいいけどさ。……それで、こっちは?
風鈴だ。風を呼び込んで自動で鳴る
何の意味があるんだよ!
いや、風を呼ぶ帆に応用しようと思って……
想像以上にまともな意味があった
などなど。
なんやかんや言いつつ、アイリーンも楽しんでいた。
ケイは間違いなく、人生で一番、充実した和やかな日々を過ごしていた―
ケイくん、手紙が届いたよ
晩秋のある日、ホランドが訪れるまでは。
……手紙?
差出人は、ヴァーク村の村長のエリドアだ
ヴァーク村。
かつて隊商護衛に参加していたケイが、“大熊(グランドゥルス)“を仕留めた村だ。
北の大地から帰還する道中も立ち寄り、 深部(アビス) の境界線が接近しつつあることを確認し、ポーションの素材を集めたり、凶暴な獣『チェカー・チェカー』の群れと交戦した場所でもある。
そんな村から、手紙。
―胸騒ぎがする。
開封して、アイリーンとともに読み始めた。
『 公国一の狩人、ケイへ 』
内容は、至ってシンプルだった。
『 村外れに、森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)が出た 』
それは、“怪物狩り”を志すケイに宛てた―
『 俺たちじゃ手に負えない 助けてくれ 』
―初めての救援依頼だった。
いつも感想・コメント(にゃーん)ありがとうございます!! めっちゃ励みになってます!!
カクヨムでも1話先行で連載中です。
86. 要請
開拓村からの救援要請を受けて、ケイは、そしてアイリーンは、どう動くのか―?
86. 要請
“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)”
名前の通り、バカでかいトカゲだ。深みがかった青緑色の表皮が特徴で、地球の『コモドドラゴン』という爬虫類に似ており、その体長は優に10メートルを超す。熊型の巨大モンスター”大熊(グランドゥルス)“と並び称される、森の王者だ。
巨体ゆえ鈍重そうなイメージがあるが、見かけに反してその動きは素早い。具体的にはあぜ道を走る軽トラくらいの速度で森を駆ける。十トントラック並の体躯でありながら、だ。ケイの足ではまず振り切れない。
強靭な表皮は生半可な攻撃を通さず、分厚い肉は衝撃にも強い。太い腕も、鋭い爪も、長い尻尾もギザギザに尖った歯も、全てが脅威ではあるが、特にその巨体による突進が恐ろしい。まともに食らえば轢死は免れないだろう。
そんな化け物が、ヴァーク村の外れに出現した―
過去に一度、“大熊(グランドゥルス)“に襲われ、大きな被害を受けたあの村に。
ホランド……手紙(これ)には、目を通したか?
読み終わって小さくため息をついたケイは、折り畳んだ手紙をひらひらさせながら問いかけた。
いや、私は開封してないよ。マナーとしてね
首を横に振ったホランドは、 ただ、 と言葉を続ける。
―事態は把握している。ヴァーク村の使者(メッセンジャー)が話してくれた
使者? サティナに来てるのか?
ああ、手紙と一緒にね。今は商会本部にいる
詳しく話を聞きたい。会えるだろうか
手紙には一応、大まかな事情が書かれていたが、現地の住民から話を聞けるならそれに越したことはない。何か違ったものが見えてくるかもしれないから。
もちろん。彼もそのために来たのだろう
ホランドに連れられて、ケイとアイリーンは、急ぎコーンウェル商会の本部へと向かう。
……どうするつもりだい
道中、ホランドが真面目な顔で尋ねてきた。
……力にはなりたいと思う
ケイは、言葉少なに答えた。
傍らに、アイリーンの存在を、強く感じながら。
†††
商会の控室で、落ち着きなくソファに腰掛けていたのは、まだ子どもと言ってもいい幼い少年だった。
!! ケイさん! お願いです、村を助けてください!
しかしそのあどけない顔は緊張と焦りで引きつっており、ケイを見るなり土下座しかねない勢いで頼み込んできた。少年の名を『テオ』という、らしい。ヴァーク村の村長・エリドアの親戚で、従兄弟の子にあたるそうだ。
協力はしたいと思っている。詳しい話を聞かせてもらえないか
ケイは、テオを落ち着かせるように微笑んでから、 何が起きたのか、慌てず、最初から順序立てて教えてくれ と頼んだ。
ソファに座り直したテオは、早口で事の次第を語り始めた。
―ケイとアイリーンの活躍によって 深部(アビス) の領域拡大が確認されたのち、ヴァーク村には、命知らずの探索者たちが噂を聞きつけて集まってきたらしい。
お目当てはもちろん、高等魔法薬(ハイポーション)の原料となる霊花『アビスの先駆け』をはじめとした、貴重な 深部(アビス) の素材だ。探索者のほとんどが食い詰めたごろつきもどきだったが、中には手練の狩人や野伏(レンジャー)もいたようで、彼らはそこそこ成果を上げていたらしい。
商会の買取所が村内に常駐するようになり、大きなトラブルもなく、ヴァーク村はにわかに活気づいていたそうだ。
ところが今日から二週間ほど前、とある探索者の一行が 深部(アビス) の領域付近で奇妙な痕跡を見つけた。草木が広範囲に渡ってなぎ倒されており、地面には深々と巨大な足跡が残されていたそうだ。
何らかの巨大な化け物が、そこにいたことは明らかだった。
しかし村から 深部 の領域までは森歩きで一時間ほど離れており、その時点では、『化け物がたまたま通りがかっただけ』、という希望的観測が立てられた。
それが打ち砕かれたのが、先週。『アビスの先駆け』を採取しに行った探索者たちが、とうとう鉢合わせしてしまったのだ。
巨大な、青緑色のトカゲの化け物と。
尻尾まで含めれば十数メートルにもなる、森の王者、森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)と―
村にいた探索者の中でも、比較的、腕利きの四人組だったんですが、二人だけが這々の体で逃げ帰ってきました。残りの二人は喰われたそうです。どっちも、ぱくりと一口で。遺品どころか布切れ一枚残らなかった……
ぶるっ、とまるで見てきたかのように身震いするテオ。
喰われた、か……
ケイはアイリーンと顔を見合わせる。黙って話を聞いていたアイリーンだがその表情は険しい。きっと自分も似たような顔をしているだろうな、とケイは思った。
(―人の味を覚えたか)
非常にまずい状況だ。
その探索者たちが帰ってきたのは、何日前だ?
二日前です。おれは村長(エリドア)に言われて、商会の買取所の人と一緒に馬に乗ってきました。おれはチビであんまり重くないから、馬の負担にもならないだろ、って……
なるほど
ケイたちが旅したときは、ヴァーク村からサティナまで四日かかった。同行した隊商の荷馬車にあわせて、ゆっくりと進んだからだ。逆に、テオたちはかなり飛ばして来たのだろう。
おれが出発したときは、まだ村は無事でした。でも村長が『おそらく時間の問題だ』、って。『ケイの助けが必要だ』、って言って……。今は、女子供を近くの村に避難させて、男だけで守りを固めているはずです
―こうしてテオが使いに出されたのも、おそらくは避難の一環なのだろう。
一応、エリドアは領主にも報告したらしいが、なまじ村そのものが無事で、かつ村のすぐ近くで目撃情報がないため、軍も出動しづらい状況なのだという。
しかし、それも二日前までの話。
今この瞬間は、どうなっているかわからない―
お願いです、ケイさん! 村を助けてください!
……わかった、話してくれてありがとう。俺は協力するよ。可能な限り急いでヴァーク村に向かおうと思う
ケイの力強い返事に、テオがパァッと顔を輝かせた。
ありがとうございます!!
最善は尽くす。だからきみは待っていてくれ
ぽん、とテオの肩を叩いて励ましてから、ケイはアイリーン・ホランドとともに部屋を後にした。
……で、実際のとこ、どうなんだケイ
部屋から十分離れてから、アイリーンが口を開く。
……正直なところ、間に合うかどうかはわからん
テオの前では言わなかったが、ケイの見立てはシビアだ。
犠牲者が出たのが二日前―思ったより早く報せが届いたが、それでももう二日が過ぎてしまったのだ。森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)の行動範囲がどう変化したか、全く予想がつかない。最悪の場合、村はもう消滅しているだろう。開拓村の木の防壁なぞ時間稼ぎにもならないはずだ。
いずれにせよ、今すぐ出発というわけにはいかない。色々と準備をする必要がある、相手が相手だからな
ケイくん……間に合う間に合わないはこの際置いておくとして、“森大蜥蜴”は倒せるものなのかい? 単騎で”大熊(グランドゥルス)“を屠ったきみに聞くのも野暮だけど
ホランドは心配そうにしている。
私の知る限りでは―といっても大昔の話だが、“森大蜥蜴”を仕留めるには訓練された兵士が最低百人と、バリスタのような攻城兵器が必要だと聞いたことがある。公国の黎明期に、森を切り開くたびに”森大蜥蜴”の死闘があったそうだ。毎回とてつもない被害が出たらしい―“森大蜥蜴”は、そう簡単に仕留めきれる相手とは思えないんだ。もしきみに万が一のことがあったらと思うと、私は不安で堪らない
ホランド―というより、この世界の住人にとって、“森大蜥蜴”とはもはや天災のようなものだ。森の王者として”大熊”と双璧を成すといっても、そもそも”大熊”は賢いため森の外には滅多に出てこない。反対に、“森大蜥蜴”は猪突猛進で恐れを知らないため、割とフットワーク軽めに動き回り、現地住民との衝突も多い。
“森大蜥蜴”の方が、より現実的な脅威として恐れられているのだ。
……まあ、俺一人では絶対に無理だな
ホランドに対し、ケイは率直に答えた。 え とホランドが目を丸くする。
だから、人手がいる。……アイリーン
足を止め、隣のアイリーンに向き直った。
透き通った、真っ直ぐな青い瞳を覗き込む。
……これは、とても危険なことだ
わかってるよ
ニッ、と口の端を釣り上げたアイリーンが、ケイの胸板をコツンと叩いた。
―オレも行く。囮役なら任せろ。サティナに残れとか言ったらぶん殴るぜ
アイリーンの機動力なら、“森大蜥蜴”を引きつけて翻弄することができる。そこを、ケイが遠距離から叩く。ゲーム内で幾度となく使った手だ。
だが―これはゲームではない。一歩間違えば即死。危険極まりない鬼ごっこ。そんな役割をアイリーンに丸投げしようとしている。死地に送ろうとしている。彼女の能力なら大丈夫だとは思いつつも、危険であることには変わりないのに。
男として、恋人として、忸怩たる思いがあった。そもそも『怪物狩り』になんか手を出さなければ、サティナでのんびり平和に暮らしていけるのだ。『命をかけてでも誰かの役に立ってみたい』という、子どもじみたケイの我儘に、同じく命をかけて付き合ってくれるだけ―
とはいえ。
アイリーンの性格はわかっている。ここで申し訳無さそうにしたり、今さらグダグダ言ったり迷ったりするのは、彼女に対して失礼なだけだ。
だから―感謝の気持ちを。
ありがとう。頼んだ
あとは後悔しないよう、万全に対策し、挑むのみ。
というわけで、俺一人では無理だが―
―オレたち二人なら可能ってワケよ! ホランドの旦那
不敵に笑うケイとアイリーンを、ホランドは複雑な心境で見つめていた。
コーンウェル商会お抱えの魔術師。家だのガラスだのと投資を続け、近ごろようやく利益が出始めて軌道に乗ってきたところ、わざわざ天災じみた怪物との戦いに首を突っ込もうとしている。
もし二人揃って万が一のことが起きた場合、どうなるか? ―考えたくもないことだ。そして嘆かわしいことに、二人を無理やり止める権利は、ホランドにも商会にもないのだった。再び魔術師を囲う機会が訪れたならば、契約書の文面には再考の余地があるだろう。『 深部 の化け物との戦いに直接身を投じるべからず』とでも書くか―?
まあ、今考えても詮無きことだ。
―ならば。
我々に、何かできることは?
少しでも『分がある賭け』にもっていかねば。
そうだな……現時点での、ヴァーク村の様子を知る方法はないか? 伝書鴉(ホーミングクロウ)とか
うちの商会にはない。ヴァシリー殿との契約はまだ完了してないし、肝心の伝書鴉も届いてないからね。その手の通信はラングニック商会が独占してるから、いずれにせよ少し時間がかかる
ラングニック……コウのとこのか
アイリーンが呟いた。『冷蔵庫製造マシーン』としてコウを押さえている、領主の御用商人だ。アイリーンが影の魔術を通信手段として売り出さず自重しているのは、彼の商会に所属する魔術師たちの利権を脅かし、『敵』と認定されるのを避けるためでもある―目をつけられるだけでも厄介なので、影のリアルタイム文字会話(チャット)に関しては秘匿しているのが現状だ。
『―どうする? 日暮れ後にでも使うか?』
それでもアイリーンが小声で尋ねてきたが、ケイは頭(かぶり)を振る。
『やめておこう。どちらにせよ現地に出向く必要はあるんだ』
一考の価値はあったが、政治的に余計なリスクは取らないことにした。ヴァーク村の方から話が漏れる可能性もある。以前ヴァシリーとの連絡に影の魔術を使ったのは、本人が伝書鴉の使い手でありながら信用のおける人物だったからだ。
通信手段は諦めるか。ホランド、よければ馬車と、生きた山羊を何頭か、そしてヴァーク村の男たちに使わせるつるはしやショベルの類を用意してもらえないか
わかった。一応用途を聞いても?
山羊は囮として使うかもしれない。ショベルとかは、地面を掘って罠を作るためだ。最悪、ちょっとした溝を彫るだけでも、突進の勢いを削げる。可能な限り地形を利用したい。馬車はそれらの運搬用だ
ということは、御者も必要だね
そうだな。できれば馬車につける最低限の護衛も頼む。準備が整えば、まず俺が軽装で先行しようと思う。サスケの足なら一日もあれば着くはずだ
オレは馬車と一緒に、か?
アイリーンは少し不満げだ。
可能なら二人乗りでもいいが……サスケがヘバったら意味ないからなぁ
天井を仰ぎ、頭の中で、自分一人を乗せたサスケを最高効率で走らせた場合、アイリーンと二人乗りした場合、そしてアイリーンがスズカとともに付いてきた場合を比較検討したケイは、
訂正、俺はサスケに、アイリーンはスズカに乗って、スズカのペースにあわせた全速力でヴァーク村に先行しよう。仮に俺が一人で急いで、まさに村が襲われる直前に間に合ったとしても、サスケが体力的に限界だろうから騎兵としての能力が活かせない。そのままサスケごと喰われるのがオチだ……この可能性に関しては諦めて、最初から切り捨てるべきだな
その後も、ホランドと話し合い、細々したことを決める。
やはり、対”森大蜥蜴”を踏まえて、戦えるヤツは多いに越したことはないんだが……ホランド、誰か心当たりはないか? 弓かクロスボウのそこそこの使い手で、“森大蜥蜴”を前にしてもビビらないヤツは
……射撃の腕前はともかく、化け物相手にビビらない人間、となるとウチの商会じゃちょっと厳しいかな……
ケイのリクエストに、口の端を引きつらせるホランド。
というか、どこの商会でも厳しいと思うよ
……それもそうか
隊商の護衛にせよ用心棒にせよ、野盗や狼と戦う覚悟はあるだろうが、 深部 の怪物までは流石に想定外だろう。以前ホランドの隊商で一緒だった、経験豊富な護衛のダグマルでさえ、“大熊”が出たときはビビり倒していたのを思い出す。
んじゃ、ホランドの旦那は、物資と《《普通の》》人手の調達と。支払いはどうすんだ、ケイ?
そう、だな……どうしたものか
あ、それなら二人とも、魔道具の売り上げから天引きする形でどうだろう。現金で先払いでもいいけど用意する時間がもったいないだろう?
ありがたい、それで頼む。あとアイリーン、モンタンとコウのところにお使いに行ってくれないか?
もちろんいいぜ。何を頼むつもりだ? 予想はつくけど
モンタンには大至急で矢の注文を。事情を説明して”長矢”をあるだけ買って、“爆裂矢”のベースの追加も依頼しといてくれ。明日の日の出までに用意できるだけでいい。コウには、いくつか注文したい魔道具が―
―それをコウの旦那に頼むなら、ついでに―
アイリーンのアイディアも交え、コウへの注文内容を決める。
そういえば、ケイくんたちは、領主様のところの『流浪の魔術師』殿とも知り合いなんだっけ
まあな。いろいろあってさ。……で、オレがお使いに行くのは構わないけど、ケイはどうすんだ?
アイリーンの疑問はもっともだ。普段なら矢の購入や、コウへの注文を自分でやっていただろう。
―いや、そもそも最近だと二人で別行動なのがそもそも珍しいか。
そう思い当たって、少し可笑しく感じながらもケイは答える。
―俺は助っ人候補を訪ねてくる。サスケなら日帰りできるはずだ
助っ人?
候補?
揃って首をかしげるアイリーンとホランド。
―ケイが今、対”森大蜥蜴”戦で必要としているのは、とにかく怪物を前にしてもビビらず、きちんと行動できる人物だ。
とはいえ先ほどホランドが言っていたように、怪物と戦う胆力がある人物など、早々存在しない。
だが、ケイには心当たりがあった。
弓の使い手で、サティナ近辺に住んでいて、かつ信用のおける人物が。
彼ならば、協力してくれるはずだ。
タアフ村に行く。狩人のマンデルなら、あるいは
―ケイに次いで、武闘大会の射的部門で二位に輝いた、あの男ならば。
いつもコメント・感想、ありがとうございます。
やはりコレがね!! 一番テンション上がる瞬間です。お陰様でハイマットフルバースト更新できてます! 今後とも、ご声援をいただけるともっと頑張れますので、どうぞよろしくお願い申し上げます! にゃーん。
87. Tahfu
街道に沿って、草原を駆けていく騎馬の姿があった。
ケイを乗せたサスケと、付き従うように併走するスズカだ。
サスケの背に揺られながら、ケイは周囲に鋭い視線を向けていた。のどかな風景が広がるばかりだが、警戒は怠らない。以前ここを通ったときのように、突然草原の民の集団に襲われないとも限らないからだ。
左手にはいつでも矢を放てるよう”竜鱗通し”を握り、もう片方の手でスズカの手綱を引いている。スズカを連れてきたのは、簡単な荷物持ちのためと、マンデルの協力が得られたとき、彼を乗せていくためだ。
サティナを出たのがおおよそ一時間前。
革鎧と鎖帷子を装備しているので、胸ポケットの懐中時計を確認できないが、体感でそれくらいだ。途中、休憩するにしても、このまま駈歩(かけあし)を維持していれば、あと二時間ほどでタアフ村に着くだろう。
ドドドッ、ドドドッと蹄の音が響き渡る。それに混じって、ハッ、ハッという荒い二頭の息遣いも。
……思えば、遠くまで来たもんだ
一人で馬に揺られていると、ゲーム時代のことを思い出す。
こうして今のように、独りで駆け回っていた日々を。
ケイは基本的に、ソロで遊んでいた。いくつか傭兵団(クラン)に所属したこともあるが、長続きせずに抜けた。言語や文化の違いも大きく、内輪ノリにうまくついていけなかったからだ。ケイがほぼ二十四時間ぶっ通しでログインし続けていることについて、面白半分で詮索されるのが鬱陶しかったこともある。
忘れたかったのだ。現実のことなんて。生命維持槽に浮かぶ肉体(からだ)のことは全て忘れて、代わりに DEMONDAL のリアルな世界に浸っていたかった。
だから気楽な一人を選んだ。
気が向いたときにだけ、他のプレイヤーと狩りに出かけたり、フリーランスの傭兵として抗争に参加したり。“NINJA”アンドレイと知り合ったのも、確かこの頃だったか―。
DEMONDAL のサーバーはヨーロッパにあり、プレイヤーの多くは欧米人だったので、ケイは時差の関係で暇な時間を過ごすことが多かった。そんなときは、ミカヅキに乗って気ままに世界を放浪したものだ。
今のように―果てしなく、どこまでも広がっているように見えた、仮想の大地を駆け回って。
…………
物思いに耽るケイの耳元で、ひゅごう、と一陣の風が渦巻く。
ゲームではありえない、リアルな質感が全身を包み込む。
晩秋、草原を渡る風は存外に冷たく、馬上で吹きさらされるケイの肉体(からだ)から、容赦なく熱を奪い去っていく。風除けの皮のマントがなければ体調を崩していたかもしれない。これから冬にかけて、公国はさらに冷え込んでいくそうだ。北の大地に比べるとささやかだが、雪が降ることもあるという。
今や、ケイはこの世界の住人になりつつあった。
この地に根付いて、生きていく―
……狩り、か
ぽつりと呟いた。思いを巡らせていると、否が応でも、考えずにはいられない。
これから自分が、好き好んで死地に突っ込もうとしていることを。
転移直後の日々を思い出す。『安全第一』、『命を大事に』―ケイの行動方針はまさにそれだった。『死にたくない』と思いながら生きていた。現実世界のケイが、願ってやまない理想の生き方―そう信じていた。
だが、それがつまらないことに気づいてしまった。
『生きている』のではなく、ただ『死んでいない』だけだと。
悟ってしまったのだ。
贅沢な話だとは思う。しかし気づいたからには、もう、後戻りできなくなった。
ケイの人生は、ここにきてようやく始まったのだ。『死なずにいる方法』ではなく、『どうやって生きていくか』に目を向けられるようになった。
だからケイは、“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を狩りに行く。
自分の能力を最大限に発揮し、人々を助けるために。自分はここにいる、生きている、生きていていいのだ、と証明するために。
たとえ命の危険に晒されることになったとしても、ケイは後悔しないつもりだ。死の直前は無様にあがくかもしれないが。ある程度の割り切りはできている。
(……俺だけの命なら、な)
ただ、気がかりがあるとすれば、アイリーンのこと。
彼女を巻き込んでしまうことだ。
……何とも言えないな
苦笑する。これは皮肉な話だった。もしもケイが一人だったら、救援要請を断っていただろう。独力で”森大蜥蜴”を狩るのは不可能だからだ。
だが、『アイリーンがいるならば』―と思ってしまった。
そしておそらく、それはアイリーンも一緒なのだ。彼女も一人っきりだったら救援要請をすげなく断っていたはず。
だが、『ケイがいるならば』―と。
互いが互いを信頼し、結果としてリスクを冒してでも、善をなすと決めてしまったのだ。
本当に皮肉な話だった。アイリーンがいなければ、ケイは昔のケイのまま、『死にたくない』と願うばかりで、こういった行動は決して取らなかっただろう。もしも一人っきりでこの世界に転移していたら、今もまだ、一人寂しく草原をさすらっていたかもしれない―
『助けられる力があるなら、助けるべきだ』
リリーの誘拐事件に際して、アイリーンはそう言った。
その言葉にケイは衝撃を受け、傷つきもしたが、今となってははっきりわかる。
―ケイは憧れたのだ。光り輝くような、アイリーンの人間性に。当時のケイには、少しばかり眩しすぎたけれども。
『今の自分』の核をなすのは、アイリーンなのだと。
改めて強く確信する。
ならば、彼女を危険に晒したくないだの、巻き込んでしまうだの、これ以上うだうだ悩むのは野暮というもの。
それら全てを勘案した上で、やりたいことをやるのが―真の相棒(パートナー)というものだろう。
ただなぁ、マンデルは別なんだよなぁ
と、アイリーンに関して割り切ったはいいが、今度は別の悩みだ。
息が苦しげになってきたサスケの手綱を引き、走るペースを調整しながら、ケイは嘆息した。
アイリーンは、いい。
ただこれから助力を求めようとしているマンデルは、赤の他人だ。
巻き込まれる方はいい迷惑だろう。相手が相手だ。“森大蜥蜴”―ゲーム内で上位プレイヤーが結集してなお、狩りで事故死が起きるような怪物。ケイとアイリーンの全力、それにコウの魔道具も加えて、狩りの勝算は八割といったところか。
マンデルの助力があれば、成功率はさらに高まるはずだ。
ゲームと違って死んだら終わりなので、ベストを尽くすのは間違いない。だが死んだら終わりなのはマンデルも一緒なわけで―。
誠心誠意、事情を話して、断られたら諦めようか……
ぶるるっ
思い悩むケイをよそに、我関せずとばかりに鼻を鳴らしたサスケは、パッカパッカと着実に歩みを進めていた。
タアフ村は、もうすぐそこだ。
†††
休憩を挟みつつ進んでいくと、木立を抜けたあたりで、不意に見覚えのある景色が広がった。
森を切り開いた畑、ぽつぽつと建ち並ぶ平屋の家屋、収穫用の鎌を担いで笑顔の人々。
タアフ村だ。
おおーい!
村人がこちらに気づいたので、敵意がないことを示すように、“竜鱗通し”を握った手を振りながら近づいていく。
ああ……!
あんたは確か、前の……!
ケイのことは忘れていなかったのだろう、村人たちは警戒を解いた。
ケイだ。突然の訪問ですまない、マンデルに会いに来たんだ
馬を降りながらのケイの言葉に、顔を見合わせる村の男たち。
マンデルに? ……今の時間なら、もう森から帰ってきてるんじゃないか
なんなら、家まで案内するが……
ありがとう、助かるよ
以前、村に滞在中、マンデルとは草原に狩りに出かけたこともあったが、彼の家を訪ねたことはなかった。一度、お茶に誘われた記憶はあるが、当時のケイはあまり滞在を楽しめる気分ではなく、断っていたのだ。
サスケとスズカの手綱を引き、男たちに導かれるまま村を突っ切っていく。
途中、興味津々な様子の女たちや子どもたちまでもが、一緒についてきた。皆ケイに声はかけてこない。拒絶はしないが親しげでもない、絶妙な距離感。そのままぞろぞろと列をなしてマンデルの家へ。
―懐かしい顔が見えた。
……ケイじゃないか。久しぶりだな
家の前で、狩りの成果か、大きな鳥の羽根をむしる男が一人。
とび色の髪の毛に、彫りの深い顔立ち、ダンディーなあごひげ。ぴったりとした布の服、皮のベスト、そしてトレードマークの羽根飾りつきの帽子に、使い込まれた短弓(ショートボウ)。
相変わらず表情は変化に乏しいが、目を丸くしているあたり、突然の訪問に驚いているのだろう。
狩人のマンデルだ。こうして直接、顔を合わせるのは武闘大会の祝勝会以来か。実に四ヶ月ぶりの再会だった。
やあ、久しぶりだな
ケイも穏やかに微笑んで答える。
無言で、傍らの桶に貯めてあった水でシャバシャバと手を洗い、マンデルは両腕を広げてケイを迎えた。そのまま、ぽんぽんと背中を叩くように、軽くハグする。
……元気そうで何よりだ
ああ。そういうマンデルも
……どうしてタアフに?
実は、マンデルに話があって……
そこまで言って、ケイは口をつぐんだ。
ざわめく野次馬の村人たちに完全包囲されており、視線が気になったからだ。
……狭い家だが、茶でも飲むか?
くい、と顎で玄関を示し、マンデルが笑う。
今回は―お邪魔することにした。
マンデルの言葉通り、少し手狭な家だった。家としての広さは標準的だがわりかし物が多い。物入れのチェスト、食料保存棚、燻製肉やソーセージの束なんかも天井に吊り下げられている。村人、という括りならかなり余裕のある生活を送っていそうだ。玄関から入ってすぐのリビングの壁には、小さなトロフィーが飾られている。武闘大会射的部門の、入賞者の記念品だ。それがまた懐かしくて、ケイは目を細めた。
そして家の中には、少女が二人いた。豆の皮むきをしていた二人は、突然の訪問客に驚いたようだ。どちらもとび色の髪をしており、一人は十代前半、もう一人はちょっと幼い印象を受けた。
……そういえば、紹介するのは初めてだったか
マンデルはふと、気づいたような顔で、
……娘のマリアと、ソフィアだ
言われてケイも思い出す。マンデルには二人の娘がいたことに。妻は確か、下の娘が産まれたあとに病気で亡くなっていたはずだ。
娘二人は、年上の方がマリアで、幼い方がソフィアらしい。マリアはお姉ちゃんらしいというべきか、気の強そうな雰囲気。逆に妹のソフィアは、甘えん坊で少し気が弱そうな顔をしている。
お父さん、この人って……
……ああ、ケイだよ
マリアの言葉に、マンデルが頷いた。
ケイも、おそらくマリアたちも、なんとなくお互いの顔に見覚えがあった。以前、村に滞在中、何度か遠目にすれ違うくらいのことはあったのだろう。ケイがマンデルの家を訪ねなかったので、面識がなかったが。
軽く互いに自己紹介してから、ケイはリビングのテーブルにつく。
……それで、話というのは
ケイの正面に座ったマンデルが、改めて尋ねてくる。その背後、竈でお湯を沸かしながら、興味深げにチラチラとこちらを窺うマリア。姉の身体の陰に隠れるようにして、じっと見つめてくるソフィア。
マンデルには幸せな家庭があるのだ、と思うと―ずしりと胃のあたりが重くなるような気がした。
実は、マンデルに頼みたいことがあるんだ―
それでも、真剣にケイは話を切り出す。
―“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“狩りを、手伝ってほしい
ケイの言葉に、マンデルは再び目を見開くことになった。
88. 助勢
前回のあらすじ
草原爆走 初村再訪 狩人再会 幸福家庭
言葉を飾らず、ケイは率直に説明した。
今日、とある開拓村から手紙が届いた―
“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“の出現。ヴァーク村の知己からの救援要請。ケイとアイリーンが討伐に向かうこと。こちらの装備、陣容、想定されるリスク。それらを鑑みた上で、マンデルの助けが欲しいこと。
―あっという間に語り終えてしまった。マンデルの娘が茶を淹れようとして、火にかけた鍋の水は、まだ湯気すら立てていない。
まあ、それもそうか、とケイは思った。
・助けを求められた
・怪物を殺しに行く
・力を貸してほしい
要はこれだけなのだ。思っていたより自分は言葉を飾っていたらしい、と気づいたケイは、思わず苦笑しそうになったが、この場面で笑うとあらぬ誤解を与えかねないので、真剣(シリアス)な表情の維持に努めた。
巫山戯(ふざけ)ているわけではない、決して。
だが、苦境に陥ると、人は時として笑いたくなる。不思議なことに。
…………
マンデルは、腕組みしたまま黙って考え込んでいた。
お父さん……
どうするの……?
背後から、娘たちがおずおずと声をかけてくる。動揺、困惑、そして恐れ。父親が危険極まりない冒(・)険(・)に連れ出されようとしている。心配するのも当然だ―娘たちがケイを見る目にも、怯えの色が浮かんでいた。
自分が平和な家庭を乱す疫病神に思えてきて、ケイは罪悪感に苛まれると同時に、断られたらスパッと諦めよう、と改めて決意した。
正直なところ
やがて、マンデルが口を開く。
力になりたいのは、やまやまだ。……しかしおれが、 深部(アビス) の怪物相手に、何かできるとは思わない
見てくれ、と手に取ったのは、使い込まれた短弓(ショートボウ)だ。
おれの相棒だ。……取り回しはいいが大した威力はない。普通の野獣、それこそ猪でも、当たりどころが悪ければ矢が刺さらないような代物(しろもの)だ
ことん、と机の上に置かれる短弓。優美な曲線を描くリムは艷やかな光沢を帯びており、日頃からマンデルが丁寧に、そして愛着をもって手入れしていることが窺い知れた。いい弓だ、とケイは思う。
しかしこのマンデルの口ぶり。 自分では力になれない ―つまりはオブラートに包んだ不承諾(おことわり)だと解釈したケイは、 そうか…… と諦めようとした。
だが
マンデルは言葉を続ける。
そんなこと、ケイは百も承知のはずだ。……おれの短弓では威力が不足していることくらい、わかっているだろう? そ(・)の(・)上(・)で(・)、頼んできた
ずい、とマンデルは身を乗り出す。
おれに、何をさせたいんだ? ……教えてくれ、ケイ
その目にあるのは―面白がるような光。
マンデルは、知っている。
自分は決して英雄の器ではないと。
だが、眼前の青年、ケイは違う。凶悪極まりないイグナーツ盗賊団の一味を単身で撃破し、 深部 の怪物・森の王者”大熊(グランドゥルス)“を一矢で仕留め、武闘大会の射的部門でも文句なしの優勝を果たした英雄だ。さらには風の精霊と契約しており、魔術にも造詣が深い。
そんな傑物が―自分に助太刀を頼みに来た。
それだけでも身に余る光栄だが、 なぜ という疑問が先立つ。今しがた語った 自分では力になれない という言葉は、悔しいが、偽らざる思いだ。地を駆ける竜、暴威の化身、 深部 の怪物―もはや天災とさえ呼ばれる”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を相手に、自分がいったい何をできるというのか?
―いや、もしかすると。
―『何か』が、できるのか?
―こんな自分にも?
マンデルは、胸の内に、めらっと小さな炎が灯るのを感じた。
ケイの人間性はよくわかっている。自分に声をかけてきたのは、決して囮や肉壁をさせるためではないはずだ。『狩人のマンデル』に、『何か』を求めているのだ。 深部 の怪物と、戦うために―
忘れてはならない。
このマンデルという男。
一見、冷静沈着で落ち着き払っているが。
武闘大会でケイと弓の腕前を競う程度には―
誉(ほま)れを求めている。
果たしてケイは、マンデルの期待に応えた。
……“森大蜥蜴”は恐るべき怪物だが、弱点がある
机の上で手を組み、ケイはおもむろに切り出した。
“森大蜥蜴”の成体は、小さくても10メートルを超える。村長の屋敷がそのまま這いずり回るようなものだ。それでいて動きは素早く、突進を食らえば人間なんてひとたまりもない。さらには鼻先に、生物の熱を感じ取る器官まで備えている。そのお陰で、たとえ暗がりの中でも、獲物の位置を正確に察知できるんだ
……弱点に聞こえないのだが?
裏を返せば、それを潰せばヤツは大幅に弱体化する
ケイは組んでいた手を解いて、とんとん、と指で机を叩いた。
本質的に、ヤツは『でかいトカゲ』だ。ゆえに寒さに弱い
“森大蜥蜴”は昼行性の変温動物だ。 深部(アビス) の怪物だけあって、多少の気温の変動ではビクともしないが、それでも体温を急激に下げられれば劇的に動きが鈍くなる。
そして俺は、サティナに氷の魔術師の友人がいる。彼に魔法の矢―対象を凍てつかせる”氷の矢”を、可能な限り注文しておいた
魔法の矢、と聞いて、マンデルが目を見開く。
今頃、アイリーンの依頼を受けたコウが、大急ぎで水色の宝石(ブルートパーズ)に魔力を込めているだろう。魔力が尽きるギリギリまで可能な限り作ってくれ、と無茶な注文を出したが、あのコウのことだ。十数本は確保してくれるはず、とケイは踏んでいる。
ヤツが姿を現したら、しこたま氷の矢を撃ち込んで体温を下げる。動きが鈍くなれば、弱点を射抜きやすい。ここで重要なのは、短時間でできるだけ多くの氷の矢を、体の各所に打ち込むことだ。しかし俺が一人で射るには限界がある―
ここまで語れば、わかるだろう。
多人数で、多方面からの射撃。必要なのは矢を命中させる確かな腕前と、化け物の前でもビビらないクソ度胸。そして俺が知る限り、それをできるのは―あんたしかいない、マンデル
―だから、手伝ってほしい。
ケイにまっすぐ見つめられ、マンデルの身体に力がみなぎった。目を見開き、知らず識らずのうちに拳を握りしめ、口元には獰猛な笑みが浮かぶ。
―俺でよければ
! ありがとう!
……と、言いたいところだが
ふにゃっと体から力を抜いて、マンデルが椅子の背に身を預ける。思わぬ肩透かしを食らったケイは、ズルッと滑り転けそうになった。
だ、だめなのか?
おれとしては俄然、加勢したい。……だがおれは、この村の狩人だ。おれの一存で村を留守にするわけにはいかない
許可が必要だ―とマンデルは言う。
誰の許可か?
言うまでもない。村長だ。
わかった。つまり了解が取れればいいわけだな?
そういうことだ。……早速、行くか
そそくさと席を立つ二人だったが、 待って! と悲鳴のような声。
いやだよ! やめてよ、お父さん!
声を上げたのは、マンデルの娘の一人―意外にも、そのうち年下の、気の弱そうな方だった。上の娘が ちょっと、ソフィア― と慌てて押し留めようとするも、それを振り払い涙目で叫ぶ。
ぜったい危ないよ! 行かないで!!
ソフィア。……案ずることはない、ケイは公国一の狩人だ。“大熊”と不意に遭遇しても、たったの一矢で仕留めた男だぞ? ましてや今回は、魔法の矢まで用意して狩りに赴くんだ。滅多なことは起きないよ
でも―
いや、娘さんの言う通りだ
マンデルの了解が得られたことでテンションが上がり、家族の説得をないがしろにするところだった。恥じ入ったケイは、身をかがめ、下の娘(ソフィア)と目線の高さをあわせてから改めて話し出す。
俺は万全を期すつもりだが、戦いに『絶対』はない。もしかしたら俺は死ぬかもしれない。だがそれでも、あなたたちのお父さんは無事に帰すことを誓おう
ケイは真摯に語りかけるも、娘たちは微妙な表情だ。そんな『誓い』に何の意味がある、とでも言わんばかりの態度。ケイも気持ちはよくわかる。必要なのは有耶無耶な言葉ではなく、具体案だ。
―マンデルのために、馬を一頭用意する。何が起きてもすぐに逃げられるように。マンデルの役目は、横合いから氷の矢を射掛けることだ。“森大蜥蜴”を引きつけるのは俺の相方が担当して、メインの攻撃は俺が受け持つ。『絶対に』とは言い切れないが、“森大蜥蜴”の敵意がマンデルに向くことは少ないと思う。仮に俺が殺られても、逃げる時間くらいは稼げるはずだ
たった一人の父親の命を預けろというのだ。
ならばケイが担保にできるのは、己の命くらいのものだろう。
もちろん死ぬつもりは微塵もないが―万が一への備えを怠るほど、不義理もしないつもりだ。
だから、頼む
ケイが頭を下げると―
ソフィアは、不承不承、といった感じに、それでも頷いた。
……ありがとう
もう一度頭を下げ、マンデルとともに足早に家を出る。村長と交渉するために。
残された二人の娘は、不安げに顔を見合わせ、ひしと抱き合った。
今さらのように沸いた鍋のお湯が、かまどでぐつぐつと揺れていた。
マンデル テンション上がってきた
ケイ テンション上がってきた
作者 テンション上がってきた
いつも感想コメントにゃーんありがとうございます!
お陰様で頑張れてます! ありがとう……ありがとう……
89. 交渉
前回のあらすじ
マンデル テンション上がってきた
娘たち お父さん! やめてぇ!
ケイ (説得中)
上の娘(マリア)(お父さん死ぬほど行きたそうな顔してる……)
下の娘(ソフィア)(こんなの頷くしかないじゃん……)
その日、ベネットは平和に過ごしていた。
本来は村長としてタアフ村を預かる身だが、この頃は長男のダニーが村長代理として業務を回してくれるようになり、半隠居状態にある。
ジェシカや~~~
お陰でこうして、のんきに最愛の孫娘と遊んでいられるのだ。屋敷のリビングで孫娘のジェシカを膝に抱えて、だらしなく相好を崩すベネット。
やぁ~~!
ベネットのあごひげがくすぐったいのか、ジェシカがイヤイヤするかのように身をよじる。しかし同時にキャッキャと笑っており、そこまでいやがっている様子もなかった。
さあジェシカや、ABCの歌を歌おうねえ
うたう~!
A B C D ~ E F G ~♪
え~び~し~でぃ~ い~えふ~じ~♪
公国に古くから伝わる『ABCの歌』を、紙に書きつけたアルファベットを指し示しながら歌う。
(なんと、ジェシカは天才じゃ―!)
孫娘の利発さにベネットは鼻高々だ。今年で四歳になる孫娘は、ABCの歌をあっという間に覚え、一人で歌えるようになったのだ。
しかも、最近では文字まで書けるようになってきた。
この間は棒を使って地面に I(アイ) の字を書いてみせた。素晴らしい才能だ。―満面の笑みで じぇー! と言っていたが、IとJは隣同士なので、ちょっと間違えてしまったのだろう。それは仕方がないことだ。
Now I know my ABCs ~♪ Next time won’t you sing with me ~♪
歌うジェシカのふわふわのくせっ毛を撫でながら、リズムにあわせてベネットも体を揺らす。
(本当に賢い子じゃのう……)
将来はどうしたものか、などと考える。
このまま村で暮らすのも、もちろんいい。タアフは近隣の村々に比べてもかなり裕福な方だ。しかしサティナの街に出る、という手もある。可愛い可愛いジェシカが遠くに行ってしまう―考えただけで泣きそうになるが、孫娘の幸せを願うならばそれもアリだ。村にとどまるよりも、文化的で豊かな生活を送れるかもしれない。
これだけの賢さ、街の商会で礼儀作法を身につければ上級使用人の道もあるやもしれぬ。そして幼いながらにはっきりとわかる目鼻立ちの良さ、ともすれば貴族様のお手つきに―いや、側室などという道も―
おじーちゃん! もっかいうたお!
ん? ああ、いいよ、歌おうねえ
え~び~し~でぃ~♪
ほほほぉ~ジェシカは本当にお歌が上手じゃのう~
目尻を下げて、デレデレと笑いながらベネット。きゃっきゃと屈託なくはしゃぐジェシカを見ていると、全てどうでもよくなってきた。ジェシカは幼い。教育も嫁入りもまだまだ先の話だ。今は全身全霊で可愛がってあげよう―
(―それに、そろそろジェシカだけに構ってあげられなくなるしのぅ)
ほんの少しだけ、申し訳なさで表情が曇る。
ジェシカは、ベネットの次男クローネンの子だ。
次期村長こと長男ダニーには、長いこと子どもができなかったのだが、数ヶ月前、とうとうダニーの妻が妊娠したのだ。ダニーは優秀だがあまり人望がなく、そのせいで村内には次男クローネンを次期村長として望む声もある。跡継ぎの不在が攻撃材料の一つになっていたのは確かだ。
ダニーの妻シンシアも、石女(うまずめ)だの何だのと陰口を叩かれていたが、ベネットの知る限り、ダニー本人はシンシアを一言も責めなかった。あれはあれなりに妻を愛しておるのだろう、などと思う。
それはさておき、孫の話だ。
何事もなければ半年もしないうちに、ダニーとシンシアの子が生まれるだろう。そうなるとジェシカ一辺倒の生活も、どうしても終わらざるを得ない。
おじーちゃん! のどかわいた!
おお、じゃあお茶を淹れてあげようかねぇ
よっこらせ、と席を立つべネット。
―ベネットも長男だから、わかる。両親は自分を大切にしてくれたが、年の離れた弟が生まれたときはそっちにかかりきりで、自分がおざなりにされたように感じたものだ。実際、赤子は手がかかるので仕方がないのだが―できればジェシカには、あんな思いはさせたくない。
老骨には少々堪えるが、どちらも同じくらい可愛がらねば―! と決意を新たにする。
孫と言えば、サティナにもうひとりいるのだが、赤子の頃に一度顔を合わせたのみで、それ以来会えていない。向こうは自分のことなど覚えていないだろう、と思うと少し寂しくもある。サティナとタアフ、自分のような老人が気軽に行き来できる距離ではないが、本格的に隠居したら再び娘夫婦を訪ねるのもいいかもしれない―
―お義父様
と、背後から、か細い声がかけられる。
振り返れば、色白の美しい女が顔を覗かせていた。ダニーの妻シンシアだ。まだ妊娠四ヶ月で、ゆったりとした服を着ていることもあり、その腹は目立たない。
美人薄命―というわけではないが、これまで、シンシアは気を抜けばふっと消えてしまいそうな儚い雰囲気をまとっていた。だが、妊娠して以来、少しずつ生命力に満ちてきているように思える。やはり母は強し、ということか―
どうかしたかの?
お客様みたいです
シンシアの知らせに、ベネットは顔をしかめた。
ベネットはあまり、この手の来訪者が好きではない。シンシアが『お客様』と呼ぶからには身内ではなく、定期的に村を訪ねてくる行商人でもない。その『客』とやらは何かしら『用事』があってこの村にやってくる。そしてその『用事』は、往々にして厄介事だ。
客人かのぅ……ジェシカや、おじいちゃんは、ちょっとお客さんの相手をしてくるからね。おとなしくしてるんじゃぞ
ん~~……わかった
存外、聞き分けのいいジェシカは、こてんと首を傾げてから、頷いた。その様子がまた可愛らしく、ベネットはニコニコと笑う。
シンシア、のどかわいた~!
はいはい。じゃあ、お茶でも淹れましょうね
そんな二人の声を背後に、玄関へと向かうベネットは好々爺然とした、よそ行きの表情を貼り付ける。誰が来たんだ、などと思いながら外に出ると―
―やあ。久しいな、村長
待ち受けていたのは。
……ケイ殿
ベネットにとって、深い因縁がある異邦の青年だった。
†††
村長宅のリビングに、村の主だった面々が集っている。
村長のベネット。その次男、クローネン。狩人のマンデル。そしてケイだ。
いやはや、お久しぶりですなケイ殿……
席についたベネットが、ニコニコとにこやかに笑いながら言う。
そうだな……半年ほどにもなるか
長かったような、あっという間だったような。この村を訪れた転移直後のことを思い出し、ケイも感慨深く思う。
(イグナーツの報復がなくてよかった……)
イグナーツ盗賊団の構成員を二人、仕留めきれずに逃したこと。あのまま逃げ帰ったのか、それとも野垂れ死んだのか―定かではないが、タアフ村が無事だったことは確かだ。当時、タアフ村より自分たちの身の安全を取ったことに関して、罪悪感がないと言えば嘘になるが、後悔もしていない。
ただ、せめて罪滅ぼしとして、今回は村側に花を持たせられれば、とは思う。
ところで、ダニー殿は?
リビングの面々に、次期村長たる男の顔がないことに気づき、ケイは素朴な疑問を投げかける。ベネットがビクッとしたような気がした。
あ、ああ……倅は今、ちょうどサティナに買い出しに出ておりまして……
おお、そうだったのか
自分はサティナから来たというのに、入れ違いのようで少し可笑しくもある。
まあ、ダニーはアイリーンへのセクハラ疑惑もあり、会っても気まずいだけなのでこの場にいなくて良かったかもしれない。
……などとケイはのんきに考えていたが、ケイがダニーに言及した時点で、タアフ村の面々は充分に気まずそうであった。
最初、この村に訪れたときは、右も左もわからず苦労していたところ、助けていただいて感謝している。お陰様で、今はアイリーンも俺も元気でやっているよ。改めてありがとう
なんのなんの。お礼を申し上げなければならぬのは手前の方です、孫娘を救っていただいただけではなく、今でも大変お世話になっているようで……
ベネットが深々と頭を下げる。
―孫娘、と言われてすぐにはわからなかった。
しかし思い出す。ベネットの娘、キスカ。そしてキスカの子がリリー。
(そういや祖父と孫の関係なのか……)
ベネットとは転移直後の数日しか付き合いがなく、逆にリリーは誘拐事件に魔術の弟子にと深い関わりがあるので、ベネットとリリーが頭の中で結びついていなかった。ケイにとっては、ベネットの孫というより木工職人モンタンの娘、という印象が強いこともある。
リリーは……元気にしているよ。一時期は、落ち込んでいたが……
事件のトラウマか、はたまた麻薬への依存症か―精神的に不安定で、しきりに蜂蜜飴を求めていたリリーだが、近ごろは魔術の修行に打ち込んでいることもあり、かなり改善の傾向が見られている。
以前のように、明るく笑ってくれることも増えてきた。
最近、リリーは精霊語の勉強を始めたんだ。彼女はとても物覚えがいい。精霊と契約さえできれば、将来は立派な魔術師になるだろう。俺が保証する
現在、ケイとアイリーンが二人がかりであれこれ教えている。それになんといっても、将来的には”黒猫(チョンリーコット)“による魔力鍛錬も解禁する予定だ。魔術は才能よりも、知識と鍛錬が物を言う世界。その鍛錬の部分を安全かつ堅実にこなせるのだから、成長は確約されたようなものだ。
そうですか……あの子が、魔術師に……
ベネットは、あまり実感が湧かない、と言わんばかりの表情で頷いている。その隣のクローネンに至っては、別世界の話を聞くような顔でポケーッとしていた。
実のところ、ワシはリリーが赤子のころ、一度顔を合わせたのみでしてな。あの子が今どんな風に成長したのか、いまいちピンとこんのです
ああ……なるほど。そうそう気軽に行き来はできないしな
ケイのように騎馬をぶっ飛ばしても、数時間はかかる道のりだ。ベネットに騎乗の心得があるかはしらないが、村には農耕馬が一頭しかいなかったし、基本的に移動は徒歩になるだろう。
あの距離を歩くのは骨だな、と思い返しながら、ケイは頭をかく。
すまない、気が利かなかったな。キスカの手紙の一つでも配達できればよかったんだが、俺も急いで来たもので―
―お茶をお持ちしました
と、リビングの扉がノックされ、ポットと木製のコップを載せたトレイを手に、色白の麗人―シンシアが姿を現す。
おっと
腕組みをして黙っていたマンデルが、素早く席を立った。
身重(みおも)のご婦人のお手をわずらわせるのは、しのびない
そう言って、紳士的にシンシアからトレイを受け取るマンデル。
……
しかしシンシアは礼のひとつも言わず、サッと顔を背けてリビングを出ていってしまった。目すら合わせないとは、随分冷たい対応だ。あのシンシアという女性、かなり礼儀正しい人物であったと記憶しているが、あんな人だっただろうか……? と疑問に思うケイをよそに、マンデルは気にした風もなく、各人の前にコップを置き、茶を注いでいった。
ベネットとクローネンは、何とも複雑な顔をしている。同情と憐憫と気まずさが入り混じったような―
(なんだこの空気……)
困惑するケイをよそに、 さて とベネットが切り出した。
ケイ殿。いかなるご用向で我が村に?
本題の時間だ。
ああ。実は、狩人としてマンデルを借り受けたく思う
……マンデルを? 理由をお聞きしても?
“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“を狩る
は?
ベネットが呆気に取られる。隣のクローネンも同じようにポカンとしており、その表情があまりにも似通っていて、可笑しかった。
実は今日、ウルヴァーン郊外の開拓村から手紙を受け取ってな―
順を追って説明する。ケイが冗談ではなく本気(マジ)で言っていることを察したベネットは、頭痛をこらえるように額を押さえ、クローネンは わからねぇ……おれにはなにも…… と思考放棄したかのようにホゲーッとしていた。
そう……ですか、そのためにマンデルを……
唸り声を上げたベネットは、深い皺の刻まれた顔を厳しく引き締める。
……ケイ殿。個人的に大恩ある身としては、非常に心苦しいのですが、マンデルは我が村にとって貴重な人材。斯様に危険な狩りに参加させることは、村長としては承諾いたしかねます
マンデルの娘さんたちにも同じことを言われた
ケイは動じることなく頷く。
しかし、俺とて、友人を徒(いたずら)に危険に晒したいわけではない。そこで安全策として、マンデルには専用の馬を一頭用意する。彼には騎乗の心得があるだろう? いざというときは迅速に退避できるはずだ
ケイはマンデルに視線をやりながら言う。 友人 と言われてマンデルは少し嬉しそうだった。
そも、絶対に、とは言い切れないが、マンデルには”森大蜥蜴”の敵意は向きづらいはずだ。“森大蜥蜴”の注意を引く囮役は、俺の相方がする。そして主に攻撃を担当するのは俺だ
相方、ですか?
アイリーンだ
…………
ベネットはクローネンと顔を見合わせた。アイリーン―サティナではリリーを救い出し、“正義の魔女”と名高い彼女だが、この村の面々からすると毒矢を食らって寝込んでいた印象が強い。
……森の中で”森大蜥蜴”並の速さで動き回れるのは、公国広しといえど、おそらく彼女くらいのものだぞ。それに影の魔術も使えるからな……
ベネットたちの懸念を感じ取ったケイは、言い含めるように注釈する。実際のところ”森大蜥蜴”は昼行性なので、影の魔術の出番はないだろうが……。
うぅむ……しかし……
いずれにせよ、マンデルの役目は、横合いから魔法の矢で動きを鈍らせることだ。“森大蜥蜴”とことを構える時点で、危険なのは確かだが、正面切ってやり合う俺よりは安全だ。万が一のことがあっても、彼が逃げる時間くらいは稼ぐことを刃に誓おう
腰の短剣を抜き、改めて宣誓する。
ぬぬぅ……。マンデル、近ごろの森の様子は?
ベネットはそれでも気が進まない様子だったが、マンデルに水を向ける。
森は静かなもんだ。……収穫も片付いたし、獣も荒らしには来ないだろう。おれの出番はそれほどない。罠の扱いなら『フィル坊』にも一通り仕込んであるしな
静かに答えるマンデル。フィル? と首をかしげるケイに気づいて、
フィルは、マリア―おれの上の娘の婚約者だ。我が家に婿入りして狩人を継ぐことになっている。弓扱いはまだまだだが、罠に関しては筋がいい
ほう、そういうことか
納得するケイをよそに、クローネンと何事かコソコソ話し合っていたベネットは、咳払いして話を戻す。
……ケイ殿。事情はわかりました。しかしマンデルは我が村の防衛をも担う人物でもあり、そう容易くお貸しするわけには参りません。近ごろはこの辺りも平和なものではありますが、それでもマンデルの不在は大きいですからの
公国の各所で暴れていたイグナーツ盗賊団も、とんと噂を聞かなくなった。ケイが大打撃を与えたお陰かもしれない―とは思ったものの、ベネットは口には出さずに堪える。話す前からケイに先回りされているような感覚だった。
ふむ。それは当然のことだな。マンデルほどの人物を借り受け、さらには村にリスクを負わせるとなると、無料(タダ)で、というわけにはいかないだろう。相応の対価は払わせていただきたい
……もちろん、相応の対価をいただけるならば……しかし、どれほど期間をご予定されているので?
それは、難しいな。相手次第だ
痛いところを突かれ、ケイも顔をしかめる。
仮に、ケイたちが駆けつけるころには時既に遅く、ヴァーク村が壊滅していたとしても、そのまま帰るわけにはいかない。おそらく”森大蜥蜴”は近辺に潜んでいるはずだ。他の村に被害が出る前に、引きずり出して叩く必要がある。
たらふく食った”森大蜥蜴”が満足し、そのまま 深部(アビス) に引き返す―そんな可能性もなくはないが、ケイの見立てでは低い。魔力の薄い地において、人間は野生動物に比べると『濃いめの』魔力を持つ生物だ。そして数も多い。味を覚えたからには『次』を求めるはず―
……最短でも2週間。長引けば……1ヶ月といったところか。討伐成功か否かにかかわらず、25日が過ぎればマンデルは離脱させる。移動の時間を鑑みても、1ヶ月とちょっとでタアフ村に帰還できる、というわけだ。これでどうか?
25日というのは、ゲーム内での経験を現実世界に拡張させ、ケイが適当に考えた日数だ。具体的な根拠があるわけではないが、それぐらい時間をかければいずれにせよ決着は着く、と踏んだ。
それならば……まあ……。マンデルは、それでも構わないのか?
もちろんだ
不承不承、といった様子でベネットが問いかけるが、マンデルは是非もないとばかりに即答。この男、ノリノリであった。
なら決まりだな。期間は二週間から一ヶ月。そして俺はそちらが満足するだけの相応の対価を払う、と
よしよし、と頷くケイ。まだ対価の中身すら交渉していないというのに。
それでよろしいか? ベネット村長
……わかりました。それで、対価についてですが―
いや、悪いがちょっと待ってくれ。マンデルの加勢が確定したからには、知らせを送りたい
ベネットを手で制し、ケイはおもむろに席を立つ。
知らせ? と首をかしげる面々をよそに、リビングの雨戸を開け放つ。
日が傾いてきたな……
空を見上げ、ううむ、と唸るケイ。できればサティナに日帰りしたかったが、秋の暮れ、日が短くなってきた。日が沈むとサティナの市壁の門は閉じられる。閉門は正確な時間が決まっているわけではなく、衛兵たちの判断で閉められるので(仮にまだ待っている人がいたとしても!)、今から全力で戻っても、ギリギリで間に合わない可能性が出てきた。
……マンデル。明日の明け方、村を出てサティナへ向かおう。馬は俺が連れてきたスズカを貸す。それでもいいか?
ああ。……しかし、ケイの馬か。おれに御しきれるかな?
大丈夫だ、スズカは大人しいからな
なにせ草原の民から殺して奪った上で懐いた馬だ、とケイは胸の内で呟く。サスケは、人懐っこく見えてケイたち以外は乗せないが(面識のあるリリーやエッダならイケるかもしれない)、スズカならマンデルでも問題ないだろう。
では……
空を見上げて、ケイは腰のポーチから澄んだ緑の宝石(エメラルド)を取り出す。
おお……!
思わず、ベネットは感嘆の声を上げた。ケイの指先できらめくそれは、大粒でかなり上質なもの。まさかあれが対価なのか―? と期待に胸を高鳴らせたベネットは、しかし次の瞬間、悲鳴を上げることになる。
Siv ! Arto, Kaze no Sasayaki.
ケイが呪文を唱えると同時、その見事なエメラルドに無数のヒビが入ったかと思うと、ざらあっと崩れ、虚空に溶けるように消えてしまったからだ。
ぞわ、と場が異様な気配を孕む。
窓から踊るように風が吹き込む。
そして一同は、羽衣をまとい艶やかに笑う少女の姿を幻視した。
『アイリーン、話はまとまった。明日の朝、8時頃にはマンデルと一緒にサティナへ戻る。マンデルのために馬を一頭用意してもらえるよう、ホランドに頼んでおいてくれ。頼んだ』
一息に言い切ったケイは、
Ekzercu(執行せよ).
くすくすくす、と少女の笑い声。
― Konsentite ―
びゅごう、と風が渦を巻いて去った。
―全てが幻だったかのように、穏やかな午後の空間が戻ってくる。
……ケイ、殿……?
いや、なに。サティナのアイリーンに声を送った
なんでもないことのように、笑って答えるケイ。
あれが……
ベネットは、未だ衝撃から立ち直れなかった。実は、この部屋の面々は、ケイの『声を届ける魔術』を体験したことがある。アイリーンが毒矢に倒れた際、毒の種類を突き止めたケイから、服用させるべき解毒剤をあの魔術を通して指示されたのだ。
だが、まさか―
(―あれほどの宝石を対価とするものだったとは!)
愕然。
ベネットは村長として、普通の村人より遥かに多くの経験・知識を持つが、流石に魔術は埒外だった。
知らなかった。あんな、村では一財産になるような宝石を、いとも容易く触媒として使い捨てるとは。
リリーが魔術の修行を受けている―その意味を、ベネットはまた違った側面からまざまざと見せつけられた気分だった。
そして何より、それを為したケイだ。なぜこうも平然としていられるのか? 惜しくはないのか? あんなに素晴らしい宝石を捧げてしまっても?
……む?
そんなベネットをよそに、ケイは何かに気づいた様子で、そそくさと窓から距離を取る。
―ケイが数歩、窓の日差しから離れると、途端に、部屋の空気が再びぞわりと異様な気配を孕んだ。
ケイの足元の影が、うごめく。
影法師のように壁へと伸びたそれは、ドレスをまとった貴婦人の輪郭を取る。
『―了解。氷の矢は20本。対価はとびきりの矢避けの護符』
影絵の文字を描いた貴婦人は、優雅に一礼して、ふわりと消えた。
解けるようにして、ケイの影が元に戻る。
まだ日が高いのによくやる……
窓の外を見ながら、ケイはニヤリと笑う。
アイリーンが契約する”黄昏の乙女”ケルスティン―影の魔術は、夕方から夜にかけては低燃費だが、日中は消費魔力が激増する特徴がある。
だが。“黒猫”の恩恵に与っているのは、ケイだけではない。
アイリーンもまた着々と成長しているというわけだ―日中に影絵のメッセージを送るくらいなら、どうということはない程度には。
(それにしても、氷の矢が20本、か)
依頼を受けたコウは、ケイたちのために奮発してくれるらしい。『対価はとびきりの矢避けの護符』―代わりに出来の良い風のお守りを寄越せ、ということか。
(この件が片付いたら、とびきり高性能なやつを作ってみるか。持ち主の魔力を消費するタイプでもコウなら平気だろう……)
ふふっ、と穏やかに笑うケイ。
そんな彼を―部屋の面々は、畏怖の念をもって見つめていた。
今しがたの影の精霊。『正義の魔女』―影を操るアイリーンの仕業であることは一目瞭然だ。ケイが声を送ったなら、アイリーンは影絵を返してきた―
サティナ。騎馬を全力で駆けさせても、数時間はかかる遠方の都市。そこにいるアイリーンとの、ほぼリアルタイムでの意思の疎通。
ネットに馴染みがあるケイとアイリーンからすれば、何でもないようなことだったが、この世界の住人にとっては頭をぶん殴られたようなカルチャーショックだった。
仮に伝書鴉(ホーミングクロウ)を飛ばしても、一時間や二時間はかかるだろう。その距離の通信が―まさに一瞬で―
魔術師とは皆、こ(・)う(・)い(・)う(・)も(・)の(・)なのか?
ベネットは目眩がしそうだった。隣でのんきに すげぇ…… とただびっくりしているだけのクローネンが羨ましい。
おっと、今の影の魔術に関しては、他言無用で頼む。一応、あれでも秘奥の類なんだ。他の者に軽々しく話したら呪われるから注意してくれ
影はどこからでも見ているからな、と言いつつ、人差し指を唇に当てて茶目っ気たっぷりにウィンクするケイ。全員が―マンデルさえも―ぎょっとしたように身を仰け反らせた。
も、もちろんです、決して、決してそのようなことは……
冷や汗をかきながらブンブンと首を振るベネット。 頼むよ とケイは苦笑しているが、魔術の秘奥? ならなぜそんなものを軽々しく見せつけてくれたのか。それに呪いだと? なぜ笑っていられる? 何が可笑しいのか? 理解できない―
さて、すまなかった。それで対価の話だったな
再び席について、ケイが話を戻す。
ベネットも気づいた。すっかり忘れていた、報酬の話がまだ済んでいなかったことを。
そ、そうですな……対価……
服の袖で額の汗を拭いながら、交渉に向け考えを巡らせようとするベネット。
ふむ。正直なところ、俺は、どれだけ払えばいいのかわからんのだ。助力を願うマンデルにこちらから値段をつけるのも、無粋な気がしてならないしな
マンデルに微笑みかけながら、ケイは机の上で手を組む。
―なので、そちらに決めていただきたい。何がどれだけ必要だ?
ごくごく自然体で、問うた。
……それは
ベネットは言葉に詰まる。
ケイは、今回、村側に花を持たせるつもりだ。それは以前、気持ちの上で村を見捨てた罪滅ぼしでもあり、マンデルの助力を重要視していることを示すためでもあった。
また、狩りが成功裏に終われば、“森大蜥蜴”の素材で莫大な収入も期待できる。
だからベネットに多少ふっかけられても、全く構わないと考えていたのだ。
―その、圧倒的な『持つ者』の余裕に、ベネットは気圧された。
今の俺の手持ちで渡せるものとなると……
懐に手を入れようとして、革鎧と鎖帷子の存在を思い出したケイは、 すまん、マンデル手伝ってくれ と声をかけ、いそいそと武装を解除し始めた。
まずは革鎧を脱ぎ、椅子に置く。ところどころに傷がついているが、歴戦の風格を漂わせる逸品。
以前、あの革鎧の手入れを頼まれた村の職人が、 “森大蜥蜴”の革らしい! と大興奮していたのを思い出す。当時のベネットは 確かに見事な革鎧だが、流石に話を盛っているのだろう と鼻で笑ったものだ―
艷(・)や(・)か(・)な(・)青(・)緑(・)色(・)の革鎧。
今となっては笑う気にもなれない。
っと、どこにしまったか……
これまた最上級品に近い鎖帷子を脱いで、胸ポケットをごそごそと探るケイ。
とりあえず邪魔な懐中時計を外に出しておく。鎖にぶら下がって無造作に揺れるそれを、ギョッとして凝視するベネット。
えーと、金と、触媒と、……これもアリか
懐から硬貨が詰まった革袋、宝石類を包んだ巾着を取り出し、机に置く。さらに腰のベルトのポーチから、いくつか護符を抜き取った。
こんなところだな。まずはコレを渡しておこう―アンカの婆様は元気か?
布にくるまれた護符を差し出し、唐突にケイが問う。
アンカ―村の呪い師の婆様のことだ。前回の訪問時、ケイとアイリーンが精霊語をレクチャーした結果、精霊に祈願し病魔を退ける簡単な呪術を扱えるようになり、豊作祈願に病気の治療にと大活躍している。
ええ、それはもう、近ごろはむしろ若返ったようで……
そうか。それはよかった、ならこれが使えるな
……それは、なんなんだ?
恐る恐る、といった様子でクローネンが尋ねる。これまで終始圧倒されて黙り込んでいたクローネンだが、好奇心が勝ったらしい。
使い捨ての”突風”の護符だ。呪文を唱えれば、大の男でも吹っ飛ばすような風を、ピンポイントで吹かせられる
―まさかの魔道具。それも攻撃用の。ヒュッと引きつったような呼気を漏らしビビるクローネン。
ああいや、それほど怖がる必要は……あるか。核になってる宝石部分は絶対に傷つけないでくれ。暴発して大変なことになる
だから布でくるんであるわけだが、というケイの説明にマンデルさえ顔をひきつらせる。
それは……その……それが対価ということですかの?
確かに価値は凄そうだが、こんなもん渡されても困る、とばかりにベネット。
いや、これは迷惑料みたいなもんだ。マンデルがいない分、村の戦力が落ちるだろう? 万が一ならず者が村を襲ったら使うといい。強そうなヤツを二、三人吹っ飛ばしてやれば、相手も腰が引けて戦いやすくなる。多少魔力を使うが、アンカの婆様なら問題ないはずだ。あとで挨拶かたがた、起動用の呪文も教えておくよ
タイミングは難しいが矢を逸らすのにも使えるぞ、騎馬の突撃だって工夫すれば止められるぞ、などと、自作魔道具の活用法を生き生きとした様子で語るケイ。
…………
迷惑料―迷惑料とは―そんな言葉がベネットの頭の中でぐるぐる回る。
で、対価の方だが、どっちがいい?
ずい、とベネットの前に、革袋と巾着袋を押し出すケイ。
ベネットは無言で、まず革袋を検めた。―中にぎっしりと、銀貨が詰まっていた。何枚あるか、数える気にもならない。村の収入の何年分だ? 計算しようとするが思考が上滑りするばかりで、頭がうまく働かない。
仕方ないので、巾着袋を調べる。―先ほどケイが使い捨てたような、良質なエメラルドの原石が、お互いが傷つかないように小分けしてごろごろと入っていた。
ちなみに、価値は宝石の方が高いかな
俺としてもそっちを取ってもらった方が助かるかもしれない、とケイ。
えぇ……?
なぜ高い方が助かるのか理解できず、妙な声を上げるクローネン。
確かに、……見事な宝石ではありますが、ワシらには換金の手段が限られておりますからの。倅(ダニー)ならサティナの街でさばけるかもしれませんが、宝石商の宛てとなると……それに、これほどの宝石は経験がありませんし、うまく交渉できるかどうか……それならば現金の方が―
コーンウェル商会を訪ねればいい
ケイはニヤリと笑う。
―アイリーンと俺はコーンウェル商会の専属魔術師でもある。俺からの紹介ともなれば無下には扱われない。どうだ?
コーンウェル商会……専属……
ベネットは今日何度目になるかわからない衝撃を受けた。
娘(キスカ)の手紙から、ケイたちがコーンウェル商会と交流があることは知っていた。だが専属契約まで結んでいることは知らなかったのだ。何分、ケイたちが本格的に魔術師として活動し始めたのはここ1~2ヶ月のことで、最後にキスカの手紙を受け取ったのが数ヶ月前だ。知りようがなかった。
そして、宝石について。
ケイからすれば、この宝石はコーンウェル商会から割引価格で購入したもので、ベネットがコーンウェル商会に売るのであれば、それらは再び魔道具の材料として手元に『戻ってくる』。どこの商会に使われるかわからない現金を渡すより、コーンウェル商会、ひいては自分たちに利益が還元される可能性が高いわけだ。
また、ベネットからすれば、ケイの口利きのもとコーンウェル商会で安全に取引ができる。コーンウェル商会に問い合わせれば医薬品でも嗜好品でも、常識的なものはほとんど揃うだろう。宝石を対価に大量の、かつ良質な物資を得られるのだ。何よりコーンウェル商会とつながりができる。その利益は計り知れない―
可愛い可愛い孫娘(ジェシカ)のことが頭をよぎる。麻痺していた脳がここにきて、バチバチとそろばんを弾き始めた。
……ケイ殿
ベネットは深々と頭を下げた。
こちらの宝石を、対価としていただけませぬか。それと、もしよろしければ一筆したためていただけると、非常に助かるのですが……
ああ、そうだな、何か証拠があった方がいいか。もちろんだとも
鷹揚に頷くケイ。
(なんとも、まぁ……)
合意の握手をしながら、ベネットはもう笑うしかなかった。
半年前―
そう、久々といっても、たった半年前だ。ケイがこの地を訪れたのは。
あのとき、この青年は右も左も分からない、怪しい身元不詳の異邦人だった。
だが、今の彼を見よ。まるで別人ではないか。圧倒的武力はそのままに、魔術の秘奥を使いこなし、財力も人脈も並外れている。武闘大会でケイと再会したマンデルが、村に戻ってからしきりにケイを褒め称えていたが、ようやくその心がわかった。
(交渉にもならん)
本来、こういう細々した交渉というのは、対等に近い立場でするものだ。
互いの『格』が隔絶していては、交渉の余地などない。弱い方が強い方におもねるだけ。そういう意味では、今回の『交渉』は大成功といってもいい―
(ノガワ=ケイチ、か)
あの夜の名乗りを思い出す。
草原の民の格好をして家名持ちか? などと思ったものだが。
(本当に、家名持ちだった、ということかの……)
これだけの財を持ちながら、自然体。
故郷では一角の人物だったのだろう―などと納得するベネット。
実際は、ゲーム時代の感覚を引きずっていることに加え、魔道具の売れ行きが好調で金銭感覚が狂っているだけなのだが。
何はともあれ、ケイはマンデルの同行がスムーズに決まり、ごきげんだ。
それが全てだった。
†††
リビングの隣の部屋。
壁にぴったりと身を寄せる、憂いを含んだ面持ちの女がひとり。
かすかに響く会話に、じっと耳を澄ませている。
話し合いは一段落したのか、今は和やかな笑い声が―
―シンシア?
と、足元からの舌足らずな声がして、ビクッと震えた。
見れば、ジェシカが、つぶらな瞳でこちらを見上げている。
……なにしてるの?
幼女の問いに、色白の女―シンシアは なんでもないわ と微笑む。
ジェシカ。おやつにしましょう
! わーい! おやつ!
ジェシカが喜んで部屋を出ていく。
何事もなかったかのように、シンシアもゆっくりと、そのあとを追った。
―かすかに膨らんだ腹を、心配げに撫でながら。
90. 出発
前回のあらすじ
(不穏)
翌朝。
うっすらと空が明らむ中、ケイとマンデルはタアフ村を発つ。
お父さ~ん! 気をつけてーッ!
無事に帰ってきてね~ッ!
マンデルの二人の娘はもちろん、ベネットやクローネンをはじめとした村人たちも見送りに出ている。シンシアはいなかったが、ケイの鷹並の視力は、村長屋敷の窓から心配そうにこちらを覗き見る彼女の姿を捉えていた。
―なぜ堂々と見送らないんだろう? マンデルと確執でもあるのか?
などと疑問に思いつつも、ポンッと軽くサスケの腹を蹴るケイ。
常歩(なみあし)から駈歩(かけあし)へ。サスケがゆるやかに加速していく。マンデルの駆るスズカも問題なくついてくる。
そうして二騎は、木立を抜け、草原へと駆け出した。
草原の緑と、朝焼けに燃える空の対比が美しい。思わず見惚れそうになるが、ぶわっと吹き寄せた風の冷たさにケイは身震いした。
秋でこれなら、冬になったら相当な寒さだろうな―と革のマントの襟を手繰り寄せながら、顔布を装着する。白地にひらひらと踊る赤い花の刺繍。これで顔面が冷えずに済む。
それ、相変わらず使ってるんだな
隣のマンデルが、刺繍に目を留めて声をかけてきた。
ああ。重宝してるよ
この顔布は、イグナーツ盗賊団との戦闘で破損してしまったものだ。それをシンシアが修繕し、花の刺繍までしてくれた。基本的には、戦闘時に表情を読まれにくくするために使うのだが、そこに可愛らしい花のモチーフをあしらうとは―独特なセンスを感じる。
しかし……あんまり付けない方がいいかな?
以前、マンデルに 草原の民と誤認されるから気をつけろ と言われたことを思い出し、顔布に手をかけるケイ。
いや。……どうせおれたちしかいない。大丈夫だろう
そうか
それと、昨日はありがとう。……娘二人も呼んでくれて
昨夜、あのあとケイは村長屋敷で歓待された。
マンデルが仕留め、熟成させていたとっておきの鹿肉が夕餉に振る舞われた。マンデル本人はもちろん、その娘二人も同席しての食事会だ。娘たちを招くことを提案したのはケイで、突然父親を連れ去ってしまうことへの詫びも兼ねていた。
食事の席で、ケイは武闘大会以降の旅路を語った。村に着くなり大物狩りの話になって、マンデルにもその後の経緯を伝えていなかったからだ。
ウルヴァーンで名誉市民権を取得するために奔走したこと。図書館での調査で『魔の森』の伝承を見つけたこと。緩衝都市ディランニレンを抜けて北の大地を放浪したこと。水不足に苦しみ、独力での北の大地横断を諦めてディランニレンへ引き返したこと。ガブリロフ商会の隊商に参加し、馬賊と激突したこと―
己の武勇伝に関しては、少し誇張した。自分はそれなりに武力があるから、無事に狩りを終わらせてマンデルを無事に帰す―という、娘たちに向けてのメッセージのつもりだったのだ。しかし当の本人たちは、慣れない村長屋敷での食事会に緊張して、それどころではなかったようだ。
招いたのは余計なお世話だったかもしれないな、と苦笑したケイは、昨夜の席を思い返す―
†††
『―それで、しこたま矢を食らってハリネズミみたいになってな。そのときの傷がこれだよ』
食後の葡萄酒を味わいながら、席の後ろに置いてある革鎧を示すケイ。
『ずいぶん多いな。……これ、全部が?』
『ああ』
『……よく生きてるな』
革鎧に近づいたマンデルが、補修された傷跡を指でなぞりながら言う。同席したクローネンが『化け物かよ』と呟いて、横合いからベネットに頭を叩かれていた。
『“高等魔法薬(ハイポーション)“のおかげさ』
ケイは何気なく答える。ハイポーションと聞いて、ランプの明かりの下、ベネットの目がギラッと光った。
『もっとも、この戦いで飲み干してしまったが』
当然、それに気づいた上で、しれっと付け加えるケイ。
タアフ村では以前、ハイポーションの存在を明かしている。村を去る際、特に口止めはしていなかったが、今のところ噂が広まる気配もないようだ。しかし、ケイたちがサティナへの定住を決めた以上、 あいつは奇跡の霊薬を持っている と近隣で噂されるのはまずい。
なので、もう『使い切った』ことにしてしまおう、というわけだ。
(まさかサティナに定住することになるとは、思ってもみなかったからな……)
転移直後ということもあり、脇が甘かった。アイリーンを助けるためだったので致し方ないことだったが。
ちなみにポーションは、少量だがまだ残っている。これ以上、使う機会に恵まれないことを祈るのみ……。
『まあ、後悔はしていない。全てを出し切らなければ、とてもじゃないがあの戦いを生き残ることはできなかった』
『ううむ……そうでしたか……』
なぜか口惜しげな表情のベネット。仮にハイポーションが潤沢にあったところで、譲る気はさらさらないので安心してほしい―
そうして、ポーションが原因のゴタゴタを避けるため隊商を離脱したこと、ついに魔の森へたどり着いたことなどを話す。霧の中に棲む、不気味でおぞましい化け物たち。それをどうにかやり過ごし、赤衣の賢者と邂逅し、『故郷』への帰還が難しいことを教えられ、公国へ戻ってきた―
『あとは、知っての通りだ。そんなわけで、アイリーンと俺は、サティナに移住することにしたのさ』
ケイが長い長い冒険譚を語り終える頃には、すっかり夜も更けていた。明日は早いのでそこで解散となり、ケイは以前アイリーンが寝かされていた村長屋敷の一室で、柔らかい上等なベッドの感触を楽しみつつ就寝した―
―しかし、マンデル
しばらく無言で駆けていたが、ふと気になることに思い当たり、ケイはマンデルを呼んだ。
ん、どうした
ソフィア嬢は、本当に大丈夫だったのか? さっきの見送りのとき、随分とやつれているようだったが……
マンデルを心配げに見送っていた娘二人―そのうち妹のソフィアは、目の下に濃いクマを作って、どこかげっそりとした様子だった。
心配のあまり、よく眠れなかったのだろうか……。
ああ、あれか
が、マンデルはクックックと喉を鳴らして、笑いを噛み殺す。
どうやら、昨日のケイの話のせいらしいぞ
……え?
“魔の森”の化け物の話が、よほど恐ろしかったらしい。そのせいでなかなか寝付けなかったそうだ
…………
思っていたのと大分違う理由に、思わずケイは閉口した。それを見てマンデルが愉快そうに、声を上げて笑い出す。
やっぱり、お招きしたのは余計なお世話だったかもしれない―と、ケイは渋い顔をするのであった。
†††
それから、ケイとマンデルがサティナに到着したのは、おおよそ二時間後のことだった。
マンデルを連れていたにもかかわらず、スズカの速度が落ちることもなく、行きよりもスムーズに帰ってこれた。昨日、思い切り走ったことで、二頭ともむしろ調子が上がってきたのかもしれない。
早朝ということもあり、市壁の門もそれほど混雑していなかった。ケイとマンデルはそれぞれ身分証を提示し、街の西門をくぐり抜けてから、まずアイリーンが待つ自宅へと向かう。
ケイ! 戻ったか!
石畳を打つ蹄の音を聞きつけて、家からアイリーンが飛び出てきた。
アイリーン!
突進してきた、羽根のように軽い体を抱きとめて、二人で踊るようにくるくると回ってからキスする。
ただいま
待ってたぜ
……お熱いことだな
やれやれ、とばかりに苦笑したマンデルが、ひょいと帽子を脱いで一礼した。
久しぶりだな、アイリーン。……変わりないようで何よりだ
マンデルの旦那こそ、久しぶり。元気にしてたか?
ああ。……特に今は、若返ったような気さえしている
よほど気合が入っているらしい、マンデルは覇気に満ち溢れていた。
今回は、ケイに付き合ってもらって悪いな。来てくれてありがとう
なに。……礼を言いたいのはこっちの方さ、英雄殿の狩りに同行できるんだ
挨拶もそこそこに、今後の打ち合わせに移る。
サスケとスズカは絶好調のようだが、タアフ-サティナ間を駆け抜けて流石に疲労の色が見られる。いつもの宿の厩に預けて、しばし休憩を取らせることにした。
その際、忘れずに、自作の体力回復薬を二頭ともに舐めさせておく。以前ヴァーク村の 深部(アビス) で採取した『アビスの先駆け』から、薬効成分を抽出したものだ。アイリーンがレシピを覚えていたため、しばらく前に器具を買い揃えて調合してみたのだ。
ゲーム内ではしばらくの間、スタミナを回復させる効果があった。再出発は昼前を予定しており、それまでには二頭ともかなり疲労が取れるはず。
―なお、ケイも舐めて見たが、エグい苦さで死ぬほど不味かった。 ハイポーションのゲロマズ成分はお前か!! と叫びたくなるほどに。
舐めさせられたサスケは ぼくがんばったのに、なんでこんなことするの と悲しげな顔を見せ、スズカは鼻息も荒く前脚で地面をかいて、すこぶる不機嫌になった。
体力は回復するかもしれないが、精神的な面ではしばし問題がありそうだ。使わない方がマシだったかもしれない―
モンタン! 矢はできたか?
ケイさん! ばっちりですよ!
次に、木工職人のモンタンの家を訪ねる。キスカに、ベネットから預かった手紙を渡しつつ、“氷の矢”を見せてもらう。
突貫作業でしたが、何とかなりました
モンタンの役割は、コウが魔力を込めた宝石を矢にしっかりとはめ込んで固定することだった。これは、鏃が特殊な構造をしており、もともとケイが”爆裂矢”を作るために注文していた矢だ。『鏃に宝石をはめ込む』という点では”氷の矢”も変わらないので、流用が可能だった。
用意された”氷の矢”は、20本。さらに、エメラルドをはめ込んだだけの”爆裂矢”の素体(ベース)も何本か。ケイが宣之言(スクリプト)と魔力を込めれば”爆裂矢”の一丁上がり、というわけだ。
一本一本、重心などを確かめたが、どれも申し分ない出来だった。
見事な仕上がりだ。ありがとう
“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“狩りと聞いて、気合が入ってしまいましたよ
一仕事終えた感を出しつつ、爽やかな笑みを浮かべるモンタン。
お兄ちゃん……がんばってね! 気をつけてね!
心配げなリリーに見送られつつ、ケイはその足でコーンウェル商会へ向かう。
ケイくん。待ってたよ
商会本部の前では、ホランドが既に必要な物資の準備を終えていた。
荷馬車が一台。健康な山羊が五頭。マンデル用の乗用馬が一頭。食料や医薬品、野営用品、etc, etc…
うっス。自分は護衛を担当する、オルランドっス
そして、荷馬車を護衛する戦士たちとも顔合わせした。オルランドという強面の男がリーダーの四人組で、それぞれ交代で馬車の御者も担当するらしい。ケイが見たところ、そ(・)こ(・)そ(・)こ(・)できる。オルランドは槍使いらしく、かなり手強そうな雰囲気を漂わせていた。他の三人も槍や斧を扱うようで、粒ぞろいな戦士たちだ。コーンウェル商会の護衛の中でも腕利きだろう。
が。
それで……自分たちはあくまで馬車の護衛で、“森大蜥蜴”狩りには参加しなくてもいい、ってことっスよね?
強面をわずかに緊張させて、オルランドが念押ししてきた。
ああ。無理強いはしないよ、手助けしてくれるならそりゃ助かるが……
今回、オルランドたちの役目は、荷馬車を護衛して物資をつつがなくヴァーク村へ届けること。また、討伐成功の暁には、“森大蜥蜴”の素材を持ち帰ることだ。
対人をメインとする彼らに怪物狩りの経験などあるはずもなく、またケイが彼らに指揮権を持っているわけでもないので、彼らは彼らの裁量で動くことになっていた。
ケイとしても、土壇場でビビって逃げそうな者に背中を任せるつもりはない。それなら最初からアテにしない方がマシだ。だからこそ、信頼できる仲間を求めて、タアフ村までマンデルの協力を仰ぎにいったわけだが―
ところでホランドの旦那、気が早い話かもしれないが―
と、荷馬車を点検していたアイリーンが、ホランドに話しかける。
このサイズだと、“森大蜥蜴”の素材は載せきれないかもしれないぜ?
コンコン、と荷馬車を叩きながらアイリーン。取らぬ狸の皮算用もいいとこだが、すでに討伐後の心配をしているようだ。だがこれにはケイも同感で、商会が用意した馬車は質こそいいものの、サイズはかなり控えめであるように思われた。
ああ。ウルヴァーン支部と”伝書鴉(ホーミングクロウ)“でやりとりがあってね。協議の結果、素材の大部分はウルヴァーン側に運ぶことになったんだよ。サティナはちょっと遠いから
ホランドの答えに、ケイたちも納得する。ヴァーク村からウルヴァーンまでは馬車で一日足らずだ、素材を運ぶならたしかに向こうの方が好都合だろう。
……それと、ウルヴァーン支部からの知らせによると、昨日の段階ではまだヴァーク村は無事だったらしい
通りを行き交う人々に聞かれないよう、声をひそめてホランドが告げる。
なるほど……それは重畳だが
これから間に合うか、だな
アイリーンが腕組みして、ため息をついた。
……そろそろ出発するかい?
ああ。あまり余裕はなさそうだ
ケイ、アイリーン、マンデルの三人は、うなずきあった。軽くサンドイッチで昼食を摂り、トイレを済ませ、必要物資をチェックしてから一同はサティナを発った。
お気をつけて!
ご武運を!
精霊様の御加護があらんことを!
荷馬車の護衛、オルランドたちの声援を背に、ケイたちは進む。
足の速い三騎で先行するのだ。
“竜鱗通し”を片手に、身軽さ重視で革鎧のみを身に着けたケイ。
サーベルを背負い、動きやすい黒装束に身を包むアイリーン。
四肢に革製のプロテクターをつけ、腰に剣を佩いた旅装のマンデル。
よし、行くぞ!
ダガガッ、ダガガッと硬質な蹄の音を響かせ。
一行はヴァーク村を目指し、街道を北上し始めた。
91. 疾駆
前回のあらすじ
ケイ 体力回復薬を飲ませるか……
サスケ まっず! なんでこんなことするの
スズカ 不味すぎてキレそう
城郭都市サティナから公都ウルヴァーンまで、リレイル地方を南北に結ぶ大動脈。
―サン=アンジュ街道。
整備された石畳の道を、荒々しく駆ける騎馬の姿があった。
その数、三騎。
先頭は、スズカに跨るアイリーン。
続いて商会から借り受けた馬を駆るマンデル。
そして殿(しんがり)を務めるのが、ケイとお馴染みサスケだ。
アイリーン! スズカの調子はどうだ!?
最後尾から、ケイは声を張り上げる。
大丈夫だ! でも汗かいてるから、ぼちぼち水飲んだ方がいいかもな!
金色のポニーテールを揺らしながら、アイリーンが叫び返した。彼女を乗せたスズカは、黒色の毛並みがてらてらと光って見えるほど汗にまみれている。
現在、スズカが一行のペースメーカーだ。
サティナで多少休息を取ったとはいえ、スズカの疲労は完全には抜けていない。体重が極端に軽いアイリーンを乗せているので負担は少ないだろうが、それでも疲労具合を見つつ、走る速度を調節しているのだ。
スズカからすると、バテないギリギリのラインでずっと走らされるので、堪ったものではないかもしれない。だがもともと草原の民と共に暮らしていた馬だ。この程度で音を上げるほどヤワな育ちではないだろう。
マンデルの方は、変わりないか?
ああ。……いい馬だ、こっちは問題ない
マンデルが振り返って、生真面目な顔で答える。
コーンウェル商会から借り受けた馬は、灰色の毛並みの大人しいメスだった。ホランド曰く、最高速はそれほどでもないが、体力があり忍耐強い性格だという。今回のような強行軍にはぴったりだ。
ぶるるっ!
そしてケイを乗せるサスケはといえば―絶好調だった。クソマズ体力回復薬が効いたのか、それとも元から大して疲れていなかったのか、ほぼ完全に回復していた。体力・速力ともに普通の馬とは隔絶している、バウザーホースの真骨頂。
ケイが都度、手綱を引いて制御しなければ、徐々に加速して前方のマンデルを抜き去りかねないほどだ。戦いの機運を感じ取り、逸っているのだろうか。はたまた獰猛な魔物としての本能が表に出てきたのか。あるいは、新たに加入した商会のメス馬にいいところを見せようとしているだけか―
“竜鱗通し”を片手に周囲を警戒しつつ、思わず苦笑いしてしまうケイであった。
町が見えてきた!
と、先頭のアイリーンが知らせる。
少し休憩にしよう!
日の傾き具合を確認して、ケイは答えた。
できるなら今日中にサティナ-ウルヴァーンの中間にある、湖畔の町ユーリアまで行きたいところだ。到着時にベストな体調(コンディション)を望むなら、野宿は極力避けて、きちんとしたベッドで体を休めなければならない。現在のペースなら日が沈む前にユーリアに着くだろうが、休憩に時間を割きすぎるとギリギリ間に合わなくなる。
一口に『強行軍』と言っても、細かい調節がなかなか難しいことを、ケイはここに来て改めて感じていた。
†††
小さな宿場町にて。
水差し(ピッチャー)に直接口をつけて、グビグビと冷たい水をあおったアイリーンが ……ぷはぁ! 生き返るぜ と声を上げる。
井戸から汲み上げた冷たい水が、乗馬に火照った体に心地よい。自分の足で走るよりマシだが、ただ馬上で揺られているだけでも、人体はそれなりに消耗するのだ。
サスケ、よく走ってくれた。休憩後も頼んだぞ
馬具を外して楽にしてやり、白く泡立った汗の跡を拭き取ってあげながら、ケイはサスケに礼を言った。 まかせて! と言わんばかりに目を瞬いたサスケは、そのまま ヘイ、彼女! いい走りだったね! と、隣で水を飲む商会の灰毛馬へ絡みに行く。
灰毛馬は困惑気味―というか、ちょっと引き気味だ。そのさらに隣では、スズカが フン! と不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
ケイも飲むか?
おう
アイリーンから水差しを受け取り、グビッと水分補給するケイ。
その横で、井戸脇のベンチに腰掛けたマンデルが、伸脚するような動きで足を伸ばしていた。少しばかり険しい表情で、太腿をさすっている。
マンデル、どうかしたのか?
いや……
心配するケイに、マンデルは渋面を作った。
これだけの距離を駆けるのは初めてなんだ。……股が痛くなってきた
顔を見合わせたケイとアイリーンは、 あー…… と事情を察する。
乗馬とは、特殊技能だ。
馬への指示の出し方はもちろん、馬上で揺られ続けるため特殊な筋肉を使う。衝撃を受ける腰や太腿、尻なんかも、慣れがなければ痛みで悲鳴を上げ始める。
ケイとアイリーンは、ゲーム時代から乗馬に親しんでいた上、『完成された肉体(アバター)』を引き継いでいるのでその手の苦しみとは無縁だ。だが、こうして実際に苦しんでいる人間を前にすると、ずる(チート)しているような感覚に襲われてしまう。
……かなり痛むのか?
ま(・)だ(・)、それほどではない。……だがこのペースで進むとどうなるかわからん
マンデルは意地を張るでもなく、正直に申告した。
少し、不安だ。……今は平気だが、開拓村に着く頃には足腰立たなくなっていました―では笑えないからな。絶対に無理はできない
強がることなく話しているのは、そういうわけだ。
忘れてはならない。ヴァーク村へたどり着くことが目的ではなく、そこで”森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“と戦える状態にあることが重要なのだ。
せっかく騎馬で移動できるというのに、足手まといになるようでは本末転倒だ、とマンデルが嘆息する。
馬まで用意してもらったのに、この体たらく。……自分で自分が情けない
……仕方ない、こればかりは慣れの問題だ
マンデルを責める気にはとてもなれず、ケイも慰めの言葉をかける。ゲーム由来の肉体で苦労していない自分が言うと、どこか薄っぺらく感じられた。
最悪の場合、おれを置いて先に行くことも視野に入れてほしい……
痛恨の極みの表情で、絞り出すように言うマンデル。確かに、ここでマンデルに合わせてペースを落としては、ここまで急いできた意味がない。
そっか……じゃあ、これ使ってみてくれよ
何やら腰のポシェットをゴソゴソと探ったアイリーンが、金属製の小さなケースを取り出した。
これは?
軟膏だ。―『アビスの先駆け』を使った傷薬
声を潜めて、囁くようにアイリーン。
これもまた、レシピを覚えていたアイリーンが試行錯誤して調合した品だ。体力回復薬とは違い、傷を癒やす治療薬になっている。もちろんその効能は、高等魔法薬(ハイポーション)とは比べるべくもないささやかなものだが……塗れば効果を発揮するので、少なくともゲロマズフレーバーは味わわずに済む。
太腿に塗れば、かなり痛みが引くはずだ。痛み止めじゃなくて治療薬だから、乗馬の揺れにも適応できるかも
アイリーンに押し付けられるようにして軟膏を受け取ったマンデルは、おっかなびっくりといった様子でケースを撫でた。
これは貴重なものでは? ……戦いに取っておくべきだろう
いや、正直あまり意味がない
首を振って否定したのはケイだ。
“森大蜥蜴”相手に戦うなら、その程度の傷薬が活躍できる場面がないのさ。無傷で生き残るか、即死するかの二択だ
淡々と、『事実』として語るケイに、マンデルがごくりと唾を飲み込んだ。
そうか。……わかった、使わせてもらおう
頷いたマンデルがその場でいそいそとズボンを脱ぎ始めたので、アイリーンが慌ててそっぽを向く。困ったような顔で ワイルドだぜ…… と口を動かすアイリーンを見て、ケイは思わず笑ってしまった。
……しかし、マンデルはどうして馬に乗れるんだ?
太腿に軟膏を塗り込む姿を見ていて、ケイはふと疑問に思う。
マンデルは、狩人だ。それも森のそばの田舎村の住人だ。主に森の中で活動する彼は、本来馬に乗る必要があまりない。そんな彼がなぜ、そしていかに乗馬の技術を身に着けたのか、不思議だった。
ああ……
入念に局部にも塗っていたマンデルは、その手を止めて、遠い目をする。質問しておいて何だが、ズボンは早く穿いてほしい。
昔、習ったんだ。……草原の民からな
マンデルの答えは意外なものだった。 草原の民から? とオウム返しにするケイとアイリーン。公国の平原の民と、草原の民は仲が悪かったのでは―
昔は、普通に交流があったんだよ。……10年前の”戦役”、草原の民の反乱が起きるまでは……
その口調は、懐かしむような、寂しがるような。
タアフの、おれくらいの歳のヤツはみんなそうだ。……昔、村に物々交換にやってくる部族がいた。気さくで、優しい連中だったよ。村にやってくるたび、当時ガキだったおれたちに、手取り足取り乗馬を教えてくれたんだ……
じっと自分の手を―弓を引き慣れ、あざになった指先を―見つめながら、ぽつぽつと呟くようにマンデルは言った。
だが、“戦役”で争うことになった。……仲が良かった部族とも刃を交えた。彼らは今、草原の奥地に引きこもっていて、滅多に姿を現さない。村との交流も完全に途絶えてしまった……
ため息交じりに語り、マンデルは再び軟膏を塗り始めた。
そう、だったのか……
転移当初、草原の民と誤認されかけていたケイに、マンデルは公平な態度で接してくれた。そしてケイが草原の民ではないことを見抜き、様々な助言もくれた。
マンデル自身は、“戦役”で徴兵され、平兵士から十人長に昇格するほど活躍していたらしい。その胸中がどれだけ複雑だったことか―
ふむ。……なるほど、この軟膏はよく効くな……!
ぺちぺち、と太腿を叩いたマンデルが、感心したように言う。
ありがとう。……かなり楽になった。このままのペースでも大丈夫そうだ
礼を言いながら、軟膏のケースをアイリーンに返すマンデル。散々局部に軟膏を塗り込んだ手で、そのまま。
あ……いいよ、そのケースは持っておいてくれ、まだ使うだろ?
む、そうか。……わかった、じゃあそろそろ行こう。おれのせいで休みすぎた
マンデルが立ち上がり、荷物袋に軟膏を仕舞ってから、ひょいと灰毛馬に跨る。
もう痛がる様子はなかった。軟膏の効き目は確からしい。
そうだな。行こうぜ
ちょっと待ってくれ、サスケに馬具を付け直す
手早く準備を整え、ケイたちは再び出発した。
それから、以前のペースで進んでも、マンデルは 少し痛む 程度で平気なようだった。むしろスズカの疲労具合の方が心配だったほどだ。
休むことなく駆け続け、日が暮れる前には、シュナペイア湖に面するユーリアの町に到着した。
相変わらず、清らかな湖とは対照的に、猥雑な雰囲気で満ちた町だ。行商人やその護衛、彼らを相手にする物売りや芸人、娼婦などで賑わっている。前回、ここを訪れたときは領主の館に呼び出され、アイリーンが 夫に黙って愛人にならないか? などと誘われたりしたものだ。ケイの面前で。
ありゃ傑作だったなぁケイ
ああ。二度と御免だが
もちろん領主の館などスルー。呼ばれてもいないし、呼ばれる予定もない。実に素晴らしいことだ。
少しでも疲れを癒やすため、高級な宿に泊まる。マンデルは遠慮しようとしたが、有無を言わさず宿代はケイたちが出した。風呂で汗を流し、ゲロマズ体力回復薬を服用し、口直しするようにたらふく食ってから、その日は早々に就寝。
その甲斐あってか、翌日は疲れもなく、ベストコンディションで出発できた。マンデルも寝る前に軟膏を塗ったようで、股が痛むことなく強行軍を続ける。
そして。
見えた!
街道の果て―丸太の防壁で囲まれた開拓村が見えてくる。
見たところ、壁が壊された様子もない。周囲には人影もあった。
おぉーい!
ケイたちが手を振ると、住民もこちらに気づいたようで、手を振り返してくる。
サティナを発ってから、およそ一日半。
ヴァーク村は―まだ無事だったのだ。
いつも感想ありがとうございます! 実は昨日、短編を投稿しました。
神 お主のチート能力は『いらすとや召喚』じゃ
サクッと読めるコメディなので、オススメです! なんと挿絵もついてます!
92. 状況
前回のあらすじ
マンデル(下半身露出のすがた) この軟膏の半分は。……優しさでできている
ケイ&アイリーン アビス軟膏~♪
そしてケイたち一行は、ヴァーク村に到着した。
ヴァーク村の男たちから、ケイは熱烈な歓迎を受けた。
英雄が来たぞ!
“大熊殺し”だーッ!
公国一の狩人ーッ!
“疲れ知らず(タイアレス)“ーッ!
公国一の木こりーッ!
何か変な二つ名も混じっていたが。
ケイ!! 来てくれたのか!!
村長のエリドアが、ホッとした顔で飛び出てきた。チャームポイントのハの字の眉は相変わらずだが、前回会ったときに比べ、かなりやつれている。
エリドア! 無事だったか
ああ、何とか。テオは立派に仕事をやり遂げたんだな。想像以上に早い到着だよ、ありがとう
テオ―コーンウェル商会に遣いとしてやってきた少年のことだ。
テオは今、商会で世話になってるはずだ。俺たちも全力で駆けて来たが、間に合わないんじゃないかと気が気でなかったよ……
村の中で下馬しながら、ケイは周囲を見回す。
ヴァーク村―ぐるりと丸太の壁で囲まれた開拓村。この防壁は、人間や普通の獣を防ぐには充分だろうが、“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“相手では紙細工ほども役には立たない。襲われればひとたまりもないだろう。女子供は避難させた、と聞いていた通り、村内には男たちしか残っていなかった。
だが。
それでも村は、賑(・)わ(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。
興味深いことに、村の出入口の付近、門の周辺にはテントや天幕が張られており、よそ者連たちが大勢そこで過ごしているのだ。野心に燃える駆け出しと思しき行商人、いかにもガラの悪い食い詰めた傭兵、身一つで乗り込んできた素人、森に溶け込みやすい格好をした狩人や野伏、などなど。
“森大蜥蜴”の脅威が迫る中、てっきり村の男たちしかいないと思っていたケイは、まだこの場に留まる命知らずがいたことに驚いた。
意外と人がいるんだな
率直な感想を漏らすと、エリドアはなんとも言えない顔で頷く。
ああ。頼もしい奴らさ。いつでも逃げ出せるよう、準備に余念がない
皮肉げな言葉だが、責めるような色はなかった。
まあ、両者とも気持ちはわかる。
この壁に囲まれた村には、出入口の門が一つしかない。村内で過ごしているところを襲われれば、みなが門に押し寄せて大パニックになるだろう。少なくない数が逃げ遅れるはず―村人たちは各々の家があるので仕方なく村内で過ごしているが、よそ者がそれに付き合う義理はない。村の外で過ごすのは当たり前の選択だ。
村人側としても、その気持ちはわかるが、いざというときは見捨てると宣言されているようなものなので、複雑な心境だろう。
……正直、ケイも好き好んで壁の内側にいたいとは思わない。いざというときに動きが制限されるのは困る。
彼らはなぜここに?
サスケの汗を拭いてやりながら、ケイは尋ねた。
『森の恵み』を求めてるのさ
というと?
深部(アビス) の動物が迷い出てきたり、普段は生えないような珍しい薬草が群生したりしてるんだ、今のあの森は
壁の向こうに広がる森を見やるようにして、エリドアは言った。
アイツら、この状況下で森に入ってんのか?
アイリーンが驚愕の顔でよそ者たちを見る。何人かの荒くれ者たちが、アイリーンの美貌を目にして囃し立てるような声を上げた。
……命知らずだな
マンデルがぼそりと呟く。ケイも全く同感だった。討伐に来ておいて何だが、森の中で”森大蜥蜴”とやり合うのは御免だ。ケイの足では絶対逃げ切れない。
当然、森に入り込む探索者―そのほとんどが素人の食い詰め者―が、怪物に出くわして生きて帰れるとは思えなかった。
それだけ、カネになるんだ……噂が噂を呼んで、むしろ”森大蜥蜴”が出る前より、人の出入りが増えたぐらいだ
エリドアが苦笑する。『アビスの先駆け』とまでは言わないが、高値で取引される薬草やキノコ、美しい毛皮の珍獣、そんな存在が森には溢れているらしい。“森大蜥蜴”の出現直後は逃げ出す者が多かったが、その隙に珍しい獣を生け捕りにして大儲けした剛の者が現れ、結局それを羨んだ多くの探索者たちが戻ってきたそうだ。
今では、一攫千金を夢見て森に入る命知らずたちと、それらの”商品”を高値で買い取る行商人で、村は大賑わいなのだという。
ただし、経済活動のほとんどが村外で行われる上、村内の施設も休業状態であり、村にはあまり利益が還元されていないとか何とか。
話を聞いたケイは、 随分と悠長に構えているんだな という感想を抱いた。と同時に、それほどまでに森の生態系が変わっているということは―あまり良い傾向とは言えない、と危惧した。
……この近辺には、まだ”森大蜥蜴”が姿を現してないのか?
何より気になるのは”森大蜥蜴”の動向だ。流石に近くにヤツが『出た』となれば、探索者はともかく、商人たちが真っ先に逃げ出すはず。
いや……それが、はっきりとは言えないんだ。ヤツの行動範囲が、少しずつ広くなってるのは間違いないんだ……
エリドアは何とも困ったような顔。
……詳しい事情を説明しよう。こっちに来てくれ
村に入るときも思ったが、門の周辺は混沌していた。
まるでバザールのようだ。色とりどりの天幕、熱心に探索者たちと交渉する商人、飲食物を売る簡易屋台、酒瓶片手に英気を養うごろつきたち―
おーい、キリアンはいるか
エリドアが声をかけると、探索者たちが顔を見合わせた。
キリアン、見たか?
さあな、おれは見てねぇ
ってかキリアンって誰だ?
そんなこと言い出したらよォ、まずお前が誰だよ!
違いねぇな! ガハハ! 知らねえ顔ばっかりだぜ
それよりエリドア、その別嬪さんを紹介してくれよ!
誰かが叫び、 そうだそうだ! と野太い声が重なる。
やいのやいの。ケイの傍らのアイリーンに、口笛を吹く者、見惚れる者、下品な野次を飛ばす者―いくらこの場が賑わっているといっても、女っ気はゼロだ。流石にこんな危険な開拓村にまで出向いてくる商売女はいなかったのだろう。お陰で女に飢えた男たちが、砂糖菓子に吸い寄せられるアリのようにわらわらと―
あー。ダメだ、オレがいちゃ話にならねぇなコレ
ぼりぼりと頭をかいたアイリーンが、小さくため息をつく。
オレぁ一旦村に戻るぜ、ケイ。話は聞いといてくれ
わかった
こりゃ仕方ない、とばかりに頷くケイ。
おうおう、そんなこと言わずに、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないかよぉ~、お嬢ちゃん
などと言いながら、酒焼けした赤ら顔の男が絡んでこようとしたが―アイリーンが、トンッと地を蹴る。
へ?
赤ら顔の男からすると、アイリーンが消えたように見えただろう。
軽々と宙を舞うアイリーン。真正面から男の頭を飛び越えたのだ。
そのまま、群がる男たちを避けるようにして、トンットンッと飛び跳ねていき、三メートルはあろうかという丸太の壁に取り付いて、そのまま向こう側へと消えた。門があるのに、わざわざ壁を越えてみせたのだ。
…………
ごろつきたちが、呆気に取られている。
エリドア……何者(なにもん)だありゃぁ……
強力な助っ人だよ
苦笑交じりに答えるエリドア。
と、ごろつきたちの間をすり抜けるようにして、一人の男が前に出てきた。
……アッシを呼んでると聞きやしたが
ぴったりとした皮の服に身を包んだ男だ。三十代後半といったところか。ツルツルに剃り上げたスキンヘッドで、頭部には爪で引っかかれたような傷があり、前歯が何本か欠けている。少し間抜けな顔立ちにも見えるが、その立ち居振る舞いには隙がなく、特に足運びにただならぬものを感じさせた。腰の後ろには山刀を差し、小型のクロスボウを背負っている。
おお、キリアン。この人に、森の様子を話してやってくれないか
エリドアがケイを示す。
どうやら、このスキンヘッド男はキリアンというらしい。察するに、今もなお森に踏み込む命知らずの一人といったところか。
こちらの旦那は?
以前話した、“大熊殺し”のケイさ
ほう!
じろじろとケイを見ていたキリアンは、感心したような声を上げる。
それはまた。アッシは流れ者のキリアンと申しやす
ケイだ。狩人をやっている
よろしく、と目礼する二人。
森の様子、とのことで。何を話しやしょう?
できれば”森大蜥蜴”の動向を知りたいんだが……
ケイはあまり期待せずに尋ねる。
ふぅむ。いくらで?
目を細めて、キリアンが笑う。
命がけで拾ってきた情報でやすからね
タダでやるわけにはいかない、と。
もっともなことだ、とケイは納得した。しかしどれほど払ったものか。
……こういうとき、いくらぐらいが相場なんだ?
いや。……おれに聞かれても困る……
突然ケイに聞かれ、困惑するマンデル。
こんな情報の売買は経験がないからな……
そうか……
……。ただ、山狩りの類で、軍が地元の猟師や狩人を案内人に雇うときは、一日あたり小銀貨2~3枚が相場だと聞いたことがある。……それより安いということはないだろう
悩むケイに、マンデルもどうにか記憶をたどり、そんなアドバイスをくれた。
じゃあ、これくらいでいいか
財布代わりの革袋から、銀貨を数枚取ってキリアンに手渡すケイ。小銀貨ではなく銀貨にしたのは、これより細かい硬貨を持っていなかったからだ。命がけの情報なのは間違いないので、多めに払ってもいいだろうという考えもある。
ほほう。これはこれは……
キリアンは手の内の感触だけで金額を察し、サッと懐に銀貨を隠した。
お話ししやしょう。ただ場所を変えたいところでやすね
そのリクエストに応じ、一行は近くの天幕の中へと移る。
さて。アッシも、“森大蜥蜴”には直接お目にかかったわけじゃないんでやすが
キリアンは石ころを拾い、地面に大雑把な地図を描き始めた。
曰く、キリアンはいつもヴァーク村から三十分ほどの距離を探索しているそうだ。目的は薬草の採取と、狩猟。真っ黒で艷やかな毛皮の狐や、緑色の鹿のような動物など、 深部(アビス) から迷い出てきたと思しき、珍しい獲物が目白押しだという。
で、“森大蜥蜴”は、どうやらこのあたり
キリアンは、自分の行動圏の外にザッと線を引く。
村から歩いて四十分あたりのところを、うろついているようでやして。足跡やら、これ見よがしに派手に倒された木やら、“森大蜥蜴”の通ったあとが目立ってやした。だからアッシも不意に出くわさないよう、ここらで引き返すようにしてるんでやすが
……なるほど
探索者の二人が喰われたのは、 深部(アビス) の領域付近だったはずだ。そのときに比べ、少し行動圏が広がっているように見える。
このあたりの地形は?
キリアンが引いた線を示して、ケイは尋ねた。以前、ケイもこの村から 深部(アビス) まで歩いていったので、道中の起伏は薄っすらと覚えている。なので、心当たりがあった。“森大蜥蜴”がさまよっている理由にも。
ここは……少しばかり、『谷』みたいに地形が凹んでるところでやすね
……わかった、ありがとうキリアン。ところでこの話は、皆にもしてるのか?
ケイの問いに、キリアンは首を振った。
正直、あまり。アッシに金まで払って聞こうってヤツぁそういやせん。みんな勝手にやってやすから。酒を奢られて少し話したことはありやすが、これほど詳しくは、まだ……せいぜいエリドアの旦那に話したくらいのもので
エリドアは数少ない『客』なのだとか。
ふむ。キリアンぐらい森に詳しいヤツは、他にいるか?
アッシが見たところ、アッシほど森歩きに慣れてるヤツも少ないかと
普通、確かな技術を持つ森の専門家なら、こんな場所に出稼ぎに来たりしない。森の恐ろしさを知っていれば、 深部 の化け物がいるかもしれないような場所に近づこうとは思わないからだ。
必然的に今、森に入っているのは、楽観的な素人ばかりだった。
ふーむ。エリドア、一つ質問なんだが、森に入ったきり帰ってこない探索者はどれほどいる?
えっ?
突然、水を向けられたエリドアが困惑の声を返す。
いや、……俺は把握できていない。なにせこの数だ。出入りも激しい
エリドアが外を示す。賑やかな探索者たちのテント村を。
こうしてケイたちが話している間にも、何組かの探索者たちが帰還し、それと入れ違うようにして森に入っていく者たちもいる。取引を終えて去っていく行商人もいれば、新しく村にやってくる商人もいる。今日、噂を聞きつけてやってきたごろつきが何人になるのか、把握している者は一人もいない。冒険者ギルドのような監督する組織があるわけでもなく、皆が好き勝手にやっているのだ。
ましてや誰が森に入り、誰が帰ってきたか、など―
なるほどな……
おおよそ、事態が把握できたケイは、顎を撫でながら唸った。
……何か、まずいのか? ケイ
エリドアは不安げに。
まずい、というか……。なあエリドア、俺は『“森大蜥蜴”が出た』って知らせを受けたときは、正直もう間に合わないかもしれない、って思ったんだ
……えっ?
いつ襲われてもおかしくはなかった。こんな魔力が薄い土地で、“森大蜥蜴”が体を維持するには、そこそこ魔力を持つ生物を食べなきゃいけない。その筆頭が人間だ
野生動物に比べると、人間は魔力を豊富に持つ。特に中年以降の個体ともなれば、下手な 深部(アビス) の獣より魔力は高い。
だが、それでもヴァーク村は無事だ。
人の味を覚えた怪物が、いつ匂いをたどって襲いにきてもおかしくなかったというのに。
命知らずの『冒険者』たちに感謝した方がいいな。彼らの犠牲でこの村は保ってるようなもんだ
おそらく―日に何組かが喰われている。
キリアンの言っていた『谷』の周辺が、狩場(キルゾーン)なのだ。
俺の予測では、その『谷』に”森大蜥蜴”は巣を作ったんだろう。あいつらは山や谷の斜面を掘って、ヨダレで壁を固めて巣穴にするんだ。派手に倒された木は、通った跡じゃなく、縄張りの主張。そして”森大蜥蜴”の得意技は―待ち伏せだ。巣穴の近くに身を潜めて、通りがかった獲物を確実に仕留めてるんだろう
この森は、人の手が入っていない原生林だ。草木が鬱蒼と生い茂り、視界も悪い。体長十メートルを超える化け物でも、じっと身じろぎしなければ姿を紛れさせられる茂みや地形の起伏は、いくらでもある。
また、先入観。獰猛な”森大蜥蜴”は、地響きを立てて獲物を追いかけ回す―そんな風に勘違いしている者も多いだろう。実際は気配を殺して身を潜め、ギリギリまで獲物が近づいたところで、初めてその俊敏さを発揮するのだ。
キリアンは、“森大蜥蜴”の『通った跡』を警戒し、近づきすらしなかった。だからおそらく、“森大蜥蜴”の確殺圏に入らずに済んだのだろう。
だが、これが素人だったら? ただのごろつきだったら? この期に及んで、怪物はもっと森の奥地にいると勘違いしている愚か者だったら―?
その末路は、言うまでもない。
今はまだ、巣の近くに『餌』が豊富にあるからいいが
問題は、この話が知れ渡った場合。
もしも探索者たちが森に入らなくなったら―餌が不足する
そうすれば”森大蜥蜴”は、どうするか。
匂いをたどって、まっすぐ来るぞ。この村に
ケイに告げられ、エリドアの顔が引きつった。
―“森大蜥蜴”に仲間たちが喰われた、という探索者が戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。
93. 準備
前回のあらすじ
森大蜥蜴 この森当たりだわwww めっちゃ餌あるやんwww
―最初は誰も、そいつのことなんて気にも留めなかった。
森からフラフラと一人で彷徨い出てきた探索者。見るからにみすぼらしい格好で、ろくな装備もない。
大方、一攫千金を夢見てやってきた食い詰め者が、ロクな成果も上げられずに帰ってきただけ―
誰もがそう思った。
そいつが、探索者たちのキャンプにたどり着くなり、わんわんと子供のように泣き出すまでは。
お、おい、どうしたんだよ
見かねた他の探索者が声をかける。
近寄ってみれば、酷い匂いだった。その探索者の下半身は汚物まみれだった。よほど恐ろしい目にあったのか、失禁してもそれを気にする余裕もなく、必死で逃げてきたらしい。
……死んじまった。死んじまったんだよぅ
この世の終わりを見てきたような顔で、そいつは言った。
でけえトカゲに、みんな喰われちまった
†††
―で、こうなったと
翌日、すっかり人気のなくなったキャンプを眺めて、ケイは呟いた。
“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“が近場に出た、という噂はあっという間に広まった。まず、怖気づいた探索者が去り、そこそこ稼いでいて未練のない者がそれに続き、彼らの商品を買い取っていた商人たちも引き上げた。
残ったのは、それでも『森の恵み』を諦めきれない強欲者か、危機感に乏しい命知らずか、それ以外の理由で残った奇人・変人か。
さて、自分はどれだろう、などとケイは思う。
むしろまだ何人か残ってることに驚きだぜ
サーベルの鞘でトントンと肩を叩きながら、アイリーンが言った。
―へへっ。アッシのような物好きもおりやすからね
天幕の陰から声。傷だらけの禿頭をぺたりと撫でながら、キリアンがひょっこりと顔を出した。
あんた、残ってたのか
意外だった。
キリアンは、慎重に慎重を重ねた結果、“森大蜥蜴”の狩場(キルゾーン)に踏み込むことなく生き延びた、腕利きの探索者だ。リスク管理に優れているからこそ、真っ先に姿を消しているだろう、とケイは思っていたのだが。
歩く災害とも謳われる”森大蜥蜴”―その姿、一度は拝んでみたいと思っておりやして。アッシも、森歩きなぞを生業としている者でやすからねえ
昨日、“森大蜥蜴”の生態を事細かに解説され、自分も危ういところだったと知らされたときは青い顔をしていたのに、剛毅なことだ。
それに……旦那は、“森大蜥蜴(あれ)“を狩るつもりなのでしょう? アッシもお供させていただきたく
……ただの酔狂かもしれんぞ?
そりゃあ、他の連中なら鼻で笑うところですがね。旦那は話が別でさぁ
キリアンはニヤリと笑う。“大熊殺し”ならではの説得力といったところか。
それは光栄だな。実際、人手は欲しいと思ってたんだ
流石にケイも、アイリーンとマンデルだけを仲間に”森大蜥蜴”を狩り切れるとは思っていない。基本的には森から出てくる”森大蜥蜴”を迎撃する形を取るつもりだが、簡単な落とし穴―“森大蜥蜴”が蹴躓く程度の深さでいい―などを準備するために、人手を集めなければならなかった。
村の男たちには、もちろん手伝ってもらう予定だ。しかし、探索者―特にキリアンのような腕も度胸もある人材は、いくらでも欲しい。
声をかけたら、もう少し集まると思うか?
報酬次第かと思いやすね
身も蓋もない答えに、 そりゃそうだ とケイは苦笑する。
キリアンだったら何が欲しい?
アッシはもちろん、金子(きんす)をいただけるならそれに越したことはありやせんが。手持ちが少ないならば、討伐成功の暁に獲物の素材を分け前に―という手もアリだと思いやす
なるほど
確かに、こういった大物狩りでは成功報酬が一般的かもしれない。大物狩りそのものが一般的かどうかはさておき。
ただしケイの場合は、そこそこ懐に余裕がある。
仕留めた”森大蜥蜴”は、コーンウェル商会に売り払う手はずになってるんだ。俺の一存じゃ素材の扱いは決められない
ほほう
だが幸い、金はある。できればキリアンのような、クソ度胸のヤツを雇いたいんだが……心当たりはないか?
わかりやした。何人か、声をかけてみやしょう
頷いたキリアンは、そう言ってまた天幕の陰に姿を消した。
よし、落とし穴でも掘るか
人材探しはキリアンに任せ、ケイは村の外で作業に取り掛かった。
念のため”竜鱗通し”と”氷の矢”を携え、手近にサスケも控えさせているが、ケイは少なくとも明日の朝まで”森大蜥蜴”は動かない、と見ている。
昨日犠牲になった探索者は最低でも四名。“森大蜥蜴”も腹が膨れて、そこそこ満足しているはずだ。ここしばらく、狩場では獲物に不自由していなかったので、今日も巣穴周辺で待ち構えていることだろう。
そして”森大蜥蜴”は昼行性なので、日が暮れて気温が下がってしまえば、明日の昼前までは動けない―
(―と、説明したんだがな……)
自らもシャベルを振るいながら、ケイは辺りを見回して肩を竦めた。
周囲には、村長のエリドアをはじめとした村の男たちの姿もある。みな、農具を手に作業に従事しているが、いつ森から怪物が飛び出してくるか気が気でないようだ。背水の陣を敷く軍隊の兵士でも、もうちょっとマシな顔をしているだろう。
(まあ、気持ちはわかるが)
かく言うケイも、絶対に100%安全だと思っているわけではない。アイリーンにはすぐそばで森を見張ってもらっているし、短弓を手に控えているマンデルにも”氷の矢”を数本渡してある。
当のケイたちが気を緩めていないのだから、村人たちが気楽に構えていられるはずがないのだ。
ケイ、ちょっといいか
と、鋤を担いだエリドアが、眉をハの字にした困り顔で話しかけてくる。
どうした?
そこそこ掘ったところに、デカい石が出てきた。どうしたものか
エリドアに連れて行かれると、確かに、どデカい石―というより岩―が地面に埋まっていた。
……うーむ、これを動かすのは確かに骨だな。ツルハシかデカいハンマーがあれば砕けそうだが
ツルハシはないな。ハンマーも木槌しか……
そうか、なら仕方ない……そのまま動かすか
できれば道具を使って楽をしたかったのだが。
ケイは一抱えもあるような巨石を、 どっせい! と無理やり持ち上げて、豪快に放り捨てた。
よし、これでいいだろう
……相変わらずの怪力だな
ぱんぱん、と手の土埃を払うケイに、エリドアが呆れている。周囲の村人たちも、 何を食ったらあんな筋肉つくんだ にしてもこの石デカすぎだろ デカすぎて税金取られそうだな などと話している。
しかし、エリドアたちも頑張ったんだな……
切り株だらけの景色を見回しながら、ケイは感慨深げに言う。
以前来たときよりも、ヴァーク村の周囲はずっと拓けていた。“大熊(グランドゥルス)“襲撃時は、村から目と鼻の先の距離にあった森が、今は50メートルほども離れている。 深部(アビス) の領域変動、その影響を少しでも抑えるために、森そのものを削る―村人たちの涙ぐましい努力の賜物だった。
お陰で、戦いやすい
サスケが駆け回るスペースがあるし、射線も通る。足場の悪さが玉に瑕だが、森の中と違って”弓騎兵”として立ち回れる。もしも村が以前のように森と近いままだったら、村への被害を度外視して、街道の辺りまで”森大蜥蜴”をおびき出す必要があったかもしれない。
しかし……ケイ、こんな落とし穴が、本当に”森大蜥蜴”に効くのか?
穴を掘り進めながら、エリドアが問う。
“森大蜥蜴”は10メートル近い化け物なんだろう? こんな、子供でも這い出せるような穴、それこそ子供だましにしか思えないんだが……
いや、意外と有効なんだコレが
土を掻き出しながらケイは答える。
“森大蜥蜴”、図体の割に脚が短くてな。力が強いお陰で、それでも素早く動き回れるんだが、だからこそ、猛スピードで走ってきて脚が引っかかると―
かなりバランスを崩す。腹を地面に擦ってしまい、突進の勢いは大幅に減じる。
で、そこを狙うというわけだ。“大熊(グランドゥルス)“と違ってバカだから、何度でも引っかかるしな
ふぅむ……なるほど
エリドアも納得したようだ。他の村人たちもやる気が出てきたらしく、穴を掘る手に力がこもっている。
おおい、旦那
と、村の方からキリアンがやってきた。背後には探索者たちを引き連れている。
キリアン! ……なんか、多くないか
引き連れている―ぞろぞろと、まるで遠足のように。
話を耳に挟んで、人足として雇ってくれという連中がいやして
親指で背後を指し示しながら、キリアンが肩をすくめる。
―ザッと顔ぶれを見てみると、色々と酷い。
どうやら大半は、 とりあえず少しでも金を稼ぎたい という者たちのようだ。みすぼらしく覇気もない。 “森大蜥蜴”に挑んでやろう という気概に満ちた者は、数えるほどもいなかった。
ええと……じゃあ、人足志望の奴らは、ここにいる村長のエリドアの指示を聞いてくれ
ケイがそう言うと、探索者たちがぞろぞろとエリドアの方に行く。 道具が足りないぞケイ! という悲鳴を聞き流しつつ、キリアンを見やる。
……で、彼らが?
へえ。アッシが声をかけた連中でさ
残ったのは、たった二人だ。
まず、ゴリラのような筋肉隆々の男。装甲をうろこ状に重ねたスケイルアーマーを装備しており、短めの槍を四本も背負っているのが印象的だ。探索者というよりは、傭兵といった趣を呈している。先ほどからぎらぎらした目でケイを睨みつけてくるのだが、理由に心当たりはない。
次に、浅黒い肌のイケメン。場違いに思えるほどの美丈夫で、革鎧を身につけていなければ吟遊詩人か何かかと勘違いしてしまいそうだ。腰にはショートソードを差し、草原の民の複合弓を握っている。身のこなしはなかなか様になっており、武具も使い込まれた風で、ただのイケメンではなさそうだった。
おい、あんた……ケイか
と、ゴリラのような男が、クワッと歌舞伎役者のような表情でケイに迫る。
あ、ああ、そうだが
警戒心高めで引き気味のケイ。
ゴリラ男はサッと手を差し出す。何事だ、と身構えるケイに、
あ……握手……してくれねえか
……は?
……武闘大会……見ていた。あんたのファンなんだ……
ゴリラ男はうつむきがちにそう言った。
94. 助人
前回のあらすじ
あ……あんたの……ファンなんだ…… (もじもじ)
あんたのファンなんだ……
ケイの人生において、そうそう言われたことない台詞だった。
あ……ああ、……それはどうも
我に返ったケイは、手を差し出し、ギュッと握手した。
なんか力いっぱいに握って握力を確かめてくる、などということもなく、ゴリラ男は ははッ…… と照れたように笑って、ただ嬉しそうにしている。
……旦那。こいつは『ゴーダン』っていう名前なんですが、見かけによらず純朴なヤツでして
妙な空気の中、キリアンがフォローを入れた。
旦那の大ファンで、キャンプの古参なのに、昨日からモジモジするばかりで全く話しかけもできやせんで。見かねて連れて来たわけでさぁ
……そのためだけにか?
ああ、もちろん、槍投げの名手でもありやす。おいゴーダン、ボサッとしてねえで旦那に見せてやんな
お、おう
モジモジしていたゴーダンが、気を取り直して、背中の槍を一本抜き取る。さらに右手には、投槍器(アトラトル)と呼ばれる補助具を持っていた。
投槍器(アトラトル)とは、槍の石突を引っ掛けるための窪みがある棒状の道具だ。腕の力を無駄なく推進力に変換して槍を打ち出すことにより、射程と威力を飛躍的に上昇させられる。
槍の石突を窪みにセットし、ゴーダンが振りかぶった。
ふッ!
ビュゴッ、と弓矢とは全く異なる重量感のある音とともに、槍が投射される。
緩やかに放物線を描いた槍は、その実、恐るべき速さで風を切り、遠方の木の幹にドガッと突き立った。着弾点には樹皮が剥げた楕円形の模様があり、適当に投げたのではなく、狙って命中させたのは明らかだった。
ほう! すごいな
大した威力、そして正確性だ。ケイの”大ファン”で、あれほど照れていたにも関わらず、即座に命中させてみせる度胸もポイントが高い。
旦那、いかがでしょう
雇おう。彼が協力してくれるなら心強い
おっ、よかったじゃねえかゴーダン、即決してくだすったぞ
ははッ……そっか……
嬉しそうに笑ったゴーダンは、照れてそれ以上は言葉にならなかったのか、浮かれた足取りで木に刺さった槍を取りに行く。
それで、次はこっちでやすが―
俺の番か!
続いて、キリアンがもうひとりの方を見ると、浅黒肌のイケメンが待ってましたとばかりに口を開く。
俺の名前はロドルフォ! 流れの用心棒だ! 栄えある”大熊殺し”のケイ殿に出会えるとは恐悦至極! ってとこかな!?
芝居がかった仕草で一礼するロドルフォ。とても威勢がいい。ゴーダンの影響か、ロドルフォもナチュラルに握手を求めてきた。
そしてあんたほどじゃないが、弓が得意だ!
言うが早いか、右手で矢筒から数本まとめて矢を抜いたロドルフォは、複合弓を構えて速射を披露する。
シュカカッ、と耳に心地よい音を立てて、木の幹に矢が3本突き立った。
なかなかの早業だ。しかし……
……4本、放ってなかったか?
一矢、どこかへすっ飛んでいったようだが。
うむ! これでもマシになった方なんだがな! 百発百中とはいかないから、数で補うことにした!
なるほど
数撃ちゃ当たる理論。連射の速さそのものはケイにも迫る技量だ。ロドルフォなりの修練の成果なのだろう、と理解した。
ただ、連射用に調整した結果か、複合弓の”引き”が少し甘いのが気になる。弓の威力を十全に引き出せていない―
(―いかんな、同業者(ゆみつかい)となると見る目が厳しくなりそうだ)
ケイはそんな自分に気づいて苦笑した。
(……まあ、いくら狙いが甘いといっても、“森大蜥蜴”のバカでかい図体を外すことはないだろう。1、2本は魔法の矢を預けても大丈夫か?)
うーむ、と考え込む。
今のところ、“氷の矢”はマンデルに5本ほど預けてあり、残りの15本はケイが持っている。“森大蜥蜴”の巨体を効率的に冷却するには、できるだけ多方向から複数の矢を打ち込む必要があるのだが、肝心の射手がいなかった。
その点、ロドルフォは悪くない。射手としては。度胸もありそうだし……
……。ダメか?!
ケイの沈黙をどう受け取ったか、ロドルフォがこてんと首を傾げる。
ああいや、すまない、少し考え込んでいた。……もしよければ、使っている弓を触らせてもらえないか
え? ああ、構わないが。見せるほどのものではないぞ!
ロドルフォがヒョイッと弓を渡してくる。他人に触らせることを全く気にしていないようだ。ケイは”竜鱗通し”を他人に扱わせる際、それなりに緊張するのだが。
(草原の民からの流用品、あくまで換えのきく道具ってことか)
複合弓をグイッと引いて、張りの強さを確かめたケイは、 まあこんなもんか と納得する。ロドルフォの引き具合から考えると、速射時の威力は本来の8割といったところか。
威力が不安か?
ケイの懸念を、ロドルフォは汲み取ったようだ。
―なら、ここを狙ったらどうだ!
とんとん、と指先で自分の目の下をつつき、ロドルフォは笑う。
柔らかく、脆い眼球を狙うつもりらしい。
……それは、おれも考えていた
と、いつの間にか近くに来ていたマンデルが話に加わってくる。
ケイ。……実際のところ、目は弱点になりうるのか? 以前、“森大蜥蜴”は熱を探知する器官を持っていて、視覚に頼らず獲物の位置を特定できる、と言っていたが、目を潰しても意味はあるのだろうか
マンデルの質問に、ロドルフォが え? なにそれ、そんなの知らない とばかりにスンッと真顔になった。
もちろん、意味はある。目をやられて平気な生き物はいないさ、痛みで怯むだろうしな。ただし命中すればの話だ
ケイは手で、十センチほどの円を作ってみせた。
“森大蜥蜴”の目の玉はだいたいこれくらいの大きさだ。図体の割に目はそんなにデカくない。そして、ヤツはこうやって
ケイはシャドーボクシングをするように、ぐいんぐいんと首を振ってみせた。
頭を振りながら移動するから、命中させるのも至難の業でな
……ケイでも難しいのか?
ああ。走ってる最中は、とてもじゃないが狙って当てられん。人間と違って次にどう動くか読めないんだ。だから少しでも動きを鈍らせられるように、落とし穴を準備しているわけさ
なるほど、そういうことか
マンデルはふんふんと頷いて、表情を曇らせた。
このサイズか。……おれの腕では、止まっていても必中とはいかないな
自分も、手で十センチ大の円を作ってみながら、思案顔のマンデル。
なぁに、数撃ちゃ当たる!!
ロドルフォはなぜか胸を張っているが、それは自分に言い聞かせているようでもあった。
それで、ケイ殿! 俺は使い物になるかな!?
ああ、雇おう
なんだかんだで、この威勢の良さは気に入った。ケイ基準だと見劣りがするだけで、弓の腕前も及第点だ。“森大蜥蜴”を相手に目を狙ってやろうという気概も悪くない。
ありがたい! 全力を尽くさせてもらおう!
白い歯をキラッとさせて笑いながら、再び大仰に一礼するロドルフォ。
……まあ目潰しに関しては、当たったら儲けもの、くらいに思うといいさ。それに眼球から脳までの距離が遠くて、横合いから深く突き刺さらない限り、致命傷にはならないんだ
もちろんケイとしても積極的に狙うつもりだが、以前の”大熊”のように即死させるのは難しいだろう。魔法の矢が目にぶっ刺されば話は別かもしれないが―
旦那、それに関してはアッシに考えがあるんでさ
と、ここでキリアンが腰のポーチから黒い小さな壺を取り出す。クッションに包まれ、厳重に封がしてあるが……何やら物騒な気配だ。
……それは?
アッシ特製の毒でさぁ。猛毒のキノコ、毒ガエルと毒虫の汁、それに薬草と香辛料を混ぜてありやす
思った以上に物騒な代物だった。キリアンの森の知識の結晶。
肉を溶かす毒なんで、危なっかしくて普通の狩りには使えやせんが。“森大蜥蜴”が相手なら、と思いやして。流石に、これっぽっちの毒じゃデカブツは殺しきれんでしょうが、動きはかなり鈍くなると思いやすぜ
毒か……
魔法の矢は用意していたが、その発想は抜け落ちていた。
……旦那、毒はお嫌いで?
渋い顔をするケイに、キリアンが顔を曇らせる。こういった『道具』は人によって主義主張信条があり、トラブルの種になりかねないのだ。
いや、あまりいい思い出がないだけだ。使えるものは使うべきだと思う
ひょいと肩を竦めるケイ。
アッシは矢弾(ボルト)にこれを塗り込むつもりでやすが、こっちの坊(ぼん)にも使わせてやろうかと
おいおい、坊(ぼん)はよしてくれよ!
ロドルフォが苦笑している。だが、彼の速射と毒矢はなかなか相性がいいかもしれない。
旦那は、お使いになりやすか?
いや、俺はやめておこう。毒はそっちで使ってくれ
毒なんざ使わなくとも、旦那の強弓は威力充分でやすからね
ケイの”竜鱗通し”を見やり、眩しげに目を細めるキリアン。
そういえば、その強弓! “大熊”さえ一矢で射殺したと名高いが、ぜひその威力を見せてはもらえないか!?
ロドルフォが鼻息も荒く頼み込んでくる。
…………
その背後では、槍を回収して戻ってきたゴーダンが、目を輝かせていた。
あー……すまないな、本気で使うと矢がダメになってしまうんだ。今は一本でも温存しておきたい
期待に応えられず申し訳なく思いつつも、ケイは断る。“竜鱗通し”は全力で矢を放てば細木を折るほどの威力だが、代償として矢も砕けてしまう。“森大蜥蜴”を射殺すには、矢が何本あっても足りないほどだ。デモンストレーションのために無駄にするわけにはいかない。
そうか。それは確かに、そうだな!
…………
納得するロドルフォ、しゅんとするゴーダン。
代わりと言っちゃなんだが、引いてみるか?
おっ!! いいのか!?
……!!
喜ぶロドルフォ、元気を取り戻すゴーダン。
ケイは苦笑しながら、“竜鱗通し”を貸してやった。まあ、この二人なら変な扱いはしないだろう。
思ったより軽いな! ……って、なんて張りだコレは!?
……指が千切れそうだ
やはり、みな同じような反応をするもんだな。……かくいうおれもそうだった
やんややんやと騒ぐ二人に、マンデルが腕組みしたままうんうんと頷いていた。
ちなみに、キリアンも興味がありそうな顔をしていたが、年甲斐もなくはしゃぐのが恥ずかしかったのか、触らなかった。
ところでロドルフォ。渡しておきたいものがある
“竜鱗通し”体験会が落ち着いたところで、ケイは話を切り出す。
おお、なんだ?
魔法の矢だ
!? そんなものがあるのか!
ああ。友人の魔術師に作ってもらった。氷の精霊の力で、刺さった部分を凍りつかせる力がある
“森大蜥蜴”が寒さに弱く、体温を下げれば劇的に動きが鈍くなる、という旨の説明をしたケイは、腰の矢筒から”氷の矢”を抜き取ってみせた。鏃の留め具にブルートパーズがはめ込まれている、特殊な矢だ。
これが……!
魔法の矢……!
初めてお目にかかりやした
興味津々なロドルフォ、ゴーダン、キリアンの三人組。
ロドルフォ、お前にはコイツを持っていてもらいたい
いいのか!? 俺が!?
ああ。だがその前に使い方を教えよう
ケイは”氷の矢”を矢筒に戻し、代わりに普通の矢を抜いた。
これは普通の矢だが、とりあえず魔法の矢だと思ってくれ。魔法の矢は、放つ前に合言葉(キーワード)を唱える必要がある
ぐっ、と矢をつがえて引いてみせる。
この状態だ。放つ直前に、 オービーヌ と唱えろ。そうすることによって、矢に封じられた精霊の力が目覚める。そして矢が刺されば、氷の魔力が解き放たれるんだ
なるほど
ただし、一度精霊の力を目覚めさせると、もう矢筒には戻せない。絶対に命中させる必要がある。そして合言葉を唱えずに放つと、普通の矢と変わらない。絶対に合言葉を唱えるのを忘れるな。いいか。絶対にだ
な、なるほど……
ロドルフォはケイの気迫に圧されて引き気味だ。
とりあえず、2本渡しておく。 ロドルフォ、お前にこの2本を譲る
あ、ああ……わかった
その2本が自分のものであることを宣言してくれ
え? …… この魔法の矢は、俺のものだ
よし。それで所有権がお前に移った。お前がその矢をつがえて、合言葉を唱えると魔法の矢として機能する